アメリカの金融制度はどこから来てどこへ行くのか
相変わらず、ゲームばっかしてました。すいません。自分でも狂ってると思います。廃人です。PCとゲームとネットが無いと生きていけません。
ゲームしている間にも世界の金融はなんだか今にもぶっ壊れそうな勢いで、しかも世界経済にデフレ圧力としかいいようがないものが働いている上に、こないだの記事書いてから、他の方が、色々書いてて、
小泉純一郎氏の遺産
ウォールストリートの歴史的1ヶ月
上記の記事は、いくつか僕が書こうと思ってたことが書かれてあって、僕が書くことどんどん減ってくなーと思いつつ書いております。興味のある方は、上記の記事を是非。
それはともかく、続きです。
第四章 なぜ銀行は規制されねばならなかったか
・1 銀行は何故必要とされたのか
この話は、第一章で話した「銀行のはじまり」と強く関連しています。なので、この先は、第一章を読んでからお読み頂けると助かります。
僕は、第一章で、銀行を、「貨幣的機能(預け入れと支払い)と貸し付け機能の二つをもった存在。金融仲介者。」と定義しました。
しかし、これだけだと、何故、銀行が必要とされたのかについてよくわからないと思います。ここで、何故、銀行が必要だったかをまずお話します。
銀行とは、他の全ての仲介を生業とする産業と同じく、システム内に非効率が存在するが故に生み出された存在です。いわば、システム内の非効率に寄生して生きているんです。銀行が登場する前には、経済というシステムの内部においては、ある重大な非効率が存在していました。
銀行業が登場し、財産権が確立する以前においては、ある個人に貸し付けを行ってくれる人は、その人の親族や親しい友人にほぼ限定されていました。現在でも、貸した金は踏み倒すのが当たり前とかいう国では、それしか金を借りる手段がなかったりもするわけです。
しかし、この状態では、借り入れるお金の大きさが必然的に制限されます。
親族や友人からしかお金を借りられないのでは、大規模な資本を使って工場を建てるなんてことはできませんし、大勢の人を雇って新しい事業を始めることは出来ません。
そのため、価値のある様々な技術があっても、又、革新的なアイデアがあったとしても、借り入れるお金の大きさに制限が存在するために、画期的な要素を土台とした経済発展は当然の如く制限されるんです。
しかし、銀行、ここでは、「貨幣的機能(預け入れと支払い)と貸し付け機能の二つをもった存在。金融仲介者。」が出現し、この二つの機能を結びつけたとき、巨額の富をより生産的なシステムを生み出すために使用することが可能になったんです。
金融システム、特に銀行の登場と発展は、それ以前の世界において、経済発展を抑制してきた非効率を改善したんです。
つまり、貸し手と借り手を効率よく結びつけることによって、画期的な技術やアイデアに対して大規模な資本を提供し、経済の生産性を劇的に上げるという形で。
銀行、つまりは大規模な金融仲介者が存在しない世界では、この機能が存在しないが故に、経済発展が制限されてきました。その非効率を改善することで、銀行は飯の種にありついたんです。そして、資本主義を支える一つの土台となったわけです。自ら、それを望んでそうなったかどうかはともかくとして、結果的にそうなったんです。
ここは非常に重要な点なので、繰り返しますが、技術のみで世界を変えることは出来ません。何故なら、技術を使って世界を変えるためには、そのために大量の人材や資本が必要とするからです。
しかし、借り入れるお金の大きさに制限のある世界では、そういった発展は当然の如く制限され、淘汰されざるを得ません。しかし、銀行は、この非効率を改善したんです。借り入れの大きさや機会を劇的に大きくしたことよって。
あくまで改善した、にすぎませんが、この進歩は劇的であり、銀行は、まさにこの仲介機能の重要性から資本主義の要石の一つとなったんです。技術と金融は、言ってみれば、資本主義の両輪なんです。
・2 銀行のもつ問題点
しかし、また、資本主義を支える要石の一つとなったが故に、銀行は問題も抱え込みました。技術の発展が人類の歴史に正と負の両面の影響をもたらしたように、金融の発達も又、正と負の両方の影響をもたしたんです。
銀行がもたらした金融仲介という機能は、そのあまりの利便性故に、貸し手と借り手の双方に多大な便益をもたらしました。上述した通りです。
しかし、それがあまりに利便性に富んでいたが故に、貸し手と借り手はそれに依存していきました。
そして「第一章 銀行のはじまり」で述べたことですが、貨幣的機能と貸し付け機能が結びつけたことによって、銀行はリスクを背負い込みました。
そのリスクの中でも、もっとも大きなリスクが、「銀行取り付け」であり、いったん、銀行取り付けが起こった場合には、個人のみならず、産業、最終的には政府ですら破滅に至らせることができる性質をもっていたんです。
第三章で、銀行取り付けに始まった金融危機が最終的に世界大不況に至った経緯を紹介しましたが、銀行という金融仲介者は、世界に繁栄を作り出せる機能をもつと同時に世界を破滅にいたせる機能も持ち合わせていたわけです。このあたりは技術も同じなんですが。
そして、このような銀行が始めから背負っていたリスクや不安定性を取り除くために、ニューディール期のアメリカでは、金融システムの中心である銀行業と金融制度に改革が行われるに至ったんです。特に、銀行取り付けを予防し、金融システムのメルトダウンを防止することが望まれました。
そして、その改革は、銀行にある種のセイフティネットを設け、金融システムが破綻しないようにすると共に、セイフティネットがもたらすモラルハザードを防ぐために、幾つかの規制を銀行にもたらしました。(火災保険に入ると火元のチェックを怠る人が増えるので火事が増える的な事を防ぐためです)
これが銀行が規制されねばならなかった理由です。
結論を述べておきますが、この改革は、その後30年にわたって上手く機能し、世界に繁栄をもたらしました。しかし、後の章で紹介していきますが、それは永遠というわけではありませんでした。
・3 銀行業に対するセイフティネットと規制
ここでは、ニューディール時代のアメリカで作られ、その後30年にわたって(今でも存続している制度もありますが)金融の基礎となったセイフティネットと規制を紹介します。大きなものだけですが、これらのセイフティネットと規制は、銀行にほとんどの金融システムを独占させるものとなりました。
預金保険制度
預金保険制度が作られた理由は単純かつ明快です。銀行取り付けを防ぐためです。
そのために連邦預金保険公社、FDICが作られました。預金保険がつくられたことにより、預金者は、自分の預金勘定が、政府によって保証されたわけであり、預金取り付けという行動をする必要はなくなったわけです。政府が保証してくれる限り、自分の預金は安全ですからね。
設立に関しては、一悶着あったんですが、ここでは割愛します。最終的に、議会は、小口預金者は完全な保護を、大口預金者には部分的保護をすることで決着しました。ここで、小口預金者と大口預金者で扱いが違うのは、モラルハザードを防ぐためです。
預金保険は、銀行取り付けの発生確率を著しく下げました。これは預金保険が作られてからの銀行取り付けの頻度の減少からもわかります。ガルブレイズは、預金保険制度を指して、これほど成功した規制は他にないと言いました。それほど劇的に、かつてもっていたリスクを軽減したからです。しかし、当初から、これはある種の問題ももっていました。
ここで重要なのは、預金保険によって銀行取り付けのリスクは減少しても、銀行の詐欺や投資などからのリスクからは減少しないどころか逆に増えるという点です。
保険に守られている預金者にとっては、どの銀行も安全です。それ故、良い銀行も悪い銀行も全てが守られてしまいます。
そもそも、銀行の経営者は、預金保険があるなら、無限のリスクを取ってもおかしくありません。何の規制もない預金保険つきの銀行というのは、「勝ったら利益は総取り、負けた金は全部政府が保証してくれるカジノ」に他なりません。
賭けに勝ったら利益は自分のもの。負けたら政府が払い戻しをしてくれる。こんなゲームのルールが敷かれたら、銀行経営者のやることは無限のリスクをとって勝つまでやり続けるだけです。
これは預金保険がもたらしたリスクです。規制ですらリスクをもたらす、ってのの典型例なんですがね、これは。(不幸にもこの通りのことが後に起こるわけですが、それは後の章で)
そのため、小口預金者は預金保険によって預金勘定を保証されているため、銀行監視の役割は、大口預金者と政府がになうことになりました。前者には、その役割があまり期待できないが故に(情報の非対称性)、より多くの責任が政府に降りかかりました。
銀行がリスクを取りすぎないように、監視する誰かが必要でした。そして、その役目は、最終的に、FDIC、FRB、通貨監督官に課されることになったわけです。
預金保険制度は、まず第一に銀行が規制されねばならなかった理由です。これは、銀行取り付けを防いではくれますが、銀行の不味い貸し付け、詐欺、経営の失敗のリスクを逆に増やす性質をもっていたからです。
もう一つ。預金保険は他の金融サービスの提供者にとっては普通に脅威です。これがあるが故に、銀行は通常より安くお金を集めることが可能であり、資金調達コストを引き下げる効果があるからです。これは預金保険をもつ銀行が金融を長い間独占することを可能にしました。しかし、それも永遠ではありませんでしたが。
・連邦準備制度(FRB)の強化
連邦準備制度、FRB(アメリカの中央銀行)の設立の話から始めると長くなりすぎるので、かいつまんで話しますが、FRBは1913年に設立されました。当初の目的としては、マネーサプライに柔軟性をもたせるためです。
それ以前の時代であれば、銀行は資金が必要な時には短期資金を借りたり、商業手形を売ったりするしかありませんでした。が、それは当時の銀行制度ではリスクのある行為でした。
例えば、1907年、ロンドンの米銀の手形割引拒否がきっかけで恐慌がおきたりしてました。資金調達ができなくなった米銀は大混乱に陥り、不安は伝播し、銀行取り付けが起こったんですね。
この際に英雄的な行動を起こしたのが、ジョン・P・モルガンであり、NY中の銀行から準備金を拠出させて資金プールを作り、財務省とかけあって国庫金を放出させ、取り付け騒ぎにあった銀行を救済したんです。
アメリカは、その銀行制度上、1923年まで中央銀行にあたる銀行が存在しておらず、通貨の発行業務は商業銀行に任されていました。当然といえば当然なのですが、通貨を創り出す能力を与えられているが故に、商業銀行は規制を受けており、信用の供与はかなり制限されたものでした(不動産を担保にすることがみとめられていなかったりした)。
そのため企業金融などに関しては、投資銀行のほうが主役だったんです。アメリカで投資銀行の地位が高いのは、そういう歴史的経緯があって、間接金融より直接金融のほうが発達を遂げた理由もこういう歴史的な経緯があるわけですが。
モルガンは、この一件の後、中央銀行の設立のプランに積極的になり、また議会も、次に金融危機が起こったときに、又、モルガンのような人物がいるとは限らないという理由で中央銀行の設立に向かって進み始めます。紆余曲折はあったにせよ、そういった経緯で最終的にFRBは設立されました。
ただ、設立初期のFRBの機能は、「最後の貸し手」としては非常に弱いものでした。特に不味かったのは、加盟銀行が適当な担保をもっていない場合には、FRBから借り入れることが出来ないと言う点で、これは後の悲惨な結果、つまりは世界恐慌の原因の一つともなりました。
1914年、大戦勃発時に最初の危機がFRBを襲ったんですが、時のニューヨーク連銀の総裁の英雄的な活動によって切り抜けることができました。しかし、1929年、FRBには、適当な人物がおらず、混乱の最中、金が海外に流出するのを恐れて金利を引き上げたわけです。その後のことは、第二章で紹介した通りです。人って大切ですね。
明白な中央銀行の機能の失敗を目にしたアメリカは、FRBを本当の意味で中央銀行に変えるための改革を行いました。
重要な変更点としては、担保や金準備の制限の緩和です。担保がないと中央銀行から金を借りれないってのは明らかに問題でした。特に、大恐慌時には、多くの銀行が危険に瀕していたので、FRBは加盟銀行に対する貸し付けの担保として貸し付け債権を認めなくなかったんです。そうせざるを得なかったんです。当時の状況では。
それ故に取り付け騒ぎにあった銀行は、中央銀行から十分な信用を入手できない為、貸し付けを減らして、資産の投げ売りを開始したので、経済全体にデフレ圧力が降りかかりました。また、FRBが資金を得られないので、当然の如く、加盟銀行は非加盟銀行に貸し付けることもできません。結果として、銀行間の短期融資も滞り、金融システム全体が麻痺する事態に発展したんです。結果は、完全な金融システムの崩壊でした。
ようするに、大恐慌時のFRBは最後の貸し手としての役割を放棄した上に、取り付け騒ぎにあった銀行から急速に金がなくなったので金本位制を守るため金利を引き上げるという最悪の手段にでるしかなかったわけです。それはデフレを加速させ、銀行倒産と企業倒産、失業者の増加の連鎖を引き起こしました。
FRBが考え得る限り最悪の手段を使ってアメリカ経済を1929〜1933年にわたって崩壊させた後、ようやく、FRBを本当の意味での中央銀行に生まれ変わらせる改革が行われました。
担保や準備金の制限の緩和と廃止、公開市場操作のための制度の整備が行われ、究極の流動性の供給者、最後の貸し手としての中央銀行がアメリカに誕生したわけです。
それから、これは重要なことなんですが、預金保険制度と、FRBはそれぞれ役割が違います。いずれも金融システムの崩壊から経済を守るためのものですけれども。
預金保険と銀行規制は、銀行取り付けに起因する金融危機を予防する役割を担っています。
一方で、FRBは、起こってしまった金融危機の影響を最小限に食い止めるためのものだということです。
いってしまえば、預金保険は風邪の予防薬であり、FRBは実際に風邪を引いてから飲む薬という所です。また、守る範囲も違います。預金保険は預金者を守りますが、FRB(中央銀行)は金融システムを守るために存在しています。
・証券業務規制、参入規制、金利規制
ひとつずつ話すと長くなるので、ここは全部一緒にして紹介します。どれも重要な規制なんですが、このどれも、現在では崩壊した規制だからです。まぁ、他の預金保険にしろ、FRBにしろ、ある程度崩壊しつつあるんですが。
証券業務規制は、証券法によるものです。1933年、議会はグラス・スティーガル法によって、商業銀行から証券業務を取り上げました。これは、当時のアメリカ議会が、1929年の株式市場のクラッシュを、銀行が株式や債権を保有しつつ、一般投資家に販売する前にその価格をつり上げようとしたり、インサイダー情報を使って売り抜けを図ったりする慣行に求めたからです。
ただ、こういった不道徳な行為が違法とされたのは、証券法によってであり、それだけでも十分だったのですが、ここでは二重のセーフティーネットを使ったわけです。
とはいえ、実質的には、この規制は、その後、意味のないものとなりました。この話は、1980〜90年代におきた「正直な会計」の崩壊の話を後の章で扱いますので、そこで詳しく話したいと思います。この悲しい物語も、テクノロジーの発展、とくにコンピューターの発展が背景にあるのですが。
参入規制と金利規制は、どちらも銀行を過当競争から守るために作られました。当時のアメリカ議会は、過当競争が1930年の金融崩壊を招いたと考えていたからです。まぁ、その後の研究でそんなもんはなかったとされてはいますが、当時はそう考えられていたんです。
まぁ、1929年のバブルの原因だって、銀行の不道徳な相場操縦だけで起こせるもんじゃなかったんですけどね。
最終的に、参入規制は大銀行による中小銀行の駆逐を防ぐ手段として機能しました。これは預金保険制度と同じです。小口預金者にとってはどの銀行に預金を預けても、原本は保証されますから。
一方で金利規制は、30日以内しか銀行に止まらない資金への利息の禁止、上限金利の設定によって銀行の利益を増やす事になりました。それも極めて安定的に。
こうして、参入規制と金利規制を得たアメリカの銀行は、まぎれもない独占体となりました。銀行間の競争からも他の金融仲介者との競争からも保護され、その上、馬鹿げたほど簡単に利益がでるような免許をもらったようなものだからです。
ただ、次の章でみるように、そのような銀行の繁栄は、思いもよらぬ所から現れた蛮族の勃興により、永遠に破壊されることになります。
・まとめ
現実の経済システム内には、多くの非効率が存在し、その非効率が存在する故に必要とされる仲介企業が存在する。
銀行とは、金融仲介システム内に非効率が存在するが故に生み出された存在。
銀行のような金融仲介システムの存在しない世界では、借り入れるお金の大きさに制限が存在するために、画期的な要素を土台とした経済発展は当然の如く制限される。銀行は、貸し手と借り手を効率よく結びつけて、その非効率を是正することによって、富を生み出している。
しかし、貨幣的機能と貸し付け機能が結びつけたことによって、銀行は、その生誕の時点から、大きなリスク、ここでは銀行取り付けに弱い、を抱え込んでいる。
銀行は、その利便性、効率性から社会に大きな富をもたらすと同時に、崩壊した場合には、個人、企業、国家そのものを破滅に追いやりかねない力を持つにいたってしまった。その力の大きさは世界恐慌という形で示された。
ニューディール期のアメリカでは、そういった不安定性を取り除くために、銀行が破綻しにくく、取り付け騒ぎが起こりくいセーフティネットを導入した。その上で、セーフティネットがもたらすモラルハザードを抑制するために銀行に数々の規制を行い、金融システムを守る最後の砦としてFRBを設立した。
ニューディール銀行体制は、その後、30年間ほど上手く機能した。
「第五章 コンピューターがやってきた」に続く。次からがやっと本論です。今回はあんまり面白くない話だったかもしれませんが、次の話をするのに、どうしてもしとく必要がある話だったんで。