トリアージと中絶の経済学
の続きである。
タイトルはかなり扇情的なものにしたが、今回の話はするには適当だろうという事でつけた。なんで、こんなタイトルになるかは、これからお話しようと思う。
さて、なんだけども、先日の話では、「ヤバい経済学」の話で、「アメリカで犯罪を減らした史上最大の要因の一つが中絶だ」って話をしたわけだ。
「やば経」によると、子ども時代の貧困と片親の家庭で育った子どもは、将来犯罪者になるかを予測する上で、もっとも強力な要因だと言う。
片親の家庭で育つと子どもが将来犯罪者になる可能性はほぼ二倍になるらしい。また、母親が10代、あるいは母親の教育水準が低い場合にも、子どもが犯罪者になる確率が上昇する。
「やば経」では、ここで、アメリカで何百万人の女性に中絶を決心させた原因の一つが、「子どもを生んだら、その子どもは不幸になり、犯罪者になる確率が高い」と女性が予測した要因そのものにあるようだ、と仮説を立てた。
そして、実際問題として、中絶が合法化されてから、犯罪者が減った。この話は昨日した話だ。問題はここから。
さて、ここで素朴な疑問がわく。日本は、世界で最も治安の良い国だが、一体、日本の治安の良さをもたらしたのは一体何なんだろう?まさか、中絶?日本でも?そんな馬鹿な。でも調べてみるとアレな事実が浮かび上がってくる。
少年犯罪データベース 少年による殺人統計
まず、こちらの統計グラフから紹介するんだけど、ここで少年による殺人の統計が見て取れる。それをみると、戦後の子ども達は、急激に凶暴になったのが見て取れる。少年による殺人が急激に増えたのだ。
そして、不思議なことに、1967年あたりから急激に少年による殺人が減り始める。
何故だろう?何故、急に日本の少年は凶暴になって、1967年を境に少年達はおとなしくなったのだろう?実は、この傾向は少年による殺人によるものだけでなく、少年による強姦でも同じ傾向が現れている。
少年犯罪データベース 少年によるレイプ統計
コピーといっていいほど、少年による殺人事件の統計と同じだ。戦後になると急激に少年による強姦が増え始め、そして、1967年あたりを境に、急激に少年達は強姦をしなくなっていった。
一体、何がこんな状況を生み出したのだろう?
その答えは、意外なことにルーマニアにある。チャウシェスク政権時代の話だ。「やば経」からの引用になるが、
ニコラエ・チャウシェスクはルーマニアの共産主義独裁者になって1年後の1996年、中絶を禁止した。「胎児は社会全体の財産である」。彼は高らかに宣言した。「出産を忌避する者は、国家存続のための諸法を犯し、義務を怠るものである」。
チャウシェスクが取った政策は、単純なもの、つまり「生めよ増やせよ」政策だった。中絶を禁止して、人口を増やし、ルーマニアを強化しようとしたのだ。
問題はここからだ。
中絶が禁止されてから、一年でルーマニアの出生率は二倍になったのだ。チャウシェスクの狙いは、見事に結実した。だが、副作用があった。また、「やば経」からの引用になるが、
中絶が禁止されてから生まれた子供の世代を、ちょうど前の年に生まれた子供と比べてみると、どの指標も悪化している---学校の成績は悪く、仕事で成功することも少なく、そして犯罪者になる可能性はずっと高くなっていた。
中絶が合法である限り、女性は、自分で子どもをちゃんと育てられるかどうか、きちんと判断する。これが「やば経」の結論だった。
だが、中絶が非合法化されると、女性は、ちゃんと子どもを育てられるかどうか、全く判断しないまま子どもを生むようになる。
その結果が、こういう形になって現れる。ルーマニアは、中絶が禁止されると、出生率は高くなるが、子ども達が犯罪者になる確率が高くなるというモデルケースなのだ。
さて、じゃあ、日本に戻ろう。
日本では、1941年、閣議である政策が決定された。その政策とは、「産めよ増やせよ」というスローガンがついていた。富国強兵、植民地への殖産、それから戦争における人員の確保のためだ。
そして、この政策は、狙った通りの効果が一応はあった。日本の出生率は、1920年の36.3%をピークに緩やかに下がり、1940年には29.0%まで下がっていた。明治以来の人口増加は限界に来ていたのである。
ところが、「産めよ増やせよ」のスローガンが採択された1941年から、出生率は上昇に転じ、1943年には30.2%まで回復。1947年には34.3%まで上がり、その後は下降の一途をたどり、1955年には、19.3%まで下がった。図表は以下。
戦後における人口の動きより
先にも述べたように、中絶をするかどうかが女性の判断にゆだねられた場合、女性は子どもをちゃんと育てられるかどうかを判断する。その精度はかなり高い。育てられないと判断すれば、彼女達は中絶を選ぶ。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、将来犯罪者になってしまいそうな子どもしか育てられないと判断すると、女性は中絶を選ぶことが多い。
だが、このシステムが、チャウシェスク時代のルーマニアのように、国家からの政策によってゆがめられた場合には働かないのだ。
そして、「やば経」の仮説にある通りのことが、日本でも起こった。1941年前後に生まれた子供達が、少年になり、少年犯罪をするようになる10才なるのは、1951年前後からだ。
少年の凶悪犯罪は本当に増えているのか
こちらのページに、強盗・殺人・強姦・放火の四種を合計したグラフがある。戦後の小宴凶悪犯罪の統計グラフだが、昭和30年から、急激に少年による凶悪犯罪が増えはじめているのがみてとれる。
昭和30年は1955年だから、ちょうど、1941年生まれの子ども達は14才になっていることになる。つまりは、少年犯罪(10−19才)の範囲内で非行に走る年頃だ。
これは偶然だろうか?図らずも、「やば経」がたてた仮説の通り、日本でも起きている。つまり、「産めよ増やせよ」的な政策、中絶禁止は、その後の国内における犯罪の件数の増加につながる、という。
この話は、まだここで終わらない。
戦前戦中の「産めよ増やせよ」的政策の影響は、戦後もどうやら続いたらしい。戦地から帰ってきた男性が、はっちゃけただけかもしれなけど、1949年までは出生率は高いままだった。しかし、1947年の34.3%をピークに出生率は下がっていく。
だが、一番重要なのは、以下の数値だ。
同じ資料からだが、妊娠中絶件数が昭和24年(1948年)の10万件から急激に増え始めたのである。昭和25年には32万件、昭和26年には45万件、昭和28年にはなんと100万件に達した。たった4年で、10倍まで増えたのである。
この後、中絶率は横ばいになり、1960年まで100万件を記録し続ける。
もし、「やば経」の仮説が正しいなら、このように、女性が自分の自由意志で中絶するか否かを選択した場合には、それは、日本での犯罪の減少を引き起こすことにつながるはずだ。
そして、それは、女性が積極的に中絶を始めた昭和28年(1953年)前後生まれの子ども達で最初に現れることになる。この子ども達は、犯罪を犯す確率が低くなる。
そして、ここでも、まったくその通りのことが起こった。昭和28年前後に生まれた子供達が10代になる昭和40年前後あたりから、急激に凶悪少年犯罪の件数が減り始めたのである。
少年の凶悪犯罪は本当に増えているのか
こちらの中段あたりにあるグラフを見て頂けばそれがわかる。
つまり、アメリカやルーマニアで起こった事は、日本でも、ほとんど全く同じ形で繰り返されていたことになる。女性というのは、どうやら本当に直感をもっているらしい。
つまり、彼女達は、自分の子どもが犯罪者になってしまいそうな状況で、中絶という選択肢がある場合には、中絶を選ぶことが多いのだ。日本でもアメリカでも。
どういうメカニズムかはわからないが、女性達は、かなり高い確率で、犯罪者になりそうな子どもは、中絶してしまうようなのだ。
だが、もし、「産めよ増やせよ」的な政策が取られたり、妊娠中絶が禁止されると、この機能が働かなくなる。その結果、子ども達の中で犯罪者になる割合が多くなってしまい、少年犯罪が増える。
日本は先進国ではかなり早くから妊娠中絶を合法化していたし、戦後は「産めよ増やせよ」をしなかった。そして、その期間が相当長期にわたって続いた。
つまり、日本が世界で最も犯罪率が低い最大の原因は、日本人がモラルが高いからでも、裕福だからでも、警視庁が優れているからでもない。妊娠中絶が早くから実施され、人口動態に人為的に政府が手を加えようとしなかったからのようだ。
その結果、日本の女性達は、正しく産んでよい子どもとそうでない子どもを、見もふたもないが「選別」できた。
その結果として、日本では世界でもまれにみる低犯罪国になったというわけである。
これは驚くべき機能、女の直感だが、ここで、どうしようもない疑問が持ち上がる。
また、別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。
ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム
中絶が認められると、犯罪が減る。それは女性が、将来犯罪者になりそうな子どもを中絶するという身も蓋もない育児制限を行うようになるからのようだ。
胎児を殺して社会を豊かにするという行為を、明らかに意図的でないにせよ、女性達は行っている。この場合は、犯罪者になりそうな子どもは、中絶するという形でだが、これが厄介なことに、戦後日本で、最も効果のあった犯罪対策のようなのだ。
だが。
これって、かの悪名高いナチのホロコーストと同じような事じゃないだろうか?
だって、ナチは、ユダヤ人に「劣等民族」というレッテルを貼って彼らを虐殺した。
また、重度障害者たちが精神病院のガス室で殺されていった。その数は20数万人にも上るという。
ようするに、社会に役に立たない人間は殺して良いというアレだ。これって忌み嫌われる行為なんだが、しかし、中絶にもどうやら、同じ機能があるらしい。
この場合、中絶が合法化されると、犯罪者が減る。つまり、中絶というのは、悪名高いアレだ。はてBのタグで「全体最適はナチ」なんてのがあるが、まさしく、この行為そのものだ。
社会全体の幸福と女性個人の幸福のために、将来犯罪者になりそうな胎児を殺しているってことだ。
ここまで見てくると、次のようなアレ、つまり、「やば経」に出てくる、
ある法学者は、中絶の合法化は、奴隷制度よりも(必ず死を伴うわけだから)、ホロコーストよりも(「ロー対ウェイド」裁判以降にアメリカで行われた中絶は2004年現在3700万件で、ヨーロッパで殺されたユダヤ人600万人を超えるから)、もっと悪いと言う。
という言葉を思い出してしまう。
ここで、「この女学生達は偽善者だ!中絶には賛成するのにトリアージには反対するなんて、偽善の極地だ!」という事は簡単。日本の女性の大半は中絶に賛成しているからね。
だが、僕の結論は違う。
この二つには、とても大きな違いが存在する。前回のエントリでも少し述べたけど、次のエントリで、その違いについて述べてみたい。
後編に続く。
日本じゃ胎児の両親の同意が要るし、妊娠した女性が属する家庭がすごく影響すると思うんだが。
その辺すっとばして「女性に中絶を決断させると犯罪が減る」と言われてもオカルトにしか見えん。
家庭の経済状況が、子供が将来犯罪を起こすかどうか決めるというならば、その場合、中絶の直接の原因は家計になるのでは?
すると家計を作っているのは誰かと言うことになるだろう。いろいろありますわいな。
将来の家計を「直感」で判断するという文脈も訳わかんねえ。家計を明確な根拠なしに判断するのか?そうすると犯罪が減っちゃうわけ?オカルトすぎるだろ
なんか前提としているものが適当すぎて、トンデモだなあと思わざるをえない。まだ後半があるみたいだけど、どういう結論を導くつもりなんだろー
「女性の直感」って何だよ。何かオカルト的に捉えてないか?
単に、女は産む前に自分の経済状況や社会環境を冷静に考えて、まともに育てられそうか判断してるだけだろ。
むしろ理性的判断じゃん。
単に、それだけの話。
書籍『暴走する若者たち』
キーワード:ユースバルジ率、人口学、アラブ社会
書籍『女性のいない世界』2012年ピューリッツア賞