マイケル・レイナー著より
企業にとって、中核事業が成熟した後、新たな成長基盤を築くことは
非常に難しい。
市場平均を上回る株主利益率に繋がる成長を長期間維持できる企業は
10社中1社に過ぎない。
成長するための莫大な投資は、しばしば
その企業を破滅に追いやる。
その結果、企業は収益の高い本業回帰を行うが、
成長の止まった市場なので、いずれコモディティ化の
波にさらされ、結果、利益が全くでない事業になる。
やがて、その企業は倒れる。
これが、しばしば、企業の寿命となる。
一旦、成長が失速した企業が、再び、GNPより1%以上の高さを
誇る水準の成長率まで回復することに成功した事例は、
4%程度である。
れきし【歴史】
もう一回間違えるために大勢からお墨付きを貰った教科書。
認めたくないものだな
自分自身の若さ故の
過ちというものを 《シャア=アズナブル》
白い悪魔の辞典(仮)より
現状の企業システムは、まさしく、この皮肉的な
歴史の繰り返しであり、常に、過去の大企業が繰り返した
間違いをもう一度、企業が繰り返すためのお墨付きに他ならない。
成長する企業は破壊的イノベーションを持って
ローエンドからハイエンドに駆け上がり、
ハイエンドに存在する既存企業を打ち倒して
魅力的な収益を実現する。
勝利の代償は、製品のコモディティ化、収益の悪化によって
払わされる。最終的には、製品のコモディティ化によって
その企業の製品が札束を印刷する権利は消失し
成長はそこで終る。
ソニーは1950年から1982年に渡って12回の破壊的
イノベーションを起こした。過去、12回にわたって
破壊的イノベーションを実現した企業は存在しない。
1回〜3回である。だが、それだけでも、十分でもある。
ソニー創業者盛田昭夫は、データに基づいた市場の定量化でなく、
「顧客の片付けるべき用事」に基づいて新製品を発掘した。
「顧客の片付けるべき用事」に基づいて、
ソニーの破壊的イノベーション真製品は
常に、市場のローエンド、あるいは、新市場を開拓した。
ローエンド、新市場に定着したソニーは、そのビジネスモデルを
使って、ハイエンドに向かって進撃し、やがては、その市場における
大企業を駆逐しつづけた。
一方で、1982年以降、ソニーは破壊的イノベーションを
一度も生まなかった。
その後、持続的イノベーションのみで発達し、
それは高い利益を生んだが、
やがて、どの市場もコモディティ化の波によって
魅力的な市場ではなくなった。
持続的イノベーションは、一度確立したビジネスモデルを伸張させ
市場のハイエンドで高い利益率を実現するための新札発行機である。
よって、極めて重要ではあるが、そのイノベーションを
伸張させる事は、企業内を必ず官僚化させる。
一度、見つけられた必勝パターンに従って
市場を定量化し、データを活用して製品をリリースし続ける
事こそが、多くの場合、持続的イノベーションの分野で勝つ方法だからだ。
一方で、あまりに高い利益を生むが故に、企業は
必ず、持続的イノベーションを追求するようになる。
結果、破壊的イノベーションは、殆どの大企業では
生まれなくなる。
破壊的イノベーションは、一方で、札束を生まない。
最初は、極めて、極めて貧弱でニッチで、金払いの悪い顧客層に
定着する。常にローエンド、あるいは真市場の底辺に定着する。
破壊者は、この市場でも利益を生む方法は
生み出す。それが、ひとつのビジネスモデル、
必勝法を確立する。
@ホンダの場合
ホンダは、アメリカに進出した際、極めて貧弱な
資金しかもっていなかった。
ホンダの当初の戦略は、間違っていた。
彼らは、大型バイクのローエンド製品をリリースしたが
それはアメリカのユーザーに受けいられなかった。
大失敗をし、危機に瀕した。
その一方で、スーパーカブは、アメリカには
市場が存在しないと思われていた。
小型オートバイの市場はアメリカには存在しないと
思われていた。
が、ホンダ社員が、ロスでスーパーカブを乗り回すうちに
その光景が一般市民、小売業者の目を引き、
スポーツ用品店が、ス-パーカブを扱いはじめる。
ホンダは、大型バイクの失敗で資金繰りが悪化していた
ために、止む無く、この事業にうってでる。
ローエンド破壊は、有効でないことが、はっきりした。
スーパーカブは、順調に軌道に乗り始める。
ホンダは、この頃から方針転換し、
オフロードバイクという、新しい市場を作り出す方向に
向いはじめる。大型バイクの1/4という値段に設定された
このバイクは、楽しむためのバイクとして新市場を確立する。
これが、ホンダがアメリカ市場に根付く、
最初の一歩を気付くことになる。
インテルの場合
インテルは、半導体メモリメーカーとしてスタートした。
最初は、DRAMのメーカーだった。
これは、破壊的技術であったが、一方で1971年
偶然、あるエンジニアがマイクロプロセッサを開発する。
これも破壊的技術であったが、当時は活用方法がなかった。
1970年代、インテルの利益はDRAMを通じて
もたらされたが1980年代初頭、日本メーカーが
DRAM市場を食い荒らしはじめ、インテルのDRAMを
駆逐した。
この間、マイクロプロセッサ事業は成長を続けていた。
が、DRAMがコモディティ化の波をかぶっているにも関わらず
研究開発費の殆どは、DRAMに投じ続けられた。
1984年、インテルが財政危機に陥ると
初めて、上層部は、インテルがマイクロプロセッサ企業に
なったことを認め、それに対する資源集中を始める。
デスクトップコンピューター市場が勃興したのも
この時期でマイクロプロセッサベースのデスクトップ
コンピューターがそれまでのコンピューターを駆逐し始めたのも
この時期である。
インテルは、この破壊的イノベーションを
資源集中プロセスによって持続的イノベーションへと
転化させた。この結果、インテルは生まれ変わった。
はっきりするのは、破壊的イノベーションを
明確な事業計画によって作り出すのは、
極めて困難であるという事だる。
過去に成功した新事業の90%が創業者が
意図的に追求した戦略が最終的に企業を成功に導いた
戦略とは異なるということである。
成功者達は、つねに、当初の計画に失敗があったことに
備えて、手元に資金を残しておいたことにより
必勝パターンが見出された時に、大胆な戦略の転換を
行えた事が大きい。
破壊的イノベーションとは、必勝パターンを探すプロセスであり
持続的イノベーションとは、必勝パターンを使って金儲けを
するプロセスである。
二つは本質的に違う。
必勝パターンは、多くの場合、市場のローエンド
ないしは、新市場の底辺にある顧客相手のビジネスモデルを
探しだすプロセスであり、データからは決して生み出されない。
存在しない顧客は定量化できないからだ。
なぜ、市場のローエンドで確立されたモデルが
必勝パターンになるかというと、それは
より低コストで開発された商品とビジネスモデルで
あるからでそのビジネスモデルを上位市場、ハイエンドへ
持ち込んで、既存企業と戦う場合、同じ値段で戦う限りは
より高い利益を上げながら、それを叩き潰す事可能にするからである。
一方で、既存企業を叩き潰した後は、
その市場内で、同一のコスト構造の後発プレーヤーと
戦うことが余儀なくされる。
その結果、製品はコモディティ化し、利益を生まなくなり、
その製品は、死を迎える。
この時期まできた企業の多くは、
持続的イノベーションのみを追求する企業体質を
確立してしまう。
つまり、必勝パターンを使って、データを分析し
より沢山の金をもうけるという能力に企業全体が最適化されるのも
この頃で、破壊的イノベーションを生み出そうとしても
上手くはいかなくなる。
破壊的イノベーションとは
ローエンド、あるいは新市場の底辺での
必勝パターンを見つけ出す過程であり、
それは、金儲けとは全く違う能力だからだ。
データにあらわれない顧客層、常に
優良企業、競合企業が無視する、あるいは
ビジネスをやる気がない市場を開拓する製品
ビジネスモデルが破壊的イノベーションとなる。
新たな顧客層を定義しなおすビジネスモデルとも
言える。
そして、その定義の仕方は
市場のローエンド、ありうは新市場の底辺における顧客の
「片付けようとする用事」に基づいて定義される
ものしか、現状、存在しない。