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2005年09月30日

完成品や理想郷なんて糞喰らえだ

僕は、モナリザが嫌いだ。
又、理想郷とか完成品とかいう言葉も嫌いだ。
とにかく、最高というもの自体が嫌いだ。
絵に関わる仕事をしているにも関わらず
美術というものが嫌いだ。

そう思っているから、

Wikipediaがプロの物書きを超える?--米エスクワイア誌の挑戦

この記事には非常に共感を覚えた。

一方で、オープンソースという言葉が大好きだ。

理由は単純で、理想郷、完成品、美術、
その全てが、最終的にに死、そのものを目指して
突き進むからだ。

何故、死なのか、というと、
モナリザを例にとると、あれは、美の究極形などと言われるが
一つの究極形という形が示されてしまったら、
それ以上のものなど存在しなくなり、そこに変化、進歩が
生まれなくなるからだ。

そして、変化も進歩なく、ただ、そこにあるだけの存在になる
ということは、僕は、死そのもの、つまり完全な停滞に
陥ることだと思っている。

変化、進歩を失った分野など、死んだも同然なのに
変化もしない、進歩もしない状態を目指して突き進むなど
馬鹿げているとしか思えないのだ。

だからこそ、常に変化、終わりなく進歩する状態を
常に維持することこそが、モノを作る為に重要なことで
完成品を作ることが目的ではないと思っている。

だから、オープンソースという考え方が好きなのだ。
そこには、常に変化、進歩、そして破壊、退行があるからだ。

創作分野で、漫画、小説に手を加えられることが嫌がる人が
いるが、これからの時代は、手を加えられてナンボだと思っている。

つまり、一つの小説、漫画、アニメが発表されたら、それを
ユーザーが勝手きままにいじくりまわして、どんどん変化させて
いくことこそが、新しい時代のエンタメのあり方だと思っている。

一人の作家が作り出したものをユーザが点検、整備して
さらに良いものにするという形でのあり方を僕は求める。
完全なものなどありはなしないのだから、常に
誰かが変化させていくことこそが大事なことであって
完成品として誰も、それを変化させない事は
その作品を死なせる事に他ならないと感じている。

だから、著作権というもののあり方に対して、疑問を
もっていて、これは、姿を変えるべきだと思っている。
新しい時代の、オープンソースの時代の創作活動に
適した形へと昇華するべきだと思っている。

作品の創作と改正は、誰にでも開かれるべき時代なのだ。
そういう風に世界が変わっていってほしい。




posted by pal at 15:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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