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2005年09月02日

活字の限界

活字ってのは、多くの情報を
永続的に保存しておける手段だが、同時に
「読む」という作業を多くの人が嫌がるため、
情報の伝播能力は低い。

どうしてか?というと、答えは
わからないが、とにかく、長い文章は
苦痛だという人が多いからかもしれない。

そんな事をあらわす面白いエピソードがある。

第二次世界大戦後のナチスの裁判の時のお話。

ユダヤ人を大量虐殺したので有名な
アイヒマン。1960年、イスラエルでの裁判を受け
1962年、処刑された。

その彼の裁判記録によると
彼は、ヒトラーの「我が闘争」を
読んでいないと証言している。

しかも、ナチス将校の多くが、同じ証言を残している。

理由。

退屈な読み物だと思われていたから




いや、これ、マヂで。

ナチズムのバイブルと言われる『我が闘争』が
ナチ党政権時代のドイツで聖書と同じくらい印刷されたと
言われているが、どうも、読んでいた人は少数のようである。
理由は、あんなクソ長い活字本なんか、みんな読まないから。

馬鹿げた話である。
結局、ナチスの宣伝で、真に効果を発揮したのは
活字でなくて、ゲッペルズが巧妙におこなった
ラジオ放送、宣伝映画であったようである。

活字の限界はここにある。





ただし、この活字の限界は、出版印刷に関わる流通のスピードが
あった事を忘れてはならない。

電波で瞬時に情報を拡散できるラジオ、TVが紙よりも
情報流通のスピードにおいて勝っていたが、
ネットによって、ラジオ、TVを越える速度で
活字情報が、伝播され、さらに全くコストがかからない
今の時代においては、プロパガンダは、
新しい時代に入ったといっていいのかもしれない。

いじょ。




posted by pal at 20:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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