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2005年08月21日

チャーチルの豪運と小泉首相の爆運

ブレア首相に
「尊敬する政治家はチャーチル」
といった小泉首相。

政治手法はおいとくとして、
チャーチルの運の強さと小泉首相の
運の強さは特筆に価すると思う。

小泉総理は運が強すぎる 〜小泉超ラッキー伝説〜


小泉首相の爆運は、このページに纏められているけど
このページの

基本法則1:
小泉総理の敵は自滅する。(ブーメラン効果またはマホカンタ効果)


基本法則3:
アンラッキーな事件が致命的であるほど、大きなどんでん返しを伴った幸運が転がり込む。
(大きなピンチは、大きなラッキーの予備状態であり、ピンチが大きいほど期待感が高まる)


基本法則4:
世論、支持者、敵対者の全てが「今度こそ小泉はダメだろう」と確信した瞬間が、ピンチの底である。
(信者が見限る、支持者が溜息を吐く瞬間が、ラッキーの発動トリガーになっている)


こういった法則はチャーチルにも当てはまるところが
あって恐ろしい。
この法則で小泉をチャーチルに置き換える事が
可能だったり。

以下、チャーチルの爆運履歴。



チャーチルの豪運は1899年新聞の特派員として
ボーア戦争に従軍した折、捕虜となり、そこから脱走に成功して、
英国の英雄に祭り上げられたところから始まります。
基本法則3爆動ですね。

この名声を利用して、1900年、選挙に立候補。
見事当選。この後、自由党内閣で順調に出世を
重ねますが、1915年、彼の発案であったダーダネルス作戦
の失敗の責任を取って、海相の座を追われます。

余談ですが、このダーダネルス作戦の折、
英連邦軍とフランス軍を撃退したのが
後のトルコ大統領ムスタファ・ケマル・パシャ。

この戦争時の
「余の命令は『攻撃せよ』ではない。余は諸君に『死ね』と命じる」
のセリフはトルコ人なら誰でも知ってるくらい有名です。

チャーチルの話に戻ります。

海相を罷免されてからのチャーチルは
ふんだりけったりで、1922年には選挙で落選しますが、
ここで基本法則3、4が発動。

1924年には、反社会主義の立場を鮮明にして保守党に復帰。
財務相となり、金本位制復帰の責任者となりますが、
失敗に終ります。

今度こそ、もう政治生命は終わりかと思われました。
著作とかしながら数年過ごしていたわけですが
ここで再び、法則3、4が発動。

1939年、第二次大戦勃発。
海相に復帰、さらに1940年、挙国一致内閣の首相として
支持率70パーセント以上を獲得。

しかしながら、大戦初期においては、ドイツ軍の近代兵器の前に
ヨーロッパ各国が次々と敗北し、さらには、
バトルオブブリテンの緒戦で
航空戦力に甚大な被害を出します。
しかしながら、ヒトラーがロンドン爆撃に重点をおきすぎたおかげで
その間に空軍戦力を復旧させることに成功。
ドイツのイギリス侵攻を一時的に食い止めることに成功します。
基本法則に忠実であります。

さらには、東アジアで、日本軍の猛攻の前に
シンガポールがあっさり陥落。東アジアにいたプリンスオブウェールズが
あっさり撃沈され、東アジアでの覇権を失ってしまいます。

この時の有名なジョーク。

ドゴール 「君は、シンガポールが10倍の戦力で攻められても大丈夫だといったじゃないか!」
チャーチル「閣下、敵は11倍の戦力で攻めてきたのですよ」


が、ここで、絶対的不利な状況にあったチャーチルの爆運が炸裂。
1941年、ドイツのソ連侵攻と日本の真珠湾攻撃に至り、
ソ連、アメリカの両大国が、対独戦争に参選決定。
基本法則発動とするならば、まさに鬼。

特に、12月7日に彼に届いた真珠湾攻撃の知らせは、
チャーチルが「これで結局我々は勝った!」と思ったと
第二次大戦回顧録で述べているように、決定的なものでした。

アメリカ参戦によって、ほぼ、ドイツの敗北と
それに伴う日本の敗北は決定的なものになりました。

とはいえ、この時までがチャーチルの絶頂期で
あとはひたすら敗戦処理に回ることになるのですが。。



蛇足。チャーチルの日本観。


チャーチルの当時の日本観というのは、分裂しているというか
彼の人種差別的側面においては、他のこの時期の西欧人と同様に
日本人に対して傲慢なものでしたが、同時に
日本人は「極めて思慮深い国民」であり「そのような危険性(アメリカ・イギリス攻撃)は
冒さないだろう」というものでした。

実際に、当時の日本では、アメリカ、イギリスに勝てる要素はなく、
また、1940年8月のイギリス参謀総長会議の分析にしても
たとえ、日本がオランダ領東インドを制しても
原料資源に対する米英の厳しい禁輸措置により
「一年たたずして日本に経済的破滅をもたらすだろう」
というものでした。

これは、実際に正しい指摘でした。
当時の日本は、依然として農業国の段階にあり、
たとえ、資源があろうとも、それを工作するための
技術に関して、決定的に欠けていました。

まだ、国民の40%以上が農業労働者であり
当時の海軍の将校が指摘している通り、
「アメリカの若者は自動車を乗り回しているから
飛行機の運転を教えるのも楽なものだ。
一方で日本の若者の大半はすきやくわを持っている
状態なので、上手くいかない」
といった状態だったからです。

日本の政治的状況では
1940年の海軍軍部内において
「アメリカとの戦争を避けるために考えられるあらゆる手段を尽くす」
から
1941年の9/6の御前会議で述べられているとおり、
「アメリカの降伏は全く期待できない」
といった認識に変わり、さらには
11/5の御前会議では
「日本が生き残ろうとするならば、アメリカ、イギリスとの
戦いは避けられない」
といった認識に変わります。

これは、当時において、海軍内で
「ジリ貧論」、つまり、待てば待つほど
日本は痩せほそり、勝つ可能性は低まる。
なので、開戦時期が遅くなれば遅くなるほど
日本は不利になるといった見方が広がったからでしょう。

ただ、戦えば負けるのが前提であったのであり
その意味で、結局、完全に間違った道を辿りました。

日本の狙い、というか、当時の希望は
ドイツがイギリスに勝利し、アメリカと妥協的講和条約を
受け入れさせることでしたが、
真珠湾攻撃がアメリカにもたらした衝撃と屈辱は
アメリカの内に激しい復讐心を掻き立て、それまでの
孤立主義から大戦への参戦へと世論を一変させました。

また、イギリスにとっても、
真珠湾攻撃のおかげで、アメリカの対ドイツ参戦を
決定されたのであり、第二次大戦終結への始まりの一撃と
なったといえるかもしれません。


チャーチルの当時の日本分析というのは
半分は正解で、半分は間違っていました。

彼は、日本がイギリス・アメリカに対して開戦するとは
考えていなかったようです。そのせいで
東アジア地区は、極めて、戦力的に未熟なままに
置かれ続けました。
実際、戦争で日本が勝てる要素はありませんでした。
これは、チャーチルの分析通りです。
そして、実際に、日本は負けました。
チャーチルは、ドイツを降伏させた後、
数週間で日本を片付けられると考えていました。
実際に、その程度の期間で降伏させることが可能だったかは
ともかくとして、日本の敗戦は歴史的事実です。

でありますが、結局、日本は、イギリス・アメリカと
戦う事を決定します。チャーチルが最も欲していた事を
日本はしてくれた、ともいえます。おかげで
アメリカが参戦してくれたわけですから。
真珠湾で最も、利益を得た国は、
イギリスではないかと思われます。

チャーチルは、運が良すぎた男なのか
それとも、本当に先見性があった人物なのかは
すでに、イギリスにおいて、伝説的人物になっている時点で
もう決している感じです。

運がよかっただけなんていったらイギリス人怒ります。
このエントリでは運が良過ぎという視点からまとめたのですが、
当時のイギリス紳士の欠点のコレクションといっても
いい男性で、憎めないところが多い男性でもあります。



さて、小泉さんは、というと、
政治家の評価は、棺おけに入ってから決まりますので
それは後世の歴史家の決めるところになるでしょう。



「純一郎、恐ろしい子……


「豪運キタ━━(゚∀゚)━━!!」


のどちらかになるとは思いますが、
ま、その時まで生きていられれば、
彼の歴史的評価をこの目で見られると思います。



なんだかんだで色々と書きましたが
結局、運スレのテンプレにある通り

「人間の最も大事な能力は"運"である」

ナポレオン・ボナパルト

なのかもしれませんなっと。





posted by pal at 14:31 | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集

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