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2005年08月19日

太平洋戦争時の日本の技術と戦術

こないだのgifに関してはTB頂いたり、コメンツ頂いたりしまして、
またちょっと当時のことについて書いてみたり。


あの戦争については、連合国の物量に負けたと
よく言われますが、その部分にはどうも違和感があって
物量だけでなく、兵器の運用や、兵器の製造技術、そういった
全ての面で負けていたと思っています。

そういう状況でアメリカと戦争したというのが
信じられないので、ああいう極端なgifアニメを作ってみたわけですが。

第二次大戦で名を馳せた日本のエースパイロット坂井二郎さんは
戦後、アメリカと戦った事の無益さについて、
述べておられますが、戦力的にだけでなく
技術的にもどうやっても勝てない相手でした。

インフラや産業の数字をざっとみただけでも
1940の日本では、
自動車の生産力がアメリカと100分の1以下
でした。

こんな国に、内燃機関などの基礎技術力があったなんて
僕には信じられません。

実際、大戦を通じて、日本の戦車は、常に最低のスペックしか
持ちえませんでした。司馬さんのヤスリの話なんて
有名ですけど。

ちなみに、当時の日本政府が、「日本がヤバイ」という危機感を
もっていたのは当然だと思っています。

なんせ、1930年代あたりでは、国民の生活レベルが向上し、
貧困層が50%程度にまで減っていたのですが、
1940年代になると60〜90%程度が
貧困層、つまり最低所得者になってしまいます。

この時期、憂国運動が高まったのは事実ですが
そうした内圧を当時の政治家、軍部が抑えきれなかったという
見方も可能です。

また、日本は当時、工業国になりつつはありましたが、
1940年時において
日本は、まだ実質、農業国でした。

1940年時、日本では第一次産業従事者が40%を越えており
第二次産業、つまり、製造業に関わる人は全体の13%程度です。

ようするに、まだ、逆転が起こってないのです。

工業国と呼ぶためには、第一次産業従事者と第二次産業従事者の
割合で、後者が前者より多いことが一つの指標ですが、
それが起こっていない当時の日本は、
やはり、農業国にすぎなかったともいえます。


さて、こんな状況でしたから、
自動車の生産力ではアメリカの百分の一以下
鉄鋼生産に関しては、アメリカの10分の1以下、
航空機の生産力に関しては、アメリカの5分の1以下でした。


当時の日本は、例え、資源があったとしても
それを加工するための製造業自体が、発達していませんでした。
そして、その為に、基礎技術力や、機械の生産ラインも
あって無きが如きものでした。

で、船舶は、というと、
真珠湾攻撃以降、アメリカは技術と物資をフル稼働させて
護衛空母を60隻以上作ったので戦力の差は、
すぐ元通りになってしまいました。
一方で、日本にはそういった技術が存在しなかった為、戦力差は
広がる一方でした。


当時の日本は大型船舶を作る技術が未発達で、
そこに、資源不足のダブルパンチで、アメリカのような
戦時工業体制を船籍の分野で整えることは不可能でした。

また、比較的、米軍に損害を与えたと言われる
航空機の分野では、零戦というのは
グロスターF.5/34という戦闘機の設計を真似たものだと
言われます。零戦の設計技師、堀越は最後まで認めませんでしたが
両者の設計を見る限り、設計図をどこからか入手してそれを
コピーしたとしか思えません。
イスラエルがフランスからミラージュの設計図盗み出して
クフィル戦闘機作ったみたいに。
あとP-51にも同じ疑惑がありますが。

極端な話、イギリスの設計した飛行機だから、まともに
アメリカ航空機と、大戦初期において戦えたといえるわけです。
日本の独自設計の飛行機だったら、
初期からボコボコにやられていたのではないでしょうか。
それと、零戦はプロペラも海外の設計したものです。
エンジンは、海外の設計を元につくったものです。
極端な話、すべて海外の技術で作られた機体なんです、零戦って。

当時の日本の技術の低さというのは
計り知れないものがあります。
今では信じられないほどです。

しかし、一番悲惨なのは
陸軍であったと思われます。

工業化してない国の陸軍でしたので、
師団には自動車が10数台あればいい方で
兵員全員に機関銃、小銃を持たせることもできていませんでした。
具体的な数字でいうと、師団の3割ほどしか小銃、機関銃を
もっていませんでした。

一方で、アメリカ軍は、師団全員が機関銃か小銃を持っており
また、戦車、火砲、自動車もふんだんにありました。

この装備差では戦争にすらなりません。
当時の日本陸軍の装備に関しては現代の治安警察のレベルです。

ランチェスター理論でいうなら、
真正面からぶつかったら、アメリカ軍は
ほぼ損害も出さずに勝つ事すら可能です。

皆さん、こんな戦力差があって、どうやって硫黄島で
日本軍21000人が上陸してきたアメリカ軍5万の兵士中、
戦死者7000人を出させたと思います?

そもそもですね、当時の日本戦車というのはお粗末で
0距離射撃でもしないと
アメリカの戦車の装甲は打ちぬけません。
火砲もそうです。

ですから、対戦車の場合、兵器には頼れません。

正面から戦って、戦車を潰そうとしたら、
2〜30キロの爆弾を直接ぶつける以外に
日本軍がアメリカ戦車を潰す方法はありません。

そして戦車を潰さないと、どんなに頑張っても、
陣地を占領されてしまいます。

軍部はどういう作戦をとったか?

硫黄島での日本兵の攻撃方法は「斬込」と呼ばれました。

日本刀で切り込むのではありません。
そんなんじゃ、アメリカの戦車は壊れませんからね。

皆さん、想像ついてるでしょうし、知っている人も
多いでしょう。歩兵が爆弾背負って
戦車や敵陣地に突っ込みました。

特に、夜間ですね。
昼間は、塹壕にかくれ、夜になったら爆弾背負って
敵陣へ。

最初は、うまくいきました。
まさか、爆弾背負って戦車に突っ込んでくるとは
アメリカ側は思わなかったようです。

しかし、アメリカもすぐに対応し、
照明弾や、マイクを陣地にしかけ、日本の斬込を潰しました。
夜中であっても、簡単に日本兵の襲撃は
ばれるようになりました。

そのために、機関銃で簡単に斬込隊が
やられる事が殆どだったようですが、
それでもこの作戦は、最後まで続けられました。
だって、それ以外の方法では、戦車壊せませんから。


日本は、戦争末期になると、
もうこの手の戦法しかとれなくなります。
陸海空の全てで。

もともと、技術力も、生産力もない国でしたから
そういう方法でしか彼我の戦力差を
埋める方法はなかったわけです。

イラクみたいとか思う人も多いんではないでしょーか。
イラクで現在進行中ですよね、こんな事。


正直、皮肉の一つも言わないと、耐えられません。

戦力や技術のレベルの数字をざっと見ただけで
勝てるはずがない相手に戦争を始めたわけですから。


学生時代、
「上手く作戦立てていれば、日本でもアメリカに勝てた」
なんていう奴がいて、あきれた事があります。

当時の日本の状態を見る限り、アメリカに勝てる可能性は
0です。情けない話に聞こえるかもしませんが、
それが事実だと思います。


posted by pal at 20:19 | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集

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