思ったこと。
[書評]貨幣の複雑性 ecology of blogs
紙切れに価値がある理由
アトムからビットへ-------それでも貨幣は不変か?
このあたりの記事を踏まえながら
自分自身なりに考えた事を書いていこうと思う。
本質的に情報というのは、
以前、受け手、つまり受信者の中に入って初めて意味をもつという
事を何度か書いた。
ただし、その情報は、受け手が受け取ってから
「送信者が望んだ形で受信者の中で何らかの形に変換される」
事を望まれている。
例えば、ギャグ漫画であれば、ギャグ漫画という情報を
受信した読者は、その情報を「笑い」に変換する事を
送信者、つまり作者は望んでいる。
さらに、望むならば、送信者が、笑い、そして
自分の作品が面白いということを他の人間に伝えることも
願っている。
単純化すると
送信者→ギャグ漫画→読者→友人→友人の友人(以下ループ)という順で
情報が伝播することを願ってはいる。
この場所において、→は情報であり、その情報が伝わった相手が
なんらかの形で活性化(笑い、あるいは信用、興味)することが
このネットワークにおいて、重要な意味をもつ。
では、あるが、このネットワークにおいては
情報は一次の繋がりを延々と繰り返すに
すぎない。そのため、どこかで活性化しない人間がいた場合には
そこで情報伝播は途切れる。
これをブログネットワークに置き換えると
あるブロガーが記事を書く。
そして、それで活性化した違うブロガーが
興味をもち、記事を書いてTBをはったり、コメントをつけたりする。
これは、ある種の交換市場で
ブロガーが書いた記事という情報が、読者の興味や信用、
あるいは感情といったものに変換されていく過程である。
あるブロガーの記事が、実際の自分の生活において役立つならば
それは信用といった形で現実の世界に還元されるし
また、記事が笑えたり、泣けたりするものであれば、それは
読者の感情に変換される。
また、読者に興味のある分野の記事であれば、それは
読者の知的好奇心への刺激へと変換されていくだろう。
そして、あるブロガーの記事という情報が、
多くの読者が欲しがる情報を「沢山」含んでいた場合、
そのブロガーは多くの読者から必要とされる存在になる。
そして、沢山の読者から必要とされることになると
そこには沢山の人があつまることになり、
その情報は、一次的なつながりでなく、
多数の人間に同時に伝わる事になる。
ここにおいて、多数の人間が同様な共通意識をもつことになり
情報の拡散が、極めて迅速に行われるネットワーク、
つまりコミュニティが形成されることになる。
コミュニティとは、ネットワークにおいて、原始的な
一次のつながりによる弱い情報拡散システムでなく
複数のつながりによって、情報を迅速に多数の人間に拡散させる事が
可能なネットワークと言い換えられるかもしれない。
そして、ここで「紙切れに価値がある理由」の中で述べられているように
ブログ内のネットワークでも二つの条件が重要になってくる。
つまり、「選択権の多さ」、これは情報ネットワーク内では
「情報から変換できる反応の多様さ」といいかえれると思うモノと
「みんなが認めているかどうか」という
「みんなが認めていることをみんなが知っている」という
共通意識に関わる条件に。
この二つの条件を満たした時、そのブロガーとブログは
ネットワーク内において、アルファブロガーになり、そして
それはハブとして地位へと昇華することになる。
こういった心臓部がない限りは、コミュニティとは
存在しえないものなのだろう。
ここで
「紙切れに価値がある理由」で
面白かったのはここからで
計算機の例以降にかかれている事だ。
特に貨幣の崩壊にまつわる部分で
「みんなが欲しがるものをもっていれば自分の好きなものを交換できる」
というルールの元では、
過去の人々のうち13人以上の人が欲しがっていればこれは「みんな」が欲しがっているものであるとみなして自分は要らなくてもとりあえずとっておこうと思う事にすると、そう思われた消費財が自動的に「貨幣」になるという結果が出ます。
という。
これは、非常に面白い。
同じようなことが、ブログにもいえて
「みんなが知っている情報は、自分には関係なくても知りたがる」
という傾向がブログ内において、かなり普遍的に存在し、
また、そのせいで、アルファブロガーのような人たちが
生まれてきているのは間違いない。
だが、ここで次に起こる現象があり、
常に、人はより多くの物と交換できる財をもっておこうとする
という貨幣経済において起こる現象と似た現象が
ブログ界隈でも起こっているということだ。
つまり、同じように人はより多くの反応を引き出してくれる
情報や多くの人が知りたがっている情報を知りたがる
傾向が現実のブログ界で起こっているということである。
そして
少しでも沢山のリンクをもつノードにリンクしようと
努力する。
であるが、ここで
それぞれの個人というノードは
貨幣が、あるいは「情報通貨」としての
ハブになりうるだけの情報が、実際の情報市場において
何人に需要されているかを知りえないという問題が起こる。
貨幣を交換不可能なレベルまで貯めこんでも意味がないのに
それを貯めたがる。やがて、どこかで実態経済をうわまわってしまった
分の貨幣が交換不可能であるという事が露呈される。
これは、実態経済を上回って資本が膨れ上がった時と
言ってもいいかもしれない。つまり、不況に突入する前の
資本主義の段階だ。そして、いったん、それが露呈したら
実態経済にあったレベルまで、資本破壊、雇用の破壊
貨幣価値の信用低下が行われる事がおおい。
また、同じように、情報市場でも
自分に不必要な情報を取り込みすぎても
意味が無いのに、それを知りたがる。
そして、あるブロガーであったりは、その情報を
自身の中で何らかの反応に交換できない人までもが
そのブログを訪れるようになる。
ここで本来の需要を越えて、需要が生まれ始める。
そして、ブロガーが書く情報に対して
反応できない人達がある一定以上の数、訪れるようになると
バランスが崩れやすくなり、時には、それが
「祭り」や「炎上」といった騒動にまで
発展するようになる。
アルファブロガーにおいては、こういった
本来の情報の需要を越えて、情報が需要されるように
なった人達なので、彼らの情報に対して
反応できない人達が、普通のブログよりもずっと、ずぅっと多くなる。
「みんなが知っている情報は、自分には関係なくても知りたがる」
という、情報需要の第二原則によって集ってきた人が
第一原則である「情報から変換できる反応の多様さ」から
集まってきた人と同じか、それよりも多くなってしまった時、
そのブログにはアンチ、荒し、炎上といった状況に
見舞われる可能性が、跳ね上がる。
といった見方ができるのかもしれない。
ひできさんの言っていることや安富さんの言っていることの
要約みたいな文章になってしまったが、
非常に考えさせられる事であった。
ブログでは、情報の第一原則で生まれる需要を、第二原則の需要が超過し
バランスが崩れた時、ブログにおけるアンチ、荒しが始まるといって
いいのかもしれない。
確かに、ひできさんの仰るように、
これは貨幣と信頼性の問題と非常によく似ていると思う。
そうなんですよね、貨幣とブログ界隈のリンクや情報の伝播って貨幣に近い性質を持つように私も思います。そして、それがインフレ的な性格を持つようになるのか、崩壊するのか、この辺に大変興味を持っています。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/post_1.html
そろそろこの辺について書きたいなぁと想いながら、筆が進みません。
お暇なときにでもお願いします。
記事、楽しみにしております。