で、なんですが、先日述べましたが、一夫一妻制では、女性も又、競争に巻き込まれます。それは、主に同性間によるものです。
魅力的な男性というのは、いつの時代も少数であり、一夫一妻制では、それを一人の女性が独占するわけです。ビル・ゲイツ級の男性なら、100人くらい女性を囲い込んでも、なお女性にあまりある投資が可能なわけですが、一夫一妻制ではそれはできません。
そのため、良い男は、当然ながら、競争になります。恋愛結婚が主流になった先進国では、女性同士の競争があると考えるのが妥当でしょう。
で、なんですが。
男性側の闘争は、自分が男なんで、簡単に表現できます。
「地位と財産をめぐるもの」
です。ここに女性の獲得も含まれるわけですが、一般的に、地位や財産をもっている男性は、良い女性を獲得できるので、この二つが重要でしょう。
一方で、女性のほうは、自分が女性でないので、問題になります。
しかし、エレノア・ルーズベルトが「なにか悔いは残したものはありますか?」と聴かれたときに、答えた言葉、
「もっと美人に生まれればよかった」
という言葉で、大体はわかります。おそらくは美でしょう。男性ですら羨むような業績を残した女性ですら、さらに美人となりたかった事は、女性社会における序列が、美を基準としていることを意味すると思われます。
以前、分家のブログで、「女性がファッションをするのは男のため」云々書いて、女性ブロガーから、フルボッコにされたりしたわけですが、もっと見も蓋もない言い方をすれば(こっちを書いたら、さらにフルボッコにされるかもしれないので、自重してたんですけども)セックスの為だ、とデザイナーが言ってたりするんです。
英国のデザイナー、キャスリン・ハムネットは、「男性も女性も。服を着るのは多かれ少なかれセックスをするためです」と述べましたし、同じように、グッチのデザイナー、トム・フォードは「ファッション本来の強迫観念はセックスと結びついている」と述べています。
要は、異性のためなんです、両方とも。これらのデザイナーの意見に従うならば。
しかし、同性間での闘争、といった面に目を向けると、確かにファッションは女性向けかもしれないな、とも思います。
どういう事かというと、ですけどね。
「魅力的だとみなされる女性は、同性との付き合いでは有利である」とするヴァイスフェルトらの研究結果によるものです。この研究結果によると、若い女性の間には、序列が存在し、その優位は、洗練された外見を通して機能する、というものです。
つまり、洗練された美しさをもつかどうかが、若い女性の間で序列として機能している、というものです。
これは、つまり、ですが。
女性の場合、男性から選ばれるための競争であっても、女性間の間の社交においても、美しいことが有利だとされるという事になるんです。
男性の場合、社会的な地位と財産は、女性に対しても男性に対しても極めて有効なカードなわけですが、女性の場合は、美こそが、鬼札ということになるんですね。
そして、その美を競い合う分野において、もっとも激しく競争が行われるもののひとつがファッションなんです。
で、なんですが、今日、おもいついたのは、先日話した「ハンディキャップ戦略」との関連なんです。
つまり、ハンディキャップ戦略とファッションの関連について、なんですよ。
ファッションって、ハンディキャップ理論で説明できる!!って思ったんです。そして、女性間の闘争の序列も!!
で、なんですけどね。
ファッションというのは、基本的に上から下に流れます。歴史的にみると、まず上流階級が採用し、それを中流階級が真似、それが社会全体に広がると、そのファッションのジャンルは死滅します。その後、誰もやらなくなると、時間をおいて、又復活したりする。
今では、ファッションリーダーから、一般へ、という流れですけども、基本は上から下です。
で、なんですが。
なんで、ファッションと、ハンディキャップ理論が関係あるかっていうと、それは、卓越性ってのが、他の人間が真似できない事を含むからなんです。
つまり、他の人が真似できない、もっていないモノを持っている事が、卓越性のひとつの条件なんです。
そして、美も又、その条件を満たすもののひとつです。
他の人には容易に真似できないからこそ、それがその人間の卓越性を示す指標となりうる。
そして、ですが、
ハンディキャップ理論
にあるように、「ハンデを負っても生き残れる個体というのは、本当に強い個体しか存在しない」というのがあります。
これは裏を返せば、「ハンディキャップを負うことは自身の卓越性を示す」事にもつながります。
これこそが、ファッションの一部だと思うんですよ。
つまり。
今の女性の間では、「体重競争」があるわけです。個人的には無意味だと思っています。だって、脂肪がいくらかはあったほうが、子供を産むのに有利ですから。
しかし、これを逆に返すと。
「ハンディキャップを負うことは自身の卓越性を示す」わけです。つまり、女性が痩せていても、自身の繁殖能力が高いことを証明できれば、それは紛れも無い自身の卓越性を示すことにも繋がります。
そう考えると、非常に納得のいく答えでもあるんです。
実は、他にも、同じようなことがあると思うんです。
たとえば、異常に細いウェスト。
実は、ウェスト-ヒップ比率なんかが典型なんですが、男性は、基本的に、この比率が0.7であることを好みます。それ以下は逆に好まれないという調査があるんですね。
ところが、女性は、これより、ずぅっと細い方を好むんです。以前、これが不思議でしょうがなかった。だって、わざわざ、苦労して嫌われるほうにもっていこうとしているんですよ?男性に?
ただ、ハンディキャップ理論と、女性間の競争という因子をいれて考えると、これが実に納得のいく答えになるんです。
つまり、男性の好みを多少はずしていても、それでも男性に魅力的だと写るのなら、それ自体が、女性の卓越性を証明するのに、最高の手段なんです。これは、同性に差をつける最高の方法です。ハンデを負ってなお、男性にモテるというなら、その女性の美貌が並外れたものである証明に他ならない。
なぜなら、ウェストの細さというのは、そう簡単に真似できません。そして、真似できなければできないほど、その女性の卓越性を証明することができる。
ファッションの多くは、他の女性に対して、いかに自身の卓越性を見せつけるか・・・という事に念頭をおいたものだとすると、こうした男性の好みとの乖離が、女性側に働いている事がよくわかってくる。
つまり、最高のファッション、特にブランドは、男性の好みのまんまストライクにあわせるより、ちょっと外していたほうがいい。誰にでも着られるようなものでないほうがいい。
逆説そのものですが、そうしたファッションを着こなせるからこそ、自身の卓越性を示せるわけです。
だから、女性の最高レベルのファッション、ブランドとかは、若干、男性の好みを外したものになる・・・という事になるんです。実際、ブランドとかって、奇抜なのが多い。
ファッションは、あくまで、その女性の卓越性を示すものであり、ファッション自体を引き立たせるものじゃないわけですからね。
他人が容易に真似できず、手に入れることが難しく、そして、何より、男の好みから若干外れている。
そして、それをまとうことで、女性自身が、自身の卓越性を周囲の女性にアピールできる。
他人が容易に真似できず、手に入れることが難しい事は、ステータスを女性に与えます。
また、男性の好みから若干外れた服飾を行うことは、女性自身の美貌が、男性の好みから多少外れた服装をしていても、なお男性を惹きつける事ができるほどのものであることの証明。
そうやって、ブランドは生まれるんだろうな、と今日は思ったわけです。
しかし、不幸な事は、この、「男性の好みから若干外れた服飾」が、すぐにみんな見慣れてしまい、そして、大抵は追随者を大量に生み出してしまう、ということでしょう。
消費社会ですからね、現代は。
それに、多分、そういった服飾がもてはやされると、「ああ、ああいう服装がモテるんだ」とか「これが流行りなんだ」という同調効果も生まれます。実際には、そういう奇抜なファッションというのは、元がいいから、なんとか出来るんであって、普通の女性向けではない・・・・ということにもなるんですが、しかし、そこで模倣が始まる・・・・
そういうわけで、すぐに流行りは広まって、そして廃れ(もともと着こなせる人なんて少ないから)、だれもが忘れ去られた頃に復活する・・・というのを繰り返すんでしょう。
もうひとつ、不幸なのは、体重競争であったり、あるいは、「見られると不利になる場所」を見せる事が、時として優位になってしまい、おかしな形での競争が始まってしまうことではないかと思います。
まぁ、刺青とか場合によっては、未開民族の体にいくつもの装飾をする風習とか。
美を追い求め、そして、他人に真似されず、場合によっては、男性の好みから外してしまってでも、まだ普通の女性より美しいのだという形で、自身の優位を保とうとする競争ゆえなんでしょうけども・・・・
行き着く先は、みんな不幸・・・
つーか、日本の女性が鼻輪をつけるようになる日もそんなに遠くないのかな・・・この分だと・・・・
ちゃんと「女にもてたいから」って答えてね。