基本的に、この話をしようと思ったのは、最近、分家ブログのほうで、性の話を延々としてきて、それでもって、男性の性の話を最近してたからである。
で、なんだけど、やっぱり、最近の女性の中にはフェミニズムの思想というか、なんというか、「オスはメスを独占したがる生き物」というアレがあるらしくて、それで、思ったことなんかを、書いていくのだけれど。分家でも書いたけど、今日は、もうちょっとアレな話を。
基本、人類の男性は、セックスしたがりで、地球上の他の類人猿よりセックスに時間をかけたがる傾向がある。チンパンジーやゴリラの性交は10秒ほどで終わってしまうが、人類の男性はその60倍以上の時間をセックスに費やすことは稀ではない。
しかし、これは実際には、無駄なのである。何故なら、セックスにはエネルギーが必要だからだ。ゴリラやチンパンジーのように短時間少エネで済ませてしまって、残ったエネルギーを食料を取りにいったり、衣服や石器でも作っていたほうが、遥かに、笑ってしまうほど遥かに効率が良い。そのほうが生存確率をあげ、生産性を上げれるだろう。
で、なんだけど、何故、このような形態を男性は獲得したのだろうか、という話にはなる。生殖に直結しないセックスは無駄以外の何物でもないからだ。
これを解き明かす鍵になってくれそうなのが、他の生物、特に類人猿と比較して、どの程度の強さ、特異性かという話になる。
そもそもの問題として、ほとんどの男性は、ヤりたがりだが、一方で、大抵の文化でも乱交は行儀のいいこととは思われていない。それに、現在、地球上の多くの男性は、一人の妻しかもっていない。それから、大抵の日本男性は、二人の女性とセックスすることはあっても、二人の女性を同時に愛するといった事はしない。複数の相手とセックスはしたがるが、愛する女性は大抵一人だけである。
しばしば、世界の文化は男性優位であるといわれる。実際に、富の大部分は男性が支配している。一方で、何故、優位にあるはずの男性が、女性より常に寿命が短く、そして、世界中で危険な仕事についているのか。何故、女性に危険な仕事をやらせて、自分は家で寝ているだけ・・・といった行動をしないのか。何故、子供と女性に多大な投資をするのか?
そして、やりがたりの男性が多く、世界の政治や法律、宗教のほとんどが、男性主導で決められているのにもかかわらず、何故、政治や法律、そして宗教では、歴史的にしばしば「禁欲」を男性に推奨するのだろうか?やりたがりの男性が決めている法律や文化規範であれば、「乱交」のほうが都合が良くないだろうか?では何故?
世界には、未だ狩猟採集民族が存在する。そういった民族ですら、乱交ではなく、緩やかな一夫一妻制か、一夫多妻制を取っている。何故?やりたがりの男性が率いた集団が、何故、乱交を推奨しないのか?
そして、何より、何故、人類の男性は結婚するのだろうか?何故、女性と子供に多大な投資をするのだろうか?何故、ゴリラ、チンパンジーのように子育ては完全にメスまかせにしないのだろうか?何故、女性のために食料を調達するのだろうか。ゴリラのオスやチンパンジーのオスのように、自分の食べるものだけを調達するだけでいいんじゃないのか?何故、人類のオスは、ここまで献身的になったのだろうか?
そういった疑問は、色々とある。
今日は、そういった疑問については、チンパンジーとゴリラと、人間に絞って考えてみた。で、なんだけど、面白い仮説が思いついたんで、ここで披露してみる。
現状、化石などの研究から、ゴリラとチンパンジー及び人間が分かれたのは、1000万年前だと言われている。平たくいえば、1000万年前まで、我々とゴリラの先祖は、共通の姿をしていた。
そして、700万年に、何らかの進化が起きて、人類とチンパンジー、ピグミーチンパンジー(ボノボ)は分かれた。おそらく、何らかの形での進化圧が働いて、淘汰がおき、進化の道が分かれたのだ。
さらに、300万年前、チンパンジーとピグミーチンパンジー(ボノボ)が分かれた。
これらは、比較的最近の分子生物学の成果であり、ゴリラやチンパンジーのDNA構造と人類のDNA構造がわかった事のおかげでもある。ちなみに、チンパンジーとピグミーチンパンジーが違う種だと認められのも、こうしたDNA構造の違いによるものらしい。両者は、0.7パーセントほど、遺伝子が違う。
ちなみに、人類とチンパンジーは、1.6%異なり、ゴリラは、人類とチンパンジーとは、2.3%異なる。
で、なんだけど、僕が面白いと思っているのは、この三種は、それぞれ、生殖の方法が違うということだ。
まずは、ゴリラだが、これは一夫多妻制。ただし、ハーレム的な要素が強い一夫多妻制だ。一匹のオスに数匹のメスがつきそうハーレムを形成する。そして、ハーレムを作れないようなオスは、メスに捨てられてしまう。
何故、ゴリラのメスは、ハーレムを作れないオスを捨ててしまうのか、というと、彼らの社会では、子殺しが非常に厄介な問題だからだろう。ゴリラの新生児の37パーセントは、子殺しによるものだという報告にあるように、ゴリラの社会では、オスによる子殺しが非常に多い。
なぜ、子殺しが多いかというと、ゴリラのメスは、子供がいる間は、妊娠しないからだ。だから、オスは、子供がいるメスをみつけたら、その子供を殺してしまって、メスを発情期にさせようとする。そして発情期になったら、自分の子供を産ませようとするのだろう。
これは、メスにとっては、とんでもない危機である。せっかく子供を作ったのに、殺されてしまったら、それまで子供に費やしたエネルギーが無駄になってしまうからだ。だから、ゴリラのメスにとっては、そういったオスから自分の子どもを守ってくれる強いオスの元にいることが、非常に重要になってくるのである。
そのため、強いオスは、メスにとって何より望むものであり、そうしたオスがハーレムを作るようになってくる。
強いオスが、優先的に子供を作れる交配形態なので、ここには性淘汰が働く。どんどん、体が大きく強いオスが子供を作るようになるので、子供はどんどん大きくなっていく。そして、メスよりもオスのほうが体が大きくなる。何故なら、オスにとっては、体の大きさ、喧嘩の強さが重要だからだ。そのため、メスとオスの間には、体格差が大きくなる。
そういった性淘汰の結果として、ゴリラは体が大きく、そしてメスとオスで、オスのほうが2倍ちかく大きいような種となったというわけである。
さて、我々とゴリラの共通の祖先は、今から、およそ1000万年ほど前に分かれた。
おそらくだが、この時期、ゴリラと我々の共通の祖先の中で、こうした交配方法の違いが現れたのではなかろうか?
つまり、ゴリラ側はハーレム的な一夫多妻制を採用したのである。そして、その方向で進化した。結果、ゴリラは、体が大きく、オスとメスの間で体格差が出る方向性へと進化していった・・・・というわけである。
一方で、チンパンジーと人類は、違う交配システムを取ったんではないだろうか?もし同じ交配システムを取っていたら、今頃、我々は、ゴリラになっていただろう。だが、そうなっていない。おそらく、ここで、我々の祖先と、チンパンジーの祖先は、一夫一妻制か、乱交制、一妻多夫制のいずれかを取ったのだろう。だから、分岐したのではなかろうか?
そして、700万年前、人類とチンパンジーが分岐した。
さて、ここでチンパンジーになるのだが、チンパンジーは、乱交である。基本的に、メスは発情期になると、複数のオスと性交する。オスは、複数のメスと性交するために、いずれも睾丸が大きい。また、父権制の社会を形作っており、オス同士の間には、強力な同盟関係が発生する。チンパンジーの群れには序列があり、そこにはボス格的なオスが存在するのだが、ボスは、大抵、自分を助けてくれる補佐役的なオスを1〜2匹もっているケースがある。そして、自分の地位を守るのを手伝わせる代わりに、補佐役には、メスとのセックスを自分に次いで優先してまわしたりする。
メスの間には、こうした同性間での強力な同盟関係は見られない。
ここで、人類とチンパンジーが分岐したことを性淘汰で説明する場合には、おそらく、ここで、人類に分岐した一派は、乱交的な交配システムを捨てたのではないかと思ったのである。
つまり、一夫一妻制に近いシステムを、ここで取り入れたのではないか、と。そして、その結果として行われた性淘汰の結果が、人類なのではないか、と。人類は、文化別にみると、一夫多妻制が多いけど、一夫多妻制のシステム下で、実際に多数の女性を妻として持っているのは、全体の2割以下の男性で、ほとんどの男性は、一人しか妻をもっていない。現実には、大抵の男性は、一人の妻しか養えないのである。
こうして、まぁ、一夫一妻制、あるいは非常に緩やかな一夫多妻制のシステム下で、人類は進化を遂げた。その結果が、今の人類で、いくつかの特徴を持つに至ったのではないか・・・と思ったのである。
そして、三百万年前、チンパンジーとピグミーチンパンジー(ボノボ)が分岐した。
チンパンジーとピグミーチンパンジーの最大の違いは、その社会にあると思う。大きさも違うけど。どちらも乱交社会だけど、ピグミーチンパンジーは、メスの発情期が長く、オスは、しょっちゅうセックスできるのが特徴。また、オス同士やメス同士でも性行為のようなことを行う。そして、これが非常に重要だけど、ピグミーチンパンジーは、非常に知能が高い。
だが、こういった乱交的交配システムを発達させた二つの種は、現在、絶滅に瀕している。
一方で、人類のように、乱交でなく、一夫一妻制による交配システムを取ったサルの子孫が、今、地球でもっとも繁栄している。
とても不思議な話だが、ここ最近の歴史でも、同じようなことがあったなーと思う。
ここ100年くらい、圧倒的に一夫一妻制を法で定めた文化が強い。日本も、近代化以前は、一夫多妻制だったけど、近代化と同時に、完全な一夫一妻制へと変化した。無論、今でも不倫・浮気はあるけれど、建前上は、一夫一妻制。
一夫一妻制のほうが、文化として、極めて優れた利益があるということなのだろうか?類人猿では、一夫一妻制を取っているサルにテナガザルが存在する。ただ、テナガザルは、基本的に、群れを作らず、オスとメスのつがいで行動するだけであり、人類のように巨大な社会を建設して、そこで多くの男女が夫婦となって生活する形態とは違う。
一夫一妻制の場合にかかる淘汰圧は、以下のようなものになる。
1、鳥類や、他の一夫一妻制の動物では、配偶関係にあるオスがメスと子供に対して、長期間の保護や食料を与える。そのため、オス側の資源調達能力は、非常に重要になる。そのため、子供や女性への資源調達能力が優れた男性ほど、優位にたてる。
2、基本的に、一夫多妻制の動物ほどには、オス同士の争いは少ない。複数のメスを独占しているオスを倒さないと繁殖できないという事はないから。結果として、オス同士の争いが少なく、体がでかいほうが強いという事は必ずしもない。そのため一夫多妻制の動物ほどには、オス側の体がメスよりでかくなるということはない。結果として、オスとメスで、極端な体格差は現れない。
3、強力な資源調達能力をもつオスをめぐってメス同士の争いが起こりうる。これは、すなわち次の淘汰圧を意味する。つまり、オスを巡るメス同士の争いが起こった場合に、より有利な特徴をもつメスほど優位に立てるという事である。
チンパンジーのオスは、地位が高いほど、よりたくさんの交尾の機会に恵まれるが、一頭だけで、地位を上げれることは稀で、何らかの形で、同盟者を作ることによって、地位の上昇を目指す事が多い。
同じように、一夫一妻制的なシステムを人類が確立したことは、女性同士での同盟関係を作るインセンティブを人類に促すことにもつながる。つまり、女性同士で同盟を作ることによって、ライバルの女性を蹴落として、いい男をゲットするのを手伝ったり、あるいは単純に、他の人の恋を手伝う代わりに、自分の恋を手伝ってもらうことで、お互いにより良い相手を探す・・・・という形での利益が発生するわけである。
本日、思ったのは、そういう事なんである。つまり、一夫一妻制というシステムを、人類の祖先が、過去のどこかの時点で採用した時から、こういう形で性淘汰が始まった。
つまり、オス側は、地位が高いほうが、良い相手を優先的に選べる為、地位を上げる為の同盟者を必要とするようになった。そのため、他者との同盟関係が進み、社会的な関係が芽生えるための土台が生まれた。
一方で、女性側にも、強力な資源調達能力をもつオスをめぐって争いが起こるようになる。結果として、それに優れた女性ほど優位にたてるようになったが、一方で、他者と同盟関係を結ぶことで、そういった競争で優位に立てるような状況が現出した。ライバルのメスを同盟者といっしょにたたき出す・・・・というアレである。こうして、メス側にも、社会的関係をつくるための土台が整った・・・・というわけである。
こうして、男女ともに、同盟者をつくるインセンティブが生まれ、そういった淘汰圧がかかるようになる。その結果として、社会的な人間という規範が作られ、人類社会を形作る道が開かれたのではないか・・・・なんて思ったわけである。
そして、その中で、かつてのような乱婚制度は否定され、一夫一妻制が推し進められるようになった・・・と。そのほうが、社会的な結びつきは強化されるように働くから・・・と。
まぁ、思いついたことを並べただけだけど、最近、考えていたことで、ひとつの答えが見えたような気もするので、書きなぐってみた次第。
その答えについては、ネタ化して、分家でお届けします。
本日はこれまで。
実際一夫一妻制がそれほど有利ならば淘汰圧によって大抵の生物は一夫一妻制になるでしょうが、現実にはそうなっていません。人間一つ取っても、反例はいくらでも見つかります。
結局進化の法則に従えば個別の環境に適応するために夫婦制度も違っているだけだと見るべきです。
ただ現代社会(というか工業化社会)には適応した制度だとは推定できるかもしれません。
まぁ生物種としての人類の婚姻制度を考えた場合は、他生物との違う、「老後の長さと老人の役割(知の伝達、育産補助)」や、「相手の立場を自分に置き換えて予測・想像する能力(自分が弱者になった場合の想像他)」や、「子供の財産的扱い(子供の贈与、婚姻による関係強化など)」、人類固有の性質を抜き出して、他の群れ社会の動物との違いを考えたほうがいいかもね。
そこから更に、実際には、人類種は時代・文化・文明、個体差において多数の婚姻形態をとってるから(独身男性追放や集住などもある)、社会における婚姻規範のレベルでの考察にして、そこから「戦闘力」に限定した視点に立たないとどんどん混乱するかも・・・そうなると結局は社会学的な考察になるよね。現代だって本当に、一夫一婦制が、人類に完全に有益に働いてるかと言うと・・・疑問があるよね。
そもそも一夫一婦制度はキリスト教のものであり、日本の「近代化」以降取り入れられた考え方でしょう。なんでも西欧の制度を入れればいいと考えた結果でしょう。
たしか明治天皇には側室がいたはずで、病弱な大正天皇からようやく一夫一婦制だったと思います。また、キリスト教が側室を認めるなら改宗してやってもいいと言い放った戦国武将もいたとか。まあなんとやら。日本ではそうした側室制度もありましたし、通い婚みたいな制度もありました。
そうかと言って、イスラム教では一夫多婦制度が社会的認知を得ています。これも戦争などで行き場を失った女性を受け入れるためのものとしての機能があったとか。
キリスト教では、一人の相手だけを愛することは、真剣に神を愛することである、とダブらせて考えたようです。
なるほどと思いますが、まあ、男の勝手で「不倫は文化」なんてのを言いだす「日本人」の言種にからも、「結婚観は社会や個人の文化で違う」ということでもあると思います。
せっかくキリスト教式で結婚しても、「不倫は文化」とか言われるとすると、「まあ勝手にどうぞ」と当の神様からサジを投げられそうですが(笑)。
ちょっとひっくり返すと面白いことになりそうでございますね。
カップルが先なんじゃなくて・・・。
雑魚寝堂〔ざこねどう〕というお堂がある〔海泉寺〕。同村の未婚の男女が毎年節分の夜にここに集まり籠るので、雑魚寝堂と称したのに始まる。その夜に契った男女は夫婦となる掟であるが、いかに神の結ぶ縁とは言え、若い男が年老いた女を、年老いた男が若い女を妻とするのは世の慣わしに背くというので廃止されてしまったが、今でも節分の夜だけは、古い名残を留めて、女ばかりが籠ることになっている。こうすると安産だと言われている。
筆者も明治四十三年頃に駒ヶ林のこの堂〔海泉寺〕を訪ねたが、その頃は土地の者は通称「枕寺」と呼んでいた。堂には雑魚寝に用いた枕というのが七八十も積んであったので、枕寺の由縁も、在りし昔の雑魚寝の盛んであったことも偲ばれた。
家庭を破壊し
愛情を与えず
性的に混乱させ
常日頃から虐待する
のが一番らしい
猛禽類などもそうだが
食物連鎖の頂点にいる生物は
質の高い養育システムを
勝ち取ったのではないか?
強い生き物にしか選択できない方法なんだ
だから食物連鎖の下位にいる生き物は
数撃つゃ当たる式の養育をするしかない
人間だって貧しい家庭ほど子沢山だ(笑
金持ちほど小数精鋭の養育をやるだろ
と、思ったりする
これ現代の人類学の定説にもなってますね。
本一冊書けるレベル