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2005年07月08日

編集者と作家の関係

以前、ちょっと

ハリポタは8社の出版社に送られてが出版を断られていた件について

なんてエントリでも書いた事ですけど、
既存の作家と編集者の関係なんて、そんなすぐれたモンでもないんですよ。

【日記】「いいコラムや小説を書きたいなら、まずブログはやめたほうがいい」

こっちのエントリ読んでおもった事ですけどね。

作家なんて、長くやれる人のほうが少ないんですよ。
いい時で10年くらい。
それなのに、福田さんが
ブログでやってる奴が長くやれるなんて
思えないって言うのはどうかと。
漫画にしろ小説にしろ名前も知られずに消えていく人間のが
遥かに多いんですから。

このエントリで紹介されてる対談って突っ込み所満載なんですけどね。

編集者による添削システムなんて、極端な話眉唾なところがあって
それで作品が面白くなるなんて事はまずありません。

そんな事ができる編集者がいるなら、
編集者なんてやめて作家になってますし
世の中、面白い作品で溢れ返ってます。

作家を育てるとかなんて、まず無理で、
まぁ、地道に才能をみつけていくしかないんです。

でも、その才能探しですら、うまくいかない。
面白いって感情には個人差があって、以前のエントリで書いたとおり、
1人の編集者だけでそれを判断しようとしたら、絶対に誤差がでます。

だから、全世界でメガヒット飛ばしている
ハリー・ポッターが8社の出版社から出版を断られるなんて
状況が生まれるんですよ。

大ヒット作品だってコレなんですから。
まぁ、編集者一人で作品の面白さなんて判断したら
統計上の誤差にまぎれてうまくいきっこないって典型例なんですけどね。

で、ブログを書くことが、小説や漫画を書く上でプラスになるかっていうと
それは統計的な答えが何もないので、主観でしかモノを言えない状況です。
今はね。

そもそも、小説を書く才能なんてのは、
よくわからんのですよ。

マルセル・プルーストが19世紀文学の最高傑作の一つといわれる
「失われた時を求めて」を書く前に、一つ小説書いてるんですが
それが売れたのは、全世界でたった三部。

それから、「失われた時を求めて」の第一巻を
アンドレ・ジット(だったかな)が評論をした時には
酷評しました。

でも、プルーストのこの作品は後にゴンクル賞を受賞して
世紀の傑作として世に残るわけです。

またキップリングが、まだ無名の頃、
ある後に、高い評価をうけることになる作品を
出版社にもちこんで言われた有名な言葉

「全然なっとらんですな、アマチュアじゃ困るんですよキップリングさん」

なんてのが普通なんです。
こんな話、いくらでも転がってるんですよ。

作品の評価ってのは個人差がでるので
100人くらいに読んでもらって、そこで、はじめて、まぁ、どうにか
その作品の優劣がわかる、くらいのモンなんです。
それでも誤差が出ますから、出版してみないとわかんないっていう
出版から先は闇の世界なんです。

編集者ってのは出版社には必要な存在ですが、
それは作品の面白さを保証するモノではなくて
どっちかってーと、出版社の方針にそった作品を集める形で
機能するもんでしてね。

どっちかっつーと、作家にやる気を出させるとか
締め切り守らせて、作品をきちんと出させるとか
そっち方面で優れているのがいい編集者って奴で
「面白いもの」を書かせれるように作家を育てるってのは
まず無理ですわ。

特に、大ヒット作家とかは育てるもんじゃありません。
見つけるもんです。それ以上は、基本的に無理。

枝葉程度で、まぁ、ちょこっと売れる程度の作家なら
醸造することも可能でしょうが、
そんなモンです。

で、まぁ、ブログをかくことが
よい小説や漫画を書く道に繋がるかってのは
そんなんわかりません。
未来のことなんて誰にもわかりません。
主観でしかモノがいえません。
ただ、ブログ書いているだけで
良い小説が書けるなんてこたありません。

そもそも、小説書く才能、訓練ではっきりしたもの
なんて、いまだかつて現されてないんですから。

もともと才能あった奴が、ブログで台頭したって言う例なら
これからありうると思うけど、
それで「育つ」かどうかなんてわかりません。
個人的には、まずないと思っていますが。

小説ってのは、構造的な部分では、
文学理論家の中の構造主義者って連中がよってたかって
分析しちゃって、もう殆ど丸裸にされてます。

以前も書いたけど、もうストーリーの構造部分では
「再生産」を延々と繰り返している時代なんです。

キャラクターに関しても、各文化で好まれるキャラクターってのは
アーキタイプ分けされちゃってて
そのあたりは、もうはっきりしちゃってるわけです。
心理学の統計とか、文化人類学の統計とかを
色んなところで、男女が好む性格ってのの統計見ていけば
どういうキャラクターが受けるのかってのが
はっきりしていくんです。

んなわけなので、小説かく志をもってる方は
せめて、そのあたりは、きっちり調べた上で、書かれる事を
お勧めいたします。

ああ、それと、間違っちゃいけないのは、
小説や漫画ってのは「楽しませる」メディアです。

つまり、パッシブメディア。
作品内に読者が入り込むことを基本的に許しません。

一方で、ゲームやブログってのは
アクティブメディアでして、
「楽しむ」メディアなんです。

その創られた空間に読者が入り込むことが可能なメディア。
つまり、読者でなく、参加者として空間内に入り込む事が
可能で、この点で決定的に違うんです。

そして、この参加性が生み出すゲーム性であったり
生まれる他人とのリンクであったりが、
既存メディアとは違う形での「面白さ」を作り出します。
これまでのメディアでは、できなかった形のね。

文学では、前者の色合いが濃いものを「閉じたテキスト」
後者の色合いをもつものを「開かれたテキスト」と呼びますが
参加者がいて、はじめてそのテキストが意味をもつ空間ってのは
コレまでのメディアじゃ、なかなか難しかった事なんですね。

それをできるようにしたのが、ネットなわけでして。
ようするに、これまでどおりの文筆業のやり方とは
根本から違う世界なんです。

だから、比べてもしょうがないっちゃしょうがないんですけどね。
それと面白さのベクトル自体が違うので、
そのあたりも踏まえて考える必要もありますわな。




posted by pal at 19:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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