先日、村上さんへの懲役2年の実刑判決がでたわけですが、それに関連して。
村上判決(速報)
村上裁判:結局は利益至上主義を罰したかっただけでは?
アクティビズムを殺すな
磯崎さんのブログと、保田さんのブログと生命保険 立ち上げ日誌さんのところで、記事が上がってますが、僕も、アクティビスト的な活動は、今の日本にゃ、必要だと思っているクチなんで、そのことについて、ちょっと書いておこうとかと。
で、なんですが、この件については、日本のコーポレートガバナンスとの関連がある話題なんで、そのことが今日のお話の内容であります。興味ある方は、続きをどうぞ。
個人的には、(アクティビストでなくてもいいんですが)、何らかの形でパフォーマンスの悪い経営者の尻をたたく機能は必要だと思っており、こうした活動が
仮に存在しえなくなるとしたら、市場や国民の資産全体のパフォーマンスにどのような影響を与えるのか、また、こうした判決を真摯に受け止めた上でもアク
ティビスト的な活動を行う余地はあるのか、について、後でまた考察してみたいと思います。
村上判決(速報)
また、アクティビズムは国際的に認められている投資手法であり、それ自体も悪ではない。市場は本来的になんらか暴力的な要素が宿るものであり、経営者と株主のあいだでは絶えず緊張感が存在する。そして怠慢な経営者に対して規律を迫ることができるのは、メーンバンクが株主としてもにらみを利かせていた時代が終わったいま、機関投資家しかいない。資産処分を迫ることも、経営者が株主からの資金を効率的に生かさずに塩漬けにしているのであれば、それはむしろ望ましいことである。
アクティビズムを殺すな
判決要旨の中では「ファンドマネージャーとしての活動とアクティビストとしての活動を一人で行っていたのであって、このような運用体制それ自体が本
件を招来した」とされています。今回の村上氏のやり口には改善の余地があったでしょうが、アクティビストファンドは、それ自体がそのような性質のものであ
るので、今回の判決により、今後日本でアクティビスト活動を行うこと自体が制限されてしまう可能性もあります。もしそうならば、ある一定の外圧となって企
業経営に規律を与える活動が日本の株式市場で阻害されていくことになりかねません。
最近日本の企業経営陣がかつてのぬるま湯的株式市場へのノスタルジー的回帰をしているように見えますが、その流れを助長させる気がします。
村上裁判:結局は利益至上主義を罰したかっただけでは?
ちょいと、引用させて頂きましたが、引用させて頂いたブログのご意見で共通するのは、
「アクティビスト活動とは、広義には、企業経営者に対して規律を与える活動を含み、こういった形での経営者のモニタリング活動は、資本市場では必要だ」
という点かと思われます。この点については、僕も同意なわけで、この点について、今日はお話したいわけです。村上さんの活動をどう評価するかは別として、今後、こういったアクティビスト的な活動が規模縮小してしまうと、まずいなぁと。
で、なんですが、僕は金融関連は素人なわけですが、経営史のほうは、ちょいとかじっていますんで、本日は、日本経済における「経営者のモニタリングシステムの歴史」、つまりですが、日本経済におけるコーポレートガバナンスの歴史の話をしようというわけです。ま、簡単に、ですけども。
ちなみに、ですが、以下の「経営者」という単語は、専門経営者を指します。つまりですが、
所有と経営の分離
こちらにあるように、
バーリとミーンズによる研究
アドルフ・バーリとガーディナー・ミーンズが1932年に発表した"The Modern Corporation and Private Property"のなかで指摘した概念である。そのなかで彼らは、1929年当時のアメリカにおける巨大企業の株式は、特定の個人ではなく、非常に多くの人々に分散して所有されており、その経営は株式をほとんど所有していない専門的な経営者によってなされるようになっているということを示した。
* Adolphe A. Barle, Jr. and Gardiner C. Means, “The Modern Corporation and Private Property”, New York: Macmillan, 1932 (北島忠男訳『近代株式会社と私有財産』、分雅堂銀行研究社、1957年).
それによる会社経営陣の強大な権力保持と企業の横暴、企業不正の横行の原因として、経営者による企業支配を彼らは浮き彫りにした。大規模な企業において、出資者である株主の多くは会社経営の意思も能力もなく、自ら経営を直接遂行することは不可能である。つまり経営者は所有者の意思を離れて暴走する危険のあることを論証したのである。
大企業の株式が、特定の個人ではなく、非常に多くの人々に分散して所有された場合、株主の権限は縮小し、それに代わって、専門経営者が、企業経営において大きな力をもつようになります。これは、アメリカでは、1920年以降、日本では戦後に入って明確になりました。
戦前の日本や、1920年以前のアメリカあたりだと、所有と経営が、まだ一体化していました。大株主が経営者をかねる・・・というのが沢山あったんです。
そういう場合、経営者は、自分の資産を増加=株価上昇ですので、非常に強く、企業業績向上に高いインセンティブをもつわけですが、専門経営者(雇われ経営者)の場合、所有と経営が分離された場合、所有者の資産を犠牲にして暴走する可能性をもつに至るわけです。
そうした問題点を克服するために必要とされるのが、「コーポレートガバナンス」になります。
1・株式の持ち合いとメインバンクシステムの生成
まず、なんですが、コーポレートガバナンスとは何か?という話になります。
それは、簡単に言いますと、経営者の監視と評価、企業単位での違法行為の監視と阻止などになります。具体的な例をあげれば、経営者が、その権限を使って、企業を食いものにしていないかどうかをチェックしたり、企業が株価を高値に保つために財務諸表をいじくったり、あるいは不祥事を隠蔽するのを阻止するために監視する機能などになります。また、企業経営が健全に行われているかをチェックすることなども含まれます。
アメリカでは、この機能をつかさどるのが、投資家、経営陣、取締役会の三社になります。この三つが異なる権利と責任を分担しながら、コーポレート・ガバナンスを行います。
さて、日本では、どういう形で、コーポレートガバナンスが行われてきたのか?という話になるのですが、これは、歴史的な経緯をたどって、まずお話します。
結論から先に言いますと、日本型コーポレートガバナンスは、バブル崩壊前までは、「株式の持ち合い」と「メインバンクシステム」によって行われてきました。ここが、アメリカと日本との違いとなります。これらは、戦後に確立されたシステムなのが特徴です。戦前は、またちょっと違ったコーポレートガバナンスが行われていまいした。
さて、そういったガバナンスの成立の経緯なんですが、戦前の日本で、コーポレートガバナンスの役割を担っていたのは財閥でした。
財閥
wikipediaへのリンクを載せておきますので、詳しくはそちらをご覧ください。日本の財閥というのは、戦前の場合、経営する事業を、それぞれ株式会社として独立させた上で、それらの会社を管理する持ち株会社を設立していました。
そして、多くの場合、この持ち株会社が、傘下の株式会社をモニタリングするシステムが形成されていたんです。これが、財閥主体のコーポレートガバナンスの形態です。こうすることで、戦前の経済では、企業の効率性や、各企業の経営者の監視形態を整えていたんです。(問題も多かったのですが、それはさておき)
ここで、重要なのは、この時期の日本の財閥というのは、基本的に、この持ち株会社の株式を財閥家族が所有することで、管理されていたということです。個人の大株主というのが、戦前はそれなりにいたんですね。
この形態が激変するのは、戦後に入ってからです。戦時中も変更点が沢山あるのですが、それを入れると長すぎになるので、ここでは省きます。
さて、第二次大戦後、皆さん、お知りの通り、財閥は解体されました。財閥が日本を戦争に向かわせた元凶だという認識からだったらしいのですが、GHQによって、財閥が解体され、持ち株会社が禁止されたせいで、日本の資本市場からは、企業のガバナンスの主体が失われてしまったんです。
戦前は、企業のガバナンスの役割を、財閥が行っていたのは先にも述べましたが、財閥解体は、このモニタリング機能を失わせてしまったわけです。
しかし、資本市場には、絶対に、企業と経営者のモニタリング機能が必要です。
で、戦後、財閥が解体され、持ち株会社が禁止される中で、生み出されたモニタリング機能が、「株式の持ち合い」と「メインバンクシステム」だったんですね。
まず、株式の持ち合いから述べますが、これがコーポレートガバナンスの機能として働いたのは怪我の功名に近いものです。本来は、これは、コーポレートガバナンスの機能としては欠陥を持っています。
株式持合いとは(前編)
株式持合いとは(後編)
簡単に、株式の持ち合いについて理解可能なリンクを載せておきますので、詳しくはこちらを参照ください。
ちょいと問題点の部分を引用させていただきますが、
- 気心の知れた会社同士で大株主になり合い,既存株主の権限を弱めることで,経営者自身の保身を可能に出来る.
- お金を掛けずに資本を増やす(借金せずに資産を増やす)ことにより,気軽に見かけ上の会社の財務内容を充実させることが出来る.
- 新株を発行してもそれが市場に出回らず,株式の需給バランスを崩すことがないので,株式の時価を高く保ち,転換社債発行,新株発行などの次なる資金調達手段を温存できる.
というものです。簡単に言えば、こういう問題点を持っているので、コーポレートガバナンスには圧倒的に不向きです。経営者の保身を許し、財務内容を見かけ以上のものに見せかけ、企業内容を反映しない高株価を維持できる。
これは、どれも、コーポレートガバナンスでは許されざる行為なんです。
では、なぜ、こういったシステムが、日本では根付くことになったのか?という点なんですが、これは、戦後の会社史をちょっと概観することで理解することが出来ると思います。
まずなんですが、戦後、GHQによって財閥解体が行われ、持ち株会社が禁止されたのですが、その結果として、持ち株会社が持っていた株式が大量に市場に放出されることになりました。
ここに目をつけた相場師が藤綱 久二郎です。彼が行った有名な株式買占めが「陽和不動産」の買占めです。陽和不動産は、当時、丸の内周辺の不動産を所有していました。そして、丸の内といえば、三菱財閥ゆかりの土地。彼の読みはこうです。
「陽和不動産の株を買い占めれば、三井関連の企業はビビる。そうすれば、きっと、株を高値で引き取るに違いない」
彼の読みは的中しました。旧三井系財閥は、この買占め劇に対して、最終的に買い占められた株の全てを最高値で引き取ることに決めたわけです。
あれ、これって、最近の・・・・とか思う人。はい。やってることは、まんまグリーンメーラーです。こういうのが、戦後まもなくの日本では、しばしば起こったんです。持ち株会社が禁止されて、その株式が市中に出回ったことにより、こういった大規模な株式取得→会社に株式を高値で買い取らせるといった手法が、多く起こったんです。
で、なんですが、これが、後々の「株式の持ち合い」による安定株主工作、会社のっとりの阻止に繋がっていくわけです。この頃の株式の持ち合いは、主に、こういった和製グリーンメーラー対策が主でした。三菱は、この後、株式の持ち合いを進めていきます。
そして、この最後の一撃になったのが、1963年以降始まった資本取引の自由化です。
もともと、日本の企業の多くは、安定株主工作を進めていたわけですが、ここに至り、敵は国内でなく、海外の巨大資本になったんですね。資本取引が自由化されると、海外の投資家や企業でも日本企業の株を買って、その支配権を握ることが可能になります。そこで、資本量で圧倒的な海外に対抗するために、日本企業の多くが、この時期から安定株主工作を大規模に行うようになったんです。
トヨタ自動車が、この時期に大規模な安定株主工作を行いはじめたのは有名な話です。この時期は「安定株主工作をしない経営者は経営者失格」とまで言われたそうですが。今とはまるで違う様相でしたが、当時は、これが正しいと思われていたんです。
さて、ここで、何で、株式の持ち合いが、コーポレートガバナンスとして、多少は機能したか、という点になるのですが、先に引用した文章にあるように、株式の持ち合いは、「株式の時価を高く保ち,転換社債発行,新株発行などの次なる資金調達手段」を容易にする機能があるんです。株式の時価を高く保てば、その株価を担保にして、大規模な融資を受けることも容易です。
ここがポイントなんです。戦後、持ち株会社が禁止され、戦前のような個人大株主は姿を消していきました。その代わりに、日本の資本市場に現れたのが、法人株主です。つまり、企業が株主になったわけです。そして、相対的に個人投資家は減少したわけです。「会社は株主のものだ」といいますが、当時の日本の場合、株主のほとんどは会社なわけですから、「会社は会社のもの」だったんですね。何か変な話ですが、そうだったんです。
そういった状況の中で、企業をモニタリングしたのが、銀行でした。そう、メインバンクシステムです。そして、戦後日本のコーポレートガバナンスの主翼を担ったのも銀行でした。
仕組み的には、企業は、株式の持ち合いを通じて、高い時価を保つ。高い時価をもつ株式を担保にして銀行から低利子の融資を受ける。融資を受ける代わりに、企業は銀行からの役員派遣を受け入れる。派遣された役員が、その企業をモニタリングする。
これが、株式の持ち合いとメインバンクシステムの関連です。
メインバンクシステム
メインバンクのコーポレートガバナンス機能について
簡単にメインバンクシステムと、コーポレートガバナンスの機能について理解できるリンクを貼っておきます。
これで、もっとも有名なのは、川崎製鉄と西山弥太郎です。
官に逆らった経営者たち
詳しいエピソードはこちらからどうぞ。かなり英雄的に書かれていますが、彼のやったことは素直に賞賛に値します。ただ、彼がやったことは、普通の企業であれば、「ギャンブル」以外の何者でもありません。
なんせ、資本金5億円に対して、メインバンクである第一銀行、そして系列融資により、30倍以上の資金を借り入れたんです。現在は、これはまずありえません。
ですが、彼は、賭けに勝ちました。これに比肩する賭けは、世界の資本市場でも、そうありません。実際、当時の新聞でも「暴虎馮河」と書かれました。しかし、成功したのだからいいのですが。
いずれにしろ、この計画では、第一銀行が責任をもって、融資を斡旋し、その上で、第一銀行の大森常務が、川崎製鉄に会長として派遣されました。
その流れで、第一銀行は、川崎製鉄の大株主になり、川崎製鉄も第一銀行の大株主になりました。こうして、
株式の持ち合いにより、のっとりを防ぎ、株式の高値を保つ
↓
高値の株式を担保に低利の融資を引き出す
↓
引き出した低利融資で事業をさらに拡張する
↓
銀行は、貸出先のモニタリングのために役員を派遣する
という形での日本型コーポレートガバナンスの基礎が築かれていくわけです。銀行派遣の役員の数が、戦後一貫して増えつづけたのは、こういう理由です。
そして、この形態は「資本家無き資本主義」と呼ばれる日本の資本市場を形成しました。会社は株主のものだけど、戦後、財閥が解体され個人大株主なんてものが消え去り、銀行と株式会社が、大半の株式を所有していた為、こういう風に呼ばれることにもなったわけです。
そして、この形態こそが、日本型コーポレートガバナンス、日本企業の特徴だったわけです。バブルまでは、ですが。
2・株式の持ち合いとメインバンクシステムの問題
さて、株式の持ち合いとメインバンクシステムが、生まれるまでを簡単にご説明したわけですが、このシステムは、その生成の段階から、いくつかの欠点を持っていました。
- 気心の知れた会社同士で大株主になり合い,既存株主の権限を弱めることで,経営者自身の保身を可能に出来る.
- お金を掛けずに資本を増やす(借金せずに資産を増やす)ことにより,気軽に見かけ上の会社の財務内容を充実させることが出来る.
- 新株を発行してもそれが市場に出回らず,株式の需給バランスを崩すことがないので,株式の時価を高く保ち,転換社債発行,新株発行などの次なる資金調達手段を温存できる.
先の記事からの引用になりますが、これらがまずひとつ。経営者の怠慢を許しやすいという点です。
それから、もうひとつは、銀行側の問題です。銀行の収益の柱のひとつは「企業にお金を貸して利子をとる」ことです。これは、よいのです。ただし、問題は、「貸せば貸すほど儲かる」という点です。
そのため、場合によっては「貸しすぎてしまう」という問題が起こりました。株式の持ち合いによって、高株価を保ち、それを担保にして低利子で多額の融資を受ける・・・・というのが可能でした。いわば、「借りれば借りるほど儲かる」なんてヘンテコリンな状況が現出したんです。
数字的には、戦前であれば、大企業の自己資本は60%でしたが、1970年代前半には15%にまで低下したんです。
メインバンクシステムと株式の持ち合いにより、企業は、低利子による融資を受けやすかったので、借りすぎたんです。その結果として、何がおこったかというと、自己資本率の低下でした。
要するに、借金経営です。
ただ、間違わないで欲しいのは、借金は悪いものではないということです。株式よりも借金のほうが、調達コストは基本的に低いんです。ただし、それは、あくまで金利が低い場合です。
沢山借金している状況で、金利が上がったらどうなるか?借金が多い企業は、まず最初に利払いが出来なくなり、倒産する危険性が生まれます。そういったリスクが存在するわけです。
そして、それが起こったのが、石油危機でした。石油危機によって、インフレが始まると、日銀は、金利を上がるしかないわけですが、金利が上がれば、企業は借金しにくくなります。金利を払うのが大変になるからです。
オイルショック
第一次石油危機の際、日本は、こうしたリスクをもろに食らう羽目になりました。戦後初めてのマイナス成長をここで記録したのは、こうしたもろさを、もともと日本企業の多くがもっていたからです。金利上昇に、著しく脆い企業体質になっていたんです。
3・株式持合いの解消とメインバンクシステムの崩壊
さて、オイルショックで、脆さを露呈した日本企業の財務体質ですが、金利の上昇によって、借金がしにくくなった企業は、ここで、額面発行から時価発行へと、増資の手段を切り替えました。(ただし、日本での時価発行の最初は、1968年のヤマハによるものです)
えっと、まずですが、額面発行とは何か、という点ですが、基本、株式には、額面と無額面があります。額面というのは、そのまま、株式に値段が書いてあるものです(大抵は創業時の株価)。無額面には、これがありません。
で、額面発行で増資をする場合、株主に対して、額面で株を割り当てます。
額面が100円、時価1000円の株があるとしましょう。
増資によって、一株あたり、一対一の倍額増資を行うとするとします。その場合、一株持っている株主は、100円払えば、もう一株手に入るんです。
時価は1000円なわけですから、額面増資が行われると、一株あたりの単価は1000円+100円で、550円になります。これに配当が加わります。配当利回りをいれて計算されたのを権利落ち価格といいますが、配当額が変わらなかった場合、二株分の配当が入る事になるので、非常に美味しい。さらに、キャピタルゲインも加わるので、美味しい。だから、額面増資が行われると、基本的には、株価が上がるのが普通でした。
ところが、石油危機以降、主流になったのは時価発行です。これは、株式が時価で発行されます。株主は、美味しい思いをできませんが、これは企業にとって美味しい。
なんせ、時価1000円、額面100円の株を100万株ほど額面発行しても、一億円しか調達できません。
しかし、時価1000円の株を100万株、時価発行すれば、10億円調達できるわけです。
そういうわけで、金利が上昇し、借金がしにくくなったので、こういった手段で、資金の調達を行うようになったわけです。
さて、これ以降、「高株価経営」というのがもてはやされるようになりました。これが、第三の「株式持合い」を強化した出来事です。
なぜなら、安定株主対策として、市場から浮動株を吸い上げて、株式の価格を高止まりさせ、高株価を使って時価発行増資をして、資金を調達する・・・という流れが、一般化しはじめたからです。
しかし、一方で、これは問題を産みました。資本市場を通じた資金調達が、この後、加速します。その結果、企業は、増資や社債などを発行することで、資金を調達するようになりました。
このように、株式市場や債権市場から、直接企業が資金を調達する行為を「直接金融」といいます。
さらに、1980年、新外国為替法が制定されたことによって、為替取引が原則自由となりました。これが何をもたらしたかというと、社債の発行などは、海外で行って、そこで資金を調達することが出来るようになったという事なんです。
これが何をもたらしたか?というと、銀行のモニタリング機能の低下でした。
つまりですが、企業は、銀行から借り入れでなく、よりコストの低い海外などでの社債発行などで資金を調達するようになったんです。特に、信用の高い大企業は、これを本格化させました。結果として、ですが、1980年から1989年までに、企業の借り入れ依存度は、0.92から0.66まで低下したんです。
当然ですが、企業側は、銀行から役員を受け入れる必要が少なくなります。また、銀行役員も不必要になってくるわけです。なぜなら、彼らのモニタリングを受ける必要が、そんなに無いからです。銀行から借り入れしなくても、市場から調達できるわけですから。
その結果、銀行による企業へのモニタリング機能が、少しづつ低下していきました。企業は銀行を必ずしも必要としていないし、銀行も、多額の借り入れをしてくれない企業を頑張ってモニタリングする必要もないからです。
さらに、銀行は、主要な貸し出し先を失っていったということです。優良企業である、松下、ソニー、ホンダなどは、直接金融にシフトしていったので、銀行は、優良貸し出し先を失ってしまったんです。
その結果としておこったのが、中小企業や、非製造業への貸し出しの増加だったわけですが、これらは、大企業ほどの信用はありません。さらに、銀行でも、中小企業はひとつひとつモニタリングするのが難しいのです。つまり、将来の予測が難しい。にも関わらず、土地神話(土地は下がらない)や金融緩和などに支えられて、銀行は、土地を担保に過剰な融資を繰り返したんです。
みなさん、お知りの通り、その結末がバブル景気とバブル崩壊です。
バブルが崩壊したことによって、株式の持ち合いとメインバンクシステムは、完全に崩壊しました。メインバンクシステムに関しては、すでに資本の自由化が行われ、優良企業は、社債による資金調達に切り替えてたいので、バブル以前から崩壊の兆しがありましたし、株式の持ち合いは、高度経済成長が終わり、日本が持続的な安定的成長に切り替わった時点で、そのシステムの余命が短いのはわかりきっていましたが。
バブル以後、資金繰りの悪化した企業は、資産である株式の売却をしばしば行いました。また、株というのは、もっているだけでコストが発生するんです。持合い株式の株価が下落すれば、それは損失として計上しなければいけなくもなります。高度経済成長期のように、みんな右並びに成長していった時代ならともかく、右肩下がりの時代では、もっているだけで、コストが発生するんです。下がる株というのは。
そのため、株式の持ち合いが発生させるコストというのが馬鹿にならず、株式の持ち合いは、解消に向かっていったわけです。
そして、株式の持ち合いの解消、メインバンクシステムの崩壊は、そのまま、日本型コーポレートガバナンスの崩壊をも意味しました。密接に関連していた、この二つが崩壊したことにより、かつて、それが担っていた機能も崩壊してしまったんです。この二つは、日本の成長キャパシティが高かった高度経済成長期であれば、上手くいくのですが、その時期が終わった時点から、少しずつ崩壊の兆しを見せ初めていたわけです。
ちょうど、戦後、財閥が解体されて、持ち株会社によるガバナンス機能が失われたのと同じように。
そして、戦後の財閥解体後、企業買収とグリーンメーラーまがいの商法が吹き荒れたように、今、同じように企業買収とグリーンメーラーまがいのアレが、日本に吹き荒れているわけですが。
日本では、財閥解体後、紆余曲折を経て、最終的に、メインバンクシステムと株式の持ち合いを基本としたコーポレートガバナンスの構造が作られました。銀行は、債権者であり、大株主として、企業をモニタリングしていたわけですが、そのことが、すくなからず、市場にゆがみをもたらし、最終的に、それはバブルへと繋がったわけです。
現在は、模索の時期であり、新しいコーポレートガバナンスが形成されつつある時期である、といえます。ただし、その明確な形は、いまだに見えていません。
絶対に経営者の首には首輪が必要です。経営者の犯罪は、下層階級の刑事犯罪とは訳が違うんです。殺人事件が一件起こっても、社会的影響は無いに等しいのですが、企業犯罪は、経済そのものを揺るがす力をもちます。過去に日本で起こった企業不祥事の影響の大きさをみれば、それははっきりとしています。そういうことを未然に防ぐためにも、確かなコーポレートガバナンスの仕組みは必要とされているわけです。
株式の相互持合の崩壊、メインバンクシステムの崩壊は、現在、日本経済において、経営者の監視機能を失わせており、次のシステムが必要なんですね。所有と経営が分離している以上は、この機能は必須なんです。そして、今、そういう役割を担えるのは、機関投資家しかいないんですね。個人投資家は、あまりに分散しすぎていて、適切に企業をモニタリングする力がない。銀行の時代は終わっている。
そういや、最近「もの言う株主」なんて言葉がありますが、これは、昔から言ってるんです。昔は、銀行が大株主兼債権者だったわけで、しかも、企業に役員を派遣してたわけですから。ただ、今は、直接金融の比重が増えて、銀行はモニタリングの機能を担えなくなっている。だから、他の大機関がやるしかない。
経営者を監視するのが、欧米のような大型機関投資家になるのか、それとも、他のだれかになるのかはわからないが、ここが、今後の課題です。
株主アクティビズムの高まり
ちなみに、こちらの記事に、最近の株主アクティビズムの話が出ています。
Business Weekの記事によると、IcahnファンドとTrianファンドは2006年にそれぞれ25%、37%というリターンをあげたそうで、これは市場全体のパフォーマンスを大きく上回るものであることは言うまでもありません。韓国KT&Gのケースでも、株主要求がなされた後に株価は6割近く上昇したそうです。
6月12日のBloombergでも、アクティビスト投資のリターンについて、Bank of New York とコロンビア・ビジネス・スクールの共同調査の結果に関する話を取り上げていました。その記事によると、アクティビストファンドのリターンはベンチマークよりも5〜7%高いリターンを上げているそうです。
興味深いのは、アクティビストは短期的な利益取り行為だと批判されがちなのに対して、コロンビア大の調査では、「影響は短期的なものに留まらず、しばしば経営効率自体の改善にもつながっている」と結論付けている点です。具体的には、M&Aや事業売却など「事業ポートフォリオ」のリストラを行った企業の株価が最も高いパフォーマンスを上げ、逆にデットのリストラ(借換えなど)やCEOの更迭を行った企業の株価パフォーマンスは冴えなかったそうです。
アクティビストは、しばしば批判もされます。ただ、こういう存在も市場には必要です。
無論、欧米のコーポレートガバナンスには欧米なりの問題点があるわけですが、それは又の機会に。あと、今回の話では、証券会社の話は省きました。戦後のコーポレートガバナンスの生成では、重要な役割を果たしているのですが、そちらも、機会があったらお話したいと思います。
長いエントリでしたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
これは時価会計を導入したからなのでは?
持ち合いはのっとりやマネーゲームに対する防御策でうまれたわけですので、持ち合いに変わるものがないと機関投資家がコーポレートガバナンスの一翼を担うのは難しいと思います。
「株は美人投票」だとしたら株価上昇の持つ意味はあまりないような気もします。
株式市場における機関投資家の存在は大きいので、機関投資家に気に入られる企業の株価が上がるのは当然でしょうが、それは企業統治が上手くいったからと言ってもよいのでしょうか?
そのあたりも押さえとかないと「盗人にも三分の理」にしか見てもらえない恐れがあるんじゃないかな。
当初は、業績悪化した企業の益出しが主でしたが、1997年前後におこった生保不安や金融危機の本格化から、金融機関の株式売却が本格化しました。
その後、時価会計が導入されると、
法人による益だしの為の株式売却による株価下落
↓
時価会計の導入による含み損の恐れから株式売却
↓
株価がさらに下落
↓
含み損を恐れた金融機関がさらに株式売却
といった循環がおきて、持ち合いの崩壊が加速された、という感じだと思います。
持ち合いは、記事でも述べましたが、コーポレートガバナンスには不向きです。
それと、コーポレートガバナンスと乗っ取り屋ですが、アメリカで、コーポレートガバナンスの必要性が声高に叫ばれ始めたのは、1980年代に入ってからです。
LBOを利用する企業や、乗っ取り屋が、低迷する企業の支配権を狙っていた時期です。この時期、多くのアメリカ企業は、持ち合いでなく、ポイズンピルなどで、企業防衛に努めました。
しかし、持ち合いと同じく、これらは、経営実績が悪い経営者に保身を許し、株主の議決権を弱め、経営者の力を不必要に高めるものです。
こうした事に対応して、ガバナンスの専門家や、カルパースなどの機関投資家は、乗っ取り対策を捨てて、業績の向上に専念するよう、圧力をかけ始めたんです。
1980〜1990年代に入って、企業統治の中では、取締役会の変化が大きかったと思われます。こうした風潮の中で、経営者は、資本を効率よく運用すべきという風潮が生まれ、その結果として、取締役会は、実績の悪いCEOを追い出しにかかったんです。そこには、大手機関投資家の力は、もちろん、働いていました。
IBMのジョン・エイカーズは放逐され、IBMには、内部昇進のCEOでなく、外部から招聘されたルイス・ガースナーが就任しました。IBMがその後、立ち直ったのは有名な話ですが、機関投資家が、きちんと番犬の役割を果たし、取締役会がCEOと企業に対するモニタリング機能を果たしていれば、こういった企業統治は、機能するという事だと思います。
無論、機能していない取締役会がアメリカで多いのは有名な話ですし、改善の余地が多いのは疑いようのないことだと思います。