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2005年06月27日

モノつくり国家再生は時代逆行だと思います

もの作り国家再生なんて、スローガンが政府内で
唱えられるようになって久しいけれど、
僕としては、こいつは、時代逆行そのものであって
上手くいくはずがないと思っている。

そもそも、お上に助けを求めないと
生き延びれなくなった時点で、その産業は斜陽の時期なんであって
製造業なんて奴は、一部の製造から販売までを牛耳っている
自動車産業のような奴以外は、日本ではもう没落の一途を
辿るしかないんである。

隊長が

メディアシフトのなかで揺れる活字文化振興策

なんてエントリたてて、出版業界をぶったぎったのは
記憶に新しいことだけど、現状の日本では
モノ作りなんてのは非効率の代名詞になりつつあるのが
現状で、もうお上の助けを仰がないとどうしようもなくなってきつつ
あるんである。

貨幣経済という奴は、ある一定の量の蓄財が国家内で進むと
経済そのものに関して、ある事が進行する。

僕は、イギリス史を専攻していたので、
イギリスで、起こった事を例にして
この件について話していこうと思う。

イギリス近代において、しばしば問題にされるのが
英国病という奴である。

この英国病というのは、わかりやすく、文化史的にいうと、
英国における「ジェントルマン」の理想と密接に関係している。

「ジェントルマン」というのはある時代においては
階級をさしていたが、現在は、階級ではなく、
ある特定の職業につき、ある一定の規範にもとづいて
行動する人を指すようになっている。

いわゆる「ジェントルマン」というのは精錬潔白で
約束を破らず、女性を崇拝し、そして、何よりも
「金のために働かない」というコトを意味する。

この中で特に、英国病の起源となったのは
「金の為には働かない」という部分である。

ここを「働かない」という風に解釈してもらっては困るので
ちょっと補足しておくが、「金のために働く」というのは
彼らの理想では、金の為に働く人々、つまり賃金労働を
している人々というのは、すべからく、
「金のために働く卑しい人々」であり、それゆえ
何をするにも金が基準になり、どんどん卑しくなっていくと
考えられていた。

そして、彼らにとって、それは卑しむべき事であり
「公共のために働く」事こそが、ジェントルマンとして
あるべき姿として推奨された。

そして、ある特定の職業、つまり公共の為に仕事が
ジェントルマン的な職業として鼓舞されるようになっていった。

政治家、国家公務員、聖職、軍隊、金融、国際貿易などである。
簡単にまとめさせてもらうが、これらの職業は
政治・商業・金融の三つに大別できる。

当たり前だが、イギリスの優秀な人間という奴は
ジェントルマンとしての理想に縛られるようになっていったので
こういった職業を目指して、精進するようになった。
これが、ここ1世紀ほど顕著だった。

これらは、全部、文系からなる仕事であり、理系を根っことする
製造業には、イギリスでは全くといっていいほど
優秀な人間が集らないようになった。

その結果、イギリスの製造業は、どんどん落ちぶれていった。
アメリカ、ドイツ、日本といった新興工業国に抜かれ、
つい最近、イギリスに残った最後の自動車会社ローバーは
倒産した。

これは、当然だろう。
イギリスでは、自動車会社などという所に
優秀な人間があつまらない文化的な基盤が存在するからだ。

さて、最近の興味深い展開は、この英国病によるイギリスの没落を
疑問視する流れである。

確かに、イギリスの製造業は没落した。
だが、それは、「製造業」に限っての話であり、
実際には、パワフルに成長していったという点を
指摘した著書がある。


それがW.D.ルービンステイン著 の
「衰退しない大英帝国 : その経済・文化・教育:1750-1990」
で、この中で、ルービンスティンは
大英帝国において、ジェントルマン的とされた職種が
没落期という時期にあっても極めてパワフルに
成長していた事を統計的証拠から論じている。

この中で、ルービンスティンは
大英帝国が衰退していったというのは誤りであり
英国病などに代表されるような「反産業精神」によって
英国の製造業が没落したのではなく、経済的必然として
「商業・金融経済」へと現実的、理性的に移り変わっていったと
いう事を主張した。

僕は、この主張には強い影響を受けている。

なぜなら、アメリカでも、同じ事が起きているからだ。

現在のアメリカ製造業は、それほど強くない。
ビッグスリーの落日は明らかであり、製造業の不振は
極めて明らかだ。

だが、それでアメリカ経済そのものが落日の危機にあると
いえない。アメリカにおける商業と金融は、世界で
まだ最も強いからだ。

貨幣経済においては、モノ作りというのは
非効率であるという現実に、適応していったとも
言えると思う。現実的に、この部分は、しっかり認識しておいた
ほうがいい。貨幣経済というのはそういうモノなのだ。

ここで
イギリスのような反産業精神がそれほど強くないアメリカでも
イギリスと同じ過程を歩んだのは、注意に値する。
つまり、製造業国家から、商業・金融国家へと変遷した流れは
おそらく、だが、資本主義国家として、歩むべき必然的な流れなのだ。

これは、日本も、おそらくだが、逃れられない歩みである。
もはや、日本も金融国家だが、今更、製造業国家に戻るなど
おそらくは不可能だろう。

金融・商業への経済の中心の変化は、不可逆的であって
「モノ作り国家」再生なんてのは
どうやっても無理なのだ。サッチャーが失敗したように。

これからの日本は、商業・金融国家として、
どうやって生きていくかを模索すべきであって、
今更、製造業国家として生きていくというのは、
もう無理だろうと思う。

勿論、日本人が農耕民族であって、
その文化的な気質を拭い去れない可能性もあるが
それを指しひいても、モノ作り国家再生なんていうのは
明らかに間違った国家の舵取りだと思うのだが、
いかがなものか。


posted by pal at 22:54 | Comment(5) | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
この記事へのコメント
貴エントリー、大筋で正しいとは思うけど…
イギリスはともかく、アメリカは
マイクロソフトやグーグル、アップルを見ればわかるように
ソフトウエアや一部のハードウエア、
ITサービスでも突っ走ってます。
ついでにバイオと軍事産業も最強。
ITで知の構造を、バイオで生命の構造を、
軍事で地球上の政治構造を変えようとしているのです。
だから、単に商業と金融で未来は括れませんよ。
日本はITやバイオで挽回を目指すべき、という声も多いようです。
Posted by sasaki at 2005年07月02日 01:56
時代に逆行しなかったアイスランドは
大変悲惨な状況になりましたね。

ものづくりは日本の端です。
もっともっとものを作り、
もっともっと円を刷るべきです。
Posted by at 2010年04月13日 08:57
アメリカにもバイオ産業なんてものは存在しませんよ。バイオはまだ産業になっていません。固定観念でものを語らないように。
Posted by てつ at 2010年05月24日 21:41
しかしながら、バイオ・・・人間の寿命を延長する産業は今世紀伸びるのは間違いないでしょう。
途中、倫理的問題等が起こるやも知れませんが、人は誰でも本能的に死にたくないものです。
その人間の欲を満たす究極の産業として今後非常に重要になると私は思います。
宗教色が他国に比べて希薄な日本は割りと相性がいいのではないでしょうか?
Posted by とも at 2011年08月16日 00:33
アメリカやイギリスの現在の惨状を見ていると
金融に大きく依存するのも考え物だと思う。

だからといって製造業に力を入れ続けるのも時代に合わないと思うし
要は両者のバランスが大事なんじゃないかと。
Posted by あんず餅 at 2011年12月10日 12:10
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