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2005年06月12日

まったりとジャーナリズムと広告考

最近は、人口関連の著作ばかりだったので、
本日は「儀式は何の役に立つか」 マイケル・S-Y・チウェを
読了。ネットワーク関連の本という事で読んだが、非常に
面白く、また広告関連の事で勉強になった。


それから、その後で
踊る新聞屋さんとこの

新聞が市民の敵になる−宇都宮冤罪事件

とか

高田さんところの

地方紙の時代

を読んで思うわけですよ。あーだ、こーだと。

「儀式は何の役に立つか」は、本の中で、
メディアの影響力の測定方法や、一つの広告が持つ力を
理解するために「共通知識」という概念を持ち出して、それを
つかって広告やメディアの力についての説明を行った本なわけです。

共通意識ってのは、ここで簡単に、ごく単純に定義するならば
「ある集団のなかにおいて、ある情報を他の全ての人が
知っている事を全ての人が知っている事を、
集団内の全ての人が知っている状態」
です。

なんで、これが重要かっつーと、以前のエントリでも
取り上げた「同和の協調性」或いは「ネットワーク外部性」
というのがあるからでして、
わかりやすく例をあげますと
「携帯を買うときには、まわりの人間がどれだけ
携帯を持っているかに依存し、
まわりに携帯をもっている人間が多ければ多いほど
自分も買う可能性が高くなる」

という事であります。

ジャーナリズム考古学さんの「全国紙」とは何か?
述べられてますけどねー



ゴルフやテニスのUS Openは、なぜ「全米オープン」と訳されているのだろうか?単に「米オープン」でいいような気もするが「全」を付けた方が、国を挙げたイベントであるという印象を与えようとしているのだろうか?

「全米デビュー」って何?宇多田ヒカルは、アメリカの津々浦々を回っているのか?

「1億2千万人の日本人がいま、ジーコ・ジャパンの勝利を祈っています!」。本当に?

どうして、人はものごとを大きく見せようとするのだろうか?もう少し落ち着いて、等身大で伝えようではないか。

「全国紙」というのも、そうだ。「全国、どこでも読まれている新聞」と思われがちだが、そうではない。当然、ムラがある



これねー、典型的な「ネットワーク外部性」、
あるいは「協調性問題」を利用した
広告手法なんです。ぶっちゃけ、「全国紙」ってのは、
名前自体が広告であるのであって
中身は問題じゃないのです。

「全国紙」というフレーズにおいて、重要になるのが
おそらく日本国民に対して

「この新聞は全国で読まれていて、この新聞に載っている事は
日本人全員が知っていて、そして、日本人全員が知っている事を
日本人が全員知っている」

というイメージを植え付けることです。

広告的に重要なのは、実際に読まれることでも、全国のニュースを
扱う事でもなく、読者、あるいは購買者に

「全国紙に載っている事は、日本人全員が知っている」

と思わせることです。これが、共通意識を生み出します。
そして、こういう共通意識は、単純に
「他の人が買うなら、自分も買う」
的な協調問題を引き起こします。

要するに全国紙って名前をかぶせることで
「日本人が買ってるなら自分も買う」的なイメージを
作り出そうとしているわけですな。
成功しているかどうかは別として
それはそれで、マーケ、広告的には、十分な
合理性があるし、協調性問題を考えるなら、これは合理的なんです。

「1億2千万人の日本人がいま、ジーコ・ジャパンの勝利を祈っています!」

なんてのは大嘘。三歳の子供がサッカーの試合見て
騒ぐわけないし、サッカーなんて興味のない奴のが多いんだよ。
結局ね。

それでも、視聴率を大ニュースとして扱ったり
こんな馬鹿げた広告うつのは「同和の協調性」を上手く利用した
広告手法なんですな。

人間ってのは、興味のない情報を取り込もうとはしません。
人間どうしで、同じ興味をもっている分野なんて殆ど重複がないですから
本来なら、人口の3〜40%を巻き込む大流行(視聴率)とかは
起こりえないんですけど
唯一、興味のない情報を取り込む場合があって、
それは、

「まわりの大多数の人間が知っている情報は
例え興味がなくても、人間は知りたがる」

傾向があるわけです。
極端な話、大ヒットや大流行ってのは、この状態を起こせるかどうかでして。
サッカーにしろ、ウタダにしろ、全国紙にしろ、
そういう形で情報のカスケードを起こして
頑張っているわけですな。


この手法は、確かに問題がありますけどね、

だけど、これほど、大規模に情報を流布できる手法は、他に
数えるほどしかないので、大規模に情報を流したい時には
こういった「同和の協調性」を使った広告手法を取り入れるしかないかと
思います。

どんなにいい記事、漫画、小説を書いても
広告をして、沢山の人に見てもらわないといけない。

だが、「見てもらった」だけでも駄目なわけで、

「沢山の人が見ている」ということを

「みんなが知っている」

状態こそが
最も大事なのであって、これこそ、広告が行わなければ
ならない事なのだと痛感している次第であります。


宇都宮知的障害者冤罪事件その後


こういう記事を読んだら

「こんなに沢山の人が知っているんだ、読んでいるんだ
そして、自分も読んでいるし、知っているんだ」

という意思表明というか、広告をしていくことが、何より大事なのだと
思った次第であります。

うん。

それが、大事な情報を流布させる上で最も効果的なのですよ。
ちょっと、やり方が汚いかもしれませんが。

まぁ、やるときはやらんといかんですし。




posted by pal at 21:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディア このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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