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2007年05月22日

書評 「女の生き方」40選

っつーわけで、本日はちょいと書評でも。

最近の育児史関連の流れもあるんで、今日は日本の女性の話。というか書評。







『「女の生き方」40選』は、戦前から戦後にかけて生きてきた女性達の人生の軌跡について集めたものである。元は、文芸春秋に載った文章で、そのなから選ばれたものでもある。



この書籍は上下に分かれているのだが、、この書籍は上を読めばそれでいいと思う。下のほうは、悪いが面白くない。理由は、単純に、上巻に収められている女性達の生き方が、あまりに面白いからだ。


その理由は、上巻の女性達の多くが、戦中を生き抜いた人たちである為、人生がドラマチックなんである。戦争という、今であれば非現実的な出来事が、彼女達の人生を実にドラマチックに彩っている。


この書籍に収められている文章は、編集部との相談で、1960年以後のものとなっている。理由は戦前及び戦争直後の文章は、現代の読者と考え方や生活実感が大層違うから、というものであるらしい。まぁ、しかし、この本で面白いのは、戦中を生き抜いた経験のある女性の人生の軌跡なのは皮肉っちゃ皮肉だけど。



まず、ぶっちぎりで面白いのは、愛新覚羅浩の自伝。

http://www.tokyo-kurenaidan.com/aishinkakura.htm

こちらで、その生の軌跡が読めるが、

愛新覚羅浩さんについて (初めての方のために)
 愛新覚羅浩さんは激動の昭和史の中での生き証人です。日本の公家の嵯峨侯爵家に生まれながら、満州国皇帝の弟の愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)氏に嫁ぎ、満州国の興亡を体験しています。敗戦の満州での逃避行から監獄での生活という辛苦を味わっているのは皇族、華族のなかでは浩さんと近衛文隆だけだといわれています。


という人。公家に生まれ、満州国皇帝の弟に嫁ぎ、そして、満州国が滅びてからは逃避行と監獄での生活を余儀なくされた。この自伝では、その満州国からの逃避行と監獄での生活が中心。


で、これが実にすごい。愛新覚羅浩については、専門の書籍もあるんで、それはそちらに譲るとして、このエピソードで好きなのが、三格姫の話。



姫は愛新覚羅の一族の一人なわけだけど、非常に人徳の高い人だったらしい。


吉野御用掛は

「三格姫は全く見上げたものだ、わしが会った婦人の中で一番じゃ、肝が出来ている。東条勝子夫人は自分には学問があると鼻にかけて出しゃばりすぎる、三格姫に比べるとまだまだ修養が足りぬ」

とか、星野直樹や矢田七太郎は

「世界一の婦人で日本にはあれだけの婦人はおらんな」


とかいっていたらしい。


愛新覚羅浩も、満州に嫁いだ折、両親に対して三格姫が「わたしがおそばについていますかぎりご安心ください」とはっきり行ってもらったようで、その後、姫はその言葉通り、彼女に対して非常によくしてくれたらしい。浩は、彼女のことを「自己を無にして人の為に尽くされる人徳の方」としている。姫の召使は、彼女のことを「生き仏様」といって慕っていたようだ。


でも、一番すごいエピソードは、彼女が捕らえられて、人民裁判にかけられたときの話。

人民裁判の折、兵士が「この女は皇女であり、支配階級に属し、我々プロレタリアートの敵だ。よって銃殺に処するがどうか!」と大声で怒鳴った。そしたら、群集がワーワーと騒ぎ出して、壇上めがけて押し寄せる。銃剣で脅されても引かなくて、最終的には、ボロボロの着物を着た八百屋の男が姫を横抱きにして助け出したという話。しかも、その八百屋さん、姫を一年あまりも養った末、北京の 醇親王府まで送り届けてあげたらしい。

人徳は身を助く、というか、うそのような話だけど、いやはや。

とにかく、ドラマチックで小説みたいな脱出劇なんで、男女を問わず読ませる話だと思う。





文庫本では、こちらがお勧め。こっちもドラマチックなので、ノンフィクで面白いのが読みたい方は是非どうぞ。



で、次は、淡谷のり子の「自伝的男性論」。これも面白い。っつーか、今も昔も男ってあんま変わらないんだなーと思う話いっぱい。


「女を次から次へと食い散らすような男は、三つの悪を持っているもののようでございます。つまり浮気でケチで嫉妬深い、という例の三拍子です。また、こういう男は、例外なく結婚前の女あつかいにかけては、すばらしい技術を有しております」


って話とか。


その後の、A・B・C・Dの男のタイプも面白くて、

A ご機嫌取り屋(終始、女のことをほめている男)
B 命令屋
C 計算屋
D 利己主義者


という感じで、それぞれエピソードがついている。まぁ、男としてはクリリンクリリンとか叫びそうになるエピソードが満載で面白い。


ところで、〆のせりふが面白いんだけど、


「女は、男のほれるような男に惚れるのに、男は女のきらうような女に惚れる、不思議ではありませんか。」



これね。今も昔も変わらんな。なかなか含蓄深い言葉だなーと関心して読んだのだけれど。



で、一番好きなのが「恋は終わりぬ」って話。声楽家( ソプラノ)・女優の 田中路子(1955 蝶々夫人の主演女優)の話。これは抜群に面白い。


「デ・コーヴァ夫人として現在の安定した生活を持つまでに十人は恋人を変えた」っていう伝説をもつ女性で、当時の日本女性としては、すごい恋遍歴の女性でもある。


もっとも、彼女自身は、自分から恋をしたことはなく、相手からの猛烈なプッシュを受けて恋におちたことしかないらしい。恋愛は割と受身というか。あと、もうひとつ。この時期の女性としては、よくある心象だけど、親の体面を非常に気にしていたそうな。彼女は奔放な恋愛をしたけれど、このような儒教的、封建的な価値観は、ずーっと彼女に一貫したものであったようだ。


まぁ、言ってみれば、近代から現代に至り、女性という価値感がかなり変わったんだけど、その狭間にいた女性の分裂した価値観なのかもしれない。


彼女は恋多き女性であったけど、彼女と恋におちた連中とはいうのは、どれもいっぱしの人物だ。


彼女がウィーン留学中に、コーヒー王ユリウス・マインツに見初められて結婚を申し込まれる。マインツは、当時50代だったので、最初は、笑って忘れてしまったそうだ。


ただ、「田中路子は日本人学生としては恥ずべき行動をとるので、大きな過ちの起こらぬうち本国送還にする」というニュースを聞いて、彼女は震え上がる。このときの心象が面白くて、当時の女性らしいというか、自分のことより、この話が両親の不名誉になることが一番心が痛んだという。

両親であるとか家の名誉をもっとも重要視するのは封建的というか、儒教的な世界の話なんだけど、そういった価値感を、これだけ奔放な女性が持ち続けたというのは面白い話。

で、まぁ、そんな彼女であったが、ここで、「結婚してオーストリアの国籍を取れば、日本公使館の命令に従わないでもいい」という妙案が浮かんだそうで。


そこから、ユリウス・マンイルとの結婚に至る。


この人は、よく出来た男性で、これだけの男性が、まぁ、娘みたいな女の子に恋をしたというのも不思議な話なんだが、それはさておき。彼は、路子に十分な教育を与え、路子はウィーンを中心にオペラなんかのプリマドンナを務めて、社交界での地位も確固としたものにしていくんだけど、そういう時期に、彼女は夫との年の差を感じてしまったらしい。まぁ、スキャンダルっぽい話もあったようで。 一応、彼女の名誉のために行っておくと、彼女は、終生、マインルに対する尊敬と感謝の念を持ち続けた。


話をもどすけど、そうなると、彼女は「私はもう貞淑な妻ではない」と思うや、マインルに「私はもう貴方の妻の位置にとどまることはできません。すぐに離婚して、あなたは私の単なる後援者の一人になってください」 と言って、何もかも夫に洗いざらい告白しようとするんだけど、マインルは彼女の言葉をさえぎってこう彼女を諭すわけだ。


「年齢の差からこの結婚には必ず破綻が来るということを深く考えず、若い貴方を妻にした私が悪かった。子供のようなあなたには判るはずもなかった。何も誤ることはない。詫びねばならないのは私のほうだ」



と言って、離婚を承諾しなかったそうだ。マインル夫人という肩書きが彼女から外れたら、

「餌食にされる路子を想像すると身震いが出る」


と言ってマインルは彼女を諭したらしい。で

「スキャンダルにならない程度に。それはあなた自身を傷つけるから」


という自由を与えたそうな。まー、いい人である。学をもち、ナチスへの協力を拒むほどの識者でもあった。しかし、このセリフ、なかなか言えるもんじゃない。いい男である。


その後、恋を繰り返して、最終的にドイツ人俳優ヴィクトル・デ・コーヴァと結婚するに至る。結婚式の折には、マインルも出席しており新郎新婦の紹介演説もしたようだ。路子によれば、「私はワーワー泣きながら、本当にもう一度、大好きなこの人のところへ帰りたいと思うほど有難かった。マインルは安心して私を渡す人を見つけて喜んでいたわ」と語っている。不思議な縁だが、マインルと新郎新婦の交際は、マインルが死ぬまで続いたそうな。


その後、デ・コーヴァと路子は、反ナチ運動に資金援助をしたり、身を投じたりしながら、戦後は新進音楽家などの援助に身をやつした。

まー、実に強烈な個性をもつ女性で、面倒見がよく(芸には厳しかったが)、非常に面白い女性だと思う。



で、最後が「流転の女優 李香蘭との決別」ね。これは、参議院議員でもあった山口淑子の自伝でもある。


この人は、実に面白い。先の 田中路子が封建的な価値観と現代的な価値観の合いの子みたいな価値観をもっていたけれど、この人の場合は、アイデンティティが中国人と日本人の二つを持っているのね。


理由は中国で生まれて、その後、瀋陽銀行総裁の李際春将軍の養女となって、李香蘭と名乗っていた話からも明らかなんだけど。


当時の中国では、 家族同士がとても親しくなると、お互いの娘を自分の養女にする習慣があって、それで、 彼女は李際春将軍の養女となり、李香蘭となのることになったのね。


このあたりから、彼女のアイデンティティは分裂したんだと思うんだけど、彼女の友人とかの多くは中国人で、彼らに対する愛情というものを強くもっている人だというのが、第一印象。


だから、彼女が始めて日本に帰った時に、船から降りて警察官にパスポートをみせた時に言われた言葉、


「貴様それでも日本人か!日本は一等国民だぞ。チャンコロの三等国民の服を着てし支那語をしゃべって、それで恥ずかしくないのか!」


に対して、

「日本人ながら日本人に対して、大変な失望と不信感を抱いたのでした」


というのは納得のいく話。当時の日本人としては、こういう感情は珍しくもなかったのかもしれないけれど、(今でもある場所にはあるけど)中国育ちの中国の人の養女にいった女性であれば、そういう勝手に中国人を見下す日本人に対して、不信感を抱いたのも当然だとは思う。


他にも、こんな一節があって、


「私が住んでいる土地は中国のもの、中国には中国の旗がひるがえるのが当たり前です。そこに日の丸が上がっていれば、中国の若い人たちが、そこに行動を起こして自分の国の旗を立てようと思うのは当たり前だ、というのが私の感じでした。私は日本人、でも、日本人として、そういう中国人をやっつけようなどという気持ちにはなれなかったのです」



その後、北京での映画の記者会見での出来事で、彼女は李香蘭という名前に別れを告げる決心を固める。 中国人と交際しつつ、一方で、日本の兵隊にご苦労様という気持ちのせめぎ合いに耐え切れなくなってきた頃だそうだ。

その後の中国からの脱出劇も、これまた面白いんだけど、それを読んでみたい人は、李香蘭関係の書籍を読んでみてくださいな。

中国で育り、そこでスターになった日本人 がどういうアイデンティティをもっていたのか、って点とか、そこでの中国人との交際なんかは非常に面白いです。そして、何より、戦時中なので、すべてドラマチックです。




と、まぁ、好きなエピソードを並べてご紹介してみた次第。興味を覚えた人は、それぞれの女性の名前でググってみるとか、本書を手にとってみるとかしてみてください。


下巻もあるんですが、こっちは、個人的には面白くなかったです。俵 万智とか林真理子の話とか色々載っているんですが、上巻の女性達の話ほど、ドラマチックじゃないというか。


戦争があった時代を生きた女性達の声のほうが、やはりドラマチックで面白くてね。


ノンフィクションは、戦争とかの話になると、やたらと面白いんですが、やっぱ、ね。迫力が違います。「私の履歴書」とかでも、やっぱ戦中の描写があると、凄いんですよね。ノンフィクは。


とまぁ、本日はこのあたりで。ではでは。




タグ:歴史 書評
posted by pal at 21:16 | Comment(1) | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
この記事へのコメント
初めてコメントさせて頂きます。
格姫で検索し、こちらに来ました。

実は、当方所有の天使の置物の裏に、
四格姫御降嫁記念 日満軍人会館 康徳3年
と表記があります。

こちらに書かれている三格姫とは何か関係があるように思えますが、
もし何かご存知でしたら、ご教授頂けるとありがたいです。

宜しくお願い致します。


Posted by socket 大熊 at 2011年02月22日 16:47
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