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2007年05月15日

男の役割女の役割

本日は、ちと、痛ニュ経由で、思った話があるんで、そんなお話でもしてみたいと思います。


問題の記事は下記の二つ。


これと、

痛いニュース(ノ∀`):「恋愛に消極的な甘ったれた男が増えてる。兵役制度みたいなものでしごかれたほうがいいんじゃない?」…30歳からの女の恋愛論

これ↓ですな。


恋もSEXも薄味な“マグロ男”の食し方 - [30歳からの女の恋愛]All About



ちと引用。

男も女も我慢を身につけることが大切。極端だけど、男には他の国みたいな兵役制度みたいなものがあるといいのにって思う。共同生活や訓練でしごかれてしごかれて我慢することを学んだら、甘ったれた若い男も少しは成長するのにね。





これ読んで思い出した話があるんで、本日はそんな話。




早坂茂三の著書の「捨てる神に拾う神」に載っているエピソードの紹介からなんだけど、



これに載っているエピソード。


さる東北出身の二等兵に宛てた母親からの手紙に「今、この地方は飢饉に見舞われ、お前の妹を売らなくてはならない状況だ。だが、それだけでは間に合いそうにない。お前の弟たちが飢えるのは目に見えている。ついては悪いが、お前は戦死してくれ。その見舞金で一家はなんとか食いつないでいくつもりだ」と書かれていた。



って話がのっていてですね。戦地の兵士宛ての手紙は、全部、検閲官に検閲されるわけですが、その検閲官が著した本の中に、こういうエピソードがあるそうです。


検閲官は、その手紙を本人に渡すことを躊躇したそうなんですが、職務に逆らうわけにもいかず、職務に忠実に行動。二等兵は、その三日後に突撃隊に加わって見事に戦死した、そうです。


まぁ、こういうエピソード読んだことがあって、「戦争のためなら昔の男は死ぬことも厭わなかった。最近の男は軟弱すぎる!」とか言い出してるのかもしれませんが。確率は低いですがね。


この話は、いくつかの非合理を含んでいます。具体的には「自分の子どもである息子に死ねと言える母親の心理」と「見舞金のために戦死を選んだ男の心理」です。



まず、前者なんですが、以前、扱いましたけど、日本の東北地方の農村では、江戸時代あたりから、「早婚と間引きなどの出産制限」という矛盾した状況が起こっていましまた。


東北地方は、江戸時代の中期あたりには、もう人口吸収力がなくなっていました。で、こういう場所では、普通、晩婚化が進みます。子供を減らすには、晩婚が有効だからです。

ただ、東北地方だけは、なぜか、早婚の習慣が消えず、その代わりに、出産制限が非常に多かったんですね。


このあたりは、ひょっとすると、息子を出稼ぎ・奉公に出したり、娘を吉原の女郎に売ることが、一つの収入の口であったからかもしれません。

そういう歴史的な背景があるんで、こういう状況が生まれたのかもしれないな、とも思います。



あと、もう一つには、戦前あたりだと、日本は多産多死型の社会だったので、子供や命の価値が今ほど希少ではなかったので、こういう状況が生まれたのかもしれません。

内田樹の研究室: 甦るPCと児童虐待について



こっちは内田先生のブログの記事ですが、西欧の児童虐待の歴史について触れられています。


フィリップ・アリエスの『子供の誕生』によると、現在の私たちが用いているような意味での「子供」の概念は中世ヨーロッパには存在しておらず、十七世紀にようやく定着した。
ヨーロッパには「子供は無垢で愛すべき存在である」とみなす心性の伝統そのものが存在しなかったのである。



僕も、多少は大学時代に西欧の歴史を学びました。で、フィリップ・アリエスの「子供の誕生」も読みました。


で、「子供は可愛い」って思う人間心理が、普遍的でなかった事実が、この本では、明らかにされるわけなんです。他にも、僕は、イギリス史を専攻していたんですが、イギリスのヴィクトリア朝あたりの時期でも、子供の扱いは、相当酷いです。今でなら児童虐待で即通報ものです。


内田先生の記事の中にある、パリの子育て事情って酷いですよね?母性本能なんてものがあるのかどうか、かなり疑ってしまう話です。ですが、歴史的な事実なんです。


イギリスでも、ロンドンの子供事情の中には、酷いのが結構あって、有名な「煙突掃除小僧」とかね。ディッケンズの「オリバー・ツイスト」では、その悲惨な描写がされていますけども。



ディッケンズ自身も、少年時代、そういう不幸な状況を経験していましてね。父親が借金で、投獄された折、ウォレンの靴墨工場へと働きにでないといけなくなったんです。で、その時、彼の母親がとった行動が、彼のトラウマになりました。


彼の母親は、週7シリング程度の賃金のために、ディッケンズを靴墨工場から開放するのを嫌がったんです。これがディッケンズのトラウマの一つになりました。親の犠牲になった子供への共感や大衆への共感は、ディッケンズの作品の一つの大きな特徴でもあるんですが、こうした体験が大きく影響していると言われています。


なんと言いますか、「子供が大切にされる社会」っていうのは、「少産少子社会」にならないと、実は一般的にはならないのかもしれません。


育児は女性の役割だと見なされていた時期は、歴史的に確かにあるわけですが、その為の時間やコストは、まちまちです。また、母性本能のような「子供を愛する」という形での人間の心理も、必ずしも、一般的でなかった時期、場所があります。


そんなわけで、環境要因や、歴史的、文化的な要因によって、女性の役割は姿を変えてきたのが実際なわけです。母性本能や、「子供を可愛がる」心理というのは必ずしも普遍というわけでもないわけです。


で、次に、後者の「見舞金のために戦死を選んだ男の心理」なんですがね。


これも、日本じゃ、他に「神風特別攻撃隊」なんて有名ですけども。本来、ありえない話なわけです。だって、自分が死んでしまったら、意味ないわけですよ。


以前、日経新聞か何かで、特攻前夜の風景を、特攻隊員の一人が懐古していたエピソードを読んだんですが、(確か、次の日、戦争が終るかなんかで助かった)その中でね、一人の隊員が、みんなで最後の宴会をしている時に、婚約者の写真をロウソクで焼いてしまうシーンがあるんですね。


なんといいますか、今の感覚からだと、ありえない話なわけなんですけど、当時は「お国の為に戦って死ぬ」ことが当然だと考えられていたんですね。


これ系の「共同体の為に戦って死ぬ」が当然であった時代も歴史的に沢山ありました。主君の為に死んだ赤穂浪士の話とかイスラムのジハードとかね。洋の東西を問わず、こういう話は、特に戦争の折なんかには沢山残っているんですね。


まぁ、「戦争で死ぬ勇気はあるのに、家事炊事掃除洗濯育児を日本男子はしたがらないのは何でだぜ?」とかの話にもなるんですが。まぁ、不思議な話ではありますが、それは本題ではないので、あと回しで。


こういう話の説明として使われるのが、人間の先天的な本能である自己の生存と種の保存よりも、後天的な要素である文化的、法律的、慣習的な要素のほうが強いというのがあげられます。


例えば愛国心や宗教心などは、人間が本来もっているものではありえないわけですが、どの文化圏でも、これらは物凄く強くて、場合によっては、人間に「死を前提とした行動」を取らせることもあるわけです。


もうひとつは、「完全な利他的奉仕ではなく、自分と同じ遺伝子をもつ血族を守っている」という考え方ですね。

要するに、日本でいう愛国心ってのは「自分と同じ遺伝子をもつ血族を守っている」という形で発揮されていたんじゃないかと。日本人という遺伝子を、ですが。

まぁ、100万年も遡れば、人類皆兄弟なんですけども。


池田信夫 blog 利他的な遺伝子

この話は、池田先生のとこの話が参考になるので、そちらをどうぞ。


そういう風に考えると、血縁関係が働きにくい多民族が混在する場所(中東とか)では、血縁関係抜きに利他的奉仕を集団に適用可能な宗教が生まれたのは、そういう意味では、意味があったのかもしれません。


また、最初の東北の母親にしてもディケンズの母親にしても、そういう意味で、「自分と同じ遺伝子をもつ血族を守っている」という、集団での利益を最優先したので、ディケンズは犠牲にされた、という見方もできます。


で、何がいいたいかというとですね。

最初の


男も女も我慢を身につけることが大切。極端だけど、男には他の国みたいな兵役制度みたいなものがあるといいのにって思う。共同生活や訓練でしごかれてしごかれて我慢することを学んだら、甘ったれた若い男も少しは成長するのにね。


恋もSEXも薄味な“マグロ男”の食し方 - [30歳からの女の恋愛]All About




という話になるんですが、我慢というか、利他行動っぽいのを男に取らせたかったら、ですね。


人間、タダじゃ我慢なんてしないんですよ。だって、集団内には、ヤクザ戦術を使う人間がいますんでね。要するに「弱い奴は蹴って蹴って蹴りまくる」奴です。

我慢しかしない人間は、本来、こういう連中に食い物にされます。


ただ、集団がヤクザだらけになったら、集団そのものが崩壊しちゃうんです。説明しないでも、そんな集団が壊れちゃうのは目にみえています。

だから、ヤクザ内でも、掟があるように、集団内で、なんらかの互助による利他行動を取り決めたほうが集団として美味くいくわけで。


というわけで、まぁ、「男を軍隊に行かせたほうがいい」というのでしたら、女側にも、相応の何かを男にしていただく必要がありますよっと。


もっとも、今の日本じゃ、男は軍隊にいく必要がありません。戦争も、多分、今後、当分ないでしょう。そうなれば、ある程度、お互いに譲歩しなくちゃいけないわけですが。


「軍隊に行かないなら、家事掃除育児手伝え」というのは戦前の日本だとか戦争地帯の国からみたら、ある種、真っ当な主張には思えるわけですが、この人みたいに平和なのに「男だけ軍隊に行け」っていうなら、家事掃除育児は永遠に女性側でお願いします。


女性集団にはいいのかもしれませんが、男集団には平和なのに軍隊にいくメリットなんてありませんでね。


いじょ。




タグ:life
posted by pal at 22:36 | Comment(5) | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
この記事へのコメント
男は仕事しかしないままで
女性は家事掃除育児+仕事になってきているわけだが。

家事掃除育児は永遠に女性側でお願いしますっていうんなら
男は永遠に解雇の危機もない定職について、女子供を養ってもらわないと。

働く女に比べたら無気力な男って気楽だね
って話じゃないの
Posted by   at 2007年05月20日 20:05
>男は仕事しかしないままで
女性は家事掃除育児+仕事になってきているわけだが。

いやむしろ専業主婦のくせに
家事育児は夫婦で分担、なんてバカ女ばかりなわけだが。
働いてる女も「女に残業させるんですか〜?」
とかほざいて、そのくせ給料は同額要求するしな。しかも仕事能力低すぎ。
男が二日で片付ける仕事に一週間かかったり。
Posted by at 2007年05月20日 21:08
女性が男性に男らしさ(経済力・包容力)を望むのは人類が始まってから続いているけど、それを表現する方法は変化し続けているね。

最近だと軍隊に行って我慢することを求めるのか、軍隊に行ったからって女性の理想となる我慢強い男になって帰ってくるとはかぎらないでしょうに。
Posted by はえ at 2007年05月27日 13:16
母性本能は時代に影響するというのは信じがたい話ですね。
ただ少子化が進んでるけど、今、子供が大事にされているかどうかは微妙なとこですよね。
体罰・虐待に対して法律的には厳しくなってるけど・・・
子供が母親に汚い言葉で罵倒されてるのを最近特に良く見かけます。
いいかげんいしろよ、てめーわ。
なんでいうとおりできねーんだよ。
とか、見た目特にDQNな風貌でもないんですけどね。
東京来て10年になりますが、10年前はあまりこういう光景見た記憶がないです。
しつけではなく、ただ言うとおりにならない子供への怒りにしかみえない。

ふぬけた男が多くなったのは事実ですが、
江戸の太平の世の中も似たような状況はあったみたいですね。
男が容姿にこだわったり、女のような男がもてたり。
時代背景によって人の価値観は変わるけれど、
時代が違っても状況が同じなら同じ価値観にいきつくのかもしれない。
Posted by at 2007年06月06日 16:13
スパルタって国は

男は戦って勝つか死ぬかそれが名誉だったんだが

一番怖いのはお母ちゃんだったらしいぜ

『息子よ、帰る時はこの盾を持って、さもなくばこの盾に乗って』

(この時代の盾は非常に重い。持って帰れるのは勝って生き残った時で、勝って死んだら盾に乗せられて帰ってくる。)

女が母であることを忌避したり怠けだすのも
国が弱ってる証だろう
Posted by ひろし at 2010年12月10日 03:20
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