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2007年04月19日

モノ時代→サービスの時代→その次はプロダクトの時代?

eb2.0 Expo: SNS編


Tech Mom from Silicon Valley - 豊かな時代の究極の楽しみは「クリエイトすること」、それがWeb2.0


本日は、上記二つのエントリに尻馬。

話題が無いときは他人のネタにいつも尻馬ブロガ―ですいません。


だって、最近ネタ不足。


というわけで、本日は、ちとばかし、経済のモノ離れからサービス離れの話とかでもしてみようかと思います。


そもそもの問題として、日本の経済においては、モノ作りが主役だったのは、大体1950年代後半くらいから1980年代初頭くらいまでで、その歴史を代表的なモノで追うと、1950年代後半あたりから、三種の神器と呼ばれた耐久消費財である「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が猛烈な勢いで普及しはじめた。


当時は、これが憧れの目でみられていて、これらの消費財を作る企業は凄い勢いで躍進していった。


と同時に、日本の製造業の成長が始まって、高度経済成長とそれを支えた個人支出の増加が始まった。


で、高度経済成長期の真っ只中の1970年代あたりから、第二の三種の神器、つまりは「カラーテレビ・クーラー・カー」が普及し始める。これは、モータリゼーションの始まり、そして大広告時代、メディア時代の始まりでもあったんだけど、1970年代の後半あたりになると、耐久消費財の消費が一巡してしまう。


車なんて乗れればいい、クーラーはもう買った、カラーテレビももう買ったとなって、市場にモノがあふれてしまうと、大抵、中古市場も巨大になる。


そして、普通は、中古の値段<新品の値段なので、耐久消費財を売る企業は、市場において、モノの消費が一巡してしまうと、「自分自身」と闘わざるを得なくてはならなくなってしまう。


つまりだけど、市場に出回った格安の中古品と需要を分け合わなくてはならなくなるわけで、安さを武器に市場を開拓することが難しくなるんである。


これが日本で起こったのが、1980年代あたりで、製造業企業が徐々にもうからなくなっていった時代でもある。


そうなると、中古市場に存在しないような、新製品をどんどんだして、新たな需要を喚起するって感じな戦略が主流になりはじめるんだけど、それは、また別の話なんで、それはさておき。


で、1970年代後半あたりから、消費者の「モノ離れ」が始まった。これは、耐久消費財の消費が一巡して、それに使うお金が別のところに落ちはじめた時代でもある。


「サービスの時代」の始まりとも言えるんだけど、最初は、レジャーブームと呼ばれるものが始まった。車の普及や余暇の拡大とあいまって、各地の郊外地などに巨大なレジャー施設が出来あがって、それが人気を博し始めた。


と同時に、女性の社会進出が始まり、家事労働の一部が、サービスに代替えされ始めた。いわゆる外食産業の発達の始まりで、マクドナルドなんかが、日本で生まれたのも1970年代。


こうして、過去には、すべて家庭内で行なわれてきた労働が、徐々に外部のサービスに代替えされていったのが、1970〜1980年代あたりまでで、「国内・海外旅行」だとか「外食産業」だとか「ゴルフ」産業だとかが、伸びていった時期でもある。


ただ、モノの時代が終わりを告げたように、サービスの時代も、徐々にだが、終わりに近づいてきたようにも思う。


結局、どちらも、あまりに「ありふれすぎて」しまったんである。


一昔前であれば、「カラーテレビ・クーラー・カー」や、「海外旅行・ゴルフ」なんかは、憧れの目で見られたかもしれない。


だが、そういう時代は終ってしまったのだと思う。世界はあまりに豊かになりすぎて、モノもサービスもあふれすぎてしまった。上記にあげたようなモノもサービスも、今ではコモディティといってよいレベルだ。今でも高級品として嗜好されている部分はあるが、他に安くて面白いものは、いくらもである。それが今の豊かな時代の現状。


「最近のティーンは何が欲しいのかわからない、と困っているメーカーが多い」



michikaifuさんのエントリの中で、こんな会話が紹介されているけど、サービスもモノも、あふれすぎている時代じゃ、単純な欲望だけを喚起するのは限界なのだとも思う。


その代わりに台頭したのが、michikaifuの言うように「何かを創る」っていう人間の欲望なのかもしれない。


メールであったり、ブログであったり、SNSであったりは、自分で何かを作って、他人とコミュニケーションをするだけのものなんだけど、これが凄く楽しい。


モノやサービスがなかった時代であれば、そういったモノやサービスを創って消費者に提供できる企業が躍進したが、今は、どちらもありふれてしまって(あるいはすでに所有してしまっていて)、消費者は、それにあまり興味を示さない。


そういった時代だから、現在のようなCGMのように、消費者が自分で何かを作って共有できるようなシステムが受けているのかもしれないな、と思う。


結局巡り巡って、100年前くらいみたいに、必要なモノは自分で作っていた時代に回帰しているのかもしれない。計算機資源が安くなり、だれでもdでもないパワーをもつ計算機、つまりはPCを所有できるようになり、さらに回線のような資源も指数関数的に伸びており、それを安く所有できるようになったことで、先祖帰りが始まったといえるのかもしれない。



snakajima3.jpg


最近、リアル絵の練習をしていて、今日は、UIEの中嶋さんの似顔絵を描いてみた。なんか、すげえ怖くなってしまったけど、せっかく描いたんで公開。


僕が、こんな絵をかけたのは、十分に早いPCとフォトショップのおかげだ。


そして、それを公開できるのは、回線速度が増加して、画像を早くアップロードできたり、またダウンロードできるようになったから。


そして、それを利用できる人が十分に増えたんで、やる気がでたし、それに、何かを創るというのはとても楽しいからでもある。


モノの時代には、製造業企業である多くの企業、日本でいえば、ソニーや松下、三洋、トヨタ、ホンダなどが生まれた。


サービスの時代には、多くの外食産業、レジャー関連の企業、そして宅配サービスや小売などで、多くの偉大な企業が生まれた。


そして、プロダクトの時代に入って、新たな企業が、今、竹の子のように誕生しているんだけど、その中には、かつての偉大な企業群のように、偉大な企業として歴史に記憶されることになる企業が出て来るんだと思う。


今は、グーグルやアマゾン、ヤフーくらいだが、もう少し席はあるように思う。


基本的に、産業ではパイオニア企業が生まれて市場を開拓し、その後に大量のフォロワーが生まれる。そして、競争が激化して、さらなる発展を生み出していく。


今は、開拓の時代は終わり、フォロワーと競争の激化、そしてさらなる発展の時代だと思う。


こういった時代だから、Web2.0 Expoで、中嶋さんが感じたように、「こんな時代に起業しないほうが間違っているように思える」ような雰囲気が生まれてしまうんだろう。


とりあえず、本日はこのあたりで。


タグ:blog web 歴史
posted by pal at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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