と、弾さんのエントリに尻馬して、本日は、労働と原価管理のお話。
他に書いていることもあるんだけど、ちょっと気になったので、弾さんのお話に便乗して、労働と原価管理のお話をば。
実際には、会計の歴史的なお話になるので、磯崎さんあたりにお話伺ってみるのがいいのかもしれないけど、知っている限りでお話。
んで、なんだけど、
確かに、労働者を「労働に対して対価を受け取る人」と定義するなら、アスリートもプログラマーも立派な労働者なのだけど、「その労力に比例して対価を支払う」という狭義の労働者モデルをあてはめるには、労力と生産の関係があまりに非線形なのだ。
どう非線形かは、上掲の「人月の神話」を読んでもらうとして、賃金が安いか高いかを査定するためには、相場が必要。「これだけの能力を持ったプログラマーがこれだけ稼働するとこれだけのプログラムが出来上がる」という。ところが、これが成立しているようでしていない。
弾さんが、こういうお話をしているわけなんだけど、これは、今に始まった話というわけでもなく、歴史的には、労働と原価管理の問題にいきつく。
で、何故、こういった形で、賃金相場が必要なのかというと、それは、原価管理というものが、近代的な大企業システムでは、非常に重要になったから。
ええと、工場(あるいは会社)で働いて、そして賃金をもらうというシステムが出来上がるのは、近代的な大企業がアメリカにおいて出来上がる19世紀末あたりで、それ以前はというと、家内制手工業が主体だった。
家内制手工業とは、つまり、生産者が、生産に必要な資本を直接所有している工業システム。
そして、多くの場合、その生産には、機械や道具の取り扱いに熟練を要するのが一般的で、極めて熟練による生産性の差が大きいのが特徴ともいえる。
こういったシステムであるゆえに、製造された製品に対して、賃金が支払われる出来高給賃金が一般的だったと言われ、職人が作った生産品の数で、その職人の給料が決まることになっていた。
つまりだが、沢山、製品を作れる職人(熟練工)が沢山の賃金を得れたわけである。
一方で、工場制手工業のような近代的な労働システムは、資本を所有しているのは資本家で、労働者は、その資本を使って労働し、そして対価として賃金を得る。
こちらは、フォード型生産システムに代表されるような、専門機械を複数組み合わせることで、大量生産を可能にするシステム。
専門機械の組み合わせによる生産が主体のため、労働には、熟練をあまり必要としない。そのため、未熟練労働者や半熟練労働者でも、生産が可能となる。
こうなってくると、労働者と賃金契約を行なって大量雇用した上で、製造原価をはっきりと知ることが重要になる。
そうすれば、労務費や設備費用、間接費、原材料費などから、ひどく正確な「製造原価」を知ることができるのである。そうして作られた製品の市場価格が、製造原価よりも高い限りは、工場は利益を出しつづけることができる。
こうした工場制手工業と原価管理と企業経営を、上手く組み合わせて企業経営を行なっていたのが、かの有名な鉄鋼王カーネギー。
彼は、「原価を注視せよ。そうすれば利益は自然と生じてくるであろう」と言ったのだが、かれは、こういった原価管理を通じて、企業間競争を勝ち抜いた企業家だった。
つまり、彼は、常に、業務の原価を比較し、そして他社との原価をも比較した。
こうした原価管理は、工場長や労働者の仕事を評価する事を可能にしており、企業経営において、有効な指標として利用された。
だが、カーネギーは、企業間競争においても、原価管理を利用した。彼が企業家として非凡であった点が二つある。
一つ目は、ずば抜けた先見性。wikipediaからの引用になるが、
当時の鉄道の橋は木製が多かったが、彼は耐久性に優れた鉄製の需要増加を予測し、キーストン鉄橋会社を設立し成功した。
さらに技術革新により鋳鉄よりも強靭な鋼鉄の大量製造が可能になり、鉄道のレールや建築へ使用されることを予見し、製鉄事業の規模拡大に力を注ぎ、鋼鉄王と呼ばれた。
とにかく、次に大もうけできそうな事業を見つける、独特な嗅覚をもっていた。(こういった嗅覚の鋭さは、偉大な企業家には、よく見られるもので、シアーズを大企業に育てたウッド将軍やソニーの井深大、任天堂の山内前社長などにも共通する特徴でもある。)
そして、もう一つが、ずば抜けた原価管理能力。
彼は、常に、競合他社の製造原価を調べ上げ、それと自社の製造原価を比較した。そして、自社の製造原価が、業界で最低であるという確信をした。
そして、好景気の時には、他社と同時に価格の引き上げをしながら、一方で、彼は、景気後退時には、容赦なく価格の引き下げを行なったのである。
当然ながら、自社における製造原価ギリギリのラインまで価格を引き下げれば競争相手は、それについてこれないことを彼は承知していた。
そして、不況時には、彼の競争相手は、次々と倒産していった。そして、彼の会社は、次々と競争相手を潰してまわり、独占体制を整えていくのである。
工場生産システムが有利な場所では、独占による規模の経済が次々と誕生していくことになるのであるが。
そして、競走上、大企業経営上、製造原価を的確に把握することは、非常に重要になった。カーネギーの
「原価を注視せよ。そうすれば利益は自然と生じてくるであろう」
という言葉が金言として、今の企業経営でも語り継がれているのは、そうした理由によるものだろう。
このように、大企業において、製造原価の把握が重要になるにつれて、会計技術というのが進歩していった。正確な製造原価の把握無しには、競争優位を保ちにくく、まともな企業経営がしにくい世界になったから。
無論、それ以前には無かったという意味ではない。西洋式の複式簿記は、15世紀末のイタリアで、ほぼ完成を見ていた。
ただ、大企業と呼ばれるような、1000人以上の人員を賃労働者として雇い、そして事業を管理していくには、近代的な会計技術による原価把握が、必要不可欠だった。
このような経緯を経て、近代的な会計システムが完成したと言われるのは、1920年代と言われている。
それ以降は、幾つかの小さな変化はあったものの、大きな変化はなく、今にいたる。
さて、だが問題が出てきている。
こうした管理会計システムは、本来、大企業(工場制手工業)の管理の役にたつようにデザインされたものであり、賃労働向けの会計システムなんである。
一方で、プログラマーのような職種は、そういった賃労働には向いていないように見える。
理由は、最初に述べたとおり、プログラマーという職種は、家内制手工業、つまり、生産者が、生産に必要な資本を直接所有している工業システムに近いからだ。
なぜなら、プログラマーは、プログラムを作る工場を自分の中に持っているようなモンだからだ。
そして、その工場の生産性は、そのプログラマーの優秀さに比例している。
こういう場所では、出来高給賃金のほうが、やはり合っているのではないかと思う。
そもそも、賃労働に向いてないシステムなのだ。やがて、人と機械さえつぎ込めば、生産性が上がるというような世界にプログラミングがなれば、その時は、賃労働向けになるかもしれない。
ただ、「人月の神話」にあるように、現状、そうなっていないので、難しい問題なのだろう。
アスリートや、作家、歌手のように、自分の体が、一種の工場のようなものである世界では、出来高賃金のケースが多いが、プログラマーだけが、そういった世界ではないのは、少しばかり不思議なものがある。
やはり、マネタイズが難しいからだろうか?
こういった問題を解決する方法は、二つあると思う。
一つは、プログラマー全部を出来高賃金にしてしまい、賃労働システムの外においてしまうというのがある。つまり、全員個人事業主とかしてしまう方法。ただ、これは難しい、というか絶対無理。弊害も多い。デスマーチがさらに酷くなる可能性もある。
もう一つは、管理会計制度を見直すことだ。
現状の管理会計システムでは、ソフトウェア開発、研究開発、社員教育に関わるコストなどを正確に把握できていない。
ここが、実は問題で、これらの多くは、原価が生産開始以前に大量に発生するために、会計システムに組み入れるのが難しく、企業業績の尺度が計りにくくなる一方なのである。
つまりなんだけど、現状の問題は、1920年代あたりに完成されたと言われる現状の管理会計システムが、いくつかの原価管理に適さないという問題から生まれてきているものがあるんである。
あくまで、プログラマーを賃労働システムの中に組み入れるのなら、そういった新しい原価管理システムの構築しかないようにも思う。