それでも賃金水準は平均的な生産性で決まるんだよ。
山形さんが池田先生に反論し、
生産性と「格差社会」
池田先生が、再反論。
んでなんですが、よくわからんのが、
山形さんが、平均的な生産性の事を「GNP(国民総生産)」としているっぽいのですが、池田先生のいうような
TFP(全要素生産性)
なのかがよくわからんのですよ。
山形さんがいってる国民の平均的な生産性が「GNP」で、社会全体の賃金水準が「国民所得」だっていうなら、簡単なんです。
TFP(全要素生産性)
だったら、又話が別なんでしょうが。
平均的な国民の生産性(GNP)と平均的な賃金水準(国民所得)には相関性と因果関係はあるんです。
というか、山形さんの定義が、
国民の平均的な生産性=GNP(国民総生産。一年間に作り出された財とサービス価額から、中間財消耗額を控除した価値額を引いたもの。)
社会全体の賃金水準=国民所得(GNPから、資本設備の減価償却分を引き、さらに間接税と補助金を引いたもの)
こうだとすると、相関性と因果関係があって当たり前なんです。だって、国民所得ってのは、GNPのでかさで決まるんだから。計算上、そう出来てる。(多分、そういう話をしていたんだと思うんですけども)
国民一人当たりの生産性があがるということは、GNPが伸びることを意味しますので、国民所得、つまりは企業と個人の所得の合計は増えるんです。減価償却だとかがでかくなりすぎない限りは。
計算上はね。
というわけで、
国民の平均的な生産性=GNP
社会全体の賃金水準=国民所得
とするなら、山形さんの意見は至極まともです。GNPが増えなきゃ、国民所得が増えないように計算式の構造がなっていますんで、
「国民の平均的な生産性(GNP)が社会全体の賃金水準(国民所得)を決める」
という意見は正しいわけです。
だって、計算式がそうなっているんだから。
無論、国民所得がどう分配されるかは別の問題ですけどね。国民所得は、分配できる所得の総量です。それをどうわけるかは別の問題なんです。
分配のルールを国民所得99%を1人の人間が取って、のこりの1%を一億人でわける超格差社会にするか、1億1人で平等に国民所得を分ける社会主義にするかは別の問題です。
ようは、
「国民の平均的な生産性(GNP)が企業と個人で分配可能な賃金総量(国民所得)を決める。それをどう分配するかは別問題」
っていう方が正確じゃないかと思いますけれど。
社会の生産性があれば、分配可能な賃金総量は増えますが、それをどう分配するかは別問題ですよっと。
クルーグマンも、そんなこと書いてませんでしたっけ?
というわけで、言葉の定義が明確なら、そんなに難しい話というわけでもないと思うのですが。定義をいじると、又別の話になるんで、TFPの話とかになったら、別ですよ、別。
それから、産業別GNPだと、そんなに製造業のGNPって高かったでしたっけ?そんなに高くなかった気がしたんですが・・・
産業別GDP見ても、製造業はここ数年、20%前後で横ばい。サービス業が20%前後なんで、そんなに凄いというわけでもないという気が。
高度経済成長期なら、30%前後ありましたが、生産性という意味じゃ、以前ほどのプレゼンスはないんじゃないかな。
まぁ、とにかく、どうにも、まず言葉の定義から始めないといけないような気もしないではない本日の昼下がりでした。
タグ:経済
GNPが「因」で、国民所得が「果」なんですか?
「労働者の賃金は、その人の生産性ではなく、社会の平均的な生産性で決まる」
という趣旨のことを言ってます。
特に、サービス業の労働者が高い給与を貰えるのは、社会全体の生産性が高いせいだと言ってます。
ゆえに、国民所得の平均ではなく、あらゆる業種の賃金水準がGNPで決まるということを山形氏は言ってるのではないでしょうか?
そうでなければ辻褄があわなくなりますね。