「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで本当か?
から始まった一連の生産性関連の話なんだけど、これに色々とTBやら何やらでレスがつき、
山形浩生 の「経済のトリセツ」 Supported by WindowsLiveJournal - 生産性の話の基礎
で、山形さんが、「賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ」 と仰ったら
404 Blog Not Found:生産性より消費性
で弾さんがレスをつけ
池田信夫 blog 生産性をめぐる誤解と真の問題
ここに至り、池田先生まで参戦してレスがついた。
で、本日は、せっかくなんで、僕もこの話に便乗し、山形さんの「ゴッドランドの経済学」をパクって、「ゴッドランドの歴史学」なんてタイトルつけて、生産性関連の歴史について、ちょっと書いてみたいと思う。
というのも、それぞれ、経済学関連の話や、理論的な話は、上記のリンク先にあるんだけど、歴史的な側面から、企業とか労働とか生産性に関して扱った記事がないからだ。
だから、この「ゴッドランドの歴史学」では、そういう生産性と歴史について扱ってみようと思ったわけ。
(もっとも、一つの記事ではまとめきれないので、何回かにわけて、色んな企業の歴史とか労働システムの事例について紹介するつもり。)
ただ、この手の話は、どこから始めるかが問題になる。農耕・狩猟時代から始めても、生産性と歴史の話はできるし、封建時代からでも可能だし、近代からでもやはり可能だ。
ただ、明らかに、最初の分裂君の話からして、僕は「生産性と報酬(給料)」の関係が、みんなの関心の中心にあるようだと判断した。
そうなると、近代的な賃労働システムが完成するに至った1900年〜2000年あたりの企業や労働の歴史を紐解いてみるのが、「生産性」という言葉の歴史的経緯を知るのに一番いいのではないかと思う。
というわけで、本日から、しばらく、「ゴッドランドの歴史学」と題名つけて、1900〜2000年あたりまでの、近代企業史をブログでまとめて、皆さんにご紹介したいと思う。
もっとも、このあたりの話は、アルフレッド・チャンドラー教授の各種の本や、他の多くの方たちが研究された企業の経営史を参考にして書いたものなので、そういった方々の脳みそを盗んで書いてるわけで、そういった事に詳しい方には、何ら新しい解釈などはないと思うけど。
では、過去を振り返ってみよう。
最初の方で近代的賃労働という言葉を使ったけれど、この言葉を使ったのは、近代的な労働というのは、大体、アメリカにおける産業革命時に生まれたものと言える。
このあたりは、アルフレッド・チャンドラーが指摘したことであるのだけれど。
ヨーロッパでは、産業革命の後、アメリカや日本と比較すると、かなり早い時期から社会主義と労働組合運動が高揚した。
熟練労働者が、アメリカや日本と比べて多く、結果として、雇い主が彼らを安く雇うことが可能だったというのが一つの理由としてあげられるかもしれない。
こういった背景があったのだけれど、1900〜1930年にかけて、ヨーロッパ社会がした選択は(例外は国ごとに色々あるが)、職場単位で交渉事項だった賃金問題を、産業レベルで行なうということだった。
こういう方向に舵をきったヨーロッパは、労働者の懸案事項である、賃金・失業・年金・休暇に関する問題を、産業レベルから国家レベルにおいて、解決する道を選ぶことになった。
つまりだけど、福祉は国家が行なうという「福祉国家」へと急速に姿を変更したといえる。
こういう形で、労働者の不満を抑える道を選んだ。
賃金とは、つまり、企業による労働者への報酬であり、そして生活の保障であるが、そういった一連の事柄に国家による介入がおこったわけである。
一方で、日本とアメリカが選んだ道は違った。日本とアメリカは、小さい政府と大企業による福利厚生という形を選んだからだ。(時代時代で、程度の差はあるけれど)
先に述べておきたいのだけれど、日本とアメリカは、産業革命が起こったのはずっと遅く、ある意味では後進国だった。
アメリカは、移民の国だった。当然、そういった国には、ろくな教養をもった人がいない。大抵は食い詰めて移民してきたような人々だし、技術もろくにもっていないケースが多かった。
要するに、熟練労働者が、ヨーロッパと比較すると、ずっと少なく、また、知識人の層もずっと薄かった。アメリカの多くの人は貧しく、技術を持っている人など少数の少数であった。
これは、日本においても同じことが言える。
産業革命が起こったのは、当時のどこよりも遅く、そして、第二次大戦がおこった頃でも、産業の規模的には、日本はまだ、欧米と比較すれば、農業国のレベルだった。
つまり、熟練労働者は、欧米と比較して相対的に少なく、教養のレベルにおいては、遥かに劣り、そして、国は貧しかった。
さて、問題を整理しよう。
ヨーロッパ各国は、大抵の場合、アメリカよりずっと沢山の知識人や熟練労働者を持っていた。
一方、アメリカは、先に産業革命を経験したヨーロッパ各国よりも、ずっと少ない知識人、熟練労働者しかいなかった。
そして、最後に、日本も、第二次大戦後、国は焼け野原になっていて、残ったのは大して技術ももっていない半熟練労働者と未熟練労働者、農業労働者、女子供だった。
相対的に言えばアメリカや日本に比べて、ヨーロッパは「ゴッドランド」だった。生産性の高い人が沢山いたからだ。
ヨーロッパには生産性の高い熟練労働者、知識人が相対的に沢山いた。日本やアメリカにはいなかった。
だが、ゴッドランドは、アメリカの移民達、つまりは、多くはたいして学も技術もない連中の前に敗れた。
移民の子孫は、二つの大戦を乗り越えて、経済を発展させ、そして世界の盟主国になった。大戦終了後のアメリカは、「ゴッドランド」だった。生産性の高い人々が沢山いた。繁栄は永遠に続くかと思われた。
と思ったら、今度は、戦争で叩き潰したはずの国、つまりは日本やドイツの企業からの挑戦をうけた。
日本企業が、アメリカ企業に挑戦を始めた当時、「メイドインジャパン」は粗悪品の代名詞だった。
ソニーのトランジスタラジオ、ホンダのバイクは、お話にならない技術のレベルの低さだったが、それでも、市場のニーズを汲み取ることで、市場に入り込むことに成功した。
そして、そこから上がる利益を使って、ソニーやホンダは、技術革新を進めて、最終的には、「メイドインジャパン」を高品質の代名詞にするほどの高技術を習得した。
多くの日本企業がそういった道を辿った。1980年代の日本企業の絶頂期には、多くの欧米企業が、日本企業の躍進の原因を知るために、逆に日本を研究するようにすらなった。
同じように、西ドイツも、奇跡の復興と呼ばれる躍進を成し遂げた。
この時期、日本と西ドイツは、「ゴッドランド」だった。アメリカは斜陽の帝国だった。
だが、ゴッドランドは崩壊した。結局、日本はバブルの崩壊によって、西ドイツは、東ドイツとの合併によって東西格差に苦しみ、その競争力を失ってしまった。
何故、ゴッドランドは必ず負けるのか。
生産性の高い国家、生産性の高い労働者、知識人が多くいる国々、ゴッドランドが、何故、そうでない生産性が低く、未熟練労働者、半熟練労働者ばかりの、そして知識人のいない国に負けてきたのか。
そういった話を、前世紀の経営史や労働史を含めて、これから、何回かにわけて話したいと思う。(気力が出るかどうかはわからないので日程は未定)
個別の話をするのは、次の回に譲るとして、ヨーロッパとアメリカ、日本との大きな違いを歴史的な道順で述べておくと、大規模な資本集約的な産業が、アメリカや日本では、比較的に早く育ったというのがある。
アメリカの事例については、やはりチャンドラー教授の研究が素晴らしいのだけれど、アメリカや日本では、熟練労働者が少ない故に高くついた。そして、熟練労働者が少なかったので、職業別組合がヨーロッパに比べると発達していなかった。
それ故に、労働運動が起こるのが相対的に遅かった。
だが、実は、これらのおかげで、一つの利点が、両国にはあった。
つまり、熟練労働者が少なく、そして労働運動が起こりにくかったので、資本集約的な産業を勃興させるための、大量生産技術を取り入れることに、熟練労働者や組合などからの反発を受けずに済んだのである。
日本やアメリカは、労働者の技術、生産性で他国を上回ったというわけではないのである。初期においては、全く逆だった。
両国ともに、労働者の技能をさほど必要としない(日本は第二次大戦後から特にだけれど)大量生産技術を使って、凄まじい生産性と高品質を可能にするようになったのである。
労働生産性でなく、資本生産性を最大化するシステムが構築されていた。熟練労働者などが比較的すくなかったことが、そういったシステムを取り込んで、生産をせざるを得ない方向で進ませることにもなった。
高い生産性を、未熟練労働者や、半熟練労働者によっても実現できる大量生産技術によって成し遂げたのが、日本やアメリカだった。
そういった意味では、日本の戦後の発展は、技術でなく、アメリカを真似たマスプロダクションシステムによる所が大きく、「技術立国」というのは、何だか変な話という事にもなるのだけれど。
もっとも、両国とも、時間がたち、労働者の熟練や、国民の教育水準が上がるにつれて、ゴッドランドに近くなっていった。
ただし、ヨーロッパと違い、アメリカや日本では、企業の規模と比較して国家の規模が小さかった。
そして、企業の規模が大きかったので、企業が福利厚生を担うシステムまでをも作ったのである。
つまりだけれど、ヨーロッパでは、比較的企業規模が小さく、政府が大きかった。そして、福利厚生や分配は、政府の役目として残されていた。
一方で、日本やアメリカでは、企業規模が相対的に大きく、政府が小さかった。そのため、政府がやらないことは、日本やアメリカでは、民間企業がやらなければならなかったわけである。
アメリカでは、そういったシステムは、「ウェルフェアキャピタリズム」と呼ばれた。これは、雇主による温情主義、雇用保証、福利厚生、従業員の雇主への高い忠誠心などに特徴があるシステムである。
大恐慌で、そういったシステムは1度はズタズタにされたのだけれど、それでも、一部の企業はこれを守りつづけた。
グーグルの事はネット界隈では、時々話題になるけれど、あそこの雇用システムや従業員への福利厚生、家族主義的な経営は、ウェルフェアキャピタリズム的であると言える。
実は、グーグルはどちらかというと、先祖返りに近いのである。あそこの雇用システムや20%ルールは、独自のものでなく、過去に存在した企業などのよい点を模倣したものだからだ。
いってしまえば、グーグルは、過去の多くの大企業と同様にゴッドランドを建設中なのだ。従業員への高い福利厚生、高い従業員の満足度。こういった特徴を備えた企業は、アメリカ企業の歴史を振り返ると、グーグルが最初というわけではない。
過去100年の間、同じようなことをし、そして実施した企業が存在しているのである。
そして、日本でも、そういったシステムは、つい最近まであった。
いわゆる、年功序列と終身雇用制、そして従業員による企業への高い忠誠心などの日本型雇用システムだ。
失われた10年の間に、日本企業の多くは、そういった伝統を捨てたとも言われているけれど、実際には、まだ、そういった形態をとっている企業は多い。
日本とアメリカは、似ていないとも言われるけれど、ヨーロッパ型(特に北欧とかの)の資本主義と比べれば、意外と共通点が多いんである。
ヨーロッパと比べて相対的に小さい政府。
そして相対的に大きい企業。
政府が小さいので企業による福利厚生が大きく、それによって政府の支出を補っている部分がある。だが、一方で、企業が不振に陥ると、労働者が酷く不安定な状況になる為、社会不安に陥りやすい。(大恐慌後のアメリカ、失われた10年での日本など)
など。他にもあるけど、それは他のエントリで。
こういった労働と賃金、生産システムに関する企業と労働の歴史を幾つかの記事にわけて、まとめてみようという試み。
価値生産や、雇用システム、賃金の決定にまつわる事柄は、色んな企業の個別の事例を紹介したほうが、わかりやすいので、その時に。
まぁ、とりあえず、今日はこのあたりで。
かきたい事がまとまってないので、とめどない話ですいません。まぁ、何度かにわけて書きながらまとめるという事で、ひとつよろしゅうお願いします。
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