しょっちゅう目にしてうんざりするので
差別を引き起こす人間心理のお話。
まずは大学時代、教授に教えてもらったお話から。
ユーゴスラビア紛争の真っ只中、
一人のジャーナリストが当地の状況について
取材に向かった。
彼は、ある町についた。
その町では、かつては友人同士で仲良く暮らしていた
二つの民族が、今では二つに別れ、塹壕掘って
ドンパチやっていた。
彼は、片方の陣地につくと
取材にはじめた。
彼は、不思議に思えてならなかった事があったので
一人の男に聞いてみた。
二つの民族は、民族こそ違えど、大して変わりないように思えたから。
外見も大して違わないし、食べてるものもちょっと前まで一緒だった。
ジャーナリスト 「お前達と向こうの塹壕にいる連中と一体、何が違うんだ?」
男 「あいつらと俺たちは吸っているタバコが違うんだ」
ジャーナリスト 「でも、タバコには変わらないじゃないか」
男 「・・・・・・・(考え込む)」
その後、ジャーナリストが他の人達に取材している最中、
男は彼の元にきて、色々と意見をのべたそうです。
その後、ジャーナリストは当地の状況をこう分析しています。
この地では、民族同士がどんなものでもいいから。
相手民族と自分達が違う個所を探している。
その後で、それが、まるで人間と怪物との違いであるかのように
自分達の中でほんの小さな違いを増大させ、
自分達を自分達でだまし、やがては、相手を人間以外のものであるように
自分自身に納得させている。
相手が人間以下のものであると見なせるようになった時、
相手に対する攻撃がなんの躊躇もなく正当化される
これが、ユーゴスラビアで起こった事でした。
ただ、これは、ユーゴスラビアだけの話じゃありません。
第二次大戦時、アメリカ、ドイツ、日本、イギリス、その
全てでこれと同じ事が起こっていたからです。
アメリカやイギリスにおけるナチドイツへの対抗宣伝には
ドイツ人を人間以下にみせる為のありとあらゆる文句が
使われました。
アメリカの日本戦でもそうです。
「イエローモンキー」なんて言葉に代表されるように
日本人を人間以下の存在に見せる宣伝があらゆるメディアを
通じて行われました。
日本でも「鬼畜米英」なんて言葉で
アメリカやイギリス人を人間以下の存在に貶めようとする
あらゆる教育、宣伝が行われたのは、みんな知っていると思います。
今の中東、中国でも似たような事はアメリカや日本に対して
起こっていると思われます。だってそうしなきゃ、暴力行為に
大多数の人間を走らせられないのです。
人間ってのは生まれてから、ずーっと人殺しを
してはいけないと教え込まれています。
これはどの文化圏でも共通です。
だから、暴力行為を扇動する人間は
その「人殺し」を抑止するリミッターを外してやらないといけない。
扇動する側の人間達は相手側が人間でないと
利用する群集に錯覚させないといけないんです。
同じ人間だと思わせてはいけないんです。
それだと攻撃できないから。
だから、騙されてはいけない。
どんな場合でも相手が人間であるということだけは
忘れてはいけない。
どんな時も、どんな場合も。
それだけで違うんです。
相手を人間以下の存在とみなした時、人間のリミッタ-が
外され、とんでもない残虐行為を平気で行えるようになります。
そういうもんです。
相手が人間じゃないなら何をしても人間の良心は痛まないから。
中国デモ報道で、憤りを覚える人は多いと思います。
そりゃ、普通です。自分とこの大使館にあんな事されて
憤りを覚えない人なんて少数でしょう。
ただ、それだけで中国人と日本人という区別を
自分の中で大きくしてしまうのは恐ろしく危険です。
たいした違いじゃないんですよ。結局、我々は
同じ人間ですから。中国に生まれていれば
彼らがやっている事が多少は理解できたと思います。
誰でも。でも、我々は日本に生まれたから、それは
理解できない。それだけなんです。
僕が恐れるのは、今回のエントリで述べてきたような人間心理が
今回の件で日本人に働いてしまう事です。
それだけは避けたい。何としても。
恐ろしいのです。人間が相手を人間以下だと
認識した場合の残虐さは。
赤ん坊や子供まで平気で殺せるようになるんですから。
大学の課題で調べものをしていたところ、ここにたどり着きました。
いたく共感いたしました。
去年の記事なのですね。
とても参考になったのでお礼まで。
ありがとうございました(´ω`人)
言われればその通りとしか言えない。
所詮人間だもの。
神でも超越した天使でもない。
でも、それが分かれば人間じゃなくなる。
神様になってしまう。
分からないから人間。
宗教でも人種でも民族でも性別でも学歴でも貧富でも何でも『支配の欲』という本能に任せたまま生きるバカが人間。
俺もその人間。
仕方がない…。
と哲学風に語ってみました。