トワイライトプリンセスを終えました。いやー、おもしょかった。
んで、ひさしぶりに友人とTRPGやることになったんで、シナリオどーすっかなー、なんて思っていたんで、本日はTRPGのお話になります。
で、
ストーリーゲームの歴史
まずは、こっちの記事をご紹介。
非常によくまとまった記事で、ストーリーゲームの歴史がまとめられています。
ストーリーゲームの歴史さんの所から又、引用になりますが、
テーブルトークが初期の「怪物退治&宝物探し」のパワープレイ型からドラマティックな世界観重視の方向へ、アドベンチャーが迷宮探索の謎解きゲームからストーリー中心のものへと移り変わったように、RPGがその内に物語を取り込んでいったのは極めて自然な流れだったのだろう。
TRPGが、ダンジョンアドベンチャー(怪物退治&宝物探し)から、ストーリー中心のものへと変化を見せたのは事実ですが、これについて、もうちょっと詳しくまとめる所から始めたいと思います。
というわけで、まず最初に、TRPGの要素を上手く説明するのに、
Threefold Model
をご紹介。
これは、RPGにおける三つの異なる目標をはっきりと区別するために生み出された概念なんですが、RPGというゲームを理解して説明するためには、中々良く出来ていて、わかりやすく、利用しやすいので、簡単にご紹介。
まず、Threefold Modelでは、RPGを、Drama,Game,Simulationの要素に分解しています。
簡単に説明すると、
Drama
TRPGのストーリーやテーマなどに関わる部分です。TRPGで、ストーリーやテーマなどにこだわる人は、Threefold Modelでは、dramatist に分類されます。
Game
TRPGでの戦闘システムや、謎解きなどに関わる部分です。TRPGで、戦闘や謎解きなどにこだわる人は、Threefold Modelでは、gamist に分類されます。
Simulation
TRPGでの世界観や、状況の再現などに関わる部分です。TRPGで、世界観(ルール)に忠実にゲームを進行することなどにこだわる人は、Threefold Modelでは、simulationist に分類されます。(例えば、PCを助けるためにGMの裁量で、世界観(ルール)を捻じ曲げたりしない)
となります。
批判もありますし、これの発展形も幾つかあるようですが、非常に簡単でわかりやすい枠組みだと思います。
で、このThreefold Modelで、著名なTRPGを分類すると、作品ごとに、向き不向きというのがでてきます。
世界で最初のロールブレイングゲーム、ダンジョンズ&ドラゴンズは、Game向きと分類してよいでしょう。(純粋に最初ってわけでもないですが、まぁ、これのおかげで爆発的に広がったのは確かです)
ダンジョンズ&ドラゴンズ
で、ダンジョンズ&ドラゴンズってのは、いわゆる「ダンジョンに潜って敵を倒してお宝をもってかえる」のが主体のTRPGでした。
いわゆるダンジョンアドベンチャーからTRPGは始まったわけです。
初期のD&Dには、濃厚な世界設定や、歴史などは、まだありませんでした。ゲームシステムくらいだったんですね。
これは、TRPGに関わらず、大抵のRPGは、初期、ゲームシステムくらいしか持っていません。RPGはゲームから始まるのだから当然ですけど。
例えば、日本の据置コンピューターRPGの初期の代表的作品、ドラゴンクエストは、戦闘とダンジョン探索がメインです。無論、他にも色んな構想はあったようですけども。
その後、ドラゴンクエスト2、3と来て、濃厚な世界設定と歴史、そしてストーリーがドラクエの中にも取り込まれていくんですね。このあたりは、TRPGと一緒です。
コンピューターRPGも結局、ゲームシステムのみ→世界観追加→ストーリー性の追加という流れを辿ったわけです。
MMORPGも似たように、ゲームシステムのみ→世界観追加→ストーリー性の追加という道を辿りました。
最初のMMORPGとなると、1978年に Roy Trubshaw と Richard Bartleによって作られたMUDのようです。これは、テキストベースのゲームで、コマンド入力型、ダンジョンアドベンチャー主体の冒険といった特徴を備えていたようです。D&Dの影響でしょう。これ、大学にあるサーバーを使って作られたとか。
その次に来た、最初のグラフィックつきのMMORPGがNeverwinter Nights でした。これはPvPシステムの採用や、クランシステムの採用など、その後のMMOの発展で欠かせない要素を持っており、画期的ではありましたが、1991 年に開始された時、まだまだグラフィック的には洗練されているとはいえませんでした。
また、その頃は、従量課金制が普通でしたし、GUIとインターネットが普及しきっているとは言い難い状況でしたので、大成功とまではいきませんでした。
こういう状況が変わってきたのは、windows95の登場と、インターネットが普及した1995年以降です。
1995年〜2000年までの期間は、回線がほとんどの人はナローだった時代で、この期間に出たMMOは、初期インターネット時代の作品と分類できるかと思います。
この時期、出た作品で、特に成功したのは、ウルティマオンライン(1996)、リネージュ(1998)、エバークエスト(1999)でしょう。
UOは、もともとワールドシミュレータを指向してゲームデザインが行われた点で、simulationist よりのゲームだったと言えます。
一方で、EQは、戦闘とダンジョン探索(というかRaidという大多数でダンジョンに進行してお宝を漁るシステム)がメインだったので、gamist 寄りのゲームだったと言えるでしょう。
韓国で大ヒットしたリネージュの特徴は、戦闘と攻城戦と呼ばれる大規模PvPにあります。EQの売りだったRaidが、強力なモンスターとの大規模戦闘だったのと対照的だといえるでしょう。これもgamist 寄りのゲームでした。
そして、2000年を境に、インターネットはブロードバンドの時代を迎え、PCの性能の強化と共に、凄まじいグラフィックを備えたゲームが表れはじめます。また、同時に、世界観が強化され、物語性も強く取り入れられたMMOが出始めたのが特徴です。
MMOも dramatist 寄りのプレーヤーを引き込むための仕組みを取り入れはじめたわけです。
2002年、FF11発売。
2003年、リネージュ2発売
2004年、エバークエスト2発売
2004年、ワールド オブ ウォークラフト発売
ですね。
FF11は、僕もやってましたが、ゲームシステムは、EQライクで日本人好みのグラを備え、「ミッション」と呼ばれる形でストーリー要素をMMOに持ち込みました。このあたりは、dramatist寄りのゲームであるFF的といえるでしょう。
同じように、エバークエスト2も、前作に引き続き、世界設定や歴史がきちんと作られており、世界に謎がある状態でスタートした点で、dramatistにも好まれるようなゲームを仕上げたと言えます。
リネージュ2は、やった事ないのでよくわからんのですが、世界第二位の会員数を誇るMMOです。アジア地域では、これが最もプレイされているMMOでしょう。韓国ユーザーが多いだけとも言われますが、日本の登録アカウントも30万いますしね。
ワールド オブ ウォークラフトに関しては、最近はログインしてないのですが、世界で最もプレイされているMMOだと言われます。現在、アカウント数は全世界750万。1ユーザーへの課金額が1500円程度ですんで、一月に100億以上入ってきちゃうんですよねぇ。やれやれ。
FF11、リネージュ2、エバークエスト2と異なり、非常にライトな作りで、グループを組まず、ソロでも最大レベルまで行けてしまうのが特徴です。そして、クエストが非常によく作られており、クエストをやっているだけでも、問題なくレベルが上がってしまう作りになっています。
で、戦闘も非常によく出来ています。面白いんですわ、これが。
もともと、RTSだった、ウォークラフトシリーズと同じ世界を使っているのですが、世界設定、時代設定、人物関係については、小説とかが普通に出されるほどに細かく、そしてドラマチックに出来ています。
Warcraft、Diablo、Starcraft と、100万本売れなかったゲームがないという怪物会社ブリザードが作り上げた傑作ソフト、神ゲーです。
Drama,Game,Simulationの要素、全てにおいて、完成度が高いんですね、これ。欧米で一人勝ちになってしまうのもしょうがないかな、と。欠点は、ポリゴンが荒いくらいです。
さて、TRPGに話を戻します。
古典的TRPG、ルーンクエストに代表されるような、「世界観重視」のTPRGは、「怪物退治&宝物探し」でなく、ドラマティックな世界観によって、ゲームプレイを定義しました。これによって、ルーンクエストは、その世界グローランサにおける生活やドラマをTRPGで可能にしていました。
ルーンクエストは、古典ではありますが、特にグローランサの設定が素晴らしく、神々の歴史や様々な英雄の設定、国家の設定、宗教の設定、異種族の設定がよく出来ています。(というか膨大な量がありすぎる。トロウルだけで一冊本かけるほどに。)
グローランサという世界をシミュレーションするゲームとも言えます。
D&Dの初期は、ダンジョンクロールと呼ばれる「戦闘と宝捜し」がゲームプレイのほとんどであったのですが、その後に続く幾つかのTRPGは、広大な世界設定、人間の階級、宗教、異種族などの要素を加え、世界と人間関係、異種族との関係などをシミュレーションするゲームとなっていったわけですね。(勿論、D&Dも、そういう設定を内部に取り込んでいきました)
世界をシミュレーションするということは、ゲームのルールだけでなく、その創られた世界の中でのルールにも従うという事です。つまり、宗教上の制約や、文化背景などにもプレーヤーキャラクターは従わねばならなくなるようになるわけです。
自由度を増すのでなく、逆に、従わねばならないルール(制限)が増えることになったわけですが、不思議と、この方向性は、受け入れられたんですね。仮想の世界で、ただ生活するという方向。仮想世界での生活を制限(ルール)の中でシミュレーションする。
そして、その後ですが、ほとんどのTRPGに世界設定が充実し(当然D&Dも)、ゲームシステムが洗練されてくると、今度は、ドラマが、TRPGに取り入れられていきました。大抵のゲームの進行は、
GMによる世界とルール(制限)の提示
(使われることになる世界とルールの提示)
↓
達成すべき目的の提示
(シナリオの目的、PCの目的)
↓
障害の克服
(PCが目的達成を阻む障害を乗り越える)
↓
報酬ゲット
といった形で進むわけですが、この流れ、まんま、典型的な「王道物語」なんですね。主人公は、ある目的のために、障害に立ち向かい、そして障害を乗り越えて報酬を得るって奴。
だから、もともと、ドラマ的な要素は、TRPGは取り込みやすかったんです。
そういうわけで、TRPGをプレイしながら、ドラマティックに物語を盛り上げることを楽しむというゲームプレイが成り立つようになっていったのは当然でもあったわけです。
その結果が、 dramatist という言葉にあるように、ストーリーやテーマを楽しむというゲームプレイの発達に繋がったわけです。
日本じゃ、これがいくところまでいったTRPGに、熱血専用!があります。dramatist 専用のゲームといっていいでしょうね。このゲームの戦闘システムは、いかにストーリーを盛り上げれるかという事が重要な要素なんです。
基本的に、ヒーローは死なないというふざけた少年漫画的システムになっており、公平な判定より、カッコ良さが優先されるというゲームシステムを採用しています。つまり、積極的なロールプレイを促すシステムなんですね。
初期のTRPG、D&D は、ほとんど、明確な背景世界をもっていませんでした。それゆえ、大まかなキャラ選択を行い、その後で、職業を決め、キャラを作成し、あとはゲームルールに基づいて、シナリオを進めていくのが普通だったわけです。
プレーヤーを制限するのはゲームルールがほとんどだったわけです。
ところが、ルーンクエストのように、背景世界などがしっかり作りこまれたTRPGでは、プレーヤーはゲームルールに制限されるだけでなく、世界観に沿ったゲームプレイを望まれるようになるわけです。
こうして、プレーヤーに課されるルール(制限)は、ゲームシステムと世界観(宗教、道徳規範など)の二つが主体になっていきます。これは、それ以後のTRPGの一つの流れとなったわけですね。
要するに、ですけど、プレーヤーが守るべきは、ゲームシステムだけでなく、創造された世界における宗教、道徳規範などに広がったんです。Simulation的な要素が強まると、制限が増します。
同時に、背景世界が作りこまれたことによって、シティアドベンチャーのような、人間関係から発生する揉め事を解決することを目的としたアドベンチャーへの道が開かれました。
ゲームシステムだけがル−ル
↓
ゲームシステム+世界観を内包したルール
と進化したわけですね。そして、そのほうが、ゲームプレイに逆に幅が出て面白くなったんです。
ルール(制限)の部分は、ここまで増えたわけですが、この後、もう一つ、大きな要素がTRPGに持ち込まれます。それは「ストーリー」です。
前者のストーリー、つまりは物語というのは、「目的に向かって進む主人公が、障害に出会い、葛藤し、障害と衝突した上で、それを最終的に乗り越えて、目的を達成する」という流れで進みます。
乗り越えれれば、ハッピーエンド。乗り越えることに失敗すればバッドエンドとなるわけです。
目的達成のために主人公が進む
↓
障害に遭う
↓
葛藤する
↓
衝突する
↓
目的達成する
というのが、物語の一般的な流れですが、これは、TRPGのゲームの流れとほとんど一緒なんですね。ですから、この二つは、もともと、親和性が高かったといえます。だから、TRPGが、物語を内部に取り込んでいったのは、当然の流れだったともいえます。
というか、この流れはDrama的な要素ですね、Threefold Modelの解釈に従えば。この手の流れが好きな人は、Dramanistといえるかもしれません。
これらは、TRPGで起こった一つの変遷といえると思います。TRPGは「ゲームを楽しむ」事が主体のD&D から始まり、その後、プレーヤーは、ゲームシステムだけでなく、創造された世界における宗教、道徳規範なども守らなければならないようなスタイルを取り込みました。
その後、TRPGシナリオは、ゲームだけでなく、強い物語性をもつようになったわけです。
そして、その物語を作るために、ある程度、プレイに制限をかけるようなシステム(熱血専用!とかの)さえ作られるようにもなっていった訳です。
つまり、TRPGは、
ゲームシステムによる制限(Game)
↓
世界観による制限(Simulation)
↓
ストーリーによる制限(Drama)
という形で、プレーヤーの意思選択に関して、制限(ルール)を増やしていく傾向があったわけです。
コンピューターRPGや、MMOも、それぞれ、同じような道を辿りました。
ゲームシステムしかないような状態だった初期
↓
世界観を充実させる中期
↓
そしてストーリー性を持ち込む後期
といった具合です。
ただ、ストーリー性がRPGに持ち込まれると、爆発的に普及して、それを最後に、衰退してっちゃうんですよね。何故か。
アメリカのTRPGは、1990年台に洗練の極みに入り、ストーリーや演技が重視される流れが起き、そして衰退期に入りました。この時期、衰退に入りつつあるTRPGの中で、会話で進行する旧来のTRPGとは違う、live-action role-playing gamesなんていう、本当に剣もって演技してプレーするRPGも生まれたりはしたのですが。
ただ、あまりに敷居が高すぎるので、爆発的には普及しませんでした。
今、据置ゲーム市場が縮小する中で、Wiiみたいなダイレクトな体感ゲームを可能にするゲーム機がでてきたのと、何となく似ている気もします。
同じように、日本のTRPGも1995年以降、衰退してしまいました。その頃、ソードワールドRPGが普及して人気を博したわけですが、その後の10年は、「TRPG冬の10年」とも呼ばれました。
天羅万象や、熱血専用!みたいなストーリーや演技重視なTRPGの登場と同時に衰退していったわけです。
単に、ロードス島シリーズが完結してしまったからかもしれませんが、この手のストーリーを物凄く内部に強く持ち込んだRPGというのは、進化の最終形で、そこから先はなく、残るのは縮小再生産の道と見るのがいいのかもしれません。
一方、コンピューターRPGは1990年代、もっとも人気を得たRPGといえるでしょう。
初期のRPGは、グラも大したことがなく、世界設定や背景も大したことがなかったので、1980年代までは、洗練されたTRPGに勝るものではありませんでした。
ただ、ゲームハードが進歩し、スーファミ後期以降あたりになると、大作RPGは、TRPGでは、どうやっても勝てないほど洗練された部分を持ち始めるんですね。
例えば、ゼルダのダンジョン。ダンジョンの完成度という点で、神トラ以降のモノは、TRPGで再現することは非常に困難です。
また、FFの戦闘システムや、DQの世界観、アクションRPGの戦闘システムなど、TRPGでは、成し得るのが難しい完成度をもつシステム・グラ・世界設定が次々とコンピューターRPGの進歩と共に可能になっていくわけです。
もうどうしようもないと僕が思ったのは、ゼルダの時のオカリナをやって、「ああ、もうダメだ、このオモシロさはTRPGでは再現できねー」と悟った時です。
それ以前に、戦闘システムの作りについては、どうやってもコンピューターRPGには勝てないというのが明らかだったわけですが、時オカやって、ダンジョンアドベンチャーでも、TRPGでは、コンピューターRPGには勝てないって思い知ったわけなんですね。
時オカのダンジョンの作りや、美しいグラを背景にした世界観には、もう絶対に勝てないと。
勿論、TRPGでないと作れないダンジョンの面白さというのはありますけど、ダンジョン探索においては、映像とアクションがついているゼルダのダンジョンにはまず勝てないんですね。あと、道具を使っての謎解きのオモシロさとか。あれは、TRPGでは再現しにくい。
さらに、グラがよくなってきた1990年後半以降は、箱庭と呼ばれるコンピューターRPGの欠点はあるものの、世界観というか、シミュレーターとしての部分でも、TRPGは、コンピューターRPGに抜かれていくわけです。
そして、そういうゲームが、3Dで、良いストーリー付きで出ちゃったわけですよ。
この時点で、もうTRPGの未来は閉ざされていたのかもしれません。
勿論、TRPGが優位を保っている部分も、まだ沢山ありました。特に、ストーリー面では、GMによっては練りこまれた世界観や、会話によって進行するTRPGの利点がいかせるので、まだ若干のリードはあったと思います。
ただ、大抵の人には、ゼルダやFFやDQでRPGは十分。面倒なルールや、世界観やらを覚えて、人を何人か集めないとプレイできないTRPGより、ハードとソフト買えば、いつでもできるコンピューターRPGに、これからの子供は行くだろうってのは明らかでした。
それに、相当良いGMとプレーヤーで無い限りは、大作RPGより面白いプレイというのが、だんだんと難しくなってきてもいました。
ようするに、TRPGは先細りになっていったんだと思うんですね。
そして、TRPGは冬の時代に入るわけです。
一方、1990年以降、RPGの主役となったコンピューターRPGも、結局、限界を迎えつつあると思います。TRPGと同様に。
一つは、対抗馬としてのMMORPGの登場です。かつては、回線料金の問題から、MMOはメジャータイトルにはなりえませんでしたが、2000年以降のブロードバンドの進展と共に、状況が変わってきたように思います。
MMORPGのタイトルで、WoWが700万本ほど全世界で売れ、そしてリネージュがアジア地域(特に韓国を中心に)大ヒット。
一方で、2000年以降、コンピューターRPGの大作(特に据置方面)は、売上が伸び悩みんでいるわけです。
元気な従来型RPGといえば、携帯ゲーム機中心に展開し、通信機能を取り込んだポケモンは大ヒット。
こういう事から、今、RPGの代替わりの時期にあるのではないかと思うのですよ。
TRPG時代(1970〜1990)
↓
コンピューターRPG時代(1980〜2000)
↓
MMORPG時代(1990〜)
(ネットワーク型RPGのほうがいいかな?)
といった形でね。
おそらくですが、今後のRPGは、ネットワーク機能を取り込まないと生き延びれないと思います。さもなければ、TRPGと同じように、衰退していく一方でしょう。
今のところ、MMORPGのようなRPGは、Simulation要素が重要な段階です。成長期にあるんだと思います。
つまり、RPGは
創生期(Gameの模索)
↓
成長期(Simulationの模索)
↓
成熟期(Dramaの模索)
↓
衰退期(next RPGの模索)
という形で発展し、そして衰退していくんだと思うわけです。で、MMOは、Game要素については、UOやEQ、リネージュ時代に、大体完成されてしまったので、今は、Simulation的要素が必要とされているんだと思ってます。
仮想空間での生活を楽しむだけの、Simulation要素満載のセカンドライフの大ヒット。
とんでもないレベルで世界が完成されているWoWの大ヒット。
あのゲーム、ワールドを歩いているだけで楽しい。飛行動物に乗って旅すると感動します。
そして今、MMOにも、強力なDrama要素が少しづつ生まれていますが、もう少ししたら、MMOも成熟期にはいるという事なのかもしれませんね。
結局なんですが、Game要素が完成されると、Simulation要素が模索され、Simulation要素が完成されると、Dramaが模索され、どこかで完成し、後は衰退していくという流れなんだと思うわけです。
そして、その衰退の流れのどこかで、Game要素を再定義するようなブレイクスルーが現れてるんですね。
例えば、コンピューターRPGは、初期、SimulationもDramaも最先端のTRPGより全然大したことはなかったんですが、Game要素(特に戦闘システムとダンジョン探索)では、ダイスを使って戦闘したり成功反対する縛りがあるTRPGよりも、コンピューターであるが故に遥かによいものを作れる余地がありました。
同じようにMMORPGも、初期は、SimulationやDramaにおいて、最先端のコンピューターRPGほどの完成度はもっていませんでしたが、Game要素(オンラインマルチプレイによる戦闘システムと生産・交流システムなど)に関しては、遥かに優れたものを生み出せる余地が残っていました。従来型のコンピューターRPGと違い、MMOは、大多数の人と一緒に世界を冒険し、戦闘できるという強みがあったわけです。
なんか、イノベーションのジレンマ的な話になってきましたが、結局、上に進むのに、もう大した鞘が残っていないというのが、現状のコンピューターRPGの最大の問題点だといえるのかもしれません。かつてのTRPGのように、袋小路なんだと思います。
同時に、まだ、Drama的要素を取り込むという成長の余地が残されている点で、MMORPGには、まだ成長の鞘が残っているため、未来があるといえるとも。
本日はこのあたりで。
ようするにですが、TRPGのシナリオを思いつきそうに無いので、言い訳を探していたら、こんな事を思いついたんです。
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去年一番売れたRPGなんですがね。どうやら御存知無いようで。
現在は異常なほどの活気だと思うがね
コンピュータRPGの影響よりはトレーディングカードブームのほうが影響はでかかったと思いますよ
コンシューマのゲームは以前からTRPGとうまく共存していました。一人用なんですし、取って代わるものではないと思います。
MMOはTRPGが完全に衰退したあとに広まりましたし
通行人氏のような一般人になった人の目の範囲に。
現在のTRPG関係出版点数はおそらく最盛期よりも増えてるけど、ほとんど書店ではなくホビーショップにしか並ばないので、知らない人にはないのと同じというわけで……
中にいる人と、外にいる人の温度差が異常といえば異常か。