こっちの改変コピペが流行ってるので、便乗便乗ゥ!!
みなさんは、「恋愛の常識」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
これは、見かけは恋愛のようだけれども、実は、恋愛的とはとても言えないもののことで、「疑似恋愛」や「似非恋愛」などとも呼ばれます。
『愛なんてものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、血液型性格判断や、電車男や、セカチュ―などの名前を挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。
例えば、皆さんもよくご存知のように、「モテる男の条件は 「女性にガツンとさわる」と盛んに言われ、ひところは出版社もこぞって恋愛必勝コラムを売り出すほどのブームになりました。このようなどうでもいい恋愛商材がよく売れたのは、もちろん、恋愛関連のアドバイスには効果があると信じた人が多かったからでしょう。テレビや雑誌などでも頻繁に取り上げられましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。
しかし、実は、恋愛関係のコラムが役に立つという交配社会学的な根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。大手出版社、あるいは新聞社までが、なぜ、その恋愛資本主義的空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておく必要があります。
いまは、ネットでは恋愛コラムを扱った記事に、人気が出てきているようです。日経ですら、酒井大先生の描く恋愛コラムをのせるほどです。しかし、実のところ、酒井先生の恋愛コラムを読んだところで、お守り程度の効果すら期待できません。
いま、このような、恋愛のようで恋愛ではない、「ニセ恋愛」が蔓延しています。
こういった「ニセ恋愛」のなかに、妄想や迷信に関わるものがあります。その話をしたいと思います。
よく知られている例の一つは、『30歳をすぎて童貞だと魔法が使えるようになる』といういわゆる「魔法使い」説です。しかし、この説に、科学的に信頼しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセ恋愛」です。
もちろん、どんな人生にもそれなりの出来事がありますから、童貞期間が人格形成に影響することはあるでしょう。しかし、それだけなら、恋愛や不倫などでも同じです。魔法が使えるかどうかとは、まったく別の話なのです。そもそも、童貞というのは、妻を見つけないことに成功した男のことです。素晴らしい話ではありませんか。結婚後の受難の多くを考えたら。
ところが、この説は、非モテに広く受け入れられています。全国各地で、これを真にうけた非モテ主催のクリスマス爆砕テロが開かれているようです。
もちろん、子供がエロゲばかりするので困っているという親は多いでしょうし、学校の先生もそういう風潮を何とかしたいと思っているのでしょう。二次元の女性にうつつを抜かして、3次元の女性に興味を示さない男性が増えるばかりでは少子化には歯止めがかかりません。
そういうみなさんにとって、「魔法使い」説が一見、福音に思えたことは分かりますし、こういった迷信じみた話をでっちげて人々を恋愛に走らせたいと思うのも無理はありません。ですが科学的根拠のないものに飛びついても、仕方がありません。
そもそも、非モテのし過ぎを何とかしたいというのは、恋愛の問題ではなく、ルックスと資本の問題だったはずです。子供が四六時中もてないから萌えゲーをして困ると考えるなら、やめるようにきちんと整形手術と資産運用の術を指導するべきでしょう。ルックスと資本の根拠を恋愛資本主義に求めようとしてはいけません。
もう一つ、今度は、恋愛にまつわる奇妙な説を紹介しましょう。色々と手をかえ品をかえ、再生産されてきた話ですが、シンデレラというお話があります。大筋は、こういう話です。
1. シンデレラは、継母とその連れ子である姉達に日々苛められていた。
2. ある時、城で舞踏会が開かれ、姉たちは着飾って出ていくが、シンデレラにはドレスがなかった。
3. 舞踏会に行きたいシンデレラを、不可思議な力(魔法使い、仙女、ネズミ、母親の形見の木、白鳩など)が助け、準備を整えるが、12時には魔法が解けるので帰ってくるようにと警告される。
4. シンデレラは、城で王子に見初められる。
5. 12時の鐘に焦ったシンデレラは階段に靴を落とす。
6. 王子は、靴を手がかりにシンデレラを捜す。
7. 姉二人も含め、シンデレラの落とした靴は、シンデレラ以外に誰にもあわなかった。
8. シンデレラは王子に見出され、后として迎えられる。
シンデレラというのは女性のことですから、これは、どうでもいいような田舎の芋女が魔法使いに助けられて王子様に出会い、見初められて結婚するという話です。しかし、もちろん、そんな馬鹿なことはありません。
シンデレラは、ただの田舎の芋娘です。財産も、ルックスも教養もなければ、大した地位もありません。『いつか王子様が迎えにきてくれる』など、いい大人の女が信じるような話ではなかったはずです。ところが、これが広く信じられています(女性の8割くらい)。『シンデレラ』といわれると、それだけで、『いい話』だと思い込んでしまう人は、意外に多いらしいのです。しかし、夫というものは家ではまったく邪魔な存在で大抵の場合役に立たないことは、経験的に多くの既婚女性が実証しています。
この童話が、いくつもの家庭で、子供向けの童話として使われていることが問題になっています。少女の教養に、格好の教材と思われたようです。
しかし、本当にそうでしょうか。
この童話は、たくさんの問題をはらんでいます。
まず第一に、明らかに恋愛的に誤っています。こんな都合のいい話は世界中どこを探してもありません。少子化や晩婚化が言われる今、道徳だからといって、ここまで非恋愛的な話を、事実であるかのように教えていいはずがありません。
しかし、それ以上に問題なのは、恋愛の根拠を、王子様に求めようとしていることです。
結婚は、人間同士の種の保存の手段ですから、その使い方は、あくまでも、人間が合理的思考によって行なわれねばならないはずです。「シンデレラ」はどんな状況下でもいい童話なのか。それを考えてみれば、この話のおかしさは分かるはずです。
「魔法使い」説が童貞の根拠を恋愛資本主義における敗者的レッテルに求めるものだったのと同様、ここでは、恋愛の根拠を妄想童話が生み出した王子様神話に求めようとしています。それは恋愛に対して多くを求め過ぎです。
恋愛も不倫も、人間が自分の頭で考えなくてはならないことであって、どうでもいいような恋愛コラムや童話、少女漫画に教わるものではないはずです。
さて、「ニセ恋愛」が受け入れられるのは、恋愛に見えるからです。つまり、ニセ恋愛を信じる人たちは、恋愛が嫌いなのでも、恋愛に不審を抱いているのでもない、むしろ、恋愛を信頼しているからこそ、信じるわけです。
たとえば、恋愛がブームになったのは、『独身は社会に悪く、結婚は社会に良い』という説明を多くの人が「恋愛的知識」として受け入れたからです。
しかし、仮に、既婚者に、『結婚は身体にいいのですか』とたずねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。
『結婚といってもいろいろあるので、中には身体にいいものも悪いものもあるでしょうし、身体にいいといっても取りすぎればなにか悪いことも起きるでしょうし、時々、女房は俺のことをフライパンで殴るし、ぶつぶつ……』と、まあ、歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。
それが既婚者的な誠実さだからしょうがないのです。
ところが「ニセ恋愛」は断言してくれます。
『恋愛は良いといったら良いし、独身は悪いといったら悪いのです。
また、エロゲをし過ぎるとなぜ良くないのかといえば、結婚しなくなるからです。
シンデレラは、王子様と結婚できるから、良い童話なのです。』
このように、「ニセ恋愛」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、本当の恋愛には決して期待できないものです。
しかし、パブリックイメージとしての恋愛は、むしろ、こちらなのかもしれません。『恋愛とは、様々な問題に対して、曖昧さなく幸せをはっきり保証する崇高なもの』恋愛にはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。
そうだとすると、「ニセ恋愛」は恋愛よりも恋愛らしく見えているのかもしれません。
たしかに、なんでもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考えるのが、本来の「DNA的思考」であり「恋愛的思考」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。
「ニセ恋愛」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『種の保存に重きをおいた合理的なプロセス』、それを大事にするべきなのです。
二次元恋愛大学教授 pal-9999
タグ:ネタ
もっと事実に基づく意見じゃないと駄目では?
ネタ作りあまりうまくないですね
ゲームの記事と比べると冴えが無いような。
まぁ元ネタの視点論点に合わせようとしてるのは分かりますが・・。
魔法が使えるのは25歳からじゃ無かったのか!
チキショー。
明日から空を飛んで暮らせると思ってたのに。
・・・orz。
ニセ科学批判の自己目的化がまずいのは、批判者やその同調者の「優越感情」が醜いからというより、ネットでの議論が内藤朝雄のいういじめにおける「いま・ここ」の論理に引きずられてしまいがちであり、ニセ科学批判もその例外ではないからだ。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_93a6.html
ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/sokal.htm