実は、参加型ジャーナリズムについて
(これについては湯川さんのブログ参照)
僕が興味をもったのも、ずうっと前から「参加型小説」
について考えているからだった。
小説という分野だけでなく、漫画、映画、ドラマ、どの分野の
人間も、ある悩みを抱えている。
それはすでに、どんなストーリーであろうともすでに
「再生産」の時代に入っていることだ。
これは、すでに1970年代から顕著になっていた。
S・キングが
「ストーリーはすでに再生産の時代にはいっている」
といった。
1970年代にはじまった文学理論体系の一つに位置する構造主義者たちは
どんなストーリーでも「すでにどこかで書かれてしまっている」
という事を主張した。
彼らは、作家には、皆さんが考えているような意味での
オリジナリティはなく、すでに死んだ状態にある事、
すでにある物語を配置転換し、文化という名の百科事典から
モノを抜き出して、ストーリーに当てはめ、並べなおす能力しかない事を
主張した。
ハリウッドのシナリオ業界では
「新しいプロットなんて無い」
が、格言になっている。
勿論、今までのストーリーの型を無視し、新しいものを作り出そうとした
作家は何人かいた。だが、ほとんどの人がそれに失敗してしまった。
結局、ストーリーは人間の認識機能自体に依存するため、
それに最もうまい形で作用することができる
いわゆる「黄金パターン」を使うのと使わないのとでは
作家の文学的才能以上に差がでるという事を立証してしまったのだった。
さて、このようなパターンを打破することはできないだろうか。
一人の作家ではすでに無理だというのが僕の結論だった。
だが、僕は、ある意味で、そういう停滞状況を打破することが
できるかもしれない一つの型を、ある時、知った。
黄金パターンを打破することはできないが、既存の
小説とは一線を画する事ができるのではないか、という形だ。
それが、参加型小説だった。
ようするに、複数の人間によって作られた小説である。
僕が、この形が使えると思ったのは
HEET
↑このサイトのTRPGリプレイを読んでからだった。
それまでのTRPGリプレイというのは
ほとんどの場合、ゲーム的に進められていて
キャラに個性がなく、臨場感が全く無かった。
ところが、ここのサイトのリプレイをみて、ちょっと考えを
改めた。ここのリプレイは、すでにシナリオ級の力をもっていると
感じた。
まるで、違うのだ。
ゲームマスターのシナリオ作成能力と参加者の
ロールプレイの上手さから、素晴らしい世界が形成されていて
一線級のファンタジー小説並の力をリプレイがもっていると
感じている。
ここ以上のリプレイには、いまだお目にかかった事がない。
だが、限界があった。TRPGという形をとっている
為に、読者層に限界があった事。
参加者が、どの人もレベルが高すぎること。
これだけのRPができる人というのは限られるだろう。
敷居が高すぎるのだ。
これでは、難しい。
で、やはり無理なのか、と思っていたところ、
最近、電車男がヒットして
やはり、可能性はあると思い始めている。
すでに、一人で書く小説、ストーリーには限界点が見え始めており、
他者を引き込むべき時代に到達しつつあると感じている。
それも、話を聞くだけ、というのに留まらずにキャラクターとして
ストーリーの構成に参加させる時代に。
これが、上手くいくかどうかはわからない。
だが可能性はあると感じている。
ネットという便利なツールが現れたので。
まだ、しっかりとした構図は見えてきていない。
だが、きっと何か、方法はあるはずだと感じている。
いつか、その方法を思いついたら、
ブログに書いてみようと思います。
僕はネット文学というものが、将来的に
100億円規模の市場規模にまで育つと考えており
その時までに、一つの形を考えておきたいのです。