http://blogpal.seesaa.net/article/29491842.html
で、据置終了とは、いったもの、PS3やXbox360、Wiiとみんな頑張ってるしね。
さて、まずは、ちょっとした昔話からしてみよう。(以下敬称略)
今から、もう30年以上前の話になる。任天堂が、まだ小さな老舗の玩具メーカーだった頃のお話だ。
当時の社長、山内溥は、彼は、22歳の若さで社長となり、その後、リンク先のWikipediaにあるように、プラスチック製トランプを発明し、「ディズニーキャラクターを絵柄に使う」、「簡単な説明書を同梱する」と言った手法を取り、任天堂を飛躍させた。
しかし彼は、その後、アメリカの最大のトランプ会社の工場を見学して、その小ささに失望する。彼は、経営規模の拡大と事業の多角化に乗り出すが、残念ながら、その多くは失敗におわり、倒産の危機に直面する。
これが、1960年代後半のことだった。
ただ、この時期、彼は非常な幸運に恵まれた。山内溥語録にある言葉だけれど、
わたしは、人間には持って生まれた運・不運があるということだけは固く信じる。やはり運がいいとか、悪いということは絶対あり得ると思うし、ツイている、ツイていないということもあると確信している。しかし、じゃあ、どこでどういうふうにツイていると判断するのか、なにかその物差しがあるのか、あるいは運のいい人と悪い人を見分ける方法があるのかということになると、そんなものはあるわけがないとしか言いようがない。人生は要するに向き不向きと、人知の及ばざる運・不運で決まるのではないか。そういう意味で運を信じているということなんです
(高橋健ニ著『任天堂商法の秘密――いかにして“子ども心”を掴んだか』祥伝社、1986年)
倒産しかけた任天堂に、一人の男が入社したのである。
その男の名前は横井軍平といった。1965年のことである。
任天堂と山内は、1970年代、なんとかして倒産の危機を乗り切ろうと道を模索していた。山内が模索していたのはエレクトロニクスを応用した玩具だった。
事業の多角化に失敗した後、山内は、あくまで自分の企業の強みをいかせる分野、つまり玩具の新しい可能性を探したのである。
1970年代、模索の時期が続いた。
そして、ここでも、山内は幸運に恵まれる。彼が運を信じるのも当然かもしれない。
後にゲームの神様とも呼ばれることになる宮本茂が1977年、任天堂に入社したのである。
おそらく、宮本、横井、そして山内は、自分たちが後に成し遂げることをこの時期にわかってはいなかっただろう。
実際問題、wikipediaにあるように、横井は
関西の名門校、同志社大学に入学するも、成績は下から数えた方が早いほど悪かったために、卒業後は当時まだ小規模だった任天堂に入社した。
任天堂入社時は設備機器の保守点検の仕事をしていたが、暇つぶしで作った木製の「ウルトラハンド」を任天堂社長の山内溥が見て「商品にせい!」と言ったことから、玩具製作に携わるようになった。
初期はこんな感じだったし、宮本に至っては
入社したは良いが工業デザイナーとしての仕事が全く回ってこず、ポスターを描いたりゲームセンターの飾りつけを行ったりしていた
こんな時期もあったのである。
しかし、ほんのちょっとした偶然が、任天堂を世界最強のゲームパブリッシャーへと育てる原因となった。
横井さんが新幹線に乗っていた時の話である。
http://www.geocities.co.jp/Playtown/4007/phy06.html
こちらのページに詳しいが、
ある時、横井が新幹線の中でサラリーマンが電卓を取り出し退屈しのぎにスイッチを押して遊んでいたのを見て、 「暇つぶしのできる小さなゲーム機」を思いつく。
彼がそれを社長に話したところ、山内は−電卓世界一の会社−シャープと話をつけ、
「電卓サイズのゲーム機」が急遽実現することになる。
偶然だったともいえる。ただ、一人のサラリーマンが、電卓を取り出して退屈しのぎにスイッチを押して遊んでいたのを見て、彼は、携帯ゲーム機というコンセプトを思いついたのである。
1980年、そのアイデアが、ゲーム&ウォッチとして結実する。
上記のリンク先の記事にあるように、これが大ヒットした。
だが、初期のゲーム&ウォッチは、まだ現在のゲーム機デザインのインターフェースの標準とは言い難かった。
携帯ゲーム機では、スティックが使いにくかったので、ボタンのみのインターフェースだった。キーボードに画面がついた程度のものだったのである。
横井は、ここでジョイスティックが携帯ゲーム機にもつけられないかと考えた。ここからが、彼の偉大さだ。彼は、試行錯誤の結果、十字型のキーを生み出したのである。
横井による、十字キーの発明は、すなわち、現状の全てのゲーム機の発明でもあった。これによって、ゲームハードが作られる為の全てが誕生したといってもいい。
僕の中では横井は、近代ゲームハードの父であり、宮本は近代ゲームソフトの父となっている。
画期的なインターフェースは、コンピューターの未来さえ変えてしまう。CUIをGUIが置き換え、以後のPCが全てポインティングデバイスとアイコンによる操作に置き換わったように、十字キーインターフェースは、その後のゲーム機の発展の基礎となったのである。
インターフェースが、ハードの中身を決定するのだ。
と、同時に、入社三年目で、暇を持て余していた宮本茂に、偶然、ゲームデザインの仕事が回されることになる。Wikipediaからの引用になるが、
入社3年目の1980年、転機が訪れる。任天堂のアメリカ法人(Nintendo of America:NOA)がアーケードゲーム事業に失敗し、在庫を処分するためにNOAの社長であった荒川實がゲームを作ってROMで送ってくれと任天堂本社に依頼する。しかし、「そんな商売になるか分からないものに人手は割けない」として、暇を持て余していた宮本に「試しにお前がやってみろ」と白羽の矢が立てられた。そこで宮本が開発したのが『ドンキーコング』である。
こうして、横井軍平が作り出した十字キーインターフェース、山内の提案によるマルチスクリーン、そして宮本茂のデザインによる『ゲーム&ウォッチ マルチスクリーン ドンキーコング』が生み出されたのである。
そのデザインをみればわかるが、
ドンキーコング(DONKEY KONG)
事実上、このゲームが、今後のゲーム全ての雛型となった。
十字キーによって、自由度の高いキャラ操作が可能になり、ボタン操作によるジャンプが可能になった。
横井軍平による十字キーインターフェースの発明と、宮本茂のソフトデザインの才能があわさり、このゲームは全世界で700万台以上売り上げた。そして、任天堂は、経営危機を乗り切ったのである。
このあたりの歴史をみると、「あれ?」と思うかも知れない。
そう、これは、最近の任天堂とよく似ている。Xbox,PS2とのシェア争いで世界第三位のハードになり、ソニーが携帯ゲームに参入を表明し、危機的な状況におかれた任天堂が、携帯ゲーム機「DS」で、一気に巻き返しを成功させたのと、あまりに酷似した典型である。
あの時は、マルチスクリーン、十字キーインターフェースとドンキーコングだったが、今回は、タッチペンとダブルスクリーン、そしてタッチジェネレーションズだった。
と、同時に、もう一つの会社がゲームで大成功を収め、そして消えた。
アタリショック
ゲーム市場の急激な拡大に釣られて、多数のサードパーティーメーカーが参入した市場には、非常に質の低いソフトまでもが溢れかえり、ユーザーは「買って自宅のVCSに挿し込むまで、本当に面白いかどうか判らない」ような状況下となり、市場に溢れ返った粗悪なゲーム(日本でいうクソゲーに相当)に幻滅し、次第に興味を失って行った。
ここは、すでに都市伝説的な話でもあるが、僕は、アタリショックは、そのコントローラー部分、つまり、インターフェースでの失敗が大きいのではないかと思っている。
どんなゲームソフトでも、ユーザーはゲームをするとき、コントローラーを通して、ゲームキャラを操作する。
つまり、ゲーム内容は、コントーラー縛りを受けるのである。
だから、ユーザーインターフェースとなるコントローラーは、とてつもなく重要になる。これが、どういう形になるかで、ゲーム内容そのものの進化が変わるからだ。
アタリVCSのコントーラーは、残念だが、優れているとは言い難かった。
これをみればわかるが、スティック操作にボタンが一つ。これだけでは、ゲームソフトでは、沢山のことはできない。キャラクターの操作も限られてくる。操作も難しい。
その結果、生まれてくるゲームソフトは、粗製濫造というより、似たようなものばかりになり、「ユーザーに飽きられてしまう」のである。インターフェースは、ゲームにとってはとてつもなく重要なのだ。僕は、これが、アタリの失敗に繋がったのではないかと思う。
インターフェースは、ゲームソフトの内容を規定してしまうのである。
そんな中、任天堂は、十字キーインターフェースとABボタン、スタートボタンとセレクトボタンマイクのついたコントローラーが搭載されたゲーム機「ファミリーコンピューター」を開発する。
両手でコントローラーをもちつつ十字キーによる自由な操作、そして、ボタンが4個ついたインターフェースは、これまでとは比較にならない快適な操作、そして多様な操作性を可能にしていた。シンプルさを保ちつつ、多様な表現を可能にしたわけである。
発売されたのは1983年7月15日。当初は、試行錯誤が続いた。だが、遂に、宮本茂が、この十字キーインターフェースとABボタンを使いこなしたゲームソフトを作ることに成功する。
1985年に発売された『スーパーマリオブラザーズ』。世界中の人々を魅了することになるこのソフトの誕生は、後のゲームソフト全てのお手本といってもいい出来だった。
その結果、ゲーム機は、ずっと人々に身近なものになった。今までゲームなどしなかった人が、一斉にこのゲーム機に飛びついたからだ。
昔話は、ここまでにしておこう。
僕が、この話をしたのは、つまり、こう言いたかったのだ。
任天堂は、「いつか来た道」を行っているという事。
日本市場には糞ゲーとソフトの供給過剰といわれるが、今の日本のゲームユーザーは、十字キーとボタン操作によるゲームに「飽きてしまっている」と僕は思っている。
最初は革新的なインターフェースだった十字キーとボタン操作も、時がたつにつれ、当たり前のものになりすぎた。
そして、また、十字キーとボタン操作によるソフト開発も、ほとんどのジャンルが開拓しつくされ、目新しいものはなくなってしまっている。
「十字キー操作である限りは、もうゲームに新しいものなんて生まれない」
という意見をどこかで聞いたけども、僕は、これに全く同感だった。インターフェースの縛りがある限り、ソフトの内容は、それに縛られてしまうのがコンピューターの世界なのだ。
かつて、アタリがゲーム機で大成功をおさめたが、そのゲーム機は、あまりに粗雑なインターフェースしかもっていなかった故に失敗した。
シンプルであったが、できることが限られていすぎた。
任天堂は、携帯ゲーム機で、革新的なインターフェース、つまり十字キーを生み出し、そして、その成功をもとに、ファミリーコンピューターを開発した。
それは、十字キーと四個のボタンをもったコントーラーを供えており、シンプルさを保ちつつも、多様なゲーム表現を可能にするものだった。
アタリVCSは、1500万台を売りながらも、そのインターフェースの限界から、ゲームソフトに限界を作ってしまった。そして、ユーザーはすぐに飽きてしまい、市場は崩壊した。
ファミコンとそのコントーラーは、そのインターフェースの革新性で、ソフト開発者に多様なゲームつくりを可能にした。このおかげで、遥かに多様なゲームソフト作りを可能にし、マーケットは遥かに大規模化したのである。
だが、もう局面が変わった。
今、ユーザーは据置ゲームに飽きている。そして、結局、十字キーインターッフェースも限界を迎えたのだ。ゲームをやらない人は、インターフェースが難しすぎるという問題からゲームをやらないということはもう明らかだからだ。
そして、日本ゲーム市場は、かつてのアタリショックほどの酷い落ち込みは見せていないものの、緩慢な死の道を歩んでいる。
任天堂は、かつてそうしたように、ここに同じアプローチで挑んでいる。
携帯型のマルチスクリーン、十字キーでゲームに革新を起こしたドンキーコングのように、DSは、ダブルスクリーンとタッチペンという新しいユーザーインターフェースを採用することによって、まったく新しいゲームを可能にした。
そして、ゲームなど、今までやらなかった人に、それを触ってもらうことに成功した。
そして、今、据置市場は衰退している。
かつて、アタリVCSが衰退したように。
だが、そこにファミコンと十字キーインターフェースが登場した。このインターフェースから作り出されたソフトは、それまでのゲーム機では決して成し得なかった操作性とキャラクターのアクションを可能にした
その結果、壊滅したはずのアメリカ家庭用ゲーム機市場は復活したのだ。
PS3、Xbox360、そしてWii。
DSの爆発によって、据置は死に絶えるかもしれない。二度と、人は据置に帰ってこない可能性もある。
だが、歴史がもう一度繰り返すならば。
Wiiのみには可能性がある。
なぜなら、このゲーム機だけが、かつてアタリショックによって完全に壊滅したゲーム機市場を蘇らせたファミコンと同じ特徴をもっているからだ。
それは、革新的なインターフェースの採用と低価格だ。
かつて任天堂は、携帯ゲーム機に新しいインターフェースを持ち込んで成功させ、その後、そのインターフェースを据置に持ち込んだ。
今、任天堂は、同じことをしている。携帯ゲーム機に新しいインターフェースを持ち込み、その後、据置にも新しいインターフェースを持ち込んだのだ。
極論するならば、PS3とPSPは、それぞれ、進化の最終形なのだと思う。
つまり、ファミコンの最終地点が、PS3であり、ゲーム&ウォッチの最終形がPSPだったのだ。
だが、それは、アタリVCSと同じように、そのインターフェースの限界から、ユーザーに飽きられつつある。
もし、過去にあった事がもう一度起こるなら、DSとWiiによるマンマシンインターフェースの刷新は、アタリショックによって壊滅したアメリカゲーム市場をファミコンが蘇らせたように、衰退している日本ゲーム産業を救う事ができるかもしれない。
可能性は、ある。
おそらく、もう一度、インターフェースを刷新し、次のゲーム機の標準インターフェース、そして、そのインターフェースをつかいこなした第二のスーパーマリオとなる存在を生み出せた存在が、次の勝者なのだろう。
それが出来ないなら、多分、ゲーム業界は、死ぬのだろう。
後藤弘茂のWeekly海外ニュース - 任天堂 岩田聡社長インタビュー(4) Wiiでは門外不出のノウハウをどんどん出す
「私のワイフは全くゲームに興味を示さなかった。ところが脳トレはやるんだよ、nintendogsは触るんだよ、自分の仕事は触ってくれないのに任天堂が作ったものには触る。おれは悔しい」
インターフェースの形は、コンピューターの発展に、ものすごい影響を与える。
多分、岩田社長が引き合いに出している、このエピソードは、その証左だ。
ルールは変わった。市場では、ルールが変更されたとき、最初にそれに気付いた企業が、一番強い。
そして、今回、そのルール変更に一番早く気付き、動いた企業が、任天堂と岩田社長なのだろう。
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アーケード版が最初であって、G&W版はその翌年になります。
今回の記事を実に興味深く読ませていただきました。
ハードゲーマーとはいえませんが、ゲームウォッチからずっとゲームをやってきて、PS2以降のゲームに閉塞感を感じていたのですが、この記事に思わずなるほどと思ってしまいました。
現在、Wiiを購入し、楽しんでいますが、初めてゲームウォッチを触ったときのようなわくわく感を感じています。
任天堂は過去を振り返ることで、より新しい道を開拓したのかもしれませんね。
この記事を読んで、古くからのゲーマーとして実に嬉しく思いました。
それでは失礼いたします。
アタリと同じようにインターフェイスの限界でゲームが飽きられてしまうのではないでしょうか?
さわってみるとわかるんですが、wiiのリモコンは「空中マウス」です。画面の決まった位置にポインタを持ってくるのに、腕を上げてふらふらしつつ、ボタンを押す。やることはシンプルでも、かなりめんどうな作業です。
これがゲームの中で何度も何度も出てきたらイヤになってしまう時間がパッド操作の時より短いのではと考えています。
パーティーゲームなどはいいですが、ガンコンが一世を風靡していないのと同じように、最終的には簡単でシンプルな操作が天下を取るのではないかと思います。
まぁwiiは十字キー+ABボタンがついているので大コケも少ないと思いますが数年後も大ヒットにはならないのだと信じてます。
それは、Wiiのコントローラを従来のインターフェイスである「ポインティングデバイス」として使おうとするから発生する歪みであって、たとえばWiiSportsにはそういう操作はメニュー選択以外のゲームの本質部分には出てこないですよ。
Wiiのリモコンを2次元情報入力のための「空中マウス」として使おうとするから面倒なのです。従来のゲームインタフェースの延長を無理に適用しようとしなければいいだけの話で、つまりそれはWiiの限界とは程遠いと私は思います。
Wiiのリモコンの真価は、空間座標+速度の「4次元情報」を入力できるインターフェイスであるということです。
結果的に似たような使い方しかしないソフトが多くなってしまえばそれこそすぐに飽きられてしまうでしょう、機能を上手く使った多彩なソフトが開発されることに期待という所ですね。
新しいインターフェースへの流れがブーム様な状態になっている現在ですが、その中で似たような構造のソフトが乱造されないことを願っています。
本文にもある通り、それがどれだけ出来るかが今後のゲーム全体の先行きを別けるのかもしれません。
しょう。実際にはゲームのおもしろさに主眼を
おいた作品がどんどん発表されると思います。
もし、それができないなら、そんな無能な開発者
はいなくなった方がいいと思います。ゲームと
I/Fは重要な間柄ですが、I/Fが主眼ではなく、
主役はあくまでもソフトです。マウスがいいか、
トラックボールがいいか、はたまたスライドパット
かは本来の目的からは外れます。
さて、リモコンばかりが奇抜ととらわれガチですが、
実はヌンチャクのほうが地味ですが、スゴイ発明
だと思っています。両手でがっちりと握る必要の
あったコントローラを、片手でリラックスして使える
のはゲーム体験を大きくかえます。
進化を忘れた文化は、必ず消えていきます。
利益と一方的な概念で、自分の作り出したいものばかりにこだわっている人が多いゲーム業界。
もう、そういうの作っている人も、これじゃいけないってわかっている人多いのだけど、認めたくない人が多すぎる。
客はあっという間に離れていきますよ。
自分の必需品としての価値がなくなれば。
「据置ゲームの時代が終わる」と言ってる人は結構自分の好きなジャンルのゲームしか視野に入れてないのではないでしょうか?
例えばバイオハザードの類のゲームや映像美や迫力を要するゲームは携帯機がどうあがいても単純に画面の大きさという点で勝ちようがありません。
無論携帯機をテレビに繋げられるような仕組みが普及すれば話は別でしょうけれども、それは据置型のゲーム機を携帯するようなものでコストもかさむでしょうし、外部機器にするとしてもその機器は据置型ゲーム機みたいなものと言えるでしょう。
また、お友達同士での対戦プレイにおいては携帯機で各々画面を見るよりも1つの画面を共有したほうが面白いというものです。
特に今後無線通信対戦などが流行するであろうことを考えればなおさらのことでしょう。
そういう視点を踏まえれば据置型のゲームというのも捨てたもんじゃあないです。
もっともソフトやサービス、コストパフォーマンスの面でWiiに引けを取ってしまっているのでこれからトップシェアを狙うのは到底無理でしょうけれども。