イスラーム帝国のジハード
リンク先の本は読んでないのですが、歴史に興味はあるけど、もうちょっと読みやすくて面白い本ないかね?って人には、
アイザック・アシモフの古典的SF傑作「ファウンデーション」の一巻がお勧めだったりします。
学術的には意味が無いかもしれませんが、このSFは、実は歴史の発展段階を創作に織り込んで作られたSFという点で、非常に面白い本です。
この先は、「ファウンデーション」のネタバレを含みますので、まだ読んでいない人は、読んでからで、できればお願いします。
戦争に勝つもう一つの要因は、国家の規模である。戦闘では多くの軍勢を動員したものが勝つので、伝統的な村落や都市国家は軍事的には弱い。イスラムは、その普遍主義的な教義によって部族の枠を超えた帝国を実現し、他の民族を征服した。しかし、こうした宗教的統合に依存した垂直統合型の帝国は、大きくなりすぎると求心力が弱まる。末期のオスマン帝国は、宗教も言語もバラバラだった。
池田先生のとこからの引用ですが、「ファンデーション」の始まりは、末期のオスマン帝国の衰退と似たような状況から始まります。
物語は、はるかな未来、1万2千年にわたって存続してきた第一銀河帝国の首都トランターから始まります。そこで、天才心理歴史学者ハリ・セルダンは、帝国の滅亡とトランターの崩壊、そして、その後に続く3万年の暗黒時代を心理歴史学によって予言します。物語からの引用になりますが、
きたるべきトランターの滅亡そのものは、人類発展の筋道の中で孤立した出来事ではありません。それは、何世紀も前に始まり、そして継続的にテンポを速めている複雑なドラマのクライマックスになるでしょう。諸君、わたしは進行中の銀河帝国の衰退と滅亡のことを言っているのです。
ハリ・セルダンは、ここで、人類の歴史において、悲惨な三万年という暗黒期間を1000年に短縮するためのプランを立ち上げます。
彼は、銀河に二つのファウンデーションを建設し、そしてセルダン・プランという特殊な計画を作ります。そして、ここからが、物語の始まり、つまりファウンデーションという叙事詩の始まりとなります。
ここからは、真面目にネタバレになるので、覚悟のアル方だけどうぞ。
「ファンデーション」では、国家を支える力が、「力の均衡」から、「宗教」へ、そして「金の力」へと変わる変遷を描いた歴史的叙事詩です。
これは、トインビーのような「歴史の研究」にあるような歴史観を作品に取り入れたものと考えることも可能です。
「ファウンデーション」の主人公の一人、ホバー・マロウの言葉ですきなのがあるのですが、
司祭無しの貿易!貿易だけ!それだけで十分強いのだ!
というのがあります。これは、ファンデーションという国家を支配する力が、宗教でなく、金の力になったことを意味する、非常に面白い言葉で、物語の流れを決定付ける言葉なんです。
歴史ではしばしばあることですが、巨大な帝国というのは、時間がたつにつれて、社会内における集団同士の利害対立が表面化します。
これは、社会内で、自分の利益を出すには、ある程度集団でまとまって、集団で行動したほうが、合理的だからなのですが、集団化というのは、その集団の利益を結束して最大化し、集団外の敵に対しては、結束して立ち向かうという事を意味します。
この結果として、時間がたつと、社会内に幾つかの集団が誕生し、そして、その集団は、自分達の集団の利益の最大化を目的として活動することが至上命題となります。
その集団の利益=社会の利益である限りは、いいのですが、それが、必ずしも社会の利益ではなくなる時があります。
社会内にある集団の利益not=社会の利益でない場合、集団同士の対立が表面化します。
同時に、社会的な責任が消失します。現在の日本でいえば、日本国内には、幾つかの集団が存在しますが、そのいくつかはの集団の利益は、必ずしも社会の利益となるものではなくなっています。
これが、破滅的なレベルまで達すると、社会が不安定になり、そして、全体として弱体化します。
別に社会とかでなくても、企業とかでも同じ状況はしばしば生まれえています。つまり、社内政治、社内派閥ですね。大企業病というやつで。
これらが生まれると、企業の価値<<<社内派閥の利益という結果を生み出すことが多々あるため、企業の利益や価値向上よりも、社内派閥の利益が優先されるようになるわけです。こうなると、大抵社内での意思伝達が上手くいかなくなったりします。
これは、仮説なわけですが、幾つかの事例をこれで説明すると、国家成立の初期において、しばしば宗教的な力が、国家において利用されるのは、集団を維持するために、極めて強力な糊しろであるからです。宗教は。
ただ、キリスト教とイスラム、初期ユダヤ教は、他人に貸した金から利子をとることは禁止していました。
ここが重要だとしばしば思うんですが、経済が発展し、貨幣経済が進展すると、この部分が非常に問題になります。
つまりですが、これらの宗教では「他人に貸した金から利子をとること」が罪とされたんです。
ところが、ユダヤ教は異教徒から利子をとることは許していました。
ここが重要なんですが、ユダヤ人というのは、キリスト教会から目の難きにされていたので、大抵の職業から追放されたりしたわけですが、そのために、彼らは、金融業に進出していきます。それ以外に選択肢がなかったからなわけですが、そのせいで、ユダヤ人のがめついイメージが出来上がり、「ベニスの商人」のシャイロックみたいなのが創作の分野でも生まれることになったわけですね。
で、ユダヤ人達は、西欧において、金融技術を発展させます。そのことは、時々、キリスト教徒から反感を買いはしましたが、彼らが金融を積極的に行なったせいもあり、西欧においては、貨幣経済が進展します。
国家同士の貿易の活発化と産業革命は、このような貨幣経済の進展の帰結と捉えることも可能なわけです。
経済を潤滑に動かすために、この貨幣と金融というシステムは極めて重要であり、そして、「利子」とは、いわば貨幣の値段でもあります。ここが重要なんです。実は、借金というシステムがあるのと無いのでは、経済の効率がまるで異なってきます。
現在の金融システムの構築の多くは、この時代のユダヤ商人達が構築したものに源流があります。
極論するなら、利子によって貨幣に値段をつけることによって、巨額の資金を集め、それを資本として使い、集中投下をすることによって、より巨大な生産を行なうという金融技術が西欧において発展したことが、後々のキリスト教文化圏とイスラム文化圏のパワーバランスの差を生み出すことになったのではないか、などとも考えています。
宗教によって、池田先生のいうよな「共同体のために命をかけて戦えるかどうか」というパワーを作り出したのが、中世キリスト教圏、そしてイスラム教圏でした。
その後にきたのが、愛国心による「共同体のために命をかけて戦えるかどうか」になりました。キリスト教文化圏において、政治と宗教を分離せざるを得なかったのは、キリスト教が、近代経済システムにおいて、不可欠であった「利子」の概念を認めていなかった事に一因があるのではないでしょうか?
ただ、近代国家の多くが、その初期において、「愛国心」の高揚を行なっていましたが、アメリカや日本、それ以外の先進諸国では、「愛国心」は、徐々に重要ではなくなってきています。
国家というのは、そうした狂気を生み出す「戦争機械」であり、もっとも強力な狂気を生み出した国家が栄える。
国家として、その初期においては、「戦争機械」としての強さが重要でしたが、経済と科学の進展の結果、戦争は、機械兵器が主役になりました。
結果、より強力な機械兵器をもつ国家が強くなります。戦争に勝つには、かつては、より沢山の人間を版図に従えている国家が勝ちました。
ところが、産業革命の進展の結果、機械兵器が強くなるにつれて、最も強力な兵器を作れる国家、そして、兵器を作って維持できる経済をもつ国家が、最強の国家となる道筋が開かれたわけです。
そう、今、最も、国家において、重要なのは、「経済力」、マネーの時代になったわけです。
そして、現在、その国家とは、アメリカなんですね。
あそこが、最強の軍隊をもてるのは、最強の軍隊を維持できる経済力と科学力をもっているからです。
司祭無しの貿易!貿易だけ!それだけで十分強いのだ!
という時代になったわけです。
マネーの時代に至り、最強の国家とは即ち、もっとも多くの人員をもつ国家でなく、最強の経済を持っている国家であることが明らかなになったので、愛国心すら必要ではなくなりました。金だけで十分強いからです。
必要な兵士も、兵器も全て金で買えるからです。
現在アメリカの軍隊にいる人は、徴兵制が、ほとんどなくなったので、貧乏人ばっかとも言われますが、別の見方をすると、貧乏人の雇用を軍隊が吸収しているともいえます。
それができるのは、アメリカという国家の経済が、それだけ強いからです。
貧乏国家は、軍隊を作ろうにも兵士に必要十分なお金を払えないので、ジハ―ド・十字軍、あるいは徴兵制などに頼らざるをえません。それすらない場合には、戦争相手からの略奪を許可することによって軍隊を維持します。
その場合、タダで死のリスクがある仕事に従事させるために、「宗教心」もしくは「愛国心」などに頼らざるを得ず、それすらない場合には、戦争相手からの略奪を認めることによって軍隊は維持されてきたわけです。
先進国では、経済がでかくなり、分業化・専門化・科学化が進んだことによって、軍隊は、兵器と金で雇われた軍人によって運営されるものとなりました。
このあたりは、イギリスのジェントルマンの歴史を紐解くと面白いのですが、初期のジェントルマンとは、階級であり、同時に戦争の時の軍人であったわけです。これは、1900年代初期までは、そうだったんです。第二次大戦あたりでは、こういったジェントルマン達は、ノブレス・オブリージュに従って、最前線で戦ったため、ジェントルマンの死亡率は非常に高かったそうです。
で、1900年頃から、ジェントルマンというのは、概念化し、職業にも幅がうまれました。その中に、金融までもが含まれているんですね。
ジェントルマンというのは、金のためでなく、常に社会の利益のために戦うことを至上目的としているわけですが、ジェントルマンらしい職業として、「金融業」や「貿易業」が認められるようになったということは、すなわち、ですが、「宗教」と「愛国」の戦争の時代が終わり、「マネーゲーム」の戦争に勝ち抜くことが、すなわち社会の利益になるのだということが、明確化したのだという事もできるかもしれません。
現在の先進国間の戦争は、もうドンパチやる時代でなく、金融と貿易の分野で烈しく行なわれています。マネーゲームの時代なんですね。
そういう意味では、アルカイダのビンラディンは、テロリスト2.0、「マネーゲーム」の従事者といえるかもしれません。彼は、欧米の力の源泉が「金融」にあることを知っていました。
だから、アメリカの金融の中心地を狙ってテロを行なったわけです。
イスラムも、西欧文化圏と自分達のパワーの差が、「金融」にあるということを自覚しはじめているように思います。最近のイスラム銀行の発達などをみると、ですが。
現在の戦争は、かつてとは様変わりし、ウォーゲームはマネーゲームに代替えされたと言えるのかもしれないな、と本日は思った次第です。
ウォーゲーム2.0、それがマネーゲームだったというヲチでした。
おしまい。
追記
あと、こういう風に金で雇って戦争をする人、職業軍人というのの戦争感は面白いです。SASに在籍していて、湾岸戦争に従軍した上記のアンディ・マクナブの本は、そういうプロのエリート軍人の考え方を知るのに良い本ですので、ご紹介。
幾つか、面白いし言葉があるんですが、
「SASの人間は、キャリアの間に一度は戦争に従軍したいと思っている云々」とかあって、これは、合理的な考え方とは言えないんですが(なんせ死ぬリスクを犯したがる人間ってことだから)、一方で、やっぱり、SASの人間でも、死は怖いわけで、戦闘での死への恐怖、銃撃戦での恐怖などについてはリアルに語られている部分もあります。もっとも、筆者は「死を恐れてはいない」といっていますが。
ただ、SASの死因のトップは、戦闘によるものでなく、どうも渡河などらしいですし、戦争が機械主体になって、死亡率が下がったことなどから、軍隊という職業が、以前ほど危険な職業でなくなったことも、軍人になることを選択する人がある程度いる原因かもしれません。
なんせ、イラク戦争ではアメリカ人の死者がアメリカ兵の死者は136名です。同時期に自殺と交通事故で、アメリカだけで、4万人は死んでいるわけですから、軍人が戦争をすることでのリスクは、かなりの部分愛国心で闘われた南北戦争、第一次大戦、第二次大戦よりも遥かに低いわけですから。
南北戦争 死者62万人
第二次大戦 死者29万人
ベトナム戦争 死者3万人
イラク戦争 死者136人
驚異的なペースで死者が少なくなってきている。それだけリスクも減ったということなので、現在、愛国心がさほど高揚されず、徴兵制度がなくても、問題なくなってきている原因かもしれない。
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