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2006年11月14日

人はパンのみで生きるにあらず、という話とか

There's gotta be more than one theory to run the bazaar


弾さんと山形さんの論争が延々と続いているわけですが、ちょっと気になった話が出ていたんで、ちょっと首を突っ込んでみたり。



私は2002年は原稿料以外は無収入でした。Perl 5.8の開発に没頭していたからです。2005年にOSCONで発表をした際には、TPCに$1,000寄付もしておりますし、2006年のYAPC::Asiaでは拙宅がLarry WallやAudrey Tangを含む海外組の宿となりました。かれこれ私が open soruce に寄贈してきた分は、金額換算すればどう見ても$200,000を下ることはないでしょう。

問題は、今のところ、open source "economy"では、「リアル」で稼いだ分を寄贈するというもモデルしか持っていないことにあります。もちろん今ではIBMなど「会社ぐるみ」で open source に commit する企業も多くなってきましたが、それとてそれに関わる社員の給与は別の「リアル」から持ってきているわけで、構図はそれほど変わっていません。

私が提起している問題は、まさにそこなのです。




しばしば、言われるんだけど、


「好きでやっている仕事は搾取されやすい」


ってな話。


弾さんは、オープンソースに関して2000万円近い出費をしつつ、タダ働きを続けているわけで、ある側面から見たら、経済学上のアノマリーであり、現代の奴隷労働なわけだけど。


ただ、人間というのは、お金がほしくてはたらくのではない。


大抵の人がお金を欲しがるのは、お金を使うことで、人間を最も幸福にしてくれるものが、大抵の場合は手に入るからだ。


金があれば、大抵のものは手に入る。それも、大抵は、すごくいいものが。



ここで、重要なのは、人間が求めているのは、金ではなく、金で買うことができるモノ・サービスから受けられる「効用」だということになる。


人は、金のために働くのでなく、金を使って手に入れることができる「効用」のために働いているのである。



僕は、以前、漫画製作現場のひどさをブログで書いた。実際に、漫画製作現場、特に週間連載漫画の製作現場というのは酷くて、体をぶっ壊して病院に担ぎ込まれる人や、実際に死んでしまう人が多く、その上、週60〜70時間のデフォルト薄給労働とか、書くだけだと悲惨そのものになる実情がある。


ただ、そういう場所で働く人が「不幸」かというと、そうでもない。


みんな、絶望に打ちひしがれて仕事をしてたりすることはない。何かに取りつかれた様に仕事をしていて、楽しんでいる場合すらある。


要するに、みんな漫画がすきなのだ。そうでもない人もいるけれど、多くは漫画を描くことによる「効用」が非常にでかくて、そこから得られる幸福感は、他の楽で給料の多い仕事をした場合よりも、遥かに大きいのである。



だから、あんな酷い環境でも、仕事をやめなかったりする。




多分、オープンソースとかも同じだろうと思う。


弾さんのブログを読んでいても、狂信的なまでのperl愛が感じられて、奥さんはベッドに入るとき、perlと弾さんと三人?一緒に寝ているようなもんだなぁとか思ってしまうわけだけど。



そういう人だから、オープンソースに2000万円以上使っていても、多分、弾さんは、損をしたとかは思っていないと思う。それどころか、無給で働いた2002年は、弾さんにとって、非常に満ち足りた年だったのではないかと思う。


弾さんにとっては、他に儲かる仕事は一杯あっただろうけれど、そういった仕事をして金を儲けるよりも、むしろ出費を重ねて、無給でperl5.8を作っていたほうが、弾さんにとっての効用(ここでは幸福感と言い換えても良い)はでかかったという風に捉えることもできる。


オープンソースプログラマーの多くが、普通のプログラマーより幸せそうだなんて意見をどこかで読んだけれど、結局、好きなプログラムを書くことによる「効用」が、ある種のプログラマーにとっては、あまりに大きすぎるのだと思う。




結局、「金」=「幸せ」なのは、金をたくさん稼いだ場合に、その金で買える「効用」がでかい場合だ。



ただ、ある種の仕事には、麻薬のような「効用」がある。大抵は「好きな事=仕事」である場合だ。金が稼げなくとも、その仕事をしているだけで、ほかのどんな事をするよりもおおきな「効用」が得られてしまうケースである。


そう、幸せなのである。たとえ、他人には、不幸せな状況に見えても、本人は過剰なまでに幸せだったりするのだ。多分、我々は、金のためでなく、より大きな「効用」を得るために生きている。だからだろう。


経済学における合理的行動モデルでは、人々は合理的かつ自己中心的であると想定しているが、現実的には、しっくりこない事実がたくさんあるのは、このためだろう。



非合理で、利他的で、自己犠牲的な事をすることによる効用が大きいとき、我々は、それを行うのだ。


ま、このあたりは、行動経済学などの分野の話になり、そして、その分野で結構研究も進んでいるようなので、対数効用関数などを絡めて話すのがいいのかもしれないが、今日は、このあたりでやめておこうとおもう。







タグ:life
posted by pal at 19:05 | Comment(2) | TrackBack(1) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
この記事へのコメント
地方(富山)にいるけど賢くなりたい経済学教員
http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061114/p2
Posted by 経済成長 at 2006年11月15日 20:58
>奥さんはベッドに入るとき、palと弾さんと三人?一緒に寝ているようなもんだなぁ
まで読んだ
Posted by at 2006年11月23日 16:58
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