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2005年03月30日

客観性報道と21世紀の客観性の雑考

このブログは最初、漫画とかオンラインゲームとかの
批評とか、お気軽な漫談中心で
逝こうと思っていたのだけど
ホリエモン騒動でメディアヲチを始めて以来
どんどん、深みにはまってしまった。

口をはさんでしまった以上、最後まで付き合い続けようかと思う。

さて、今回は、客観性報道について扱おうと思う。

MasaGon日記さんに、LDPLの研修レポートが載っている。

その中で、小田氏による客観報道というものの考えが載せられているが
引用させて頂く。

小田氏は大手マスコミの現在の「客観報道」の捉え方に疑問を持っている。
一般に客観報道の定義の一つとして、
記事に報道する者の意見を含まない(没評論性原則)
というのがあるが、例え評論が含まれなくても、
情報を恣意的にコントロールして世論を扇動することは可能である。


この話に、ちょっと付け足すが、新聞では、入社すると
記事の書き方において「個性を出すな」というのを徹底される。
これは「記事に報道する者の意見を含まない(没評論性原則)」
という新聞における基本原則があるからである。

では、なぜ、報道する者の意見を含んではいけないかというと
メディアには「公正・中立な報道」という大原則が存在するからなのだ。
報道するものが、自分の意見をもっていては
「公正」な報道などできはしない、という考えが根底にあるからなのだ。

さて、小田氏がいいことを言っているのでもう一つ引用しておこうと思う。

自らの考えを語らせるために情報源を選択し、
客観的に見せるために中立の声を利用することは、詐欺行為である


うーむ、素晴らしい。
たった一文で、既存ジャーナリズムの問題を言い表している。

このような考えを持っているのに前回のエントリ
あげたような記事を通すのは理解に苦しむが。

さて、ここまでで、大体、既存のメディアが
何故、客観性報道と言うのを尊ぶのかは
わかって頂けたかと思う。
それからPJが、マスコミから叩かれる理由も。

MasaGon日記から小田氏の意見を引用してみよう。

パブリック・ジャーナリズム(PJ)の流れは、
その性質上「客観性・中立公平性」を絶対視しないため、
既存の主流派ジャーナリズムからは批判の対象とされているとのこと


実にわかりやすい。

そして、主流派ジャーナリズムが20世紀に入ってから
始まった客観的安定性に対する着実な攻撃を
ここまで無視してきたというのがすぐにわかる文章でもある。

20世紀に入って、様々な学問分野から
「客観的な知識」という存在に対して攻撃がなされた。

一番、有名なのはアインシュタインの相対性理論である。
客観的な知識とは事実の容赦なき暫時的蓄積であるという
信念が、相対性理論によって疑わしいものに変わった。

また、哲学者T・S・クーンは科学で「事実」として現れるものが
観察者が理解の対象に対して課する参照の枠組みに
依存することを明らかにした。

ゲシュタルト心理学は、人間が外界の事物を
要素、主題、有意味な組織された全体から
形作るまとまり(ゲシュタルト)として知覚することを
明らかにした。

usagi.jpg

この有名なアヒル=ウサギの絵は、
ただの曲線のあつまり(ゲシュタルト)を
どう位置付けたらよいか、という問題を
知覚者にしか決められない事をよく意味している。

左を向いたアヒルか、それとも右を向いたウサギか。
それをきめることができるのは観察者だけなのである。
(注 ここが、報道の付け目なのだが、それは後で述べる)

つまり、観察者は、完全に受動的な存在ではなく
常に、能動的に発信された情報に関わっているのである。

これは、「客観的な知識」というモノに対する、強力な反論の
一つとなった。いかなる情報も、読まれるまで、真の意味をもたず、
その意味は、読者に論じられるしかないという事なのだ。


まとめると、報道というのが、情報のやり取りである以上、
報道された情報が、読者によって受信され、
その読者がその報道について論じるまで、意味をもたない。

つまり、客観性をもつ報道という大前提事態が、
人間の情報認識機能からして、間違っているのだ。

受け手に受信されるまでは、その報道は意味をもっていないのだから。

このいわゆる、「読者反応理論」は、かなり複雑で、
わかりにくいとは思うが、これは
報道の客観性というものが、その大前提において
かなり問題のあるものである、という事のひとつの証明なのである。

僕が、ジャーナリズムに関して、問題としたい事の一つは
1950年代から始まった客観性に対する様々な学問分野からの
攻撃にも関わらず、客観性、公平性を絶対視する報道が
未だに生き続けていることなのだ。

はっかりいって、前時代的な遺物といってよく、
本来なら、封建主義のように、もっと昔に滅びてしかるべき
存在のはずなのだが、それが未だに
マスコミ内部で礼賛されていることには
呆れてしまう。

サッカーが始まったので、とりあず、ココまでで
アップしときます。

サカー終了。
勝ててよかったです。

まとめに入りますが
没評論性原則や客観的報道といったものについては、
情報伝達の性質上、すでに姿を変えるべき存在の一つで
これについては、もっと議論されるべきであり、

また「事実」として現れるものが
観察者が理解の対象に対して課する参照の枠組みに
依存する以上、客観性や中立性よりも
その参照の枠組みに対して、メディア全体で
どのように付き合っていくかを考えていくべき
時期に入っているんじゃないのかって事なのです。

現状の客観的報道や、中立的報道が
個々人の中にある参照の枠組みに対して、
うまく働いているとは言えない部分が多いので。

すっげー抽象的な話で申し訳ない。
サカー見て疲れたんで今日はこのあたりで。





posted by pal at 19:04 | Comment(0) | TrackBack(3) | メディア このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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