というか、すでにブログ界隈で語りつくされていた話題なんだけれどもね。
現状、ITの発展に伴って、確実に置き換えを食らうであろう製品・サービスってのが幾つかあって、実際、崩壊の兆しは見え始めているのがいくつもある。
本日は、そういう製品・サービスを列挙していくというエントリ。
最初に、メディア関連から始めるけど、
ニューヨークタイムズ,新聞広告の落ち込みをネット広告では補えず
米国の若者向け雑誌,相次ぎMySpaceに頼り始めた
メディアパブさんトコで記事にされてたけど、新聞と雑誌に関しては、ネットに大部分が置き換えられる。これは、ほぼ避けられない。
マス・マーケティング崩壊の足音が聞こえる
カトラーさんのトコでも話題になっているけれど、Joseph Jaffe 著「テレビCM崩壊」(翔泳社刊)にあるように、既存の広告に頼っている業界は、これから始まるネットとの競合に備えねばならない。
アメリカでは、新聞記者のリストラや雑誌の休刊などが、あいついでいるのだけれど、この波は、日本でもついに始まったとみていい。
新聞・雑誌の屋台骨は多くの部分で、広告に頼っているけれど、これは、これから、かなりの部分がネットに食われる。これは避けられない。
フローメディアとストックメディア
このブログでも以前に、上記のエントリで扱ったのだけれど、メディアには、おおまかにわけて二種類が存在し、フローメディアとストックメディアの二種類にわけられる。
一回読んで終わり、読み捨てが基本のがフローメディアで、複数回読んだり、使ったりする本棚に入れておくのがストックメディアとなる。
新聞・雑誌は、フローメディアに分類されるのだけれど、この二つは、ネットともろに競合する。ネットは、情報のフローについては、すでに新聞・雑誌をかなりの部分で上回っている上に、無料という絶対に勝てない資本主義最強の差別化要因を持っているからだ。(正確には無料ではないけれど)
一方で、ストックメディアにおいては、少々、事情が異なっていて、小説、漫画なんかにおいては、まだネットの脅威が押し寄せてきていない。
まず、小説や参考書、漫画なんかは、ネットで読む為には、まだインタフェース的に適していない部分が多いし(大量の文章を読むにはPC画面がつらい部分があるのである)、これらは、フローメディアと違って、速報性がさほど重要視されていない。
情報の新鮮さが、非常に重要になるフローメディアは、ネットという非常にコストの安いメディアには、どうしても勝てない。新聞を配ったり、雑誌を出すには一日かかる。だが、ネットなら、5分かそこらだ。
この差は決定的なものだから、フローメディアの主体がネットになることは、ほとんど避けられない流れだと思っている。実際に、人はネットに流れているし、全メディアの視聴時間も、ネットだけが延びている状況だ。
オンライン広告がTV広告を追い抜く日
再び、メディアパブさんの記事になるけど、オンライン広告市場は、いずれTV広告に並ぶ。多分、追い越してしまうだろう。
新聞、雑誌、そしてTVは、インターネットにはなれないが、インターネットはそのどれにでもなれるからだ。キャパがそもそも違いすぎる。
流れとしては、新聞→雑誌→TV→書籍(ストックメディア)という順で侵食されていくだろうと僕は思っている。
これは断絶をもたらすから、既存のプレーヤーの取り分の減少につながる。実際に、アメリカで去年、リストラされた記者が1700人だっけな?
もちろん、いずれは、総体として、ネットのおかげで、メディア業界全体のパイは大きくなるだろうと思う。
ただ、この変化は、というか、変化の時代に大抵共通することなのだけれど、破壊と再生には、タイムラグがある。
たとえば、IBMのメインフレームの崩壊とPC業界の発展を例にあげるなら、92年にIBMとメインフレーム事業が瓦解したんだけど、PC関連の市場が育って、そこから莫大な収益をあげる企業、つまりMSとインテルが育ちきったといえるのは、2000年あたりだったことだ。
つまりだけど、古い市場の崩壊は、数年という短い期間で起こるのだけれど、新しい市場の発展は、それよりずっと長い時間がいるということ。
要するに、新しいものは、破壊した市場で起こる雇用の減少をすぐに補うための雇用の吸収力をすぐには持ってくれないのである。
これは、インターネット広告市場や、インターネットでのビジネスにも言えることだと思っていて、今後、新聞・雑誌などのメディアビジネスに関しては、かなりのスピードで崩壊するが、その崩壊で起こるリストラや売り上げの減少を補うほどにネットビジネスが巨大になるには、崩壊に要した期間より、ずっと長い期間がいるということである。
TVや書籍ビジネスは、崩壊まで、まだもうちょっと余命があるが、新聞・雑誌のビジネスモデルの崩壊は、今後数年間で、劇的に進んでしまうだろう。
アメリカでは、すでに大手の新聞社が生き残りをかけてリストラ・ネット企業買収など色々とやっているが、これは、日本でも起こる。
メディアビジネスは、断絶の時代にはいりつつあり、今後10年で、そのゲームの結果を僕達はみることになるだろう。
さて、メディアの話は、ここまでにしておいて、次は、製品分野の話。
IT業界では、コンピューターの流れとして
メインフレーム
↓
ワークステーション
↓
PC
↓
?
となっている。
いま、僕らは、PCとポストPCの狭間にいる。
で、なんだけど、ポストPCが何であるかは、とりあえず、おいておいて、まず、PC分野で、製品寿命が明確に失われてきているのがある。
それはデスクトップで、デスクトップには、もう未来はない。かつてのメインフレームやワークステーションのように、一部の人たちが使うモノに追いやられるだろう。
おそらく、5年もすれば、PCといったらノーパソが普通になっているだろう。現状、近所の量販店などでも、ノーパソが一番いい棚をとっているし、近所の大学でも、図書館でほとんどの学生がノーパソを開いている。大学の講義でも、みんなノーパソ開いているし、この流れは止まらないだろう。
あと10年もしたら、ものすっごい薄くて軽いノーパソの前で
「お父さんが学生のころ、PCを使っていた時なー、デスクトップっていって、でっかい箱の中にパソコンが入っていたんだぞ」
なんて子供の前で、しみじみと昔の話をする人が出てくるんじゃないかと思われる。
一方で、ノーパソも、スマートフォンのような形の発展の前に敗れる可能性が高い。
それは、もうちょっと時間が必要だが、10年後にはノーパソ全盛になり衰退が始まる。そしてその後で、ノーパソも携帯端末とネットワークの発展の前に滅びてしまうだろうと思っている。
今後10年は、学生やリーマンの鞄の中身は
メモ帳→携帯端末
ノート→ノーパソ(orノートくらいのサイズの機器)
という形で置き換えられていくのだと思っている。もっともすでに置き換わってしまった人も多いのだけれど。
画面の大きさとキーボードのサイズ的に、メモ帳以下になることは考えにくいので、小ささを競う競争がひと段落した時点で、現状の筆記用具業界のように、使いやすさよりデザインや感性が重要視されるようになるのではないかと思う。
で、次にゲーム業界。
まず、据え置きゲームに関しては、製品寿命がつきつつあると思う。
というか、TV画面を占有してしまう据え置きゲームは、家族に敵視されてしまうのである。それゆえ、不便なのだ。
スクエアの和田社長は、リビングのTV、机の上のノーパソ、手のひらの上の携帯端末(携帯ゲーム機、ノーパソ)は永続すると考えているといってたけど、これは僕もそう思う。
ただ、据え置きには未来が無い。リビングのTVにも同じように未来が無い。
あれらは、過去のものになっていくと思っている。
代わりに主流になるのは、机の上と手のひらの上。リビングに一つある巨大なスクリーンは、映画などをみるときなどに限定されていくだろう。TVとリビングの時代は、終わりつつあるのだ。
かわって、机の上において楽しむゲーム機や、手のひらの上で楽しむゲーム機に大部分が置き換えられる運命にある。
最近の学生とかが、家にかえってまずするのは、TVをつけることでもゲームをすることでもない。大抵は、メールチェックとSNSやブログなどのチェックだ。そして、この二つは、これからは、机の上か、手のひらの上で行われる。
そういう習慣をもった人間がこれからの主流になっていく。
家に帰ったら、真っ先に新聞読んだりTVをみたりするという習慣は、もはや過去のものとなってしまう。これも避けられないことだと思っている。
これからの若者は、机の上においたノーパソのような機器、あるいは携帯端末で、みんながそれぞれ、すきな番組、好きなサイト、好きなコンテンツを再生するようになる。
これは、若者の習慣が、机の上と手のひらの上のコンテンツにならされていく事を意味する。一方で、リビングから人が離れはじめている。TVの周りに集まるという行動をしなくなりはじめている。代わりに、机の上か手のひらの上のデバイスから送り届けられるコンテンツに、人は集中している。
リビングのTVで再生されるコンテンツの時代は終わりつつある。そして、TVというデバイスの時代も終わりつつある。そして、TVで行われてきたマスマーケティングの時代も、TVの影響力が減じるにつれて、世界の片隅へと追いやられてしまうだろう。
もちろん、全てが駆逐されてしまうことはありえない。メインフレームやワークステーションがそうであったように。ただ、主役の座にあり続けることはできない。
たぶんだが、据え置きゲーム機戦争は、あと一度程度が行われるだけになると思う。リビングのTV画面争奪戦は、次で終わり、その後は、机の上と手のひらの上の争奪戦が主戦場になるだろう。
インターネットがメディアにもたらすのは、製品面ではリビングの上におかれたTVというメディアの王様を引きずりおろして、机の上と手のひらの上におかれたデバイスがメディアの王様に成り上がるまでの物語なのだろう。