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2006年09月30日

コンピューティングのパラダイムシフト@web2.0といつか来た道

大企業の競争優位は、大規模化することによる低コスト化でうまれる。


が、イノベーションによって、それまでは、コストがかけないとつくれなかったものが、低コストで作れるようになってしまうと、その競争優位を失ってしまう事が多い。


いずれも、コスト的な優位を生み出すものだが、前者は、独占を、後者は産業に破壊な変化をもたらす。

「ロングテールは本物でも、儲かるのはオレたちだけ」−AOLトップの腑に落ちない言い分 - CNET Japan



こんな記事を読んで、それについて書いてみようと思った。IT産業は進化が速い。そのため、こういった経緯を追いやすいのである。












前回の「web2.0といつか来た道」というコラムで、IBMが、PC産業の発展に関して、画期的な技術を最初に開発した企業ながら、それを最初に成功させた企業ではなかったという歴史を述べた。


その最たるものに、RISCチップがある。wikiへのリンクをまず貼っておくけど

http://ja.wikipedia.org/wiki/RISC

1960年代、コンピューターのプロセッサは、複雑な仕事をこなすために使われていた。

が、IBMのコックという技術者が、コンピューターでは、複雑な仕事は滅多に行なわれないことに気付いた。コックは、複雑な命令をやめて、簡単な命令に置き換えれば、チップはもっと効率的にうごくのではないか、そう考えた。




このアイデアはシンプルだったが、活気的なものだった。

つまりだが、彼は命令系を単純化して
「野球場まで運転しろ」
といった従来の命令システムを
「右に行け」「左にいけ」「とまれ」
といった単一の命令に置き換えたほうが速く動くのではないか。

そう考えたのである。

調査の結果、大部分の処理においては、ごく限られた命令しか使われていないことを発見された。

20%の命令が、コンピュータの80%の処理を行っていたのである。いわゆるパレートの法則がここにも現れていた。


コックは、この事実をふまえ、使用頻度の高い20%の命令に絞って実装することで全体としての高速化を図るアーキテクチャを作り出した。

この縮小命令を基本とする概念でつくられたチップがRISCチップとなる。

70年代に入ると、コックの研究成果は目覚しい結果を生み出したが、研究者以外は、だれもそれに注意を払わなかった。


コックは、自分が作り上げたアーキテクチャが、コンピューターの性能を何十倍にもすることを話した。そのことは、当時のIBM経営委員会の一人であったボー・エバンズの目にとまる。


エバンズは、技術畑出身だったので、その研究がものすごいものであることは理解できた。エバンズは、IBMの製造ラインをRISCチップで組み立て直すという計画を打ち上げた。


もし、この計画が迅速かつ綿密に計画されて実施されていたならば、今のインテルはなかったかもしれない。


ただ、当時、80年代のIBMは、まだメインフレームビジネスで潤っていた。アムダールや日立、東芝といった同業者による攻撃は受け、シェアは低下傾向にあったものの、メインフレームではIBMは間違いなく帝王だった。もっとも大きく、それゆえに製品のコスト的、質的な絶対優位をもっていた。



またメインフレーム技術の人間は、コックの成果を認めなかった。RISCチップとは、それすなわち、それを積んだワークステーションというメインフレームビジネスに脅威を与えるビジネスに発展する可能性があったという問題もある。


だが、何よりの問題は、当時のオペルCEOは、エバンズの意見を聞き入れなかった事だ。もともと、歯にものを着せぬ言い方をするエバンズは、社内では嫌われていたが、あるとき、経営委員会の最中に、オペルCEOは、エバンズを叱りつけた。


そして、エバンズは、数ヶ月後、失意の元、IBMを去った。この結果、IBMでのRISC戦略は、大きく遅れ、サンとインテルの勃興を助けることにも繋がったのである。



このように革新的な技術が大企業の内部では幾度となく、開花することなく打ち捨てられるのは、他の業種でも幾度となくあったことである。


IBMの内部で、RISCチップを使った試みが頓挫する一方で、IBMは、1980年代に入って、今まで存在しなかったライバルからの攻撃をうけることになる。

今、MSやマスメディアが、かつて存在していなかったライバルからの挑戦を受け始めているように。


その最初の一撃がRISC技術の恩恵をうけて現れたサン・マイクロシステムズの勃興だった。(後にマイクロソフト、インテルが続くことになる。)

サンについては、wikilediaからの引用になるが、


サンマイクロシステムズ

サンの名前は、Stanford University Networkの頭文字 SUN から来ており、 スタンフォード大学で校内のネットワーク用のワークステーションを独自に開発した アンディ・ベクトルシャイムが、スコット・マクネリ、 ビノッド・コースラらとともに会社を創立したのが始まり。創立に際して カルフォルニア大学バークレー校でBSD UNIXを開発していたビル・ジョイを創立メンバーに招いた。





という風に始まった。


それまでのIBMの敵は、メインフレームを作る会社だった。日立、東芝、アムダール、デジタル・エクイップメントなどである。



ところが、サンは、メインフレームを作る会社ではなかった。ワークステーションを作る会社だった。


ワークステーション

ワークステーションは、 パーソナルコンピュータ(PC)とほぼ同程度の規模のハードウェアを持ち、 組版、科学技術計算、 CAD、グラフィックデザイン、事務処理等に特化した業務用の高性能な コンピュータのことをさす。


引用から始めたけれど、ワークステーションとは上記のようなものである。

サンがワークステーションを売り出し始めた時、IBMは、ワークステーションのマーケットがあるのかどうか、懐疑的だったし、RISC戦略は打ち捨てられていたも同然の状態だった。

ただ、サンは、そんな中で新しいマーケットを見つけた。CADやCAMなどのソフトウェアを動かす科学者やエンジニアが、それを必要としていたのである。


そこから上がる売上は小さなものだったので(メインフレームに比べれば)、IBMのような巨大な企業には目にとまらなかったのかもしれない。ただ、サンのような、当時まだ小さな企業にとって、その売上は、まさにご馳走そのものだった。


そして、ここでもIBMの動きは遅かった。速い時期にワークステーションの市場に殴りこんでいれば、サンを潰せていたかもしれない。


ただ、オペルの後を継いだエイカーズCEOは、当初から、ワークステーションやPCはメインフレームには及ばないと考えていたようだ。

その考え自体が致命的だった。

サンは、自社独自のCPUアーキテクチャSPARCを開発した。それは RISCを採用したCPUだった。

また、UNIXをベースとした クライアントサーバーシステムのクライアント機として、OSがUNIXによる「UNIXワークステーション 」を実現した。

この二つがあわさって、サンのマシンは、それまでとは比べ物にならない程速い計算が可能だった。


さらに厄介な問題は、ワークステーションとPCの製品ライフサイクルの速さだった。メーンフレームの製品ライフサイクルは7年周期だったが、ワークステーションやPCは、一年半だった。ここに至り、ムーアの法則が牙をむき始めたのである。


90年代に至ると、最高性能のワークステーションは2年ほど前のメインフレームと同等の能力をもつまでになっていた。


ただ、それに至り、IBMも、その脅威と向き合わざるを得なくなった。


そして、当時世界一金持ちのコンピューター企業だったIBMは5億ドル近い経費を投じて、RS/6000というワークステーションを開発する。これは、サンやヒューレット・パッカードのマシンの二倍近い性能をもっていたので、ワークステーションでは0だった市場シェアを最終的に20%近くまで獲得するにいたった。


だが、問題は解決しなかった。


まず開発費をかけすぎたこと。


そして、なによりも、IBMが40万人近い従業員を抱え、終身雇用制度を維持できたのは、粗利率が70パーセントというメインフレームビジネスのおかげだった事だ。


80年代は400万ドル相当のメインフレームでしか出来なかったことが、90年代には10万ドルのワークステーションでできるようになった。2000年代になると3〜4百ドルのPCで出来るようになっている。

ムーアの法則はあまりに急激に性能をあげてしまう。

当然、ある顧客層は、メインフレームを買わなくなった。

簡単なアプリさえ動けばいい顧客は、メインフレームを買う必要なんてどこにもないからだ。

IBMは、400万ドルのメインフレームから、300万ドル前後の粗利益を得れた。それが、IBMの官僚制度と終身雇用制度を維持させた金のガチョウだった。

ところが、ワークステーションでは、一台売れても10万ドル。粗利益は3万ドル程度しか出ない。(今のPCでは、一台売れても400ドルである)


IBMは、例え、ワークステーションである一定のシェアを得たとしても、メインフレームが売れなければ、そのシステムを維持することが出来ないのは明白だった。


その破綻は、90年代初期に訪れた。メインフレームでの売上がおちはじめたのだ。顧客は、PCとワークステーションに乗り換えはじめた。メインフレームは売れなくなりはじめた。(しかもPCビジネスではマイクロプロセッサーとOSしか儲からないという状況がはっきりしはじめ、マイクロソフトは90〜92年の間に7000人近く人員を増やしていた)


そうすると、今度は、メインフレーム業界のプレーヤーは、値引きを始めた。日立、東芝、アムダール、富士通、IBMによるメインフレームでの価格戦争が容赦ない勢いで進んだのである。


結果、50%近い値引きが起こった。これはまるまる、IBMの利益を消し飛ばして、ありあまる数字である。

結果として、IBMは、92年50億ドルというアメリカ企業史上、最悪の赤字を記録した。富士通、日立、アムダールの経営も同じようにズタズタにされてしまった。


一方、92年、マイクロソフトとインテルは20億ドルの収益をあげていた。サンは、UNIX系のベンダで一人がちの様相を見せていた。

ただ、サンも又、ワークステーション→PCへの移行についていけなかった部分もある。

wikipediaに書いてあることだが、マルチウィンドウやアイコンなどによる GUI、ネットワーク機能の標準装備、マルチタスク、SVGAを超える高解像度のディスプレイなどがワークステーションのPCと比べた特徴であったが、これらの特徴は Windows95の登場とPCの普及によって、ワークステーションのみの特徴ではなくなった。

結果として、メインフレーム→ワークステーションという流れにIBMがついていけなかったのと同様に、ワークステーション→PCという流れに、サンもついていけなかったといえるかもしれない。


1992年というのは、コンピューター産業にとっては、転機の年だった。


IBMがコンピューター業界の盟主がすべりおち、メインフレームは、コンピューターの主流ではなくなった。


サンは、絶頂期にあったが、その後の破滅の足音には、かつてのIBMのように気付いてはいなかった。


インテルは、凄まじい勢いで成長を始めようとしていた。

そして、マイクロソフトとIBMは、この年、ついに袂をわかった。IBMはゲイツをついに切り捨てる決断をしたのである。1980年、マイクロソフトにOSを外注したとき、ゲイツはIBMには頭が上がらなかった。だが、1992年、その立場は逆転していた。

PCがコンピューターのメインストリームになり始めており、メインフレームの凋落が始まっていた。


コンピューター産業の未来は、アメリカで最も長い歴史と伝統をもつ企業IBMでなく、ジーンズをはいたボサボサ頭のメガネオタクが握っていた。


コンピューター産業の歴史からは学ぶところが沢山ある。




まず、最も厄介な競争相手は、全く別のレイヤーからやってくるという事。


この産業では、ムーアの法則がまだ厳然として存在している。大きなものは、より小さく安いものに取ってかわられてきた。


そして、そのたびに、盟主の存在が変わった。


メインフレームは、ワークステーションに、ワークステーションはPCに。


そして、今、PCの機能の多くが携帯機器とネットに取り込まれようとしている。



ただひとつ--「膨大な量のコンテンツを集約するアグリゲーターはいまだに必要」




本当にそうだろうか。確かに、今でもメインフレームは存在しているし、IBMは最大のコンピューター企業だ。

まだ、必要はされている。ただし、IBMとメインフレームはリーダーではすでにない。


しかし、どうにも、この手の主張はかつてのメインフレーム時代のエイカーズCEOの主張とダブってしまうのである。彼は、メインフレームがワークステーションやPCにとってかわられてしまうとは思ってもいなかった。


だがIBMのメインフレームは、より安くて小さく、利幅の小さいワークステーションやPCの前に破れた。多くの顧客は、スーパーコンピューターなど必ずしも必要ではなかった。計算能力は低くても値段の低いコンピューターで十分だったのだ。


ジャーナリズムやニュースは、メインフレームではないから、直接的な比較は意味がないかもしれない。


ただ、これだけはいえる。

ワークステーションやPCが破壊的イノベーションだったのと同様に、インターネットも破壊的イノベーションなのだ。


マスメディアが死に絶えることはないかもしれない。メインフレームのように。


ただ、この二つの波にIBMはのれず、終身雇用制度は維持できなくなり、大リストラをせざるを得なかった。エイカーズCEOは、IBM史上、最も愚かなCEOとして記憶されることになった。



こういう教訓は忘れてはならない事だと思う。同じ事が自身の所属する産業におきないとは言えない。


変化の時代においては、例え、大企業でも突然死することすらありえるのだから。


IBMは1990年、687億ドルという最高の売上と53億ドルの純利益を計上した。

そのたった二年後、売上は645億ドルに減り、50億ドルというアメリカ企業史上の最悪の損失を計上した。


その間、たった二年だったのである。たったの二年。


これは、本当に過去にあった出来事なのだ。









タグ:IT 歴史
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