というわけで、本日はインターネットとマイクロソフトの話。
最近の話題も含まれるので、以前に、ネタにした話をかぶる部分もあるので、そこはご容赦を。
このブログで何度か引用させて頂いた記事からはじめるけれど、
マイクロソフトが直面する10年越しの「悪夢のシナリオ
という記事のなかで触れられている、Ben Slivkaのメモが現在の状況を端的に全てを言い表していると思う。
「ウェブは、今日の興味深いソリューションを提供する技術の集合として存在しているが、今後数年で急速な成長を遂げ、MicrosoftのWindows と競合し、これを越える完全なプラットフォーム(原文には、この部分に強調目的で下線が引かれている)へと進化するだろう」(Slivkaのメモ)
で、なぜ、ウェブがwindowsと競合し、これを超える完全なプラットフォームとなるのか?という点について、まず説明するけれども。
まず、なぜ、windowsがPC市場で支配的地位にあるのか、そしてプラットフォームになっているのかについて理解する必要がある。
それは、「web2.0といつか来た道」というこの連載コラムで述べてきたことなのだけど、「windowsさえインストールしていれば、大抵のハード、ソフトは動いてしまう」という点にある。逆にいえば、「windowsというOSがないと、大抵のソフト・ハードは動かない」。
windowsがないとワードやエクセル、フォトショップのような人気アプリケーションソフトは動いてくれないのである。
ソフトウェアを使用する顧客にとって、もっとも重要な要素の一つはソフトウェアの互換性であり、PCで使っていたソフトウェアが、他のPCなどでも継続して使用できるか否かが極めて重要な問題となるのである。
前回のコラムでも述べたとおり、「ソフトを使いたいならうちのハードを使いなさい」というのは、かつてのPC業界のメイン企業の言い分だった時代があった。
IBMのメインフレーム、NECのPC98シリーズなどは、そういった形で市場を支配した。
そして、ソフトとハードを垂直統合することによって、業界標準にのし上がったIBMやNECは、プラットフォームとなり、超過利潤を得ることに成功した。
そういったソフトとハードの垂直統合時代は、MSとインテルが
「うちのOSとマイクロプロセッサーがあれば、ソフトとハードは自由に選べますよ」
という世界を作り上げてしまった事で破壊された。ソフトとハードは分離され、消費者は、好きなハードとソフトを選べるようになった。一方で、OSだけはwindows、マイクロプロセッサーはインテルを使わざるを得なくなった。
インテルは、マイクロプロセッサーを中心として周囲の重要なハード、技術を統合してプラットフォームとなり、マイクロソフトは、OSを中心にして重要なアプリケーションソフトを統合し、プラットフォームとなった。
これが、1990年代から2000年初期のPC業界の構図だった。
いわゆるウィンテルの時代だ。
が、Ben Slivkaが10年前に予言した通り、そこに変化が現れ始めた。
それは、インターネットだった。
インターネットが、MSの内部において、問題とされた理由は、ひどく単純化してしまえば、こうなる。
「インターネットにさえつながれば、OSやハードに依存せずにアプリケーションソフトがネット経由で使用可能になる可能性がある」
ということになる。
たとえば、グーグルにしてみよう。
あれは、非常に便利なサービスだが、ウィンドウズでもリナックスでもmacのOSでも、ブラウザさえ入っていれば動く。
他のネットサービスのほとんどがそうだけれども、インターネットのサービスというのはOSやハードに依存せずに動くものが多いのである。今後、ケータイでも使えるようになっていくだろう。
最近ではオンラインワード、オンラインエクセル、オンラインフォトショップのようなサービスも多い。
この状況がすすめばどうなるだろうか?
windowsを我々が買うのは(というか買わされているのは)、それがないと重要なアプリケーションソフトが動かないからだ。
だが、もし、ネット経由ですべての業務ができ、すべてのソフトウェアがブラウザ上で動くようになったらどうなるか?
そうなれば、windowsを買う必要はどこにもなくなる。
OSなんて、どれでもいいのである。ブラウザさえ入っていれば、必要なことは全部できるようになるからだ。場合によっては、PCすら必要でなくなるかもしれない。ネットに繋がってブラウザさえ搭載されていればいいのであるから。
最近、DSにもブラウザが搭載されたけれど、今後、この波は広がるかもしれない。PDAは死に絶えてしまった。が、ipodは大ブレイクした。ケータイからのネット利用も増えている。
現状PCのキラーアプリはネットだ。
そしてネットは、PCからでなくても利用可能なのだ。
ネットに繋がって、ブラウザさえ動けば、ほとんどのネットサービスが動くようになるといろいろと変化がある。PCでしかネットは利用できないというわけではなくなれば。その先駆が多分、ipodだったのかもしれない。
そして、もしそうなった場合、windowsには、市場を支配する力の大部分がなくなってしまう。
OSによって市場を統合する力が失われてしまうからだ。そしてウェブが事実上のプラットフォームになってしまう。
大部分のユーザーにとっては、ウェブに繋がってブラウザさえ動けばよいわけで、OSやハードには依存しなくなるのだから。
Ben Slivkaの予言は、そういう未来を見越してのものだったのだろう。
さらに、次世代のオフィス製品には、XMLが組み込まれることになっている。
このXMLは、厄介な問題だ。
問題点は、XMLは定義付けされたデータをさまざまなプラットフォーム間で交換可能である上に、それがオープンなフォーマットであるという点がまず一つ。
現状、XMLは多くのクライアント、サーバーシステムで標準的に採用されるようになってきており、戦略上、それを外すことはできなのだが、XMLはオープンなフォーマットである以上は、100%互換性を売りに競合他社がオフィス製品を出すことが可能になるのである。
IBMは、これで失敗した。(勿論、初期はオープンな規格であるがゆえに成功したのだが)
初期PC市場においてオープン戦略で圧倒的なシェアを獲得することに成功したもの、オープンな規格であったが故に、コンパックなどの競合他社のPC/AT互換機(クローン機)に悩まされることになる。(ちなみに、当時のコンパックの戦略は、「100%互換性をもつ性能の高い高級PC」だった。それでIBMから市場を奪った)
同じようにサンも、これと似たような失敗している。オープン戦略をとることは、すなわち、クローン製品の台頭を許す土壌を作ってしまうのである。
興味深いケースであるが、しばしば、このように、業界一位の企業が、自らの戦略の途上で、競合他社に付け入る事を可能にしてしまうルール変更を行なってしまう(あるいは行なわざるを得なくなるケースがある)。
ウィンドウズと、IEは、インターネットの普及に素晴らしい功績を残した。それまでの「ハードとソフトの垂直統合」というPCのビジネスモデルを世界中で破壊した。消費者は、好きなソフトとハードを選べるようになった。IEはwindowsと抱き合わせでついてきたので、ネット利用も楽になった。ネットは凄く簡単につなげるようになった。
一方で、自らの覇権、収益の源泉であるwindowsを破壊しかねないインターネットというサービスを育ててしまった。
短期的には、それで成功した。ネットスケープを打ち破った。だが、長期的には問題を抱えてしまった。ネット経由で使用されることになるアプリケーションソフトウェアサービスの台頭だ。これは、OSに依存しないサービスなのだ。
まるで、IBMがPC市場に参入する際に行なってしまった間違いを再び再現したかのような展開でもある。
IBMはPC市場に参入する際にオープン規格を採用し、PCの重要な部分OSとマイクロプロセッサーを外注した。
結果として、IBM-PCは、PC市場で60%以上のシェアを獲得した。IBMの前途は光り輝いて見えた。
だが、オープン規格の採用は、コンパックなどといったPC/AT互換機を作るメーカーの台頭を許し、OSとマイクロプロセッサーの外注は、後にIBMのライバルとなるマイクロソフトとインテルの勃興を助けてしまった。
ゲイツは、ウィンドウズとIEでインターネットの普及に一役買った。だが、一方で、そのことが、グーグル、ヤフー、セールスフォース、そしてオープンソースといった自社に脅威となる企業の勃興を助けてしまうことにもなった。
IEでネットスケープをつぶすことはできた。だが、ネットサービスの部門ではマイクロソフトとMSNは、まるで冴えなかったし、美味くいかなかった。
Ben SlivkaやBrad Silverbergは、95年当時から、その点を見抜いていたし、中島さんのブログにも、当時、中島さんがウェブベースのMSワードを作ろうとMS社内で奮闘していた話が書かれているのだが。
最初から、その重要性はわかっていたが、それでも、そこにむけて戦略がたてられなかったのである。まるで、PC時代初期のIBMのようで泣けてくる部分もある。IBMも、MSやインテルにコア技術を委託することの危険性が内部で指摘されていたし、対抗の技術はいくつも作られていたのである。だが、結局、それらは実行されなかったか、あまりに遅れて市場に出されることはなった。
Google OS を妄想すると未来が見えてくる!?
こちらや
Google Office が Microsoft に勝てる理由
こちらなどが参考になると思われるが、とにかく結局のところ、MSにはオンラインベースの出来なかった。
そもそも、ネットサービスの分野に無理やりOSを押し込もうとするのは間違いだったのかもしれないけれど。
とにかくも
MSN や Expedia などが提供する各種サービスをウェブ・サービスの形に正規化し、進化させ、かつサードパーティを巻き込んで、そういったサービスへのアクセスを Longhorn の標準APIとしてプログラマーに提供すべきであったのだ。
中島さんの上記エントリからの引用になるのだけれど、こういった事を真面目にやりはじめたのが、グーグルであったり、アマゾンであったり、ヤフー、セールスフォースなどになる。オープンソースという潮流もその一環として捉えていいのかもしれない。
そして、MSは、かつてのIBMのように、何もかも出遅れてしまった。まるでIBMクローンのように振舞ってしまった。
今多くのネット列強が、APIを公開することによって、自らのウェブサービス上で動く各種アプリケーションをサードに開発してもらい、最終的には、ウェブサービス上でのプラットフォームになろうとしている。
それが、ネット列強の狙いなのだ。IBMやマイクロソフトがかつてそうであったようにプラットフォームになることが。
プラットフォーム戦略の歴史をたどると、よくわかる。
IBMやNECによる「ハードとソフトの統合」モデル
↓
マイクロソフトによる「ハードとソフトの水平分離」「OSによるソフトの統合」モデル
↓
ネットサービスによる「ソフト・ハード・OSの水平分離」「標準APIによるウェブサービスの統合」モデル
といった歴史的なプラットフォームの動きが見える。
多分、この先にある未来は、OSやハードに依存せずに、様々なアプリケーションソフトウェアがネット経由で使えるようになっていくという感じなのだろう。
その中で、多分生き残った企業は、自社サービスのAPIの上に沢山のサード(あるいは個人の開発者)を集めて、ネットワーク外部性の力を利用して競合他社と自社サービスの差別化を行なった企業になるのではないかと思われる。
そのレースの途上に我々はいるのであり、丁度時代の変わり目にいるんだろうとおもう。
多分、今は、PCにおける80年代後半から95年あたりまでの時期に相当する時期で、新しいプラットフォーム企業がこれから幾つか誕生していくだろう。
この間、GREEの田中さんが、
こちらで
「PCの検索サイトもだんだん淘汰され、世界的にはGoogle、ヤフー、MSNなど数社になってしまった。今後、ケータイ検索サイトはどれだけが生き残れるだろうか」
と問い掛けていたが、今までの歴史を見る限り、生き残れるのは、bP企業とbQ企業くらいだ。
要するに、長期で生き残れるのはメインとバックアップとなる企業くらいなんである。
それになれるかどうか。
多分、その競争の結果をこれから我々は目にするんだろう。