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2006年08月23日

議論と口コミの非同期化は、一体何をもたらすのか

ふと思った。題名どおりのことを。

このあいだ、

メディア・ゲーム・ネットで進む非同期化

という記事を書いた。

そん中で、

同期型コミュニケーション
(会話のようなお互いが同時に同じ意思の疎通を行わないと成り立たないコミュニケーション)

非同期型コミュニケーション
(文字やビデオのように、好きな時に見たり聞いたり読んだりするコミュニケーション)


というコミュニケ―ションの変化を扱ったのだけれども。



基本的に、コミュニケーションは、非同期化する傾向にあり、「好きな時にいつでも」できるコミュニケ―ションというのを、人は好む。そのほうが利便性が高いからだろう。

ケータイメールの流行もそのあたりが原因なのかもしれない。


人間社会が、地球上のあらゆる生物の頂点に立つことに成功したのは、この類稀なる「非同期型」コミュニケーションを持っているからだと思う。


「文字」のような極めて強力な非同期型コミュニケーションがあるおかげで、我々は、空間や世代を超えて、英知を共有できるからである。


この非同期な知の共有によって、人類は、様々な偉業を成し遂げてきた。


そして、今、ネットという形で、コミュニケーションの形が、大規模に変化を遂げようとしているのだけれど。

ネットにおいて、「非同期化」したコミュニケーションに、「議論」と「口コミ」がある。

ネットの登場以前、議論や口コミは、同期的なコミュニケーションだった。

例えば、主婦同士の口コミなどは、「井戸端会議」なんていわれるように一同に会した時とか起こる情報交換だったし、議論は、居酒屋だったり、ディベート用のセッション、会議のような場所で、参加者が同期して行なっていた。


だが、ネットの登場によって、口コミはネット上で、大規模に非同期で行なわれるようになった。

議論もしかり。ネット上では、非同期な議論が存在する。2ちゃんは同期的だが、ブログはTBなどを通じた議論で、それは、かなり非同期なものとなっている。


僕が、興味があるのは、ここからである。


本来、我々は、対人において、同期的なコミュニケーションを好み、そこから強い影響をうけることが多いはずだ。


なぜなら、文字による人類史が記録され始めたのは、5000年ほど前からであり、それまでは、ずーっと同期型コミュニケーションが主体だったからだ。


口コミや、議論は、それ以前からあったであろうことは間違いなく、音や映像によるそれは、我々の文化の一部だった。


ただ、ネットで、それらが大規模に非同期化した。


それは、今、どの程度、我々に影響をあたえているだろうか?


口コミや、議論を同期的に行なう場合、我々は、長い歴史の中で、その訓練を積んで来た遺伝子の末裔であるため、それなりに、対応能力を持っている。


口コミであれば、相手の表情や口調で真偽を見極めようとするし、議論もしかり。


ただ、文字による非同期な口コミ、議論は、どうだろうか?


それは、以前と同じ口コミや議論より、強い影響を与えるのだろうか?


それとも、音声や映像を伴わないそれは、以前ほど影響をもたなくなるのだろうか?


ドイツ語聖書やグーテンベルグの活版印刷は、その後の歴史において、印刷という形で、知識伝達の非同期化をもたらした。そのおかげで、我々は、本があれば、いつでもすきな時に、知識を吸収できるようになったのである。他の人に知識を教えられる必要性がすくなからず失せた。


本の知識は、やがて分散していき、今では、識字率が100%ちかい。


ものすごい影響をもったのである。時間はかかったものの、科学の発達は、活版印刷による知の非同期化、拡散によるものが非常に大きい。


ネットがそれをさらに押し進めている。


知はすべてWWWに開放されつつあり、それを検索エンジンなどがインデックスし、そして我々は、非同期に、つまり、いつでも好きな時に、その知識を呼び出せる時代に向かって進んでいる。


今回の知の非同期化は、何をもたらすんだろう。

少なくとも、議論や口コミの非同期化は、それらに流動性を与え、それらは以前とは比べ物にならないほどの価値をもつようになった。

以前だったら、ただの石にすぎなかった情報も、ネットに投げ入れられて流動性を与えられると、値段がつくようになる。(ネットでは、値段でなくて、リンクという形で価格付けが行なわれるわけだけど)

ひょっとすると、いま、必要なのは、玉石混交の中から、玉を抜き出すプロセスでないのかもしれない。


今、ネットで行なわれているのは「リンクによって価値判断が行なわれる知のマーケット」を創出することにより、商品に流動性を与えて、以前は、流動性がなかった故に何の価値もなかった情報に、より流動性を与えることで厳密な形での価格をつけるプロセスだと考えるべきなのかもしれない。


もし、そうなら「非同期化」というのは、ある意味で株式市場における「流動性」とほとんど同義なのかもしれない。


今日、そんなことをつらつらと考えていた。






タグ:IT
posted by pal at 21:13 | Comment(3) | TrackBack(1) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
この記事へのコメント
小松左京の「継ぐのは誰だ」に超高速・非同期コミュニケーションが主流になった人類の遠未来があったように記憶しております。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4894563819/250-4823017-9189009?v=glance&n=465392

将来に絶望してしまうとやたら簡単に死んでしまうかよわい我々の子孫になってしまうようです。
Posted by ひでき at 2006年08月25日 15:32
>ひできさん
「継ぐのは誰だ」、読んでみますね〜
Posted by pal@管理人 at 2006年08月26日 20:03
こんにちは。
>今、ネットで行なわれているのは「リンクによって価値判断が行なわれる知のマーケット」を創出することにより、商品に流動性を与えて、以前は、流動性がなかった故に何の価値もなかった情報に、より流動性を与えることで厳密な形での価格をつけるプロセスだと考えるべきなのかもしれない。

私としても、↑が進行中だと思っています。いずれ、「知」そのものが現実的なお金によって取引される日がくると思います。当初は色々な弊害が出るかもしれませんが、ヒトはその状況に習熟して、所与の環境として生きるようになると思います。
Posted by 今泉 at 2006年09月02日 19:40
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