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2005年03月04日

「風と共に去りぬ」に見る戦争とジャーナリズムの本質

「風と共に去りぬ」は南北戦争期のアメリカを舞台とし
南部の破壊と再生を描いた歴史小説である。
そして、その軸を通して、
レット・バトラーとスカーレット・オハラという
二人の個性的なキャラクターのロマンスが描かれている。

最近、ジャーナリズムを話題にするブログをいくつか読んで
「風と共に去りぬ」のある文章を思い出した。

作中でミード博士が南北戦争の大儀を守るための演説を述べる。

「しかし、南部の愛国的男子や婦人にとっては
神聖なものが沢山ある。
略奪者から我が国土を守るのもその一つであり、
州権もその一つである。
そして・・・」


対するレット・バトラーの次の言葉は、実にわかりやすい戦争評だ。

「戦争は全て神聖です。
ただし、戦わねばならない人達にとってはです。
もし戦争を起こした連中が、戦争を神聖なものにしなければ
馬鹿馬鹿しくて誰が戦うものですか。しかし戦争をする馬鹿者に
雄弁家どもが、どんな景気のいい標語を与えようと
どんな崇高な目的をこじつけようと戦争には
ただ一つの理由しか絶対にありません。

それは金だ。

戦争は、全て、実は金の奪い合いなんです。
けれども、それを悟っている人はほとんどいません。
彼らの耳は、太鼓やラッパの音、銃後にあって大言壮語する
雄弁家どもの美麗字句で塞がっている。景気のいい呼びかけは
「キリストの墓を異教徒より奪え!」となることもあれば
「ローマ法王を打倒せよ!」となることもあり、時には
「自由のために!」となり、あるいは
「綿花と奴隷制、州権制の為に!」となること
もあります」


これほど、深遠で簡潔な戦争批評はないだろう。

さて、この状況は、何かと似ていないだろうか?

僕は、この状況が、今のメディアを巡る状況に
酷似して見えて仕方ない。
上の文章をちょっと今の状況において書き換えてみよう。

フジTV(仮)
「しかし、ジャーナリズムにとっては神聖なものが沢山ある。
公共の利益もその一つであり、表現の自由もその一つである。
そして・・・」

ホリエモン(仮)
「ジャーナリズムは全て神聖です。
ただし、ジャーナリストにとっては、です。
もし経営者がジャーナリズムを神聖なものだと言わず
広告料目当ての金儲けが目的だって言い始めたら、
馬鹿馬鹿しくて誰が報道なんてするものですか。
しかしジャーナリストに経営者がどんな景気のいい標語を与えようと
どんな崇高な目的をこじつけようと
報道にはただ一つの目的しか絶対にありえません。

それは金だ。

報道は、全て、実は金儲けにすぎないんです。
けれども、それを悟っている人はほとんどいません。
ジャーナリストの耳は大言壮語する雄弁家どもの
美麗字句で塞がっている。
景気のいい呼びかけは
「報道の自由を守るために!」となることもあれば
「表現の自由を守るために!」となることもあり、時には
「弱者のためのジャーナリズム!」となり、
あるいは「公共の利益の為に!」となることもあります」


過去の歴史を見ればわかるが、金儲けを正当化するために
幾度もイデオロギーが利用されてきた。

一般的に、金儲けというのは多くのコミュニティで
否定的なイメージをもたれているからだ。
そして、コミュニティと対立していては
金儲けなど望めないのである。

今、ジャーナリズムは揺らいでいる。
ネットの出現が、メディアにのみ許されていた情報を
発信する権利を奪ってしまった。
今まで、彼らは、コミュニティの共通の敵を攻撃し、
一般大衆に取り入ってきた。
それと同時に、権力者と結びつき、一般大衆と権力者の二つから
利益を吸い上げてきた。

南部戦争当時のジャーナリズムがまさにそれだ。
「風と共に去りぬ」より引用しよう

スカーレット「もうすぐイギリスとフランスが、
あたしたちの味方をしてくれるのを
よく知っているくせに、そんなことをいうなんて
随分ひどいわ。それに・・・」

レット「おや、スカーレット、君は新聞を読んでいるようだ。
これは驚いた。もう新聞なんか読むのはおよしなさい。
あれは女性の頭を混乱させるだけだ。(中略)
いや、スカーレット、外国が援助の手を差し伸べられるなんてことは
南部の士気を高揚するために新聞がでっちあげたものなんだ。
南部同盟の運命は、もう決まっている。
今はもう、らくだのように自分のこぶを食って命をつないでいるだけだ。」


勿論、当時のジャーナリストの中には命をかけて、
真実を伝えようとした人もいる。

だが、結局、彼らは、大衆からも権力者からも拒絶された。
南部の人達は、自分達の利益のために奴隷制を守る必要があったし
権力者達は、州権制、既得権益を守る為に命がけの抵抗をした。
だから、新聞はこれら二つをよろこばせる記事を書きつづけた。
それが一番売れるからだ。

結末は、ご存知の通り、南部の敗北に終った。

南北戦争当時の新聞の状況は、
ジャーナリズムが、真実でなく、金儲けのために
存在することを、残酷な資本主義の一形態にすぎない事をよく表している。
新聞は売るために存在するのだから、
一般読者が喜びそうなニュースを提供するのは当然だろう。
例え、それが真実ではなくても。

当時のジャーナリズムが、権力によって
無理やり捻じ曲げられていたという人もいる。

これも又、真実だ。
報道が政治のプロパガンダに利用されたのは事実だからだ。

だが、どんな劣勢に立とうとも、誰から省みられる事がなくても
誰からも感謝されずとも、真実の為に命がけで戦うジャーナリストが
いつの時代も常に少数派なのは何故だろう?

それこそが、彼らが掲げる「公共の利益」という名の旗であるのに。

そして、権力に追随したジャーナリストが、
常に大多数であった理由は何故だろう?

極論すると、人間だからだ。誰だって、自分の命と金が大事だ。
だから、逆らって殺されるより、寄生して金を
吸い上げたほうがいいに決まってる。

今まで、ジャーナリズムは、そうやって生き延びてきた。
いつの時代も、正義と真実の仮面をかぶり、仮面の下の商人の顔を隠しつづけて。

ところが、ネットの登場によって、メディアを攻撃する
強力なコミュニティが登場してしまった。
ネットでは、ジャーナリズムの正義と真実の仮面の下にある
商人の顔を激しく攻撃するコミュニティがある。

今まで、世論から攻撃された事のなかった彼らは慌てふためいている。
アメリカで、ブロガーの追求を受けて2人の記者が
辞職に追い込まれた事がその象徴だと思う。

メディアが、決して中立な報道などしていないこと、
権力者と結びついて、情報をコントロールしていること、
これらを日本社会コミュニティが知ってしまった。
その結果、ジャーナリズムのイデオロギーは、崩壊の危機に
瀕している。

一つのイデオロギーの崩壊は、新たな市場経済出現の前兆であることがある。
王権神授説の崩壊が資本主義の台頭の前兆だったように。

ホリエモンのメディア買収など、その先駆けにすぎないのかもしれない。

既存のメディア関連広告市場が滅び、
巨大なネット広告市場の誕生する先触れにすぎないのかもしれない。

そして新たなジャーナリズムの理念の誕生の前触れなのかもしれない。

ただ、どんなに新しいジャーナリズムの理念ができようと
それは、自分達の金儲けを正当化するものである事は
変わりないだろうと思う。

金儲け、つまり利益追求は人間そのものであり、
そういう形に落ち着くのは当然のことなのだ。

だから、それは、ある意味では尊い事である。
彼らは、金儲けをしている事を認め、誇るべき時代がきたのかもしれない。

ホリエモンが言ったように

「この世の全ては金で買える」


そしてホッブスが言ったように。

「私は全人類の一般的性向として、
次から次へと力をもとめ、死によってのみ消滅する
やむことなき、また、休止することなき欲望を上げる」




posted by pal at 17:48 | Comment(0) | TrackBack(2) | メディア このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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