の続き的に。
しばしば指摘されるが、IBM最大の失敗は、PC革命当時、インテルにマイクロプロセッサーを、マイクロソフトにOSを委託してしまったことだと言われる。
IBMは、それまでのメインフレーム時代、全てを内製化していた。
そして、1980年代、PCブームが始ると、当時世界最大のコンピューターメーカーだったIBMもPC事業に参入する意思を決める。
ところが、一年以内に市場化するという上かの命令のため、IBM-PCの発売に関しては、IBMは、オープン戦略と重要要素の外部委託という二つの選択をする。
この選択は、当初は、問題なかった。
オープン戦略の結果、IBM-PC/ATは、パソコンのスタンダートとなり、IBMパソコンに接続できる周辺機器メーカーやソフトウェアメーカーの参入を促した。
これによって、IBMは、メインフレームだけでなく、パソコン市場をも支配することに成功したのである。
ところが、オープン戦略をとった結果、互換機とよばれるクローン製品の台頭に悩まされることになる。
まず、コンパックは、IBM互換機と呼ばれるPCで市場に参入し、IBMのシェアを奪い始める。
IBMのオープン戦略は、ネットワーク効果を利用するという点で非常に有効だった。
「メットカーフの法則」、つまりネットワークの『価値』は、そのネットワークにつながれている端末数(ユーザー数)の二乗に比例して拡大する。
オープンアーキテクチャを採用し、外部の周辺機器メーカーやソフトウェアメーカーの参入を促すことは、つまり、ネットワークに繋がれている端末数を増やすことに等しいのである。
IBM-PCの価値をソフトウェア・周辺機器の量と質の二乗に比例して拡大させていくフィードバックがそこでは働いた為、IBM-PC/ATはPCの標準となっていった。
結果として、IBM-PCは、発売後、60%以上のシェアを獲得した。
ただし、オープンアーキテクチャは、先にも述べた通り、後々の問題を生んだ。
一つは、AT互換機とよばれるクローン製品を作ることが容易になったことだ。コンパックなどのメーカーは、IBM製品との100%近い互換性を自社製品にもたせることによって市場に参入した。こうすれば、ネットワーク効果を自社製品にも持たせることが可能なので、勝負は製品の質か価格になる。ネットワーク効果によって、最初から勝ち目のない勝負をしなくてもすむ。
コンパックは、製品の質で勝負することをえらび、北米市場で高級パソコンメーカーとしてのポジションを獲得してしまった。無論、IBMも、それをBIOSなどでクローンを防げると考えていたようなのだが、コンパックの技術者は、それを突破してしまったのである。
もう一つの問題は、OSとマイクロプロセッサーを外注したことによって、インテルとマイクロソフトという競合相手を育ててしまったことだった。
特にマイクロソフトとビル・ゲイツは厄介な問題となった。
1980年頃のマイクロソフトは、ビル・ゲイツとポール・アレンによって設立された中小企業だった。が、IBMから受けたOSの発注が後にビル・ゲイツを世界最大の富豪へと導くことになる。
IBMで、当時ビル・ゲイツとOS開発契約を交渉したビル・ロウのミスはこうだ。
当時、IBMはメインフレームから圧倒的な売上を得ていたし、PCが後にメインフレームを駆逐するまでになるとは思われていなかったのである。
(これは、あまり驚くほどのことでもない。著名なベンチャーキャピタリスト、ドン・ヴァレンタインも、PCの将来性を信じることができず、アップルに投資しなかった。代わりに他の人間をジョブスに紹介したけれど)
それなりに市場はあると思われてはいたものの、そんなことより自社のPCの為に払うdosの使用料や、インテルのプロセッサーの使用料を安くすることが最大の目的だったのである。実際、IBMは当時のインテルのプロセッサーをタダ同然で買い叩き、MSからもタダ同然でdosをライセンスしている。
メインフレームから圧倒的な売上があげれるなら、その利益を使って、下請けに外注し、その部品を組み立てて、IBMブランドで売る。そのほうが安くつくし、短期的には儲かるのである。
短期的には、この試みは成功だった。ただ、長期的に、もっと深刻な問題を抱えてしまった。
初代IBM-PCが発売されたとき、顧客は、三つのOSの選択肢があった。DOS、CP/M-86、そしてUCSDパスカルP-システム。
ゲイツは、ネットワーク効果がOSに働くことを理解していたので、生き残れるのは一つだけだという事を理解していた。
そして、ソフトウェアの互換性の重要性を、当時誰よりもよく理解していた。
(中島さんのブログやITproに、windowsの互換性維持のための涙ぐましい努力の跡を記したエントリがある。 http://satoshi.blogs.com/life/2006/04/index.html http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20060427/236520/
要するに、この互換性の重要性をビル・ゲイツは理解していたということなのである。OSで標準のポジションを得ることができれば、ネットワーク効果によって周辺機器やアプリケーションソフトの数や質の二乗に等しい価値がウィンドウズには付加され、それがポジティブフィードバックを生んでいく。このパワーこそが、ウィンドウズを標準にさせたパワーでもあり、マイクロソフトに市場を支配する力を与える源泉ともなった。)
そして、ゲイツは、この競争で勝ち抜くための三つの策を練る。
一つ目 MS-DOSを最高の製品にすること(これは成功したとは言い難かったが)
二つ目 他のソフトウェア会社がMS-DOS上で動くアプリケーション・ソフトを開発するのに協力すること(これは成功した)
三つ目 MS-DOSを安く売ること(これは成功した)
である。
そして、ゲイツは、IBMにほとんどタダ同然で、DOSを提供してしまう。なぜなら、IBMとの互換性のあるパソコンを出すメーカーからロイヤリティを徴収することがゲイツとMSの戦略だったからだ。IBMにとっても、短期的には、OSを安く使えてハッピーだった。
一方で、ビル・ゲイツはIBMと独占供給契約は結ばなかった。こうして、MSは、OSのライセンス販売というビジネスに乗り出す。ここで、IBMがMSと占供給契約を結んでいれば、又違ったかもしれない。だが、IBMは独占契約を結んでいなかった。
その結果、IBMがAT互換機と呼ばれるPCクローンに悩まされる中で、マイクロソフトは、市場で戦うパソコンメーカー全てにOSを売りまくって儲けることができた。
又、マイクロソフトとビルゲイツは、他のソフトウェア会社がMS-DOS上で動くアプリケーション・ソフトを開発するのに協力しながら、MS-DOS上で動くアプリケーションソフトを増やしていった。
これによって、業界標準のOSにMS-DOSはのしあがっていく。
実は、この時期、アップルもすばらしいOSをもっていた。独自のOS、そしてGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)と呼ばれる、現在のウィンドウズのような視覚的画面インターフェースをいち早く作り上げていた。
ただし、アップルは、そのOSを使用可能なパソコン、つまりMAC互換機を作ることを他のパソコンメーカーに認めなかった。
ソフトとハードを「垂直統合」していたアップルは、MACに強力なネットワーク外部性をもたせることができなかったのである。それは、マックというハードのクローンを他の会社に作る道を開いてしまうものでもあるからだ。ソフトとハードを垂直統合している会社は、しばしば、このジレンマに陥ってしまう。
顧客は、ハードを買い換えた際に、ソフトを買い換えたくなかった。それまでどおりのソフトウェアを使って、新しいハードを使いたかった。
ソフトとハードの「垂直統合」が起こっている場合、そこでは、違う会社のハードを買うと、それまで使っていたソフトが使えなくなるという不便が起こる。
VHSとベータの競争や、ブルーレイとHD DVDの競争は、ユーザーにとって悪夢としかいいようがない。任天堂ゲームキューブのソフトは、PS2では遊べない。PS2のソフトはゲームキューブでは遊べないのもそうだ。
ユーザーは、良いソフトと性能のいいハードを好きなように選びたいのに、ハードとソフトが垂直統合されている場所では、それができない。
「このソフトが使いたいなら、うちのハードを使いなさい」
ハードとソフトを垂直統合しているメーカーの主張は、必然的にこうなる。
だが、マイクロソフトは、当時ソフトオンリーの会社だったので、
「うちのOSがあれば、好きなソフトと好きなハードが選べますよ」
という主張ができる可能性があった。これが進むと、ソフトとハードの水平分離を促す結果となる。
そして、それを成し遂げたのがwindowsシリーズだった。windowsによって、PC業界のソフトとハードの垂直統合が破壊され、ユーザーは好きなソフトとハードを選んで使えるようになった。
これによって、勿論、犠牲者がでた。
たとえば、日本で最もシェアが高く、ソフトとハードの垂直統合を成し遂げていたPC-98シリーズを要するNEC、それから同じようにソフトとハードを垂直統合していたアップルだ。
又、OSを支配したことで、その周囲の重要なアプリケーションソフトも、MSは統合してしまった。マイクロソフトワードやエクセル、IEなどである。
MSはOSを支配していたので、アプリケーションソフトを作るMSのチームは、発売前からその仕様を知ること出来る。これは、他のソフトウェア会社に対する圧倒的な優位だった。
今では、一応、OSチームとofficeチームの間には、チャイニーズウォール(情報障壁)が敷かれていることにはなっている。独占禁止法との兼ね合いらしい。ただ、ワードやエクセルが圧倒的なシェアを得てしまった以上、もはや無駄なんだけれど。
もし、IBMがOSをMSに発注していなかったら、今のビル・ゲイツとMSはなかっただろう。他の企業が、OSの標準になっていたと思われる。
こういった戦略は、「プラットフォーム戦略」と呼ばれる。
IBM360を成功に導いたのもそうだし、マイクロソフトを成功に導いたのもそうだった。任天堂のファミコン、ソニーのPS1、PS2もそうである。
このプラットフォーム戦略は、
「プラットフォームとなる製品同士では互換性を必ず持たせ」た上で
「そのプラットフォームとなる製品上で動作する周辺機器・ソフト」をあつめ
「プラットフォーム上で動く周辺機器・ソフトの質と量で競合他社の製品と差別化する」
というものである。いったん、開放された汎用プラットフォームとなった製品は、過去の例をみると、20〜40パーセントという桁違いの利益率を生む事がある。
例えばIBM360は、メインフレームに、この互換性をもちこんだ。それ以前は、ある特定用途向けのコンピューターが基本で、新しいコンピューターがでると、新しいソフトを買って使い方を覚えないといけなかった。ところが、IBM360のファミリーラインでは、ソフトの互換性が保証されていたので、ユーザーは、そういう不便から開放されたのである。
やがて、IBM360はメインフレームのプラットフォームとなり、IBMは、メインフレームを事実上独占することに成功する。
任天堂は、ファミコンで、ゲームのプラットフォームになることに成功した。ファミコンブーム時代、任天堂は、マイクロソフトより利益率が良かった時期もあるんである。ただ、ファミコンからスーファミに以降する際に、互換性を無くしてしまった。これは、致命的なミスだった。ハードの性能でなく、ソフトの数と質のほうが、そのハードの価値に遥かに高い付加価値を生むからだ。
PSは、その間違いをしなかった。PS1からPS2への移行の際に、互換性を維持したのである。
基本的に、プラットフォーム戦略は、垂直統合している産業を水平分離する力が求められたときに有効なビジネスモデルとなる。
PCでいえば、「好きなソフトを好きなハードで使いたい」というニーズをデファクトスタンダートとなるOS、windowsが叶えた。
実は、今、垂直統合している新聞などは、水平分離の力が強く働いていると思う。
インターネットの登場によって、それが可能になったのである。
そして、その水平分離を推し進めているのが、グーグルやSBM、ニュースサイトなどになる。
既存メディアは、新聞であれば、記者(ソフト)と配達制度(ハード)を垂直統合している。
だが、本来、読者は、朝日新聞や読売新聞という看板が読みたいのでなく、その中の興味ある記事だけ読みたいのである。
そうであれば、ソフトとハードを分離して、好きなソフトとハードを選ばせてくれるプラットフォームこそ求められるものだ。
このプラットフォーム争いが、今、ネットで行われている分野でもある。例をだすなら、SBMやdiggなどのソーシャルニュースサイトだ。
ソフトはもたない。ハードももたない。
あるのは、
「ユーザーが必要とするソフトとハードがどれか教えてくれるプラットフォーム」
なんである。
好みの情報(ソフト)をハード(新聞、雑誌、映像機器)に関係なく見たい読みたいというのが、おそらく今のユーザーの欲求であり、メディアに関してはソフトとハードが水平分離された上で、こうしたプラットフォームに支配される形に再編される可能性があると思う。
そういう意味でも、oh my newsには期待していない。あれは、ソフト(市民記者)とハード(印刷やポータル)を編集権で垂直統合したメディアであって、もう過去のものと変わらない。ネットユーザーは、好きなニュースを好きな時に、媒体にこだわらず読みたいのであって、それには、水平分離を促すSBMやソーシャルニュースのようなプラットフォームのほうが好ましいと思うのだ。
他にも、単一ハードがプラットフォームになるゲーム業界、appleのipod、携帯電話業界などは、ソフトとハードが分離されて、プラットフォームに支配される可能性がある業界だと思っている。そして、そのほうが、ユーザーにとっては利便性が増すのである。
ゲームはハードに関係なく、ソフトが遊べるほうがよいし、携帯音楽機器ハードは、もっと色々あったほうがいい。携帯電話もサービスなどが垂直統合されている形にはウンザリだ。
垂直統合から水平分離へ、そして又、垂直統合へ。
こういった形で、コンピューター業界は動いている。水平分離が行われても、バリューチェーンの別の場所で統合の力が働き、そこにプラットフォームが生まれる。
この繰り返しがコンピューター産業で確認されるわけである。僕は、多分、近いうちにいくつかの分野で、この繰り返しが行われるだろうと思っている。