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2006年06月27日

資本主義と格差社会、インサイダー取引

本日は、資本主義というシステムに僕が思っていることとかをインサイダー取引と絡めて。


こんな話をしようと思ったのは、今日、磯崎さんのブログで

インサイダー取引規制とオフサイド

って記事読んだから。



磯崎さんの記事は、インサイダー取引とオフサイドの解説とかなんだけど、その中で、日ごろから思っていることを端的に言い表している部分がったので、引用させていただくけれど



証券取引法の第1条でも「有価証券の流通を円滑ならしめる」と、流動性の確保は、大きな目的の一つになっています。
「情報の非対称性の下でインサイダーが情報独占者として行動すると、それに一般投資家が反応して市場から退出し、取引が破綻する可能性がある。市場が成立しなければ、価格メカニズムを通じた資源配分がおこなわれないという社会損失が発生することになる。」ということで、一般の市場参加者が減るのを避けたいという要因も明らかにあります。
現状のインサイダー取引規制の根拠としては、この流動性の確保とインサイダー取引による情報伝達機能のバランスを取る、という面が大きいんじゃないでしょうか。



この話の、この部分。

「情報の非対称性の下でインサイダーが情報独占者として行動すると、それに一般投資家が反応して市場から退出し、取引が破綻する可能性がある。市場が成立しなければ、価格メカニズムを通じた資源配分がおこなわれないという社会損失が発生することになる。」



これは、資本主義が成立するためには、必要不可欠な部分。


資本主義というのは、道徳的なシステムではないのは明らかで、基本的に弱肉強食だし、勝ち組みと負け組みが出るようになっている。

もちろん、貧富の差が出過ぎないにすることは可能だが、多かれ少なかれ、二極化するのは止むを得ない。

では、なんで、そこまでして競争が必要かというと、競争をやめると、人間は、競争無しでは、大抵の場合、自らの自己改革をそこでやめてしまうから。能力がある連中が努力もせず、自己保身にだけ一生懸命になると、結果として、社会全体が停滞してしまう可能性があるのである。


カーストという身分制度のあるインドから見た日本の格差社会


以前、為替王さんのところで、こんな記事があったのだが、その中のインド人の経済専門家の意見が、これをうまく説明していて、ちょっと引用させてもらうけれど、


A:下流に落ちて、それに慣れると上昇意欲がなくなる。決してそこから上がろうとはしない。彼らが頑張ることと言えば、政府からの援助を求めることだ。下流では被害者意識が充満している。彼らは被害者として当然の“もらう権利”を主張することに一生懸命になる。驚くべきことに、下流グループから抜け出ることに一生懸命になりはしないのだ。下流層にい続けることを望み、安心してしまう。下流層がグループ化、固定化してしまうことを懸念する。



資本主義という勝ち負けを競うゲームでは、ルール無しでほっておくと、一つの弊害が出てくる。


ひとつは、強者連合による弱者の抑圧。彼らは圧倒的な力を利用して、弱者を搾取するようになる。弱者が上にこれないように徹底的に叩くような真似をし始める。出る杭を叩く。


そうなると、結果として、弱者は「上にいく意欲」を失う。ゲームのルールが強者に有利すぎ、弱者に不利すぎると、「どうせやっても負けるだけならやらない」という結論に達する。人間は、「負けるとわかっているゲーム」はやらないのである。

そして、弱者が上昇志向を失い、インドの専門家がいうように、被害者意識が蔓延し、「もらう権利」ばかり主張するようになる。


その結果、競争が起きなくなり、強者は自己保身のみに熱心になり、自己改革はしなくなる。社会全体が停滞する。進歩が起きなくなる。弱者は、「もらう権利」ばかり主張するようになり、それは、社会全体に「社会保障費」という名目の負担をかける。

この二つの条件が揃うと、社会全体でのパイが減少する。社会の進歩はほとんど起きないのに、負担だけ増大していくからだ。


「インサイダー取引」がある一定の割合で規制されないといけないのは、そういうのを防ぐのが理由だと僕は思う。

情報の非対称性の下でインサイダーが情報独占者として行動する事は、個人投資家から市場に参入する意欲を奪う。「負けるとわかっているゲーム」を人はやらない。

そうなると、市場から流動性が失われる。それは社会的に損失となる。

H-Yamaguchi.net: 株式投資に対する正しい取り組み

山口先生が、極端な話として書いてるけど、

理論的に突き放していえば、こうしたノイズトレーダーの存在は市場に流動性を与え、価格形成をスムーズにする。市場にとってむしろ望ましい存在だ。



という事。ノイズトレーダーの参加は、時として弊害を招くこともあるが、かといって、存在しないのは望ましくないのである。



資本主義というゲームでは、「競争」を人間にさせることが絶対条件なのだが、ほっておくと、やがては上記のような経緯をたどって競争がおきなくなり、パイが減少していく状況が現出する。

そのため、ある一定の「フェアな」ルールを作っておかないとまずいのである。


つまりだが、ゲーム的に、「勝敗はやってみないとわからない」でないといけないのである。インサイダーのように、「八百長」ゲームであるのはまずい。八百長ゲームだとわかったら、人はゲームをしない。


資本主義は、繰り返すが、理想的なシステムとはいいがたい。だが、ある一定のルールが守られる限りは、全体としての進歩があるシステムだ。

評価できるのは、そこだけだが、チャーチルのいうように、人類は資本主義以上のシステムを未だ見出せていない。





タグ:経済 投資
posted by pal at 20:51 | Comment(0) | TrackBack(1) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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