やっぱ、岩田社長はいい事いうなぁと感心してしまった。
で、なんだけど、本日は、創作のデザイン・ルールのお話。
任天堂 経営方針説明 質疑応答
一番、僕が感心したポイントを質疑応答から引用させていただけれど、
岩田:まず最初のご質問にあった、違うルールのものを要求されたってことなんですが、実は任天堂の視点で申しあげますと、任天堂は、新鮮で珍しくて面白い遊びをつくろうというふうにいつも考えてきたつもりですから、そのやり方は単に器が変わっただけで、全く違う角度からものを考えなきゃいけないっていうふうに感じていないんです。
これはQ5より。
ただ、ゲームはいわばお客さまに驚いていただくのが商売ですから、そのお客さまに驚いていただくのに「あなたは何をしたら驚きますか?」っていう質問は全く愚問なわけで、これはずっと私どもが抱えてきた、お客さまの想像のしないようなモノを出すから、お客さまは喜んでくれる、お客さまは驚いてくれるっていう基本の中で、しかもその作る前にはそれが当たるか当たらないか誰も保証できないと。
これはQ8からです。
凄い重要なことが書いてあると思ったんで、自己メモを含めて引用させて頂きました。
えっとですね。
創作に関わる以上、一番気をつけないといけないのが「マンネリ」になってしまうことです。つまり、いつも同じパターンで終ってしまうこと。
勿論、「読者が予想した通りになる」という快楽もあります。
ただ、基本的に創作、特にストーリー関連やエンタメ関連では「意外な出来事、意外な結末」が必須であるといって過言ではありません。
つまりですけど、作品には、新鮮さや、意外性を伴なう面白さが絶対に必要なんですね。
ゲームとかを見ると、数年前までなら、美麗な画像とかを作れば、ユーザーは驚いてくれた。PS1の頃、始めてFF7をやったときなんて、僕も感動したものです。
ただ、もう僕に関していえば、美麗なグラフィックなんて、そう驚くほどのモンでもないわけで。映画で凄いCGをガンガンみせられているし、MMORPGで凄いグラフィックは散々見ました。
だから、よほど作りこまれたハイエンドな作品でない限りは、映像ではビックリしなくなったんです。ものめずらしさも無くなってしまいました。
グラフィック至上主義の終焉は、コストの高騰の面と、そして高品質映像製品自体のコモディティ化のダブルパンチを食らったという感じなんですよね。
結局、MMOとかやっているユーザーとかには、凄いグラフィックなんて、今更感が漂いはじめてる感じですし、普通に息抜き程度でゲーム遊ぶユーザーにとっては、必要も無い凄いグラフィックの代償として高くなりつづけるソフトを買わされる事になるわけで、なんというかユーザーにとっても、会社にとっても袋小路みたいな感じなんですよね。これ以上のグラフィック向上って。
去年、アメリカではMMORPGのビッグタイトルであるEQ2(ハイスペック美麗CG)とWoW(ロースペックポリゴン荒め)の対決があったんですが、今現在、EQ2の総ユーザー数が50万程度で、WoWが総ユーザー数は650万人です。
ブリザード社のWoWの完勝みたくなったんですけど。
で、僕の話になるんですが、最初はEQ2やろうと思って、体験版申し込んで、ちょっとプレイしてたわけです。
その中、WoWが発表されて、どうも、ネットとかではこっちが評判がいい。ブリザードは、元々、出したソフトで100万本以上売れなかったタイトルがないって化け物会社なんで、それで気になって。
で、ちょっと体験版やってみたわけです。
それで、なんですが、まぁ、ポリゴン事態は荒いんですけど、敵キャラのデザインや世界観、システムが、物凄い良いんです。個人的には、EQ2よりこっちのが全然面白くて。
それで、WoWに乗り換えたわけです。僕以外にもそういう人が多いようです。
グラフィックというか、ポリゴンは荒いですけど、それ以外の部分で凄い新鮮な部分や驚かされる作りこみがしてあって、満足度は非常に高いゲームです。
これだけで、判断するのは良くないかもしれませんが、やはり、グラフィックでユーザーを驚かせる時代は、終ったのかもなーと感じているわけです。
エンターテイメントや、創作のデザインルールの基本の一つは、「意外性」でして、これは、セオリーにできない部分でもあります。
なぜなら、一旦、セオリーが出来上がってしまい、それをユーザーが知ってしまうと、その瞬間に「マンネリ」になってしまうからです。
変な言い方かもしれませんが「ルールにできないルール」って感じなんですね。
グラフィックの性能向上は、すでにユーザーが、それを期待に織り込んでしまっていて、あんまりユーザーはそれでは驚いてくれない。だから、他の部分にユーザーを「驚かせる」ギミックが必要になる時代なんだと思います。
あるいは、全く別の手法を使うか。
ストーリーの創作でいえば、今時の読者は主人公がラストまで死なない事なんて折込済みなんですよね。だから、主人公イジメでも手法が最近はちょっと異なる。
死は最高のアートなんですが、どんな危機的な状況に主人公が置かれても読者が「どうせ死なないんでしょ?主人公だもん」なんて思う状況ではどうしようもないわけで。
そのため、物語を盛り上げるために、読者をハラハラさせるための「死に役」が全盛を極める時代になってたり、主人公イジメでも、精神的な苦悩でイジメ抜いたりと。
要するに、ユーザーが期待に何かを織り込んだ時点で、その要素では、読者を驚かすのが難しくなるって事なんですよね。
そういうのをわかっていて、それでどうするかっていうのを考えているのが任天堂なんだなぁ、ゲーム会社として、ここまで頑張ってきた原因は、こういう根本的な部分をきっちり認識して、やっているからなんだなぁと感心してしまったというお話でした。
グラフィックで驚かせる時代は終って、違う部分で驚き、新鮮さを与える時代に入ったんだナァと。
最近、続きものが苦戦するようになった背景には、グラだけ良くて、内容・システムが同じ作品には、新鮮味や意外性がなくなってしまったというのがあるのかもなぁと。前は、グラだけでも良かったけど、それが通用しなくなったのかなーと。
そんな感じで本日はいじょ。