インタビュー全体にケチをつけるわけではないんだけど。
ただ、一つ、嫌なことが書いてあって、ちょっと落ち込んだ。
絵を描きたい人は絵を描き、音楽をつくりたい人は音楽をつくり、というのと同じように、小説を書くというのは、相当特殊な芸術領域だと思います。この本のなかに、注意深く、「芸術的な領域を除けば」というフレーズを入れておいたのですが(『ウェブ進化論』第四章、138ページ)、その領域(の総表現社会)は、もうすでにあったのではないかと思います。
ウェブ進化論のほうも呼んだけど、「芸術的」という嫌な言葉で
小説や絵、音楽がくくられていて、嫌になった。
いや、実際、すでにそういう部分は多いからそれはそれでいい。
ただ、実際に梅田さんに指摘されてると痛い。
芸術というのは、いわゆる一つの文化の最終地点であって
そこでどこまで踏みとどまれるかで、その文化の寿命が決まる。
そこから先はない。一つの文化が、成熟期から衰退期にさしかかった事を
しめす言葉だと僕は思っている。
「芸術」とは、つまり、ニッチ文化だ。
一部の人の間でのみ愛される小さな小さな市場。
衰退してゆく最後の市場。
芸術の領域に文化が入ってしまったら、それは
吟味する側にも、ある一定の判断力が求められるようになる。
その結果、芸術というのはマス、大衆の嗜好とはかけ離れていく。
一部の批評家の舌でしか判断できないようなものになり
誰からも良さが判断できる存在ではなくなっていく。
小説が芸術と呼ばれるようになったということ。
少なくとも、梅田さんが、そう呼んだことは、
小説というマーケットが衰退していくマーケットであることを
示している。
今、モノ書きという人たちは、
とんでもなく厳しいゼロサムゲームの中にいる。
気付いている人はもう気付いているだろうけど、
彼らが取り合っているマーケットは、衰退していくマーケットなのだ。
どんな産業も文化もやがて通るべき道だし、
それは必然であることだから、嘆いてもしょうがないが
小説と似たマーケットにも、やがて来るべき波だという事も確かだと思う。
そう思っているから嫌にもなる。
梅田さんは、何気なく、小説やそれと近似したメディアが
衰退していくマーケットを奪い合っている状態なんだよと
指摘したも同然なのだ。
どんな産業も、それに従事している人たちは、
いずれ、こういう状況に直面する。
ある日、自分達が奪い合っているマーケットが
衰退していくマーケットなんだと気付かされる日がくる。
たまたま、僕の生きている期間にその日が来てしまったというだけの話だ。
catfrogの約一行 編集犬(へんしゅういぬ)あげます - ブログなんて
catfrogさんの所で、こんな記事を読んだが、
ブログの世界なんて大学の演劇サークルの世界と同じだと思うけどなー。表現幻想を抱く勘違いな人が多いところまで同じだ。頭の悪い人文系の自意識くんがとことん独り善がりでろくな舞台作れないところまでいっしょ。
むしろ、そういう方向に突き進んでいるのは
芸術化しつつあるプリントメディアという気もする。
それ以外に、もう、逃げるべきマーケットはないのだから仕方ない。
プリントメディアについては、成熟期、あるいは衰退期なんだし。
成長が終わり、あとは落ちるだけなんで「芸術」なんて言葉で
ブランド化をはかりって生き残りをするしかない点で悲しくもある。
ブランド化戦略を取れば、今後もしばらくの間は
そういう形でプリントメディアは飯を食えるだろう。
戦略としては、もっとも金になるセグメントから
お金をもらえる戦略なので、高い利益は望めるかもしれない。
ただ、衰退していくマーケットだ。
その先は、どうなるかは、推して知るべしって所なんだろう。
最近、津川雅彦がマキノ雅彦の名前で監督をしてました。そのときに、「映画は芸術ではない。映画は娯楽だ。娯楽をなめちゃいかん」と、言っていました。
私も、その言葉に同感だったのですが、その底には、ここで書かれているようなことがあったのですね。