お話を進めます。
戦闘マンガについて
この記事を読んでいて思うんだけど、最近、どうも
少年漫画や少女漫画で、広く使われていた手法が飽きられてきたように感じる。
amalecさんの分析は、とても鋭い指摘だと思う。
「善悪」と「既知と無知」の四象限の分類は非常に良い枠組みだと思う。
僕個人の戦闘漫画の枠組みを述べておくと
村上龍がいった言葉、
「全ての物語は主人公が穴に落ちる→穴から這い上がる/穴の底で死ぬという話型で出来ている」
で言い表せる。
現実問題として、物語は、ほぼ例外なくこれになる。
戦闘漫画や少女漫画は、ほぼこれしかない。
だが、これだけでは半分でしかない。
物語が物語として機能するには、もう少し補足すると
「物語とは、障害があるゆえに生じるものであり、
焦点は、その障害をいかに主人公が克服するか、
あるいは、それらによって主人公が死ぬかにある」
という事になる。
単純化してしまうと、これで言い表せる。
そして、上記のような条件の下で、作家は、
物語に山を作り出すために大抵、以下のようなチャートを辿る。
「主人公が障害を克服しようとする」
↓
「主人公が逆に酷い目にあう」
↓
「主人公が障害を克服した」
↓
「と思ったら事態がさらに酷くなる」
↓
「何もかも終り。主人公は穴の底に叩きつけられる」
↓
「主人公の逆転が始まる/あるいは穴の底で死ぬ」
バトル漫画、少女漫画は、このチャートを延々と繰り返しているので
しばしば、うんざりするほど同じような光景を目にすることになる。
とにかく、「主人公が障害を克服しようとするとさらに酷い目にあう」という
パターンを繰り返す事で、物語に起伏をつけて、読者を飽きさせないように
作られているんだけども。
このチャートというか、展開の基礎というか、黄金パターンは
ここ20年くらい延々と繰り返されてきた訳だ。
ジョジョ第三部のラストバトル、丈太郎とdioの戦いなんてそれの典型で
「主人公が障害を克服しようとする」
・丈太郎の仲間が、dioのスタンドの秘密を解こうとする
↓
「主人公が逆に酷い目にあう」
・仲間一人づつ殺されていく。ジョセフが丈太郎に「dioのスタンドは時を止められる」って秘密を伝える
↓
「主人公が障害を克服した」
・丈太郎と彼のスタンドがとまった時の中でも動けるという事が明らかに。
↓
「と思ったら事態がさらに酷くなる」
・とまった時の中でナイフを何十本も投げつけられる
・死んだ振りをしてdioをひきつけて頭蓋を砕くが奸智に負けて祖父ジョセフの血を吸われてしまい、dio復活。
↓
「何もかも終り。主人公は穴の底に叩きつけられる」
・dioに吹っ飛ばされ、骨を何本もおられた後、ロードローラーをもってこられて潰される
↓
「主人公が穴の底から脱出/あるいは穴の底で死ぬ」
・丈太郎が時を止めて脱出。dioをぶちのめして勝利。
こんな感じである。ジョジョという漫画は展開チャートの基本に忠実なのだ。
バトルを一つずつおっていくと、基本に忠実で展開も非常に上手く唸らされる。
「主人公が何かすると、さらに状況が酷くなる」ってストーリーの基本中の基本に
忠実であり、「障害無くしてストーリー無し」の教科書であるとも思う。
DBやスラムダンク、少女漫画ではガラスの仮面なども、
基本的にコレであり、その展開の上手さには、感心させられてしまう。
主人公ってのは、一歩歩いたら、地雷が爆発するか、天から隕石が落ちてきて
頭を直撃するような悪運の持ち主でないといけなかったわけだ。
少なくとも、ストーリー漫画の主人公・ヒロインは。
そして、それで助かるのが喜劇スタイルの物語で(少年漫画、バトル漫画といってもいい)
それで死んじゃうのが悲劇スタイルの物語だったのである。
で、なんだけど今日、発熱地帯さんで
『狼と香辛料』
を読んで、やはり、これが飽きられてしまったのかな、と思い悩んでしまった。
最近、日本でもヒットした「24」は、このスタイルの正統な継承者であったり、
ミスターインクレディブルやファインディングニモもそうなので
まだまだ大丈夫だと思っていたのだけれど、品質にうるさい人達はどうも
これに飽きてしまった気がしないでもない・・・
我々のようなクリエイターの力量の問題なのか、
それとも、今までの創作スタイルの基本中の基本が飽きられてしまったのか・・・
ワンピースや、ナルト、ハンターハンターといった今のジャンプの看板も
すべからく、この基本に忠実なので、まだ大丈夫だと思ってはいるのだけれど・・・
ただ、最近、大ヒットが生まれにくくなったなんて言われているのは
どうも、このパターンが飽きられはじめた兆候なのかもしれないと
心の底で恐れていたりもする・・・
関連して、本日、はてBの「創作」タグで面白かった記事を紹介
物語らせな物語たち
こちらは物語の条件のお話です。短いですけど感心させられたのでご紹介。
キャラとストーリーの法則
こちらはドラえもんのキャラとストーリーの構造解析。
曖昧さのもたらす恩恵
これは、直接創作とは関係ないのですが、海外在住の漫画家の方のお話。
漫画における編集者と漫画家の関係について、考えさせられることが書いてあります。
非常に興味深い内容だったので、ご紹介させていただきました。
ちなみにですが、漫画雑誌では「バンチ」の編集さんには、
コミックスの売り上げの幾ばくかが入る仕組みになっております。
僕個人は、現状の仕組みにおいて、バンチみたいに編集さんに
なんらかの形でインセンティブがはいる仕組みがあったほうがいいのでは?
と思うこともあります。
最も、インセンティブがあるバンチの売り上げが芳しくないので
現状、必ずしも機能しているといいがたいです。制度的にもう少し洗練されないと
いけないと思うのですが。
しっかりとしたインセンティブがないと、
真面目に編集したり、新人賞の審査をしないという弊害も出かねませんし
それは、結局、漫画家自体の損になるとも思うわけです。
漫画家が、連載枠をもつのには、どうしても編集者さんに
認めてもらうことが必要ですし、週間連載だと編集さんにネタをもらわないと
やっていけません。スピードの問題上。。。
だから、そういう場合に、しっかりとしたインセンティブが
あるかどうかは大事だと思うんですよね。
大胆に改革して編集者も、漫画家みたいにアウトソーシングにして
契約制の年俸システムのコミックスの売り上げの何パーセントが収入とかに
すべき時代なのかな。
まぁ、編集者さんの世界は、僕もしらないことが多いですし、フリーの人も多いですから
何ともいえないんですけど。
物語なんて、ローマ時代に語り尽くされているのさ。
ところで「須く(すべからく)」は「須く勉強せよ」のように「すべきことだから」のような意味で使う語です。「全て」の意味で使うのは単に誤用です、念のため。
とりあえず単行本の値段を上げた方がいいと私は思います。ライトノベルの百倍苦労するのに値段が一緒なんて・・・。
ここで指摘されてるのは戦闘マンガですから。
戦闘マンガに限らずマンガには起承転結という骨組みが存在する以上、物語がパターン化されるのも無理はないかもしれない。
またここで上記のパターンを全く無視したマンガを描けば異端として見られるのでは無いだろうか。
連載マンガは売れる、または売れたいという事を最初の目標にしているわけだから異端的なマンガを描くためには組織に属さず、個人で制作するしかないのではないだろうかと思う。
僕もそう思います。
数少ない例外はありますが、ほとんど
それですもんね。
>>- atさん
「須らく」を今まで誤用していました。
指摘していただき感謝しております。
>>お茶妖精さん
あずまんが大王は、確かに、例外といっていい存在ですよね。ヒカルの碁のほうは、主人公は登っていくだけですが、周りのサブキャラは散々穴に落されているので、そちらでストーリーに山と谷をつけている作品だと思います。主人公を穴に落すのでなく、サブキャラに焦点を当てた上で一時的な主人公扱いにして穴に落したりする手法は、よく使われます。
>>モリソンさん
その辺りは、ネットで流通コストが、限りなく低くなった昨今がチャンスなのかもしれません。既存の雑誌だと、部数の関係上、冒険的作品に連載枠を当てることは難しいですから。
フリーザとの戦いも「フリーザとベジータが同列→フリーザ変身→ピッコロ登場→フリーザ変身→悟飯キレる→フリーザ変身→ベジータパワーアップ→フリーザの方が強い→悟空登場→フリーザの方が強い→元気玉→フリーザ生きてる→超サイヤ人」と山と谷の連続ですし。
黄金パターンが飽きられつつあるのには同意ですが、一方でJoJo3部やDBのようなものが今でも評価が高いのは、やはり「お約束」の需要があるからではないかと思います。にもかかわらずそれらが飽きられつつあると感じるのは黄金パターンを不細工に模倣し、且つ蛇に足を加えた結果ではないかと。大ヒットにするための軸からはずれたものを作ったりすれば、大ヒットが生まれにくくなるのは当然かな、と。
あと、昔の漫画に比べて1イベントにかける時間がだらだら長い(山や谷がなだらかになっている)せいもあるんじゃないかなあとは思うのですが。
所詮素人考えなのでお耳汚しであれば申し訳ありませんです。
燃える展開から逃げたがる、感動を与えることに躊躇する、お約束のパターンであることをやたらと強調する、今はそんなお話ばっかじゃないですか(と印象だけで語ってみたり)。
お約束の需要は、いまだにあるんだと僕も思います。
仰るとおり、質の悪い模倣の問題は、いつの時代もあったんですが、同じものを書けないのが物語ですので、一つのジャンルで最高の作品というのが生まれてしまうとどうしても劣化コピー生産状態になってしまい、縮小再生産に、一つのジャンルが入ってしまうというジレンマもあります。
>>スズメさん
仰る通り、一番飽きているのは我々の側なのかもしれません。燃える展開を冷笑し、感動を与えることに積極的になれず、批判を恐れて、自分でゴールデンパターンであることを暴露してしまう、現在の風潮には、問題が確かにあります。