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2006年02月01日

アテンションエコノミーとかについて思うこと

ちまたでアテンションエコノミーなる言葉を良く耳にするようになった。


これについては、

Attention,please!「アテンション・エコノミー」の時代へ。


展望2006:アテンション・エコノミーの本格化


のあたりが、詳しいのでそちらを。


まぁ、上記の記事を読むのがマンドクセという方もおられると思うので
簡単にアテンションエコノミーの説明をしておきますと
要するに、ネット時代に至り、情報の供給量、情報の流通媒体が
飛躍的に増えた結果、情報の供給が増え過ぎてしまい、
消費者の消費力を情報の供給力が上回った結果として
「関心・注意」をひきつける媒体が重要になるというものです。

分りやすく例をあげると、図書館の蔵書が多くなればなるほど、
目当ての本を探す事が難しくなりますよね?

その結果、索引やら蔵書検索といったサービスの重要性が増すわけです。
図書館で最も利用されているサービスが、図書でなく、
蔵書検索なわけですから、その重要性がよくわかりますよね。

ベストセラーとはいえ、図書利用者全員に読まれる可能性はないわけですが

蔵書検索サービスは、ほぼ利用者全員が利用します。
それだけ重要度が高いわけです。

まぁ、ようするにアテンションエコノミーってのは
ネットによる情報爆発によって
百科事典の索引やら、図書館の蔵書検索サービス、
雑誌の目次スペースみたいなものの重要度が飛躍的に増加した為に
そこをめぐる競争が激化するだろうから
生み出された言葉みたいなモンなんですけど。

アテンション・エコノミーと Bubble 2.0


本日、rauru blogさんでこんな記事を目にしまして、
それで考えてたことなんですが。

この「供給過多」による、需要と供給のパワーバランスの崩壊は
別のところに、不足を生み出すんですよね。

その例を分りやすく出すと「食品業界」

例えば、日本中が飢えていた時代、つまり
今から100年くらい前の、「大量消費時代前」は
それこそ、供給不足かつ消費不足であって、
スーパーや大量の食料品を扱う量販店みたいなのは存在しえなかった。

とにかく、日本人は飢えていて、食えるモンなら何でも良く
食料品のレパートリーなんて限られていたわけです。
だから、郷土料理とか、そういう系統の限られたレパートリーでも
満足できていた。

なんとなく、今までのメディアと似ていますよね。
チャンネルは限られていたし、新聞・雑誌も印刷コストの関係上
でてこない情報というのがあふれていた。



ところが、ある程度、日本が富に満ち、食料品が供給過多になると
今度は、「選別」と「大量消費」が始まるわけです。

つまり、「食品の安全性」、「食品の美味しさ」、「食品売り場の利便性」
とかに、食品を選ぶ際の力点が変更されるわけです。

そして、富があるから、みんな沢山食品を食べるようになる。
今の日本人なんて、飽食の時代に突入したわけです。
みんなアイスクリーム食って、肉食って、刺身くって〜みたいな。

100年前のお殿様みたな食事を我々のような下々の者までできる状態なわけです。

その結果、消費が上がったことによって、供給側もでかくなり、
そして、又、供給側も「食品の安全性」や「食品の美味しさ」
「食品売り場の利便性」」などのいずれかを武器に自らを差異化して
ビジネスをはじめたわけです。

これが、日本が食品大量消費社会に突入してから起こったことなわけですけど。



この辺りの食品産業の変遷を辿ると、ですね。

大体、ITによってもたらされた情報爆発が今後、
どんな道をたどるかも分る気がするんですよね。


まず、最初に、消費者の情報消費が、
限られたメニューを選ぶ時代の終りが訪れる。
現メディアの寡占が崩れるのは明らかでしょう。

日本の食文化であれば、「日本食」という独占形態が崩れ
そこいらの食文化の良いトコどりが始まったようにね。
朝に日本食を食い、昼にインド料理を食い、オヤツにアンマン食って
夜にフランス料理を食うみたいな。

情報でも同じように、我々は、日本のニュースを見聞きしつつ、
同時に、世界中の様々なニュースを消費するようになる。

ただ、これは、パイの現象を招く、という話ではありませんので注意。

なぜなら、情報大量消費社会に突入するため、
大衆の情報消費量が格段に上がる事が予測できるからです。

無論、そうならない可能性もありますが、
僕は、そうなるほうにベットしています。
理由は、僕がネットを始めてRSSリーダーやSBMを
使いはじめてから、情報の摂取量が格段に上がったから。

で、大量消費社会に突入することで、
情報の選別が始まる。

「情報の信頼性」、「情報入手の利便性」、「情報自体の価値」
といった形で情報の価値の多極化がさらに進むでしょう。


食品業界において、供給が増えすぎた結果、
顧客の注意を惹くために、何らかの「認知手段」
ここでは広告、マーケティングなどが重要になったわけで
つまり

「食品を売るためには広告・マーケが重要になる局面が現出した」

わけですね。


これからは、上記のような理由から
メディア業界でも

「情報を売るためには情報のための広告・マーケが必要な局面が現出した」

といえるわけでしょう。

ははは。

なんか、情報のために情報を生み出すって、ナンダカおかしな話だなーと
本日は思いました。

おわり。




posted by pal at 01:41 | Comment(0) | TrackBack(1) | メディア このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集
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