繰り返し考えるのが
ドンファンシンドロームと
シンデレラシンドロームである。
決して相容れないようで根っこは同じの
二つの男女のタイプを。
ずっと前に、レジュメした奴を今回は披露。
・シンデレラ・シンドローム
心理学者などが指摘する
「女性が男性よりも従属意識が強い」という事に
起因する現象。
幼児期から自分の能力に根強い疑いをもち
生きるためには自分達は保護してもらわねばならないと
思う女性群を指す。
彼女らは、しばしば、シンデレラのように、いつか
白馬の王子様が現れて、自分が責任を取らないでいい
保護された場所につれていってくれると思い込む節がある事から、
「シンデレラ・シンドローム」と名づけられた。
一般に、女性は、小さい頃から
危険を避けることを教えられ、
不安を切り抜ける方法を学ぶ機会を
取り上げられているという。
男は、恐怖を克服し、それと戦うことを義務付けられ、
結果、恐怖に立ち向かう事こそが「男らしい」とされる。
一方で、女性は、恐怖を避けるのが、主な動機となるので
自信というものをなくしていく。
こういった傾向から、男に生まれるのは
なんと幸運で、女に生まれるのはなんと不運なのかという
安易な結論に達する。
また、結婚に対して、彼女らのような女性が抱く幻想は
昔から変わっていない。
結婚を一種の安全地帯と見なし、彼女らは自分を守る王子様を
自分で責任をとらず、保護してくれる男性を探し、求めている。
「おとなしくしていれば可愛がってもらえる」
という典型的な「否定の方程式」が彼女らの根本である。
地位、権力、金銭をもつ男性と結婚した依存心の高い
シンデレラは、しばしば、夫を
「手のかかる子供」と呼ぶ。
自分に自信がなく、無力で依存的な存在と知っているので
夫(あるいは男)をこきおろして、
「夫(あるいは男)には自分が必要な存在」
という幻想を持ちたがる。
そして、それを満足させることが至上の命題となる。
以上が、シンデレラ・シンドロームと呼ばれる
女性の一部に見られる現象である。
自信の無さと、依存心の高さが特徴で
その裏返しとして、男性を卑下し、子供とみなしたりすることで
結婚の中で、「家族と夫に対する自らの必要性」
あるいは「自分自身、女性自身」を正当化する傾向がある。
自分が面倒を見てやらねば、夫(あるいは男)は何もできない
なんてのが、よく聞かれるシンデレラの逃避行である。
実際には彼女らは保護してもらうことを望み、そして、
その保護の正当化、つまり結婚が、彼女らの安易な避難口となる。
ドンファン・シンドローム
男性の何割かは、自分の感情を表さないことで
自身の男らしさを保つ。
だが、彼らは何も感じないのではなく
自分の感情を表現できないか
表現しようとしないかのどちらかである。
しかし、それとは違った方法で同じ目的を果たす
男達がいる。感情を隠すのではなく、
持っていない感情をあるかのように誇示する
人たちである。
これをドンファン・シンドロームと呼んだりするが
彼らのような男性は、表面的に
人に心を開く事、人と親密になることを体得しているように
見えるが、それが実質を伴なうことは、むしろ避ける。
本物の情緒的つながりを作らないので
彼らが使う駆け引きは、防御策というよりも
牽制策に近い。
これがいわゆる、ドンファン・シンドロームに
かかっている男達の行動様式である。
女性に対する心をとろかすお世辞、
優しさ、そして心を閉ざした男ばかりの砂漠の
ような配偶市場において初めて会う愛の言葉を
ささやく男性。
女性にとっては、救いの王子に映るかもしれないが
それは幻想であることが多い。
彼らは、自分の偉大さとユニークさに絶大の自信を
もつ男性で、その心の軽さと万年青年ぶりは
この自信から生まれてくる。
また、多くは素晴らしい魅力と才能をもっているが
同時に、自分の手柄や素晴らしい才能を絶えず口にして
他人の賞賛や自分への傾倒を求めている。
それを自己評価の裏付けとしないことには
片時も安心できないのである。
自分にできないことはなく、誰も自分より勝ることはない
という確信が、彼らのもつ優越感の源泉となるから。
とりわけ、このタイプが魅力的なのは
自分の軌道内に新顔が入ってきた時だ。
彼は、いちだんと精彩を放つ。
その新顔達が本当に彼にとって重要かどうかを
問う前に、彼自身を彼らに印象づけねば気がすまないのだ。
多くのこのタイプの男性は自認するが
他人にも「女性を愛する人物」という
印象を与えたがる。
彼らの多くは気前がよく、感情表現も派手で
ヒトにも親切だ。多いに世辞もいうが
相手からの賛辞も期待するし、彼の献身への見返りも
求めている。
彼らの感情生活とは
つまり、ゲームなのだ。ひたすら人に勝とうとする
ゲームと演技の世界。
彼らの感情の世界は人々に認めてもらうことに終始し
ただそれを繰り返す。
面白いことに、彼らにとっては、他の人間だけでなく
自分自身ですら、手玉にとって利用するものなのである。
そして、特に、この傾向は女性にはあまり面白くない方向で働く。
彼らにとって、成功した情事とは
ベッドを共にしたことであるが、彼らは、絶対に、
本当の意味で、女性と関わりあうことは避ける。
自分の自信を補強すう道具として
常に他人を征服しようとする男達。
それがドンファン・シンドロームを煩う男達である。
持っていない感情を持っているように振る舞うため、
彼らは、それを見破られることを恐れる。
であるから、他人との精神的交流は、彼らが最も
避けるものである。
というわけで。
ドンファン型は、持っていない感情を持っているかのように
振る舞い、女性をだます存在です。
何よりも、他人を征服することで自信を補強するのが
至上目的であります。
シンデレラは、自信のなさから助けを求める女性です。
誰かが、助けにきてくれて、自分の乗っているボートの穴を
ふさいでくれるのを待つ女性です。
同時に、自分への自信の無さから、常に
夫にとって「自分が必要な存在である」という点を
確認したがります。
そのため、相手の心を、常に知りたがります。
これは、ドンファン型が最も恐れることであります。
彼らは、自分の心の周りにでかい壁だけでなく
ダミーまで作っており、そこに踏み込まれたくはないのです。
本当の自分を知られる事を何より嫌います。
という事で、この二者は、非常に相性が悪い。
まぁ、いわずもがな。
白馬の王子様を求める女性が、見た目は王子様だが
中身はポン引きなドンファンを何より憎むのは当然ですからな。
それに、ドンファンは、一人の女性と
深く関わりたくはなく、一晩寝れば十分なのです。
結婚というバンカーバスターを突きつけてくる
シンデレラとは上手くやれるわけないですし。
ただ、結局、この二つが求めるのは同じものなんですよ。
自信が欲しいんです。認められたいのです。
ドンファンは、自信の卓越性を示すために
多くの女と寝るし、シンデレラは自分が
必要とされていることを認識したいが為に
又、自信の無さから、それを補強するための
「夫(男)には自分が必要」という幻想を持ちたがる。
彼女らが求めるのは愛じゃないんですよ。
自信と保護なんです。
ドンファンが愛で女を抱かないから不道徳と思う人も
いるでしょーが、それを言ったらシンデレラだって
そうでしょう。自信と保護を与えてくれる男性を求めているだけで
愛なんか求めてはいないのですから。本質的には。
もっとも、愛というものが存在するかどうかという
神学上の問いに関しては、別の問題ですけども。
求めるものは同じでも分かり合えることはありえない。
この、ひたすら自信を獲得しようとする
人間の様式美がドンファンとシンデレラのゲーム。
時々、これに類する現象がネット上で見かける事がありまして。
ブログってのは物凄いオンラインゲームであります。
残り物に福は嘘ですよ。自分で探す恋愛など結婚からは遠い場所なのです。高校時代から:問い合わせが殺到してたもの。私は!
人生万事塞翁が馬だと思います。
大福はなくとも小福くらいは残ってますよ、きっと。
人生、大きな勝利を得れない時は
小さな勝利で満足することが大切だと
思っております。
ですんで、問い合わせのない人は
小さな勝利で満足する術を
皆学んでいくのではないかと思っています。
問い合わせがあるにこした事はないんですけどね。