アメリカの金融制度はどこから来てどこへ行くのか
アメリカの金融制度はどこから来てどこへ行くのか その2
白川日銀総裁記者会見の一問一答
こちらは、白川日銀総裁の会見の奴ですが、ちょっと感心したので、リンク載せておきます。現在の状況について知りたい方は是非どうぞ。
第五章 コンピューターがやってきた
そして彼らは来た。だが・・・
・1 倒産できなくなった銀行
なんてロマンシングサガ2のオープニング風っぽく書いてはみましたが、特に意味はありません。ノリです。
で、なんですが、第四章で、アメリカの銀行が、何故規制されねばならなかったかについて書きました。
最初に、一番大事なことを書いておきます。ニューディール銀行改革において、もっとも重要な点は、「銀行を倒産できないもの」に作り替えたという点です。これは、第四章で、長々と銀行規制について書いた理由です。あれらの規制は、結果としてですが、銀行を倒産できない存在に作り替えたんです。
連邦預金保険公社(FDIC)のアイザック元総裁は、
「銀行の安定を保証する制度は最初の50年はうまく機能した」
「我々は今や規制撤廃の方向に進んでおり、銀行に認められる活動範囲を広げつつある。かつては銀行は倒産することができなかったので、競争能力を失うか、あるいは不正手段に訴えざるを得なかったのだが、今必要なのは、無言の決意それだけである。」
という言葉を残しています。
今回の騒ぎで、はっきりしていることがあります。金融システムから資金調達リスクを取り除こうとした努力の全てが、失敗したということです。
大恐慌後、銀行は、どんな犠牲を払ってでも救うべきである、という姿勢が、銀行規制当局に産まれました。それは、第四章で説明した、規制と保護を生み出したんです。
第四章で紹介した規制、つまり、銀行設立許可を難しくし、預金支払いに上限をつけた目的はそれです。政府は銀行が安定して利益をあげることを望んだんです。そうすれば倒産なんてしませんから。
極端な話、馬鹿でも経営できるのが銀行だったんです。「短く借りて長く貸す」が銀行の当時の宿命でしたが、短く借りるほうに規制が入って、上限金利が定められていたので、とても安いコストで銀行は預金を集めることができたんです。
それで、集めた預金を長期でリスクのない貸し出しに限定すれば、簡単に利益がでました。長期と短期の利息から産まれる「利ざや」は3〜4ポイントと安定しており、銀行は、こうした規制の下で、ゆっくりと着実に繁栄しました。
これは皮肉な話ですが、人間ってのは、「儲けた人間はそれを維持しようとリスクヘッジし、儲けれなかった人間は儲けたくてリスクテイクする」という行動をします。
ニューディール後の銀行は、前者でした。ほっておけば、勝手に利益が転がり込んでくる独占企業になったからです。競争からはほぼ隔離されており、ビジネスモデルは単純なもので、不正や詐欺が起きない限りは、ほぼ倒産できない存在だったんです。
もちろん、この状態では銀行によるサービスの向上は望めませんし、信用のない人は借り入れなんて望むべくもないわけですが。銀行は、顧客へのサービスには怠慢でしたし、預金獲得競争でも、せいぜいトースターやTVをつける程度。あとは、接待程度ですかね。
とにかくも、結果として、金融システムは安定しましたが、銀行は独占体となり、独占状態から金を引き出す存在になったわけです。
しかし、一方で、安定して稼げるので、リスクのある貸し出しに手をだす必要はそうなかったんです。銀行は、こうして、リスクを取らないでよい分、遥かに安定した存在になったんです。
ニューデュール銀行改革が行われた1934年から39年までに倒産した銀行は315行で、1933年に倒産した9000行と比べれば、天と地の違いがでました。実態経済は酷かったものの、金融システムは安定していたんです。
また、戦時中は、預金を集めて政府債権を買うことで安定した成長を遂げることができました。利ざやは簡単に稼げたんです。
戦争が終わると、銀行は、政府証券から、貸し付けへと、ポートフォリオを変えましたが、ここでも、銀行は上手くやりました。銀行倒産は滅多に起こらない一方で、収益は増加しました。(銀行の倒産は、ほぼ年5件以下)
極端に低い倒産率は、ニューディール銀行改革のおかげでした。新規銀行に対する参入障壁、支店の制限、預金金利の制限によって競争とコストを抑制されていたからです。
こうして大銀行のみならず、中小銀行も、容易に生き残ることができました。
あまりに金融システムが安定していたので、規制当局や銀行は、「銀行は倒産できない」という安易な結論に達していたようです。しかし、この障壁が破られたとき、全てが変わってしまいました。
・2 そして彼らは来た
ユニシス社は12日(米国時間)、同社が開始したコンピューター時代に伴う災難の数々――「『スパム』という名前を悪者にしたこと」[『スパム』はもともと肉の加工品の缶詰だが、今では迷惑メールの意味で使われる]、「通常の労働時間という概念をなくしたこと」、「ドットコム株バブル」など――を遺憾に思っていると述べた。
『ユニバック』生誕50周年:「犯した罪」をユニシスが謝罪
これは、wired visionの記事からの引用です。コンピューターは、前世紀における最大の発明品でしたが、同時に、最悪の発明品でもありました。
そして、今、この災厄の数々に、新たなエピソードが加わりました。「メディアの衰退」、「サブプライム」、「銀行を倒産できる存在に変えてしまったこと」です。
「商業市場で売れるコンピューターは6台だけだろう」という発言をハワード・エイケンが50年代にしたのは、今ではお笑い草ですが、これは、ある意味では当然でした。最初のコンピューターはデブで不格好でした。そんなものが、銀行でつかわれるなんて、IBMでも思ってなかったのです。
銀行に市場があるなんて、誰も思いませんでした。IBMですらそうでした。コンピューターを使えば、銀行と競争できると、企業が気づくまで、ほぼ1世代を要しました。
元FRB理事のジョージ・ミッチェルは、「銀行とは会計事務所だ」と言いました。そして、「会計事務所を最も効率的に運営するにはコンピューターを使うことだ」とも。
アメリカの銀行は、1959年、MICR(磁気インク文字読み取り装置)システムを導入します。これは非常に重要な意味をもちました。当時は認識されていませんでしたが。
かつて、小切手の処理をまともにできるのは銀行だけでした。支払いシステムを提供できるのは銀行だけだったんです。そのための人員をもっていたのは銀行だけだったんです。
全部の銀行口座に転記したり記帳したりするには、コンピューターがない時代には、膨大な人手が必要でした。
当時の銀行には規模の利益がありませんでした。銀行を大きくするというのは、すなわち、銀行員を増やすことだったからです。銀行が10〜3時までしかやっていなかったのも、口座ごとの会計処理に膨大な時間が必要だったからなんです。
これはとても手間がかかる仕事でした。
だから、一度、金融書類が機械で選別できるようになり、コンピューターによって記帳が自動化可能になった時、それを銀行が取り入れたのは自然な流れだったんです。
しかし。
これは裏を返せば、コンピューターさえあれば誰でも銀行の真似事ができるということです。
MICR(磁気インク文字読み取り装置)システムの導入は、銀行にとってはコスト削減以上の意味はなかったかもしれません。
しかし、これは、銀行の独占という門に打ち込まれた最初のくさびでした。彼らは、自分の手で自分の門にくさびをうちこんだんです。
このシステムの導入は、自分達の競合者を生み出すということを意味したんです。なぜなら、これをつかえば、誰でも金融の書類を機械で選別して、支払いシステムを提供できるようになるのは目に見えていたからです。
コンピューターは、銀行にコストの削減をもたらしました。そして、もう一つ。規模の利益をもたらしました。エレクトロニクス産業がそうであるように、規模の大きさが利益に関わってくるようになったんです。そして、銀行はコンピューターを受け入れることによって、規模の利益の世界に入り込んだんです。(詳しい話はあとでします)
しかし、一方で、コンピューターは、銀行以外の企業に、銀行がかつてやってきた活動、つまり支払いシステムの提供と、貸し付けを行う力をも与えてしまったんです。
指数関数的な成長を遂げるコンピューターの進歩によって、データベース、統計処理が容易になるにつれ、GMやシアーズは、金融部門から、相当な利益をだすことできることを発見しました。
ニューディール銀行改革によって、銀行とは、競争から隔離された場所にある存在になった話はすでにしました。
しかし、コンピューターの出現によって、銀行は再び、競争の世界に引き戻されたんです。自分達以外の企業が、銀行の真似事をできるため、彼らとの競争の世界に踏みいらざるをえなかったんです。今、メディアがネットとの競争の世界に踏みいらざるをえなくなったように。
それはすなわち、銀行は、競争で勝ち抜くために、今までよりリスクを取らねばならないということを忌みます。
銀行が沢山のリスクを取らねばならないのであれば、それは、金融システムが以前よりも不安定になるということです。
これが、コンピューターが銀行とそれ以外の金融業との間の壁を壊してしまった時に起こった事です。
銀行が最初に、コストの削減のために、MICR(磁気インク文字読み取り装置)システムを導入したとき、銀行は「倒産できない存在」から「倒産できる存在」になってしまったんです。
なぜなら、これは最終的に銀行を競争の世界へと引き戻すものであり、銀行が競争するということは、以前よりリスクの高い業務へと進出せざるを得ない、ということだからです。
それは、ニューディール銀行改革の目的であった、「金融システムから不安定性」を取り除くという目的と相反するものでした。
しかし、技術の進歩が、古いシステムの運命を決めました。もはや、蛮族の勃興を止める術はなく、銀行は再び、死すべき定めの存在へと戻らざるを得なかったんです。
次の章から、コンピューターの助けを得て、いかにして銀行以外の金融企業が、規制を破壊していったのかを紹介したいと思います。