最近の嫌韓、嫌中、反日を叫ぶ人々を見ていると
上記の言い回しがちっとも廃れない理由が
よくわかる気がする。
最近、韓国での黄教授の研究関連で
また、嫌韓っぽい記事を読むことが多いが
それを読む度に思う。
人間に幅広く確認される行為だが、
お互いに反発しあう民族というのは
素晴らしいまでに「同じ」行動をする。
お互いに違いを指摘しあう癖に
その背後で働く論理構造は大抵同じなんである。
つまり、自分達が裏切ったり、弾圧したり、
抑圧したり、馬鹿にしたりする民族という奴は
人間以下の化け物だと自分達を納得させようとする
心理的行動、あるいはプロパガンダである。
こいつは、実に人気のある心理的行動であり
洋の東西を問わず、どこの民族も嫌いな民族相手に
これをやる。
まぁ、自分達が嫌いな民族を畜生以下だと
自分に納得させることができれば、
罪悪感無しで相手を罵倒できるし、
場合によって、どんな残酷な事をして
罪悪感に苛まれることはない。
我々は、実に都合の良い民族評価体系を好む。
ところで、自分が最も憎む相手と同じ方法を
使って相手を憎もうとするという奴は
自分が最も嫌いな相手と同じ行動をするという事であり
全くもって、自己矛盾的というか
それ自体が、笑ってしまうが、その行為そのものが
「所詮は、どの民族も同じ穴のムジナに過ぎない」
という、最高に嫌らしい証明になるのだが。
反日を叫ぶ韓国人や嫌韓を叫ぶ人々を
見ると、ああ、結局、朝鮮人も日本人も同じ穴のムジナに
過ぎないのだなと、安心できるものである。
全てが相対化された近代では
悪とは善の唯一の存在理由でしかない。
その意味では悪を否定すれば善を否定する事になる。
つまりは悪を肯定しないと善を肯定できない。
自分の中にある悪そのものを肯定しないといけない。
逆説的だが、そんな時代だ。