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2008年11月19日

ジョージ・ソロスによるサブプライム危機の解説

Committee Holds Hearing on Hedge Funds and the Financial Marketより。


この間、アメリカで、ヘッジファンドの大物連中に対するヒアリングが行われました。上記のページに、それが全部載っているので興味のある人はどうぞ。


その中で、「イングランド銀行を打ち負かした男」として有名なジョージ・ソロスの証言があって、それが最近の危機についてよくまとまっていると思うので、訳してみました。

ソロスについては、



通貨投機

1992年9月16日のポンド危機で、100億ドル以上のポンドの空売りを行なったことで、ソロスはすぐ名を挙げた。イングランド銀行が金利を欧州為替相場メカニズム(ERM) を採用している他の国と比較して引きあげること、またはその国の通貨の変動相場の金利を引き上げることに乗り気でなかったことから、ソロスは利益を得た。最終的にイングランド銀行は欧州為替相場メカニズムから通貨を回収することを強いられた。ポンドは価値を下げ、この過程でソロスは20億ドルと見積もられる利益を出した。ソロスは、イングランド銀行をつぶした男と呼ばれた。 タイムズ紙にて1992年10月26日月曜日:ソロスは以下のように答えている。「我々のブラックマンデーまでのトータルポジションはほぼ100億ドルの価値があった」「しかし、我々はそれ以上に売ることを決断した」。事実、Norman Lamontが英国通貨スターリングを買い支えるため、150億ドルを借りることを価値切り下げの直前に行ったとき、我々はどのくらい空売りすることになるかということを暗に示していたので、楽しんでいた。

1997年、アジア通貨危機の間、マレーシア首相マハティールはソロスがマレーシア通貨リンギットを下落させたことを戦犯と非難した。


ジョージ・ソロス



こちらのwikipediaのページからどうぞ。


http://oversight.house.gov/documents/20081113120114.pdf


ソロスの証言を英語で読みたい方は上記のPDFでどうぞ。


以下、翻訳。訳が結構いい加減なので、間違いがあったら教えて頂けると幸いです。大して英語できるわけでもないので。





2008 11/13

議長並びに委員会の皆さん感謝申し上げる。


今回の金融危機の顕著な特徴はOPECがオイルの値段をつり上げたり、特定の国や金融機関がデフォルトのような外部性のショックによって引き起こされたものではないということだ。危機は金融システム自身によって生み出された。この事実は、つまり欠点がシステム内に内包されていたという事であり、支配的な理論とは矛盾する。現在の支配的な理論では、金融マーケットは均衡に向かうとされている。

そして、均衡からの逸脱は、ランダムに起こるか、あるいは、マーケット自身が調節するには困難な外部性のショックによって引き起こされる、とされている。


危機の大きさと広がりは、現在支配的な理論とマーケットの規制に基本的な間違いがある確たる証拠である。過去に起こったことを理解すること、そして未来にそのような事態がおこることを避ける為にすべきことは、どのようにしてマーケットが働いているのかについての新しい考え方を要求しているのだろう。


過去18ヶ月にわたって危機がどのように広がったかについて考えて見よう。主因は住宅バブル、より正確にはサブプライムモーゲージ証券の行き過ぎであると言える。住宅価格が二桁増になり、価格は上がり続け、貸し手は放埒な融資を繰り返していった。最後には、前金なしで、100%の融資も受けれるようになったのだ。インサイダーは、Ninjaローンと呼ばれるサブプライムローンを例としてあげている。No Income, no Job, noquestions Asked、(略してninja,収入無し、職無し、質問無しでローンが受けられる)というものだ。


放埒な融資慣行は住宅価格が2006年にピークを打ったときに明らかになった。そして、サブプライムレンダー(サブプライムローンを提供してきた米ノンバンク)は、2007年3月に破産を宣言し始めた。問題は、2007年7月に危険な領域に入った。金融当局はサブプライム問題が、100億ドルの損失を出すかもしれないが、独立した現象だとたかをくくっていた。しかし、そうはならなかった。危機は驚くべきスピードで他のマーケットに燃え広がった。幾つかのレバレッジの大きいヘッジファンドが崩壊し、幾つかの規制された金融機関が破産を宣言した。


多くの金融機関への信頼が揺さぶられる事態となり、インターバンク市場は混乱に陥った。立て続けに、CDOからARSなどの難解な金融商品の市場が次々と崩壊した。

マーケットはその後少し小康状態を保ったものの、危機は2008年1月に再燃した。ソシエテ・ジェネラルの泥棒トレーダーによって引き起こされたのだ。4月にはベア・スターンズが倒産し、7月にはIndyMac Bankが財産管理下に置かれる事態となった。アメリカの金融史において、4番目に大きい銀行倒産だった。だが、最大の破滅は、11月に起こったリーマンブラザーズの倒産だった。リーマンのコマーシャルペーパーの投資家は、その投資の全てを失ったのだ。


次に信じられない事態が起こされた。金融システムが実際にメルトダウンしたのだ。リーマンが発行していたCPに投資していたマネーマーケットファンドは、その全てを失った。そして資産価値が簿価を下回ってしまったのだ。マネーマーケットファンドに預けられた預金は安全であるという暗黙の保証が打ち壊された。マネーマーケットファンドは一斉にCP市場から逃げ出し、CPを買うのをやめてしまった。彼らは、CP市場における最も大きな買い手だったので、CP市場は機能不全に追い込まれた。CPの発行者は、融資を縮小せざるを得ず、インターバンクでの取引を停止せざるを得なくなった。クレジットスプレッドや、無リスク金利、リスクプレミアムが空前の水準に広がり、結果として株式市場はパニックに陥った。この全てが一週間の間に起こったことだ。


金融システムが心肺停止状態になった為、金融機関への救済は未来における無謀な振る舞いを助長しかねないというモラルハザードの危険性はあったが、金融システムの蘇生は最優先事項となった。当局は、大量のマネーを注入し始めた。FRBのバランスシートは数週間で8000億ドルから、1兆8000億ドルまで膨張した。それでも十分でないと判明したとき、アメリカとヨーロッパの当局は、他のあらゆる金融機関を破綻はさせないことに全力を投じると宣言した。


それらの全く前例のない措置が、効果を持ちはじめた。インターバンク市場が再開し、LIBOR(ロンドン銀行間出し手金利)は改善していったのだ。金融危機は、終息の兆しを見せ始めていた。しかし、グローバル金融市場における主要なプレーヤーは倒産させないという保証が、次の危機を招くことになったのだ。当局は、それに気づいていなかった。途上国、つまりは東ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカでは、同様の保証をすることができなかった。そのため、資本が一斉に途上国から金融の中心へと逃避を始めたのである。全ての通貨がドルと円に対して急激な下落を始めた。一次産品の価格が暴落し、途上国の金利は急上昇した。そして、CDSのプレミアムも又、急上昇し始めた。ヘッジファンドやレバレッジを使っていた投資家は、巨額の損失と追い証に苦しみ、資産を売らざるを得なくなった。


(訳者注 強調は訳者によるものです。ここは重要な点をついていると思ったので強調しました。つまり、先進諸国が、危機に際して、金融機関に暗黙の政府保証を与えてしまうと、途上国からのキャピタルフライトを引き起こし、危機を伝染させてしまう、という点で。)


不幸なことに、当局は、常に事態について行けなかった。IMFは、新しい金融機能を設立しているところだ。それは、途上国が年五回まで、何の条件も無しに借り入れることができるというものだ。しかし、それは余りに小さすぎ遅すぎる。さらに大量のマネーがマーケットを救うために必要なのだ。例え、もし、優先順位がトップの途上国が救われたとしても、もっと順位の低い途上国はどうなる?国際金融システムを救おうとするレースは、現在進行中である。たとえもし、それが成功したとしても、投資家や消費者、実業家はトラウマを負ってしまっている。この記憶はついてまわることになる。深刻な不況は今や避けがたいものである。大恐慌の可能性すら排除はできない。私が今年初めに、我々が1930年台以降最悪の金融危機に直面していると予測した。しかし、ここまで酷いことになるとは思っていなかった。


これらの驚くべき事態は、現在支配的な理論を捨てることによってのみ、理解されうる。マーケットを表現する方法として、私は、二つの側面をもつ別のパラダイムを提言したい。第一に、金融市場は、正確にマーケットの情況を反映しているとは言えないという事だ。金融市場は、いつも様々な点で、ゆがめられ、バイアスがかけられている。第二に、ある状況下においては、マーケットの参加者が保持し、マーケットの価格に表されている歪んだ考え方が、マーケットの価格が反映すべきと思われている、いわゆるファンダメンタルに影響を与えうるという事だ。マーケットと価格の間にある、この双方向の結びつきを私は「再帰性」と呼んでいる。


(ここからちょっとソロスの再帰性理論の説明になるので中略。再帰性理論について知りたい人は、ぐぐってみてね。再帰性はあまり学者とかには指示されているとは言えないようです。ソロスは経済学にはあまり強いとは言えないので。20世紀における最高のトレーダーではありますが、ソロス自身、あまりそのことを誇りには思っていないようです。どっちかというと哲学者になりたかったような人なんで)


私は、著書「ソロスは警告する」の中で、今回の金融危機は以前の様々な金融危機とは異なると主張した。1980年以降、発達してきたスーパーバブルの起爆剤として今回のアメリカ住宅バブルが作用したことが、その主張の背景にある。スーパーバブルの背景にあるのは信用とレバレッジの長きにわたる膨張だった。

信用は、第二次大戦の終結以降、最も速い速度で成長していた。その速度は加速され、バブルの様相を帯びていた。それはロナルド・レーガンが大統領になり、マーガレット・サッチャーが首相になった1980年台に主流になった誤解によって補強されていたのだ。


誤解とは、金融市場で支配的だった理論によるものだ。つまり、市場は均衡に向かい、逸脱はランダムなものであり、外部性のショックによって引き起こされる、というものだ。この理論は、自己利益の追求は、自由におこなわせるべきであり、規制緩和すべきだという主張を正当化した。私は、このような主張を市場原理主義と呼ぶ。そして、間違った論理に基づいていると主張する。規制と政府による干渉が失敗だったことを証明したことは、マーケットが完璧であることの証明にはならないのだ。


市場原理主義は間違った前提によっているけれども、金融資本のオーナーや経営者の利益には役だった。金融市場のグローバル化は金融資本に自由に移動することを可能にした。そして、個々の国々が課税したり、規制したりすることも難しくさせたのだ。金融取引の規制緩和もまた、金融資本の経営者の利益に役立った。つまり、技術革新への自由化が、金融会社の利益を増加させたのだ。金融産業は、アメリカの株式市場の25%を占めるまでに成長した。他のいくつかの国々ではさらに高い割合になっている。


市場原理主義が間違った前提に基づいるため、1980年台の経済政策の指針として採用された事が負の結果をもたらすことは運命づけられていた。実際に、我々は、その時以来、一連の金融危機を経験している。しかし、その悪影響は、大抵の場合、先進国でなく途上国を苦しめる結果となった。そのシステムは、先進国、特にアメリカのコントロール下にあり、アメリはIMFにおける拒否権をエンジョイしたのだ。


危機がアメリカの繁栄を脅かす時(S&L危機やLTCM危機)はいつでも、当局が介入し、破産した機関が他の機関と合併したり、金融政策や財政政策を提供してきた。

したがって、周期的に起こってきた危機は、実際には、信用の膨張と広く行き渡った誤解、つまり自由放任は上手く機能するかというテストの合格通知として機能してしまった。


そのようなテストを成功に導いたのはもちろん、政府当局による介入であった。金融市場に自らの行き過ぎを止める能力があったからではないのだ。しかし、投資家や政府にとって、自分自身をだましてしまうほうがよかった。

途上国と比較して、相対的なアメリカの安全と安定が、アメリカに世界の貯蓄を吸い上げることを許したのだ。そして、それは2006年第一四半期、アメリカのGNPの8%にも及ぶ経常赤字となって現れた。結果的に、FRBと他の規制当局は、市場原理主義のイデオロギーに屈服し、規制責任を放棄してしまった。アメリカ経済を安定させているのは、彼ら自身なのだということを、彼らは自覚しているべきだった。とりわけ、アラン・グリーンスパンはデリバティブのような金融イノベーションを自由に行わせることが多大な富をもたらし、時折起こる不幸な事故は小さな代償だと信じた。彼の自由放任に対するコストとベネフィットの分析は、完全に間違っていたわけではない。スーパーバブルが続いている限りはだが。今、彼は、主張に欠点があったことを認めざるを得なくなっている。


金融工学は、洗練された商品、デリバティブやレバレッジ、リスクマネジメントなどの創造を伴った。混成金融商品のアルファベットスープがでっち上げられた。CDO,CDO2、CDS、ABX、CMBXなどなど。金融工学は複雑さにおいては頂点に達し、規制当局はもはや、リスクを計算できず、金融機関自身のリスクマネジメントモデルに頼るようになっている。


格付け機関は、合成金融商品の格付けに関して、同じような道をたどった。そして、合成金融商品の増殖からかなりの追加収入を引き出すことに成功した。難解な金融商品とリスクマネジメントは間違った前提に基づいている。マーケットでは、逸脱はランダムに起こる、というものだ。しかし、金融工学の発達は熱狂と破裂のプロセスを発動させてしまったのだ。その結果として、重大な結果を招いてしまった。最初に、不定期におこっていた金融危機は、市場原理主義のテストの証明として機能した。しかし、サブプライム危機は、全く違った役割を果たしつつある。スーパーバブルの絶頂、あるいは逆戻りの始点として機能しているのだ。


現在の状況における私の解説は必ずしも、熱狂と破裂に関する私のモデルから得られるものではない。というのも、金融当局が、サブプライム危機を終息させることに成功していたら、これは、また市場原理主義に対する正しさの証明として見られていただろうからだ。私は、過去に三度、狼が来たと叫んで信じてもらえなかったのだ。1度目は、「ソロスの錬金術」で、2度目は「グローバル資本主義の危機」で。そして、今、狼がやってきた。


私の再帰性理論というものは、金融危機を予測するというよりも、それらを説明することに優れている。均衡理論がするように結果を決定すると主張するものではないのだ。熱狂はいずれ、破裂に行き着くと断言するものなのだ。しかし、熱狂の規模や長さについては断言できない。実際に、再帰性の理論を理解していた我々ですら、住宅バブルはもっと早く破裂すると考えていた。もしそうなっていたなら、ダメージはもっと少なく、スーパーバブルは損なわれなかったかもしれない。ダメージの大半は、過去二年間に発行されたモーゲージ担保証券によって引き起こされた。


新しいパラダイムが未来を予測するものではないという事実は、これまでの所、何もわかっていなかったことの説明となる。しかし、昨今の経験を考慮すると、もはや無視することはできない。我々は、均衡理論が説明しなかった金融市場の中にある不確実性の要素を再帰性理論が導入しているという事実を受け入れねばならない。


均衡理論は、かつて、リスク計算のモデルを創り出し、モーゲージやあらゆる種類の負債を取引可能な証券の形に変えた。本質的に、不確実性は数値化できないのに、だ。過度の数学モデルへの依存こそが、数限りない害悪を引き起こした。


新しいパラダイムは、金融市場における規制と密接な関係を持つ。金融市場は資産バブルをつくりがちであるので、規制当局はバブルが大きくなりすぎるのを防ぐ責任を負う。今日にいたるまで、当局はその責任を放棄してきた。


バブルが形成されるのを防ぐのは不可能である。しかし、それが危険なレベルになる前に押さえつけることは可能だ。マネーサプライだけではコントロールはできない。規制当局は、信用状況にも配慮せねばならない。なぜなら、マネーと信用は融通の利かない状態では働かないのだ。市場はムードとバイアスをもっており、それは、それを釣り合わせようとする規制当局にふりかかる。それは、裁量を要求するし、規制当局も又、人間であるので、彼らも又間違いを犯すものだ。


しかしながら、彼らはアドバンテージをもっている。マーケットからのフィードバックを得られるし、マーケットに間違いを正させることもできる。もし、マージンと最低資本金の引き締めがバブルを収束させないならば、彼らはさらにそれを引き締めることができる。

しかし、そのプロセスは簡単なものではない。何故なら、マーケットもまた間違うからだ。最適平衡に対する調査は、トライアル&エラーの決して終わることのないプロセスなのだ。


規制当局とマーケットの間の猫と鼠のゲームはすでに進行中である。しかし、その本当の性質はいまだ認識されてはいない。アラン・グリースパンは、デルフォイの信託のごとき市場操作の過去のマスターだった。しかし、彼は自身がしていることを肯定するかわりに、彼は、ただ単に事実の客観的な観察者のふりをしていた。再帰性は国家機密のままだった。それが、スーパーバブルが彼の在任中に遥かに膨れあがってしまった理由だ。


マネーと信用は融通がきかないので、資産バブルは金融政策のみではコンロールされない。追加手段が必要なのだ。さもなければ、1950年台や1960年台に使われていたような手段を復活させる必要がある。私は可変委託証拠金と最低資本金に言及している。それは、マーケットの参加者のレバレッジをコントロールするいうことを意味する。中央銀行は、かつては、どのように経済の特定のセクターにローンを割り当てるべきかについて銀行への保証を与えてさえいたものだ。そのような指令は、ITや不動産のような特定セクターの”不合理な活性化”に対抗する中で、金融政策という鈍器よりもふさわしいかもしれない。


私が言及した種類の洗練された金融工学は、もし、それが不可能でないならばだが、とても難しい委託証拠金と最低資本金の計算手段を提供できる。

そのような要求に応じるために、金融工学も又、規制されねばならないだろう。あたらしいプロダクツは使われる前に、適切な当局によって登録され、承認されねばならない。そのような規制は、オバマ政権において優先度を高くされるべきである。それら全てが必要なのは、金融工学は、しばしば規制を回避する目的をもっているからである。


一例としてCDSをあげる。この商品は、債権や他の負債がデフォルトに陥った場合に保険を与える意図を持っているものだ。そして、その価格は、それが起こる可能性を知覚リスクを反映している。それらの商品は、トプシーのように増加した。それらが、内在している債権を買ったり売ったりするよりもずっと少ない資本しか必要しないからだ。結果としてCDS市場は、50兆ドル規模にまで成長した。それは、内在する債権の何十倍の規模であり、アメリカ国債の五倍の規模をもつ。だが、CDSの市場はほとんど規制されていないも同然だ。AIGは、CDSを売って財産を失った。そして救済された。財務省の126億ドルが使われた。CDS市場は結果としてメルトダウンから救われたけれども、規制されていないマーケットの存在は、金融システム全体にわたるリスク増加の主因となっていた。


今まで使われてきたリスクマネジメントモデルは、再帰性を備える不確実性を無視してきたので、信用とレバレッジにおける限界は、最近まで、耐えられる限度以上のものになってしまっていた。これは、全体として、金融機関が、彼らがスーパーバブルの間、享受していたほどの利益を上げられないことを意味する。また、いくつかの過度のレバレッジに依存したビジネスモデルは非経済的になるだろう。


金融産業が株式市場に占める割合は、すでに25%から16%まで落ちた。この割合は、以前の割合にまで戻る見込みはない。さらに落ちることになるだろう。これは、よい調整であると考えられるが、自らの仕事を失う人達にとってはそうではないだろう。


ヘッジファンドに関していえば、ヘッジファンドも又、破裂したバブルの不可欠な要素だったと言える。ヘッジファンドは、およそ2兆ドルの資本、時には10兆ドルの資産をコントロールする存在になった。しかし、バブルは今、破裂した。ヘッジファンドは縮小することになるだろう。私は、ヘッジファンドが扱うことができるマネーが50%から75%縮小すると考えている。


最近の金融危機の間、沢山のヘッジファンドマネージャーがヘッジファンドの基本的な役割を忘れてしまった。それは、投資家をマーケットの暴落から守るというものだ。ここ数年で、ヘッジファンドに投資されたマネーの多くが、年金基金や寄付基金によるものだったことは不幸なことだった。


一般の人々が巨額の損失に苦しんでいることを考慮すると、過剰な規制緩和が懲罰的な再規制に取って代わられるという本当の危険性が存在する。それは不幸なことだ。なぜなら、規制当局はマーケットメカニズムよりもずっと不完全もなりがちだからだ。私が主張したきたように、規制当局は人間であるだけなく、官僚的であり、ロビイングや汚職に影響をうけやすい。ここで描いた改革が規制によるオーバーキルに取って代わられることないように望んでいる。


私の証言がこれらの問題を理解しようとしている委員会の助けになることを望む。そして、私は、あらゆる質問に答えるため、ベストを尽くしたつもりだ。
posted by pal at 04:51 | Comment(85) | TrackBack(8) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集

2008年11月15日

2009年世界経済の旅

特に意味はないが、気になった記事で思ったことをつらずら。タイトルは、来年、どんな年になるかなーと僕が思ったことを記事にしたからです。


Visious Cycle


The Possible Impact of Contracting Manufacturing in China

CR氏の図表が一番、今の状況をわかりやすくまとめていると思う。

以下は、CR氏の図の日本語訳。


Vサイクル.jpg


これは、2002〜2007年あたりまでの世界の状況。


アメリカの低金利が住宅価格を上昇させ、それが住宅の含み益を発生させる。住宅の含み益を使って、アメリカ人は借金し、それがGDPを上昇させ、輸入を増加させる。次に、それがアメリカの貿易赤字となって現れる。アメリカの貿易赤字は、発展途上国などの貿易黒字となり、ため込んだ貿易黒字は、途上国の余剰貯蓄や外貨準備に蓄積される。


外貨準備に積み上げられたドルは、アメリカのドル資産に流れ込み、それがアメリカの金利をさらに引き下げる。(余剰貯蓄もしかり)それが、また住宅価格を上昇させ(以下ループ)


Vサイクル2.jpg


これが今の状況。CR氏によれば、これがVisious Cycle。


これの始まりは、アメリカの不動産バブルの崩壊。住宅価格が低下したことから、不動産の含み益が消えた。これのせいで、アメリカの借金力=消費力が劇的に低下。それは、アメリカのGDPの低下と、輸入の減少をもたらす。次にそれが、アメリカの貿易赤字の減少となって現れる。アメリカの貿易赤字の減少は、貿易黒字国の輸出の低下と同義。だから、海外中央銀行は以前のように外貨準備を積み上げられない。途上国の余剰貯蓄も減る。


結果として、海外の中央銀行は以前のようにドル資産を買ってくれない。また、アメリカ以外の国でも余剰貯蓄が減るのでアメリカのドル資産の買い手が減る。この連鎖が起こると、アメリカの金利が上がることになる。金利の上昇は、住宅の購入意欲を失わせて、住宅の価格をさげ(以下ループ)



GM救済



 【ニューヨーク13日共同】経営危機に陥っている米自動車大手のゼネラル・モーターズ(GM)とクライスラーは13日までに、自社のウェブサイトで相次いで政府による資金支援拡大への理解を求めた。米メディアは「技術開発などの努力を怠った結果」などとして支援拡大に批判的な意見も取り上げている。


GMが政府支援、サイトで訴え 経営危機、クライスラーも




「うちを潰したら雇用が100万人単位で失われますよ」って脅すGM及びクライスラー。


追い貸しが常態化してた日本を思い出す。ああ、ダイエー。


これから自動車産業で起きそうな事。


-金融危機でデフレ圧力発生。消費者車買わなくなる。

-車売れないし、借金漬けのビッグ3は資金を得るために在庫の投げ売り開始。他の自動車会社も嫌々それにお付き合い。

-借金漬けででかすぎて潰せないビッグ3は銀行から債務放棄してもらったり、国から追い貸ししてもらう。海外の自動車産業は融資もらえないので、リストラやコストカットで必死に頑張る。←今ここ

-銀行から債務放棄やら国家の救済金もらったビッグ3が、さらなるキャッシュ確保のため、救済金使って投げ売りを繰り返す。

-真面目にコストカットして頑張ってたビッグ3以外の自動車会社涙目。製品の価格の下落圧力が降りかかる。

-体力のない所から多分倒産。場合によっては救済される。生き残った自動車会社もさらにコストカットで勝者無き戦いが延々と繰り返される。

-当然リストラとデフレ酷くなる。


どうなるかはわからないけど、日本の90年台の二の舞になりそうな気がビンビンする。


円相場


 テンパス・コンサルティング(ワシントン)のトレーダー、マット・エスティーブ氏は「円が急伸したのは、世界の株式市場が再び圧迫されているためだ。過去1カ月にみたのと同様のトレンド。まさに質への逃避だ」と指摘。「市場が下落すれば、円は上昇し続けるだろう」と述べた。

NY外為市場で円急伸、米財務長官発言が不安あおる



最近の流れ見てて思うのは、世界の中央銀行が利下げするたびに、円に資金が流れ込む流れが確立された感。


はっきりいって、今、中央銀行が利下げすると、株価が下がる。これは、中央銀行が悪いんでなく、彼らが利下げするのは、これから景気が悪くなると判断しているから。だから、FRBが利下げすればするほど株価は下がる感じ。


そして、株が下がるたんびに、円が買われる。円高になると、日本の輸出企業は売られる。はいはい円高株安円高株安。マーケットはそれを見越しているのがさらにタチ悪い。


結論を言えば、アメリカの不動産が下落すればするほど株は下がり円が高くなる。そして日本の輸出産業は地獄を見る。


途上国

IMF様逝き多数。IMFにお世話になった所は、当分浮揚できない。なぜならそれがIMFクオリティ。アジアは散々やられた。東欧も地獄をみることになるだろう。。。


結局、アメリカの過剰消費、それのおかげで貿易黒字国の好調、それの恩恵をフルでうけた資源国という三つの世界経済の柱がどれも壊れた。


この異様な消費成長の図式が、世界経済の好調さの源泉だった。だが、それは終わった。


アメリカはもう貿易赤字をしばらくプレゼントしない。中国あたりがもの凄い勢いで消費を拡大してくれない限り、途上国は、これまでの過剰融資が不良債権化し、資金の逃避が今以上におきて、通貨危機になり、地獄を見ることになる。要するにIMF先生出番ですってことです。


もっとも中国の製鋼高が9月から9%落ちたというニュースもあるし、不動産も下がってるし、マネーサプライも低下中。あまり期待はできない。


というわけで


2009年は何も期待せず、2010年に期待します。



posted by pal at 08:46 | Comment(74) | TrackBack(6) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集

2008年11月06日

日本の不良債権処理の歴史を書いてみる

民主党候補バラク・オバマ上院議員が、大統領選挙に勝ち、アメリカのほうの話題で持ちきりなんですけど、日本の方も見逃せない動きが出てます。




金融機能強化法改正案、衆院委で可決




以下、コピペですが、



 公的資金で金融機関の予防的な資本増強を可能にする金融機能強化法改正案は5日の衆院財務金融委員会で、自民、公明両党が一部修正を加えた上で賛成多数で可決した。6日の衆院本会議で可決、参院に送付され、7日の本会議で審議入りする。民主党は野党が多数を占める参院で再修正する構えを示している。

 参院で再修正法案が可決されれば、与党は再修正前の法案を衆院で再可決することも視野に入れる。ただ、再可決の時期などは二次補正予算や国会の会期延長の動向などとも絡み、不透明感が強い。



正直、うさんくさい動きなんですけどね。なんか、日本もそこらでキナ臭い政治的な状況が出てきてて、不安きわまりないんですが、今日は、日本の不良債権処理の話でもしようかと。


いずれ、オバマ大統領の下で、アメリカは抜本的な不良債権処理をしなきゃいけません。そんなわけで、日本の不良債権処理の話を、今更ですが、振り返ってみるのもいいんじゃないかと。まぁ、そういうわけです。

1990年台の話から始めてもいいんですけど、今日は、そこらはすっ飛ばして、2000年台に起こった不良債権の最終処理の話をしようかと思います。


1,バブルの発生と初期の不良債権への対策の失敗


簡単に1990年台の流れをおさらいしますが、1980年台を境に、大企業が資金の調達を直接、金融市場から行うようになると、銀行はそれまでの優良大口融資先を失っていきました。ここで注意して欲しいのは、これは全世界的な流れであり、不可逆的なものであったという点です。


その結果、多くの銀行は、伝統的な銀行業務から以前のような収入を得ることが難しくなりました。そのため、銀行は、以前であったら手を出さなかったような幾つかの業務に進出していかざるを得なかったんです。


一つは、非利子収入です。これには、トレーディング業務、デリバティブ、手数料を稼げる業務などが含まれます。主要先進国の銀行における非利子収入が1980年台、増え続けたのはこういう理由です。1980年台を通じて、銀行が変化したのは、構造からみても明らかです。伝統的な銀行業の衰退が、この時始まっていました。しかし、伝統的な役割が必要とされなくなりつつあるのに、銀行は本当に社会的機関として必要され続けるのか、という議論については、ずっと置き去りにされたままでした。


そしてもう一つが、信用力の低い借り手に対する融資です。これも主要先進国で増えていきました。優良な大口の借り手は銀行の前を通り過ぎて、直接、市場から資金を集める事ができるようになった為、銀行は、より信用度の低い借り手に対する融資に生き残りを賭けざるを得なかったんです。そして、それは、銀行がよりリスクを取らざるを得なくなるという事です。


これは、金融システムそのものが不安定になる、という事でした。よりリスクを取らざるをえないのであれば、これは必ず起こることでした。銀行が、1980年台において、よりリスクを取る方向で動いていったのは、先進国における貸倒引き当て金の額からもわかります。これは、1980年台を通じて、増加していました。


しかし、1980年台を通じて起こった金融システムの変化が何をもたらすのか、それを実際に理解している人は少数でした。これは、コンピューターと金融技術の進歩によって引き起こされた流れであり、不可逆的なものでしたが、その結果がどのような形を世界に引き起こすのか。それを世界が現実に目のあたりにするのは、2007年、今世紀最悪の金融危機が起こるまで、関心を集めませんでした。


最初に悲劇が起こったのは、1980年台、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンです。金融の自由化と共に、銀行が放埒な融資をしたこと、それに伴って資産バブルが起こり、これらの国は不良債権の山に沈みこんだんです。


そして、その次に金融危機が起こったのが、日本でした。


1980年代、大企業が、銀行の前を素通りして、直接金融の世界にいってしまって以来、日本の銀行は、ノンバンク向けの貸し付け、不動産貸し付けの世界にのめりこんで行きました。それが破滅への道の始まりでした。


おりしも、日米貿易摩擦の中、日本はプラザ合意を受け入れ、円高、内需型経済へと柁を切っていきます。


しかし、円高アレルギー、円高不況を恐れた政府は、ここで財政政策を発動。日銀も世論に押される形で、利下げに踏み切ります。さらに悪いことに1987年、ブラックマンデーが起こり、日銀は、公定歩合を2.5%まで下げざるを得ない自体に追い込まれました。


歴史的な低金利、内需拡大のための財政政策、リスクテイクにひた走る金融機関。この三つが組み合わさって、バブルへの鐘が鳴り始めました。


円高にも関わらず、1987年、日本の景気は回復しはじめます。円高でも景気は回復できるんです。ちゃんとね。しかし、円高不況を恐れる政府と日銀、そして民間セクターの思惑もあったんでしょう。日本の円高アレルギーは信じられないほど高いものでしたから。


日銀は、景気が回復しているにも関わらず、低金利を維持。そして、アメリカからの内需拡大の圧力もあっての財政政策。リスクテイクに走る銀行。


この三つの要因が組み合わさり、マネーサプライが急増しました。おりしも円高の中で商品やサービスの価格は抑えられていたため、荒れ狂うマネーサプライは、株と不動産に集中的にむかい、物価が落ち着いているのに、株と不動産の価格が急上昇する自体が起きました。そうバブルの発生です。


日本の六大都市における市街地の平均価格指数は1985〜1990年までに3倍に高騰。株価も1985年から1989年までに三倍に高騰しました。


当然のことながら、バブルは弾けました。一つには、日銀の急激な利上げ。もう一つは不動産の総量規制によって。


不動産バブルの崩壊、そして株式バブルの崩壊は、リスクテイクに走った銀行の経営を直撃しました。


さらに日本の銀行にとって悪いことがありました。バーゼル合意です。


バーゼル合意は、銀行の自己資本比率の最低水準を8%以上とした国際統一基準でした。国際銀行システムの安定性のために作られたものでしたが、これを達成することが、バブルの崩壊によって日本の銀行は難しくなったんです。


株式の含み益と不動産の含み益が、バブル崩壊後の不動産価格の下落、株式の下落、不良債権の増加によって消えて行く中で、日本の銀行の格付けは下がっていきました。


抜本的な対策は、取られることなく時がすぎていきました。バブルが崩壊した1991年ジュリアナ東京で、踊ってたおねーちゃんがその象徴とも言えますが。


最近、どっかの国の首相(たしかルーマニア)が言ったように、「船底では浸水が始まっているのに甲板でダンスパーティを踊っていた」わけです。日本はね。


政治的空白は許されないはずでした。しかし、公的資金の注入をおそらく気づいていた政治家、財政金融に関しては右にでるものがいなかった男、宮沢喜一は、結局、それができなかった。





こちらの本から、引用させてもらいますが、1992年のことです。公的資金を注入、不良債権処理を行い、資産デフレになる前に金融システムを再建させる最初のチャンスと言えた時期でした。当時、首相の座にあった宮沢は軽井沢での講演で、


「銀行の貸し出し能力が、不良債権などできわめて弱っているのは事実だ。これが株式市場にも反映している。これが、今度の不況の、今まで経験したことのない要因だ。市場経済が正常に機能しない時にしかるべき方途を考えることは、政府、中央銀行の当然の責務だ」

「必要なら公的援助をすることにやぶさかではない。ただし、これは銀行を救済するのではない。国民経済の血液たる金融がうまく動かなければ迷惑するのはお互いだ。国民経済全体のためならば、あえて(公的援助)辞するものではない」


「そのためには、銀行で十分に公的使命を考えてもらわなければいけないし、どれだけ不良資産を抱えているのか、ディスクロージャー(公開)もしてもらわないといけない」



今から見ると、どれも至極当然で、やらなければならないことでした。しかし、彼にはそのどれも出来なかった。すでに、金融ジャーナリストの間では、山一の飛ばし、兵庫銀行の危険性、信金、ノンバンク、住専問題が認識されていたようです。


しかし、現実的には、経団連からエコノミストにいたるまで、「公的支援反対」の大合唱でした。宮沢は、こうして、無能な英雄として、記憶されることになります・・・・最近、池田先生に批判されまくってるリチャード・クーはただ一人、この危険性を指摘しつづけましたが。リチャード・クーは1990年代の、ある意味では、嫌な言葉かもしれませんが、荒野の英雄と言えるかもしれません。彼は嵐の中で警告を叫んでいるようなものでした。


宮沢は、この危険性に気づいていた。ただ、どちらも、最後まで抜本策を打たなかった。彼は天才でした。経団連の人々も、グリーンスパンも、彼が傑出した知性の持ち主だったことを認めています。しかし、彼は財政と金融に関してはプロ中のプロだった。しかし、政治家としての力量に著しく欠けていた。それが、1990年初期の悲劇でした。


あと忘れちゃいけないのが、日銀の金利政策なんですがね。バブル崩壊の後の金利政策は、今、そこいらで攻められてますが、金利下げるの遅すぎ。


バブル前には上げるの遅すぎ。バブル後は下げるの遅すぎ。


2,金融危機と進まない不良債権処理

日本の銀行がノンバンク向けの融資と不動産融資にのめり込んでいった話はすでにしました。特に問題だったのは、住専です。



特定住宅金融専門会社の破綻問題

バブルは崩壊、地価が下落、不動産業者の担保価値の目減りは大きく、土地は売るに売れない状況となり、融資先は元金返済どころか金利の支払いすら滞る事態となった。融資は固定化、塩漬けとなり、不良債権化していった。結果的に1社を除き破綻した。

破綻した住専には農林系金融機関(農林中央金庫、各県の信用農業組合連合会(信連)、全国共済農業協同組合連合会)を中心とした金融機関が貸し込んでおり、これらが貸し倒れ、処理が遅れる事による金融システムの破綻を避けることを目的に住専法が作られた。本来は、特定住専に乱脈融資を行った金融機関が貸し手責任を負うべき物で、実際に破綻処理ではほぼ9割弱について債権放棄に応じたが、それでも住管機構に対し預金保険機構の子会社として7000億円弱の公的資金が投入されることになったため多くの批判があった。

なお、破綻した特定住専は清算され、経営者および親会社である金融機関は民事および刑事で、住管機構及びその後身である整理回収機構によって経営責任や融資紹介責任を追及されている。


住宅金融専門会社Comments



バブル後、不動産価格が下落していきました。農林系を中心とした金融機関は特に住専に貸しこんでおり、農林系の金融機関が破綻される可能性がでてきました。これが1994年あたりのことです。宮沢が懸念していた事態が、2年後に本格化してきたんです。


1994年、金融危機が始まります。まずこの年、東京協和、安全信金が破綻。日銀が主導し、受け皿銀行が作られますが、これは金融危機の序章でしかありませんでした。

1995年、コスモ信組、木津信、兵庫銀行が取り付け騒ぎを起こして破綻。バブル期の放埒な融資が原因でした。


1996年、金融危機を抑えるため、ついに住専法が施行され、6800億円の公的資金が投入されました。しかし、焼け石に水でした。足りるわけがなかったんです。アメリカは、S&L危機で、最初に5000億ドル(1ドル100円として5兆円)を投入して消化を図ったのに対して、日本は戦力の逐次投入という愚策をとったんです。また、この時期あたりから、ヘッジファンドは日本の銀行株の空売りを始めます。もっとも、この空売りは、本格的に日本の株式の下落が始まる1998年には、やめちゃうんですけど。ロシアがデフォルトしたせいで。


後手後手に回り続けた金融行政は、1997年、本物の金融危機を始まらせてしまいました。


1997年、以前から懸念されていた三洋証券、山一証券、北海道拓殖銀行が破綻。また、日本の銀行システムの不良債権への不信感からジャパンプレミアムが発生。さらに、アジア通貨危機の発生によって、日本の金融危機は乾いた薪に火がついたかのように燃え広がっていきました。


山一証券の破綻によって、ようやく、日本人に金融危機の深刻さ、不良債権の深刻さを知らしめました。まぁ、リーマン破綻によって、ようやく動き始めたアメリカ議会と同じようなもんですが。


1998年、2兆円が大手21行に注入され、金融ビッグバンが開始されます。まぁ、これはこれでいいんですが、何で一気にカタをつけないのかと小一時間問い詰めたい。額が少なすぎる。この年、日長銀が破綻、日債銀も破綻に追い込まれます。足りるわけがない。もっとも、この年、預金保険法が改正され、金融機能安定化緊急措置法が制定されます。やっと動きはじめた年でもあります。山一がやばいのは1991年あたりからわかってたはずなのに。とにかく、ここで30兆円の公的資金が危機管理用として預金保険機構に準備されました。


1998年10月、金融再生8法と金融機能早期健全化緊急措置法が制定され、預金保険機構に準備される額が60兆円まで増額されました。


1999年、ついに政治と金融の足並みがそろいます。日銀はゼロ金利政策に移行。大手15行に対して、7兆4000億円が投入されました。


これらの措置によって、破綻の連鎖という事態は回避されました。最悪の事態だけは免れたんです。しかし、時すでに遅く、その後、取り返しのつかないデフレが始まったのは、皆さん、記憶に新しいと思います。そして、2000年には、残った大手銀行の合併が始まり、4つのメガバンク、三菱東京、三井住友、みずほ、UFJが誕生しました。


しかし、アメリカのような抜本的な不良債権対策はなされないままでした。大手の合併は進んだものの、抱える不良債権の額がでかくなっただけ・・・とも言えます。


3、小泉と竹中による最終的不良債権処理

不良債権問題は、ここにいたるまで、解決不能の問題でした。しかし、やっとのことで、この問題に踏み込める政治家が登場します。2001年2月、森総理が退陣。

2001年4月の総裁選は、橋本龍太郎、麻生太郎、亀井静香、小泉純一郎の四人で争われることになります。このあたりは、まだよく覚えている人が多いと思います。本命と思われていた橋本龍太郎を小泉純一郎が破り、第87代内閣総理大臣に就任します。


「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」とかなつかしーですね。


さて、ここで、小泉内閣になってからの、平成13年度年次経済財政報告をちょっとご紹介します。


「改革なくして成長なし」で有名なやつです。


年次経済財政報告


第2節 デフレの進行と金融政策

 日本経済は、緩やかなデフレの状態にある。デフレの要因は、?安い輸入品の増大などの供給面の構造要因、?景気の弱さからくる需要要因、?銀行の金融仲介機能低下による金融要因、の3つがあげられる。現在、我が国では、企業は過剰債務、銀行は多額の不良債権を抱えているため、程度が緩やかであっても、デフレは日本経済に悪い影響を与えている。デフレは、主に次の2つの経路を通じて、企業の設備投資を抑制させるなど日本経済を下押ししている。?過剰債務を抱えた企業の債務負担を増加させる。?実質金利や実質賃金の上昇が企業の収益を圧迫する。

 金融政策は、現在の経済を全快させる万能薬ではあり得ないが、日本銀行はデフレ圧力を和らげるためのさらなる施策を積極的に検討すべき段階にあると考えられる。




? 金融要因
 長期的には、インフレやインフレの逆であるデフレは、マネーサプライの動きによって決まることは知られており、マネーサプライが十分供給されれば、デフレは回避しうる。日本銀行ではこれまでになかった大幅な金融緩和策を講じているにもかかわらず、後述するとおり、十分な銀行貸出、マネーサプライの増加につながっていない。これは、物価を下げる構造要因と需要要因の力が強い中で、企業の過剰債務やそれと密接に関係する不良債権問題を背景に、企業の資金調達意欲が高まらないうえ、銀行の金融仲介機能が低下していることによるものである。



このあたりから、不良債権を問題視しているのがわかりますね。


しかし、実際に、不良債権処理が本格化したのは、2002年の小泉内閣改造からです。覚えている人も多いと思いますが、金融相、柳沢伯夫が更迭され、竹中平蔵が経済財政政策担当大臣と金融相を兼任することになってからです。


内閣改造後、小泉は2004年度までに不良債権処理を集結させることを課題と宣言します。これが、不良債権の最終処理の始まりでした。


この時期の竹中の考えは簡明です。日銀がベースマネーを前年比で30%増やしているのに、マネーサプライが3〜3.5%しか増えていないし、銀行貸し出しも減っている。つまり、銀行の信用創造機能が機能していない。その原因は不良債権問題であり、これを解決しないことには日本経済は回復しない、というものです。まぁ、批判もありますが、これが小泉改革の目玉の一つであり、平成13年度年次経済財政報告にも、似たようなことがかいてあります。


要は、やっと本気で不良債権処理を進める腹づもりの政治家が出てきたってことなんです。ただ、この問題については、小泉は全部、竹中にぶん投げて、電話で「竹中さん自分の考えを絶対に曲げちゃいけない。自分の信念を貫き通すんだ」って励ましてたくらいだったそうですが。。よく言えば信頼して任せたともいえますが、何ともいえないエピソードが残ってます。


こうして、竹中平蔵による不良債権処理が始まります。ただ、その途は最初から前途多難でした。


竹中は、まず、不良債権処理のためのプロジェクトチームを作り、メンバーとして、木村剛香西泰奥山章雄吉田和男池尾和人に白羽の矢をたてて、結集します。


これにはびっくりのエピソードが残っていて、最初の席上、池田和人が、


「不良債権問題は解決不能ですよ。解決できないことに関与するのは学者の良心が許さないので、私はメンバーからおろさせていただきます」


といって、メンバーから外れた経緯が残ってます。まぁ、そんだけデリケートで難しい問題でした。といっても、これを放置することもできない。


何度も繰り返すようですが、最初から、これは前途多難でした。そもそも、メンバーの一人である、木村剛といえば、「30社リスト」と呼ばれる不良債権問題の実態を問題視するリストを作った人。ブロガーとしても有名な人ですが、この人がメンバーにいたことで、いきなり株価が急落。まぁ、いわゆる「竹中ショック」が起きたくらいです。


柳沢が金融相を外され、竹中が金融相を兼任し、木村が竹中チームに入った。これは、柳沢と金融庁がそれまで述べていた「不良債権処理は終わりつつあり、日本の金融機関は健全化しつつある」ってのを真っ向から否定するものに他ならなかったんですね。


だもんだから「不良債権処理は片づいていない。これから断固とした態度でやる」ってメッセージを市場に送っちゃったんです。それで、銀行株が凄まじい下落。もともと、バブルの傷が浅かった東京三菱は、それほど下落しませんでしたが、不良債権問題を引きずっていた、みずほ、りそな、三井住友は酷い下落、UFJに関しては、株価が半額まで売り込まれました。


でも、これで明らかになったことがあるんです。つまり、メガバンクで最大の下落幅を記録したUFJは不良債権が多いと市場から見られているって事です。そして、UFJは、その後、問題を起こしたのは、知っておられる方も多いと思います。


2002年10月、ペイオフの全面解禁が二年延期されました。これは、竹中ショックで、株価が急落した銀行に対する飴と思われ、メディアで散々たたかれました。が、現実的な意味では、その後に控えている不良債権処理に伴う外科手術中に取り付け騒ぎが起きないようにするため、と解釈するのが無難です。そして実際にそうなったわけですから。まぁ、好意的な解釈ですが。


今後、欧米でも同じような外科手術が行われることになると思いますが、一時的にですが、この手の措置を必要とする国は出てくると思います。


だって、不良債権処置って、要するに、「銀行に損失全部吐き出せ」ってことなんですから。そうなりゃ赤字がでまくって、取り付けが起きてもおかしくない。そうなったら、それこそ金融危機です。日本は不良債権処理で運良く起きませんでしたが。



4,竹中プラン


竹中チームのメンバーであった吉田和男は、元大蔵官僚で、銀行局に勤務していた時期があります。その彼から、竹中は印象的な話を聞いていました。


「銀行局は威張っていても、銀行の本当のところはわからない。だから結局は行政指導といっても銀行のいいようにやってきた。それが金融行政の正体です。まるで、銀行局が銀行の箸の上げ下ろしまで管理していたかのような言われ方をしたが、それは銀行側にとって利益があるようにやっていただけなんです。」



これ、アメリカのほうでも一緒なんですよね。最近の規制緩和だってそうですが。S&Lの崩壊なんて、もう滅茶苦茶で、S&Lを無理矢理生き延びさせるために行った規制緩和とか特に。結局、そんなもんなんです。というか、銀行のことは銀行が一番よく知っていて、外からじゃ、なかなか内部のことなんてわからないんです。特に銀行は。






このあたりのことは、木村剛著の、「竹中プランのすべて」が良いんで、興味のある方はどうぞ。


そんな経緯で、不良債権処理のための本格的な動きが始まります。繰り延べ税金資産の自己資本への参入上限を10%以下にするってのが目玉だったんですが、これは結局ぽしゃりました。なんせ、これをやると、大手行ですら、自己資本が8%を切ってしまう。そうなれば、バーゼル規制にひっかかってしまい、また公的資金をいれないといけなくなる。


公的資金。


これをやれば、間違い無く、また国民から総すかんをくらうのは確実でした。そのため、与党からも銀行側かも反発がでました。そのため、結局、妥協せざるを得ない所まで追い込まれたんですね。


最終的に、これはぽしゃったんですが、そのかわり、



(ウ)繰延税金資産の合理性の確認

 主要行の経営を取り巻く不確実性が大きいことを認識し、翌年度を超える将来時点の課税所得を見積もることが非常に難しいことを理解した上で、外部監査人に厳正な監査を求めるとともに、主要行の繰延税金資産が厳正に計上されているかを厳しく検査する。



という項目が書き加えられました。


これは、その後、成立した「金融再生プログラム」で読めます。


これは、竹中平蔵が仕組んだトラップでした。「繰り延べ税金資産の自己資本への参入上限10%以下」は一気に問題を解決させるものでしたが、竹中は違う方法を使って、公的資金、そして不良債権処理を加速させる罠をしかけたんです。



「外部監査人に厳正な監査を求めるとともに、主要行の繰延税金資産が厳正に計上されているかを厳しく検査する。」



これが、肝でした。正直、竹中って人はギャンブラーです。持ち札が弱いのに勝負に出たとしか言えません。


竹中プランによって銀行は、貸倒引当金を積み増さざるを得ない方向に追い込まれ、赤字を計上せざるを得ませんでした。しかし、それでも、自己資本比率が基準を切って、公的資金の投入なんてことはないと、与党政治家も銀行も思ってたんです。


ところが、竹中プランに付け加えられた「外部監査人に厳正な監査を求めるとともに、主要行の繰延税金資産が厳正に計上されているかを厳しく検査する。」という条項が問題でした。


これは、とりもなおさず、銀行と監査人の間の、なぁなぁの関係を終わらせるためのものだったからです。


5,りそなに仕掛けられた罠


竹中チームの一人であった、日本公認会計士協会会長の奥山章雄は、『会長通牒 「主要行の監査に対する監査人の厳正な対応について」』を公表します。



将来の課税所得の合理的な見積可能期間(おおむね5年)は、個々の会社の業績予測期間、業績予測能力、会社の置かれている経営環境等を勘案した結果、5年以内のより短い期間となる場合がある点に留意する。



これ、わかりにくいですけど、要は「赤字だらけの銀行には、繰延税金資産を5年分認めたりしたら駄目だぞ。経営状態が悪いなら3年とか妥当な範囲にしろよ」って事です。


企業の粉飾決算に荷担した監査法人は、無限責任を負わされます。だから、粉飾決算と思われる行為は、そうそうできない。そして、会長通牒で、繰延税金資産を厳格に監査しないと粉飾決算になるよ、というメッセージを送ったんです。


ここが肝でした。


繰り延べ税金資産を外して資産と負債を比較すると、負債超過になるメガバンクが存在したんです。これは、みなさん、知っておられるでしょうが、りそなグループ、でした。竹中は、ここをほとんど狙い打ちにしたんです。まぁ、うまいこと三味線ひいて、自分の意図を隠し続けたもんだと思いますよ。


一旦、債務超過だと判断されれば、嫌でも公的資金いれるしかなくなりますからね。


しかし、これは二つの難関があります。一つは、りそなの監査人が厳格に繰延税金資産を査定すること。もう一つは、りそなが債務超過だと判断された場合に、公的資金の注入が必要になるわけで、それには小泉の支持がいる。


後者は驚くほど簡単に言質が取れたそうです。本当に、事態の深刻さが小泉にわかっていたかはわかりません。ただ、首相の言質をとったことで、あとは監査法人の出方次第になった。


これは本当のギャンブルです。もし、ここで、監査法人が寝返って、りそなにつけば、全てがご破算になる可能性があった。


しかし、ここで勝ったのは竹中でした。りそなの監査を請け負っていた新日本監査法人は、りそなの繰延税金資産を3年しかみとめない方向に柁を切ったんです。

「繰延税金資産計上前で債務超過の会社は、繰延税金資産の計上を3年分しか認めない」


それが新日本監査の答えでした。これで、りそなの運命が決まりました。自己資本比率が4%を割り込むのは確実で、公的資金をいれるしかなくなったんです。


小泉の言質はすでに取ってあり、公的資金の投入して一気にりそなの不良債権問題にケリをつける道筋をここでつけたわけです。公的資金投入となったら、なんとかそうならずに済むように、工作するのも当然で、このあたりも相当駆け引きあったみたいですが。


一方で、対象的といえたのが、みずほグループです。

これはもう自分で書かなくても、wikipediaに大体書いてあるので、そのままコピペします。



現みずほフィナンシャルグループ社長の前田晃伸の項目ですね。



前田晃伸



社長就任とシステム障害


2002年、みずほホールディングス社長に就任するも、その直後、傘下行の合併に伴うシステム統合に当たって、連結の不具合から決済に二重引き落としなどの混乱に見舞われる。入社式で「上の言うことは聞くな、上司に責任は取らせろ」と挨拶した矢先であった。

この問題で国会に招致された際、「直接に御利用者の方に実害が出たというようなことではございませんが、クレームが大量に来たということで、そういう意味で大変申しわけないと思っております。」と発言。その後すぐに「不適切な説明だった」と釈明したものの、マスコミに取り上げられ大いに物議を醸した[2]。

当時の金融担当大臣だった柳澤伯夫はみずほのシステム障害について、「事実と異なる報告を受けていた」と発言、内部管理の不徹底を露呈したため、さらにみずほは非難されることになった[3]。

みずほホールディングスはこの問題の責任として、前田をはじめとする経営陣給与を半年間50%カットする形で対応した。



最初、この人が社長になったときは、そりゃ酷いバッシングくらったんですよ。特に、国会での質疑がいけなかった。しかし、この人は、竹中プランを正確に理解してたんです。不良債権処理を急がないと、潰されるって事をね。大規模増資をするしか生き延びる方法がないと理解していた。りそなはそれがわかってなかった。最近のリーマンみたいですが。



財務再建

2002年には竹中平蔵金融担当大臣が策定した金融再生プログラム、通称「竹中プラン」の方針に従って(当初は難色を示したが)不良債権の処理を行った。しかしメインバンクを務めている企業に多くの倒産(2002年〜2003年の間に佐藤工業、壽屋、ハウステンボスなど)が出たため、貸しはがしの代表格的に扱われ世間の批判を浴びることも多かった。

2003年は前年に引き続き株安で始まり、日経平均株価は4月28日にはバブル後最安値の7603円をつける。これに伴い、みなし5万円額面のみずほ株も、一時5万8300円の安値を付け、倒産や公的資金の注入が噂されることも多かった。ただし、みずほグループは2003年3月期の決算こそ2兆3700億円の赤字であったが、1兆円規模の大規模な増資を行い財務的には資金繰りができる状態だった。しかし、この増資は同時に潜在的な株式希薄の要因でもあった。また、2003年6月の株主総会でもいわゆる「シャンシャン総会」を行ったため、これもまたみずほの既存の株主の批判の対象となった。

特に、ネット上の株式関連の掲示板では前田の悪評、酷評、罵詈雑言が絶えず、株価が安値を更新していたころには1日に10回以上も槍玉にあがることも多かった。

同時期、みずほグループ社員バッジを考案し連帯感を高める策を打ったが、これは同郷大分出身の財界人であるキヤノンの御手洗冨士夫のアドバイスによるもの。



こちらの記述にもありますが、大規模増資と貸しはがし。それが前田のやったことです。でも、厳しい言い方ですが、こういう企業は10年前に潰れていてしかるべきだった。だから土下座外交で増資し、引当金をつみ、不良債権を処理した。


しかし、生き残るためとはいえ、株主価値の希薄化、貸しはがしだったわけで、まぁ、もう最悪の経営者の称号を奉られたのも当然といえば当然。



現在

財務危機の後も資産の売却と劣後債などの増資をすすめて資本を積みまし、2004年3月期には黒字に転換、株式の配当も復配。続く2005年3月期、2006年3 月期も、特殊要因があったものの黒字決算を実現。多くの批判を集めた1兆円増資の決断も、結果としては成功に終わった。株価も上昇を続けたため、最近は就任当初のイメージは遠のき、経営手腕が優秀であるという評価に転換されていくことになった。堅実でぶれず隙のない経営者としてのイメージを確立しつつある。株価も100万円を超えた値がつき、底値から17〜18倍の大幅上昇を記録した。

また、メガバンクと消費者金融との提携については、かねてから否定的な見解を示している。全銀協会見では、消費者金融のテレビCMや広告について「個人的には、ちょっと目に付く」と他のメガバンクを暗に批判。グレーゾーン金利は「明らかに正常ではない」とし、「(みずほに開設された)2,600万口座の既存顧客へのより良いサービス提供が最優先」とコメントしている[4]。

その一方、銀行ATMなどの手数料が依然として高額であることについては、「何でもタダが良いというのはやりすぎ」と値下げ慎重の方針を持っており、こうした態度へは反発もある。本人曰く、無差別にいい格好をするのは顧客全体への負担となるのだから、対価に納得して選ばれる銀行を目指すべき、という独自の考え方があるようだ[5]。

2006年11月8日、みずほフィナンシャルグループがニューヨーク証券取引所に上場し、現地時間9時30分に取引開始の鐘(オープニングベル)を鳴らした[6]。




まぁ、色々ありますが、最近では、「最近は就任当初のイメージは遠のき、経営手腕が優秀であるという評価に転換されていくことになった。」って感じになりました。まぁ、この人も相当なギャンブラーですが、賭けに勝ったんです。



6、UFJの暴走

これは、まぁ、大問題になったので、僕が書かなくても知ってる人の方が多いと思うんですが、メガバンクの一角、竹中プラン後、UFJは最低最悪の行為をここで働きました。


竹中プランによって監査が異常に厳しくなった事で、完全に暴走しちまったのがUFJでした。最近も暴走気味といえば暴走気味ですが。ここもやばい銀行だったんで、最悪、公的資金の投入、国有化されるって焦りがあったんでしょう。




 「UFJ銀行東京本部の3階の会議室に、金融庁に説明したものとは別の資料が隠されています」

 昨年10月9日朝、金融庁に1本の匿名の電話がかかってきた。4大金融グループの一角であるUFJホールディングスを、三菱東京フィナンシャル・グループとの統合にまで追い詰める契機となった検査忌避が、発覚した瞬間だった。

 金融庁は当時、UFJ銀行に対し、大口融資先を重点とする特別検査を行っていた。情報の確認を求める検査官に、UFJ銀行の担当者は否定したが、指定された会議室に入った検査官が見たのは、約100箱にも上る段ボール箱の山だった。

 箱には、大手スーパーのダイエーをはじめ、UFJ銀行の大口融資先に関する資料が詰められており、UFJ銀行が特別検査で金融庁に示したデータに比べ、経営状況に対し厳しい見方が示されていた。

 UFJ銀行は「これは単なるシミュレーション」と説明したが、その後、大口融資先に関する重要なデータを、すでに廃止された部署のコンピューターに移して存在をわからないようにしたり、経営陣が審査した議事録を改ざんするなど、さまざまな検査忌避行為が明らかになった。

検査妨害 UFJ、焦って“暴走” 不良債権処理で後れ





 「UFJ銀行東京本部の3階の会議室に、金融庁に説明したものとは別の資料が隠されています」って電話での内部告発が発端でした。4年前の話ですけど、まぁ、凄い話ですよね。


検査官が踏み込んだ時には、UFJの担当者の一人がパニックになって、資料を破りだしたそうですが。まったく世も末です。こういう昔話を書いているとアルゼンチンの年金ファンドの差し押さえを笑えない。


しかもUFJは、ダイエーのメインバンクでしたから、ここに経済産業省が絡んできた。UFJは経済産業省をつかって、ダイエーの件は煙にまきたかったんでしょう。まー、ここで金融庁と経済産業省の間で一悶着あったみたいです。


馬鹿げた話ですけど、りそなにしろ、UFJにしろ、ここで、みずほ型の大型増資に踏み切っていれば生き残れたかもしれなかった。しかし、なんでかしなかったんです。メガバンクとしての誇りがそれを許さなかったのか。それとも金融庁とやりあって、逃げ切れる気でいたのか。それはよく知りませんが。


監査が厳格に行われた結果、UFJの実質的な自己資本比率は4%と判定されました。そうなると、バーゼル合意にひっかかります。国際業務を行う銀行には、最低8%の自己資本比率が求められるわけで。UFJは、ここで追い詰められたんです。


こういう形で2003年の決算を金融庁に訂正された以上、UFJは2004年の決算で、なんとかしないといけなくなった。しかし、竹中はここでさらに検査を厳格化。大口与信管理体制検査。UFJの逃げ道を塞ぐ方向で動きます。


2004年、ついにUFJと金融庁の対立に終止符が打たれました。UFJは、東京三菱と合併することを選択。検査忌避問題では、岡崎和美、早川潜、稲葉誠之の三人が逮捕され、不良債権の最終的な処理がここで終わりを告げたわけです。


2005年。大手行の不良債権は半額となり、長く続いたバブルの戦後処理は、15年の時を経て終わりました。


正直疲れたんで最後やっつけですが、まぁ、こんなとこで。
posted by pal at 12:25 | Comment(2) | TrackBack(6) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集

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