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2008年05月28日

中絶とナチスのホロコーストってどこがちがうの?前編

さて、本日は、先日のエントリ、

トリアージと中絶の経済学

の続きである。


タイトルはかなり扇情的なものにしたが、今回の話はするには適当だろうという事でつけた。なんで、こんなタイトルになるかは、これからお話しようと思う。


さて、なんだけども、先日の話では、「ヤバい経済学」の話で、「アメリカで犯罪を減らした史上最大の要因の一つが中絶だ」って話をしたわけだ。

「やば経」によると、子ども時代の貧困と片親の家庭で育った子どもは、将来犯罪者になるかを予測する上で、もっとも強力な要因だと言う。

片親の家庭で育つと子どもが将来犯罪者になる可能性はほぼ二倍になるらしい。また、母親が10代、あるいは母親の教育水準が低い場合にも、子どもが犯罪者になる確率が上昇する。

「やば経」では、ここで、アメリカで何百万人の女性に中絶を決心させた原因の一つが、「子どもを生んだら、その子どもは不幸になり、犯罪者になる確率が高い」と女性が予測した要因そのものにあるようだ、と仮説を立てた。

そして、実際問題として、中絶が合法化されてから、犯罪者が減った。この話は昨日した話だ。問題はここから。

さて、ここで素朴な疑問がわく。日本は、世界で最も治安の良い国だが、一体、日本の治安の良さをもたらしたのは一体何なんだろう?まさか、中絶?日本でも?そんな馬鹿な。でも調べてみるとアレな事実が浮かび上がってくる。


少年犯罪データベース 少年による殺人統計


まず、こちらの統計グラフから紹介するんだけど、ここで少年による殺人の統計が見て取れる。それをみると、戦後の子ども達は、急激に凶暴になったのが見て取れる。少年による殺人が急激に増えたのだ。

そして、不思議なことに、1967年あたりから急激に少年による殺人が減り始める。

何故だろう?何故、急に日本の少年は凶暴になって、1967年を境に少年達はおとなしくなったのだろう?実は、この傾向は少年による殺人によるものだけでなく、少年による強姦でも同じ傾向が現れている。

少年犯罪データベース 少年によるレイプ統計

コピーといっていいほど、少年による殺人事件の統計と同じだ。戦後になると急激に少年による強姦が増え始め、そして、1967年あたりを境に、急激に少年達は強姦をしなくなっていった。

一体、何がこんな状況を生み出したのだろう?

その答えは、意外なことにルーマニアにある。チャウシェスク政権時代の話だ。「やば経」からの引用になるが、


ニコラエ・チャウシェスクはルーマニアの共産主義独裁者になって1年後の1996年、中絶を禁止した。「胎児は社会全体の財産である」。彼は高らかに宣言した。「出産を忌避する者は、国家存続のための諸法を犯し、義務を怠るものである」。


チャウシェスクが取った政策は、単純なもの、つまり「生めよ増やせよ」政策だった。中絶を禁止して、人口を増やし、ルーマニアを強化しようとしたのだ。

問題はここからだ。

中絶が禁止されてから、一年でルーマニアの出生率は二倍になったのだ。チャウシェスクの狙いは、見事に結実した。だが、副作用があった。また、「やば経」からの引用になるが、


中絶が禁止されてから生まれた子供の世代を、ちょうど前の年に生まれた子供と比べてみると、どの指標も悪化している---学校の成績は悪く、仕事で成功することも少なく、そして犯罪者になる可能性はずっと高くなっていた。


中絶が合法である限り、女性は、自分で子どもをちゃんと育てられるかどうか、きちんと判断する。これが「やば経」の結論だった。

だが、中絶が非合法化されると、女性は、ちゃんと子どもを育てられるかどうか、全く判断しないまま子どもを生むようになる。

その結果が、こういう形になって現れる。ルーマニアは、中絶が禁止されると、出生率は高くなるが、子ども達が犯罪者になる確率が高くなるというモデルケースなのだ。

さて、じゃあ、日本に戻ろう。

日本では、1941年、閣議である政策が決定された。その政策とは、「産めよ増やせよ」というスローガンがついていた。富国強兵、植民地への殖産、それから戦争における人員の確保のためだ。

そして、この政策は、狙った通りの効果が一応はあった。日本の出生率は、1920年の36.3%をピークに緩やかに下がり、1940年には29.0%まで下がっていた。明治以来の人口増加は限界に来ていたのである。

ところが、「産めよ増やせよ」のスローガンが採択された1941年から、出生率は上昇に転じ、1943年には30.2%まで回復。1947年には34.3%まで上がり、その後は下降の一途をたどり、1955年には、19.3%まで下がった。図表は以下。


tb0.1.gif

戦後における人口の動きより


先にも述べたように、中絶をするかどうかが女性の判断にゆだねられた場合、女性は子どもをちゃんと育てられるかどうかを判断する。その精度はかなり高い。育てられないと判断すれば、彼女達は中絶を選ぶ。


身も蓋もない言い方をしてしまえば、将来犯罪者になってしまいそうな子どもしか育てられないと判断すると、女性は中絶を選ぶことが多い。


だが、このシステムが、チャウシェスク時代のルーマニアのように、国家からの政策によってゆがめられた場合には働かないのだ。


そして、「やば経」の仮説にある通りのことが、日本でも起こった。1941年前後に生まれた子供達が、少年になり、少年犯罪をするようになる10才なるのは、1951年前後からだ。

少年の凶悪犯罪は本当に増えているのか


こちらのページに、強盗・殺人・強姦・放火の四種を合計したグラフがある。戦後の小宴凶悪犯罪の統計グラフだが、昭和30年から、急激に少年による凶悪犯罪が増えはじめているのがみてとれる。

昭和30年は1955年だから、ちょうど、1941年生まれの子ども達は14才になっていることになる。つまりは、少年犯罪(10−19才)の範囲内で非行に走る年頃だ。


これは偶然だろうか?図らずも、「やば経」がたてた仮説の通り、日本でも起きている。つまり、「産めよ増やせよ」的な政策、中絶禁止は、その後の国内における犯罪の件数の増加につながる、という。

この話は、まだここで終わらない。

戦前戦中の「産めよ増やせよ」的政策の影響は、戦後もどうやら続いたらしい。戦地から帰ってきた男性が、はっちゃけただけかもしれなけど、1949年までは出生率は高いままだった。しかし、1947年の34.3%をピークに出生率は下がっていく。


だが、一番重要なのは、以下の数値だ。

tb0.3.gif


同じ資料からだが、妊娠中絶件数が昭和24年(1948年)の10万件から急激に増え始めたのである。昭和25年には32万件、昭和26年には45万件、昭和28年にはなんと100万件に達した。たった4年で、10倍まで増えたのである。

この後、中絶率は横ばいになり、1960年まで100万件を記録し続ける。

もし、「やば経」の仮説が正しいなら、このように、女性が自分の自由意志で中絶するか否かを選択した場合には、それは、日本での犯罪の減少を引き起こすことにつながるはずだ。

そして、それは、女性が積極的に中絶を始めた昭和28年(1953年)前後生まれの子ども達で最初に現れることになる。この子ども達は、犯罪を犯す確率が低くなる。


そして、ここでも、まったくその通りのことが起こった。昭和28年前後に生まれた子供達が10代になる昭和40年前後あたりから、急激に凶悪少年犯罪の件数が減り始めたのである。

少年の凶悪犯罪は本当に増えているのか


こちらの中段あたりにあるグラフを見て頂けばそれがわかる。

つまり、アメリカやルーマニアで起こった事は、日本でも、ほとんど全く同じ形で繰り返されていたことになる。女性というのは、どうやら本当に直感をもっているらしい。

つまり、彼女達は、自分の子どもが犯罪者になってしまいそうな状況で、中絶という選択肢がある場合には、中絶を選ぶことが多いのだ。日本でもアメリカでも。

どういうメカニズムかはわからないが、女性達は、かなり高い確率で、犯罪者になりそうな子どもは、中絶してしまうようなのだ。

だが、もし、「産めよ増やせよ」的な政策が取られたり、妊娠中絶が禁止されると、この機能が働かなくなる。その結果、子ども達の中で犯罪者になる割合が多くなってしまい、少年犯罪が増える。


日本は先進国ではかなり早くから妊娠中絶を合法化していたし、戦後は「産めよ増やせよ」をしなかった。そして、その期間が相当長期にわたって続いた。


つまり、日本が世界で最も犯罪率が低い最大の原因は、日本人がモラルが高いからでも、裕福だからでも、警視庁が優れているからでもない。妊娠中絶が早くから実施され、人口動態に人為的に政府が手を加えようとしなかったからのようだ。

その結果、日本の女性達は、正しく産んでよい子どもとそうでない子どもを、見もふたもないが「選別」できた。

その結果として、日本では世界でもまれにみる低犯罪国になったというわけである。

これは驚くべき機能、女の直感だが、ここで、どうしようもない疑問が持ち上がる。


また、別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。


ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム



中絶が認められると、犯罪が減る。それは女性が、将来犯罪者になりそうな子どもを中絶するという身も蓋もない育児制限を行うようになるからのようだ。


胎児を殺して社会を豊かにするという行為を、明らかに意図的でないにせよ、女性達は行っている。この場合は、犯罪者になりそうな子どもは、中絶するという形でだが、これが厄介なことに、戦後日本で、最も効果のあった犯罪対策のようなのだ。

だが。

これって、かの悪名高いナチのホロコーストと同じような事じゃないだろうか?

だって、ナチは、ユダヤ人に「劣等民族」というレッテルを貼って彼らを虐殺した。

また、重度障害者たちが精神病院のガス室で殺されていった。その数は20数万人にも上るという。

ようするに、社会に役に立たない人間は殺して良いというアレだ。これって忌み嫌われる行為なんだが、しかし、中絶にもどうやら、同じ機能があるらしい。

この場合、中絶が合法化されると、犯罪者が減る。つまり、中絶というのは、悪名高いアレだ。はてBのタグで「全体最適はナチ」なんてのがあるが、まさしく、この行為そのものだ。

社会全体の幸福と女性個人の幸福のために、将来犯罪者になりそうな胎児を殺しているってことだ。


ここまで見てくると、次のようなアレ、つまり、「やば経」に出てくる、


ある法学者は、中絶の合法化は、奴隷制度よりも(必ず死を伴うわけだから)、ホロコーストよりも(「ロー対ウェイド」裁判以降にアメリカで行われた中絶は2004年現在3700万件で、ヨーロッパで殺されたユダヤ人600万人を超えるから)、もっと悪いと言う。


という言葉を思い出してしまう。


ここで、「この女学生達は偽善者だ!中絶には賛成するのにトリアージには反対するなんて、偽善の極地だ!」という事は簡単。日本の女性の大半は中絶に賛成しているからね。


だが、僕の結論は違う。


この二つには、とても大きな違いが存在する。前回のエントリでも少し述べたけど、次のエントリで、その違いについて述べてみたい。


後編に続く。
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2008年05月26日

トリアージと中絶の経済学@幸福と不幸のトレードオフ

ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム


というfukuさんの記事から始まって、色々と議論が沸き立っているので、尻馬しときます。


まぁ、流れは、


はてなブックマーク > ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム


で、この記事に言及したブログが大体網羅できているので、そちらを見て頂くとして、と。


今回の記事では、先の記事の中で触れられている、「資源の有効配分」に関するものです。


fukuさんの記事の中では、女学生との話で、「競争で負けた組織はかわいそうだ」という意見から始まって、そこから、「資源の有効配分」の話になって、トリアージの話になっているわけですが。


で、なんですけどね。


一人の人間が「可哀想」だからという理由で他人を助けた場合において、それは、トレードオフをすでに引き起こすのね。今日の話はそこ。



例えば、医療に関して言えば、最近の医療崩壊の話になるけど、医者というリソースが限られたものなのね。社会の富が増えれば、そのリソースを増やすことはできるけど、有限であることには代わりがない。


そのリソースは、社会全体の幸福につながるように配分されなければならないのだが、この問題についての視点はしばしば無視されてしまう。


で、これと根っこが同じなんだけど、妊娠中絶にもこの問題が絡んでいる。


特に妊娠中絶の反対派というのは、女性個人のリソースが限られたものであり、そのリソースの有効活用という視点に関して、ほとんど欠けていると感じるモノが多いわけ。


絶対に妊娠中絶に反対する人たちがいる。例えば、胎児は人間であって、それを人工的に堕胎させる行為は最悪の犯罪行為だという人たちだ。


例えば、「ヤバい経済学」にこんな話が出てくる。




ある法学者は、中絶の合法化は、奴隷制度よりも(必ず死を伴うわけだから)、ホロコーストよりも(「ロー対ウェイド」裁判以降にアメリカで行われた中絶は2004年現在3700万件で、ヨーロッパで殺されたユダヤ人600万人を超えるから)、もっと悪いと言う。



ちなみに、日本では年間30万件の中絶が行われており、これは、自殺者3万人、交通事故による死者9000人、殺人事件による死者1200人程度を全部あわせたよりも大きい。

ヤバい経済学の第四章では、「犯罪者はみんなどこへ消えた?」という内容で、アメリカで犯罪者が消えた原因を妊娠中絶の合法化にあるとした。様々なデータを通して、それを論じた。


その後に、こんな文章がくる。



アメリカで犯罪を減らした史上最大の要因の一つが中絶だなんていうのは、もちろん嫌な話だ。なんだか、ダーウィン主義よりもスゥイフト主義の香りがする。大昔、G・K・チェスタトンが言ったらしい言葉が頭に浮かぶ。:帽子が足りないからといって頭を切り落としても問題の解決にはならない。経済学の用語でいうと、犯罪の減少は中絶合法化の「意図せざる便益」である。しかし、道徳的な立場や宗教上の理由で中絶に反対していなくても、個人の不幸が大勢の幸せに変身するなんてショックだ。


「しかし、道徳的な立場や宗教上の理由で中絶に反対していなくても、個人の不幸が大勢の幸せに変身するなんてショックだ。」という場所を強調したのは、これが正に幸福と不幸のトレードオフそのものだから。


今回のエントリの趣旨は、ここにあるのだが、この問題こそが、この手の問題について議論を巻き起こす肝なのね。



中絶についてそれほど強い感情を持っていようがいまいが中絶はとても大きな問題だ。ブロンクスとミネアポリスで警察の最高幹部を務めたアンソニー・V・ボウザは1994年にミネアポリス州知事に立候補したとき、それを思い知った。ボウザはその数年前に本を出し、「おそらく、1960年代の終わり以降にわが国が採用した犯罪者対策の中で有効だったのは唯一中絶だ」と書いていた。ボウザのそういう意見は選挙直前になって知れ渡り、世論調査で彼の支持は急落した。で、結局負けた。



さきにも述べた通り、我々は「少数の不幸を代償として得られる大多数の幸福」というものについて、非常に不快に感じるメンタルを持っている。だから、基本的には、ここは受け入れられにくのだ。


で、なんだけど。


妊娠中絶は、いくつかのメリットとデメリットがあり、それらは、トレードオフの関係にある。


例えば、貴方が結婚して一年目に嫁さんに子どもが出来たとしよう。ところが、医者にいったら、「貴方のお子さんは、50%の確率でダウン症になる可能性があります。また、お嫁さんが出産の際に死ぬ確率があります」と言われたとする。



これは極端な例だけど、医療が発達した今でも、出産には、ある程度の確率で死の危険性が伴うし、それから、子どもの何%かは、先天的な異常を持って生まれてきてしまう。


そして、それらが、出産の前にわかってしまうケースがある。


ここで、貴方はトレードオフに直面する。


つまりだが、嫁さんの死の危険性をしってなお、子どもを生んでもらい、さらに、生まれた子供がダウン症だとしても、その子どもを育てるか。


それとも、中絶して、最初からもう一回小作りをするか、あるいは中絶して子作りを全面的にあきらめるか、だ。


酷い選択肢なので、どれを選んでも正解なんてない。でも、資源は有限で、その全てを解決しうる技術が現状ない以上、どれかを選ばなくちゃならない。


以前、妹が、学校で、「妊娠した時に子どもが先天的な異常を持っていると発覚しました。どうしますか?」ってテーマで議論したときの話をしてくれた。


その中で、ある女性が「生まれてくる子どもの命は、子どものもので、不幸か幸福かは子どもがきめることだから、親が先天的な異常を持って生まれてくる子供は不幸だろうから産まない方がいいなんて決めつけるのは間違っている」と言った話をしてくれた。


その女性の考え方が述べられた時、教室で拍手が起こったそうだ。ただ、妹のほうは、「やはり嫌」だと思ったそうだ。


日本の女性が、こういう問題を突きつけられたとき、どうするかは、個人できめればいいと僕は思っている。僕はフェミニストではなく、自由主義者の陣営に属する考え方をしている。だから、妊娠中絶に賛成するのは、自由主義的な発想によるものだ。つまり、政府によって「妊娠中絶は禁止」と規制されるより、個々人に生む生まないは任せた方がずっと上手く行くと考えているからだ。(問題はあるが、それは後で述べる)


もうひとつ、ものすごくショッキングな話をすると、文化人類学などで報告されていることだが、しばしば、未開民族では、「新生児殺し」が行われているそうだ。


僕が知っているケースでは、ある部族では出産は女性だけで行われるので、出産の際に、先天的な異常をもつ子どもが生まれた場合には、その子どもを殺してしまって、夫には「流産だった」と告げてしまうそうだ。


とても嫌な話だけれど、この話には、ある種の合理性がある。


というのも、女性にとって、生涯に生める子どもの数は極めて限られているからだ。この部族の女性にとっては、先天的な異常をもつ子どもを育てるコストは、とても高くつく。本来だったら、生涯で5人の子どもを育てられるのが、先天的な異常をもつ子どもがいた場合には、3人程度が限界だろう。あるいは、すぐ死んでしまうかもしれない


どの場合でも、女性は非常に不利益をこうむるし、それから、うんでもらえるはずだった、赤ん坊もいなくなる。これは殺人にはあたらないが、新しい命が生まれてこなくなるわけである。


そういう風に考えれば、そういった新生児殺しには、ある種の合理性があるのである。


とても嫌な話だ。それはわかっている。


なんで、こんな話をするかというと、日本やアメリカでは新生児殺しは、犯罪だが、一方で、中絶が合法化されているため、まさに、これと同じ状況が、中絶という形をとって行われているからだ。


トリアージと妊娠中絶、経済学と経営学における、このテーマの問題は何か?というと、「限られた資源をどれだけ有効につかって、社会の幸福に貢献するか?」というのがある。


トリアージに関しては、限られた資源とは医療で、それをどう有効に扱って沢山の患者を救うかという問題。


妊娠中絶に関しては、限られた資源とは、女性の卵子と子育てにかけれるコストであり、これらをどう有効に使って社会の幸福に貢献するか?という問題。


これらは、「限られた資源をどれだけ有効につかって、社会の幸福に貢献するか?」というテーマと根っこを一緒にしており、それゆえ、しばしば、この問題に経済学者やら経営学者が首を突っ込むのである。


で、妊娠中絶に話を戻そう。


妊娠中絶が非合法化された場合の、主な不利益をあげていく。


まず第一に、たとえ、非合法にされても、やはり「望まれない妊娠」は起こるって事だ。妊娠中絶が非合法化される前のアメリカですら、年間6万件から7万件の妊娠中絶があった。

また、非合法のもぐりの医者による中絶というもの行われていたという。これは非常に大きな問題で、非合法な中絶というのは、非常にリスクが高かった。現在ですら、ぞっとするような方法で中絶は行われているわけだけど、それよりもっと酷いものが行われていたのである。女性にとっては非常にリスクが高かった。


第二に、望まれずに生まれて来た子どもに親は冷たいって事だ。家庭内暴力や、捨て子が急増する可能性がある。


第三に、これはやば経で述べられていることだが、犯罪が増えて、犯罪で死ぬ人が増える可能性があるってことだ。不快は話だけど、貧しい女性は、妊娠中絶が禁止されたら、妊娠した子どもを生むしかなくなる。そういった家庭の子どもは、犯罪者になる確率が、そうでない子どもと比べて非常に高い。


やば経では、ロー対ウェイド裁判の判決文を引用している。このようなものだ。


州がこうした選択を一切認めないことで妊娠女性に与える損害は明らかである・・・・(中略)・・・母となること、あるいは新たに子どもをうむことが、女性に痛ましい生涯と未来を強いる場合がありうる。心理的な被害は甚大でありうる。子育ては精神的および肉体的健康の足かせとなりうるのである。望まぬ子どもを持つことは関係するすべてにも苦痛を与えるうえ、心理的あるいはその他の理由で、すでに子どもをいつくしむことのできなくなっている家族に子どもを迎えさせることになる点も問題である。



無論、今でも、妊娠中絶に関する議論は絶えない。アメリカですらそうだ。先に述べた女性の言葉にあるように、「子どもの命は子どものものであって、それを親の都合で消し去っていいのか?」という主張には、それなりの説得力があるからだ。


無論、望まれない子どもを育てる際に親が負わされるコストは無視できるものではなく、それ故、妊娠中絶は合法化されるようになったのだけれど。


さて、次に妊娠中絶が認められた場合について考えて見よう。


まず第一に、一番大きな利益は、女性が出産をコントロールできるということだ。この利益は、とてもつもなく大きい。フェミニストサイドの言論を引用するまでもなく、女性の大半は、この権利を手放すことはないだろう。僕自身も、支持している。理由は、フェミニストサイドでなく、自由主義的なものだけれど。子殺しは減って、養子に出される子どもも減った。


第二に、プロによる妊娠中絶が行われるようになるので、比較的安全に、中絶が行われるようになるってことだ。これも利益が大きい。もぐりの中絶なんかがまかり通った社会よりも、こちらのほうが、母体に傷をつけずに行われるに決まっている。また、非合法だった頃の中絶というのは、費用がばか高かったわけだけど、今では100ドルで受けられるようになったのも大きな利益だった。


そして第三になるのだけれど、ここが問題になる。


妊娠中絶が認められてから、アメリカでは、凄まじい勢いで、妊娠中絶が増えた。「ロー対ウェイド裁判」の後、一年で75万人の女性が中絶を受けた。そして、その数は年々増加の一途をたどり、1980年には160万件に達した。現在では、年間150万件の中絶が行われている。中絶の費用は下がる一方だった。


さて、問題。


妊娠中絶が合法化されて、その手術の費用が下がった結果として、中絶が増え続けた。そして、妊娠が30%増えて、一方、出産は、6%減った。


つまり、アメリカの女性達は、妊娠中絶を産児制限の方法として使い始めたのである。本人達にその意図があるかどうかは、ともかくとして、統計は、はっきりとその傾向を物語っている。


やば経では、これを「さしずめ、荒っぽくも劇的な保険」と述べているが、こういった保険はモラルハザードを引き起こすことで知られている。


火災保険の例を使うけれど、「火災保険に加入する人が増えると、火元のチェックを怠る人が増えるので(保険があるから)、火事が増える」という状態が起こる。


これを経済学の用語でモラルハザードというのだけれど、妊娠中絶の合法化によって引き起こされた犯罪者の減少が「意図せざる便益」だとするならば、妊娠中絶の合法化は、「妊娠が30%増えて、一方、出産は、6%減った」というモラルハザードを誘発してしまった。


つまり、いざとなったら妊娠中絶という保険があるので、避妊を怠りがちなセックスをする男女が増えたってこと。


これが、アメリカで妊娠中絶が合法化されて生まれた一番大きなデメリットとも言える。


とても嫌な話かもしれないけれど、妊娠中絶が合法化されると、殺される胎児が増える、という言い方さえ出来てしまうわけだ。最初から予期は出来たことだけど、しかし、その数が年間150万件まで膨れあがるとは、フェミニストですら思わなかったろう。


最後にもう一つ、やば経から引用する。



さて、話を進めるために、一つひどい疑問を考えよう。:胎児と新生児の相対的な価値はどれだけだろう?何人だかの胎児を生まれた赤ん坊一人の命のために犠牲にしなければならないなんていうソロモン王みたいな問題が降りかかったとして、あなた、どんな数字を選びますか?単なる頭の体操だ----もちろん正しい答えなんてない----けれど、中絶が犯罪に与える影響をはっきりさせるのに役立つ。




これについて、どう考えるだろう?それは人それぞれだとは思う。


やば経では、「命は妊娠で始まる」とする中絶反対派であれば、レートは1:1とし、「中絶を選ぶ権利は胎児のそれよりも重要」とする中絶賛成派ならば、何人の胎児であろうが、生まれた赤ん坊一人の価値には届かないとする。


ここまでは普通の答え。


で、なんだが、ここからが、経済学者っぽいやり方だ。(やば経の筆者がいっているように、これから先の話は、非常に不快な話なので、そういう人は読み飛ばし推奨。)



まず、生まれた赤ん坊一人には、胎児100人分の価値があるとする。これは、やば経のレートだけど、話をすするために、そうする。


この場合、アメリカでは150万件の中絶が行われているから、年間、赤ん坊一万五千人の命が失われているのに等しい。


日本の場合は、年間30万件の中絶が行われているから、年間、三千人の命が失われているのに等しい。


この数値は、アメリカの場合、殺人事件と同数の人間と同じだし、日本に至っては、殺人件数の二倍ちょいの数字だ。


つまり、胎児は、赤ん坊の100分の1の価値とした場合、中絶の増加と犯罪減少のトレードオフは、極めて非効率なものになるわけだ。特に日本においては、極めて非効率な状況を生み出している。


では、ここまでの話をして、何が問題なんだろう?


中絶を禁止すればいいのだろうか?僕はそうは思わない。問題は、ある種のモラルハザードだ。


つまり、「いざとなったら中絶すればいい」という保険があることから、妊娠は増えるのに出産は減るという行為に拍車がかかってしまっている。


僕が、妊娠中絶で問題にしたいのはここになる。つまり、「いざとなったら中絶すればいい」という保険が、人々に及ぼしてしまうインセンティブの問題なわけ。


最初に考えられる対策は、「ピルとゴムの併用」を強く進める方法だ。特に、日本では未婚者よりも既婚者での中絶が多いので、既婚者にはこれを強く進める。


また、ピルが高価で、副作用の強いピルしか日本では買えないって問題もある。このあたりは、避妊の話になるので、おいておくが。


僕個人は、赤ん坊と胎児のレートが1:100だとは考えてはいないけれど、しかし、このレートで換算した結果として、中絶が現状、非常に非効率な手段となっているという問題意識がある。


基本的に、日本の中絶率は、50年前と比較して下がっているわけで、これ以上下げるのは、もう無理なのかもしれない。しかし、もう少し、避妊に注意すれば、下げれるんじゃないかと思っていて、基本的に「ピルとゴムの併用」を進める立場なわけ。日本ではピルは普及していなのでね。



結局のところ、やば経の結論は、


中絶と犯罪の関係からはっきりとわかることはこれだ:中絶について、政府が女性に判断をゆだねれば、普通、女性は、子どもをちゃんと育てられるかどうか自分で判断する。育てられないと判断した女性は、中絶を選ぶことが多い。



って事なんだけど。


個人的には、これに付け加えて、「中絶が合法化されると妊娠は増える可能性がある」って所も付け加えたい。ある種のモラルハザードを誘発してしまうからね。中絶できるから、避妊をおろそかにしてしまうことがあるってこと。中絶が合法化されてからのアメリカの中絶の増え方は恐ろしすぎるから。



最後にフリードマンが喝破した事で「他人の金を他人のために使うとき」には、それが酷く無責任になるというのがある。


これは、「他人のリソースを他人のために使うときには、それを効率的に配分しようというインセンティブがない」ということだと僕は理解している。だから無責任で非効率なことをやりだす。


これを中絶に当てはめると、中絶反対派の人たちは、家族のリソース、つまりは子育てであると、産む子供とかに関して、どの子供を育てるべきか、という嫌な問題について、考えるインセンティブがないってことでもある。


女性であれば、それこそ、自分の子どもを生んで育てるには、生理、出産、育児、授乳といったコストを支払わざるを得ないので、その効率的な配分というのを考えざるを得なくなるが、赤の他人だと、そういうことまでは考えるインセンティブが、しばしばないってこと。


女性にかかるコストを考えれば、妊娠中絶は認められてしかるべきだ。少なくとも、僕はそう思う。


トリアージの問題だけれど、医者がリソースを患者のために使うのは当然。普通にやってれば、医者というのは、合理的に、そのリソースを患者のために配分する。


無論、ここでも、医者がモラルハザードを起こす可能性はある。「医師が不必要に多くの薬を患者に与えて診療報酬を増やそうする問題」なんてその典型だ。


医療のリソースは限られているわけで、そのリソースをどう配分するか。それは常にトレードオフの問題をはらむ。しかし、配分しなくちゃならない。全員を救うことはできない。将来できるようになるかもしれないけれど、今はそうじゃない。さらに、モラルハザードの問題まである。


しかし、ここで、「他人の金を他人のために使うとき」的な状況で、医者のやることに、口出しするのは、同じくらい危険な問題をはらむわけだ。


例の「可哀想」の話になるけれど、彼女達は、自分で患者を助けるのではない。医者というリソースを使って、患者を助けるということを考えている。そこに、医者というリソースは有限で、その効率的なリソースの配分をどうするかという視点が抜けている。それが俺からすると非常に危ういとおもうわけだ。


多分、彼女達は、中絶には賛成するだろう。なぜなら、彼女達は、自分で子どもを生む当事者だからだ。だから、自分の資源の効率的な配分を目指すインセンティブがある。


中絶は、トリアージ以上に議論にされるし、非人道的な行為だとして、徹底的にたたく人たちもいる。場合によって、奴隷制やナチのホロコーストより酷いって人もいるわけだけどね。


彼女達が、子どもを可哀想だと思わないって言ってるわけじゃない。そうじゃない。どっかで読んだが、どんな女性だって、「本当に中絶しなきゃいけないの?」って聞かれると涙を流すそうだ。ただ、彼女達には生めない理由がある。そういうことだ。


それを、経済学の観点から話すと、ある種、非人道的で、無味乾燥なものになることはわかっているけどね。


この問題は中絶だけじゃなくて、僕らの社会にあまねく存在している。幸福と不幸のトレードオフ。誰かの不幸が、全体の幸福につながるなんて、ショックな話だ。


だけど、そういう状況がいくつもある。そして、マンキュー経済学にあるように、「人々はトレードオフに直面している」わけだ。


何かを得るために、何を支払わなければならない、そういう状況にね。リソースは有限なのだから、当然そうなる。


例えば、技術が進歩しても、やはり問題は起こる。たとえば、技術が進歩して、完璧で低コストな避妊法、それから、どんな怪我でも一瞬で直せる安い薬が開発され、大量生産されて世界の人々に広まったとしよう。


こういう状況なら、妊娠中絶なんてなくなるだろうし、トリアージなんてなくなるだろう。薬だけで治るわけだから。


だが、だ。それは、日本から、高自給の医者の仕事や看護婦などの医療関係の仕事がまるで無くなることを意味する。彼らは失業することになる。


いずれは、彼らも新しい仕事をみつけるだろう。だが、その間、彼らは失業せざるをえなくなるし、適応できずに自殺してしまう人もでるかもしれない。


これは、可哀想じゃないだろうか?無論、大半の人は、可哀想だなんて思わないだろう。だって、この世界から病気や中絶がなくなるんだから。デメリットよりもメリットのほうが遥かに大きい。


でもやっぱり、ここでもトレードオフの問題が起きる。世界から病と中絶がなくなる引き替えに、医者と看護婦と医療関係の仕事がなくなって、彼らは失業してしまうわけだから。


少数の犠牲の上にたつ平和の世界。そういって批判することもできるかもしれない。しかし、医者の仕事を守るために、病人を出し続けろなんて馬鹿げているわけだ。



この配分とインセンティブやトレードオフについて扱うのが経済学の問題なんだけど、これから、しばらく、この手の問題について、いくつか紹介していきたい。


とりあえず、今日はこんな所で。


posted by pal at 07:23 | Comment(4) | TrackBack(3) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集

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