こんな世の中で、本当か嘘かもよくわからない事が多すぎる世の中で、
ただ一つ、確かにあると言えるものは、それは、自分の心しかないと思う。
イラク派兵自衛官の子どもが被爆畸形に上記のリンクに飛んで、絶句した。
この話が本当だとするならば、やるせない、本当にやるせない話だ。
なければいいと思っていた。
個人的に、忘れようと思っていた事でもある。
イラクのウラン弾の話は。
だが、イラクにいった日本の自衛官の子供に、
奇形児が生まれたというこの話は
とても素通りできそうにない。
「イラクは安全だ」
こんな馬鹿げた話を信用する人は、ごく少数だと思われる。
あそこにいった日本人で無事に帰ってこれる人間なんて、
民間人ではいないだろう。
だが、そこに住む人間にとって
これほどの災禍が迫っているとしたら。
イラク人に、どれだけの苦しみをこれから与えつづけるのだろう。
神であるとか、正義であるとかいう言葉について思うとき、
もし、そんなものがあるとするならば、もしあるとするならば
このような、生まれながらにして、絶対に覆しようがない
先天的異常をもって生まれてくる子供達とは一体なんなのかと考える。
もし、そんなものがあるとするならば、それは何の意味があって
彼らをこの世に送り出したのだろうと思うことがある。
彼らは何の罪もまだ犯してはいないのだから。
我々が殺したとも言える、何の罪もない子供達。
石油のために我々が殺した子供達、生まれがながらにして、
DUによる重篤な先天性の奇形
Extreme birth deformitiesこのようなハンディを背負った子ども達がいるとするならば。
それが、劣化ウラン弾のためだとするならば。
そして、イラク戦争によって、殺された何百人という子供達が、
これからも生まれて来るこういった子供達がいるとするならば。
神や正義という言葉に、美麗字句はいらないと思う事がある。
結局、自分達に都合の悪い事を覆い隠すために
構築された理論だと悟ったほうがまだましだと思うことがある。
あの戦争は、石油のための戦争だった。
正義のためなどではないと僕は思っている。
たぶん、そんな事はみんな知っている事だけど
みんな忘れたいのだろう。
少なくとも、僕はそうだ。
しかし、
あの戦争で肉親を失い、そして、生まれてくるこういった子供達が
いるとするならば、彼らが存在するというならば、
彼らが生きていくこの世界で
正義という言葉を吐けるほど僕は人間が出来ていない。