今、記者ブログが熱い!
ネット時代の新聞、ネット時代のジャーナリズムの
あり方を巡って、論争勃発中です。
というわけで頼まれていないのに
論争中の記者系ブログのまとめ。
ネットは新聞を殺すのかblog ネット時代のジャーナリズムのあり方に最初の一石を投じた
現役記者さんによるブログ。参加型ジャーナリズムに関して
知りたいならココ。日本マスコミ史において
ネット時代の全ての始まりとなったブログとして
記憶されるかもしれない。
そのくらい影響を与えたブログ。
R30マーケティング社会時評 元メディア人のR30さんのブログ。記者系ブログでは
この人が一番頭がいいと感じられる。
最近、ブログ時評と抗争中。
ガ島通信 この間、新聞を辞める発表をして記者系ブログを震撼させた方。
人の良さと熱さを感じさせるブログ。
現在、署名で書く記者の「ニュース日記」の小池さんに
反論中。
ブログ時評 現役朝日新聞記者、団藤氏によるブログ。
批判はかなりあるが、
内容や文章、そのプロ精神は流石、大新聞の現役記者の一言。
LDPJ、R30さん、2ちゃんねらーと抗争中。
札幌から 道警での不正を追求した気骨の人、高田さんのブログ。
現在、署名で書く記者の「ニュース日記」の小池さんに
反論中。その報道に対する真摯な姿勢にひたすらリスペクト。
署名で書く記者の 共同通信の記者さん達のブログ。
「ニュース日記」 一度、記者の一人である小池さんが
記者ブログや2ちゃんねらーに囲まれて大炎上。
現在、高田さん、ガ島、踊る新聞社さんから
激しくクレームつけられ中
踊る新聞屋−。 札幌の若手記者さんによる熱いブログ。
現在、小池さんに激しく反論中。
LDPJ ついに現れた参加型ジャーナリズム。
現在、ブログ時評と激しく論争中。
いきなり朝日、その背後にある日本記者クラブに
喧嘩うって報道やっていけるの?
・・・・・・というか記事の内容が・・・・・・・・・
以下、ジャーナリズムについては個人的雑考
新聞が滅ぶのか?という点については、
一つの指標を上げれます。
一つのモノが滅ぶ時には、過去の歴史を見る限り、
全ての点でそのモノを上回る存在が出た時に
それは滅びます。
電灯がランプをころし、車が馬車を殺したのは
全ての面で、電灯がランプを上回り、車が馬車を全ての点で上回った時でした。
同じじゃ全然ダメなんです。一つでも下の要素があったらダメなんです。
すべての面で上回っていないと、殺せません。
ネットが新聞を全ての部分で上回るなら、新聞は確実に滅びます。
一方で、一つでも新聞が
上回る部分があるなら、新聞が死ぬことはありえません。
勿論、衰退はします。広告料が減り、部数が減る事は十分ありえます。
ですが、死にはしないでしょう。
技術革新でフリーペーパー化がどの程度進むのか、それに
かかっている気がします。
もっとも、フリーペーパー化が進んでも
ネットニュースに変わるだけでしょうから
ジャーナリズムが死ぬことはないと思います。
ただ、やはり、なんらかの形で変わっていくことにはなると
思います。姿を変えて存続していくのでしょうね、きっと。
それともう一つ。
ブログと新聞の違いですが、
文学には「開かれたテキスト」と「閉じられたテキスト」という
概念があります。
「開かれたテキスト」とは、読者がテキストを読んだ時、
読者に自分なりにモノを考えさせるテキストです。
一方で「閉じられたテキスト」とは読者の反応をあらかじめ
限定したものです。
マスメディアに関しては、後者の色合いが強く、
三菱の報道にしろ、LD報道にしろ、イラク戦争にしろ、視聴者、読者の反応を
あらかじめ限定する意図が見え隠れしています。
読者に対して、三菱、ホリエモン、アメリカを悪に
見えるように番組や記事を書いているとしか思えない事が何度もありました。
一方で、ブログですが、情報の精度、質に関しては
マスメディアに及ぶべくもありませんが、
その一方で、ブログというのは「開かれたテキスト」的な部分が
マスメディアに比べて強いです。
勿論、ブログにも「閉じられたテキスト」的な部分も多くありますが
コメントやTBで反論が容易な為、読者は一つの意見にたいする賛否両論を
簡単に読むことができます。そして読者は自分で
判断つければいいわけです。
ブログには
「自分で考える」
といった部分を促進するギミックが積極的に搭載されてるわけです。
一方で、僕の見る限り、
既存メディアは読者に対して、そういうギミックを積極的には搭載してません。
今後、ネット時代が進むにつれて
この部分がどの程度、大衆に受け入れられる部分に
なるかどうか、メディアが、そういう部分とどう付き合っていくか
について、かなりの興味をもっています。