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2005年03月21日

ニッポン放送とかネット広告費の伸びとかの雑考

げーっぷ。

近所のラーメン屋、まつり家でラーメン食ってきたpalです。
まつり家は、家系ラーメン総本山で修行を積んだ女主人が
やってる店。今日も美味しかった。

で、まぁ、本題に戻りますが

Ukeoto! 受付嬢を落とす方法さんの所で
Nポン放送の方とのデートのお話が出てて
そこでの話題を日記に掲載されてます。


ざっくばらんに社員さんのお話を引用すると
「ネットラジオでは音楽配信できないのでスポンサーがつかない。
よって、既存ラジオ局ではネットラジオに興味がない」

「LDに乗っ取られると金銭的に美味しいトコもってかれるし
ぬるま湯につかって育った社員は頭かかえてる」

ってとこでしょーか。興味深いっすね。

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posted by pal at 14:46 | Comment(0) | TrackBack(1) | メディア このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集

伝説の男

「もし、貴方と神がチェスで対戦したらどっちが勝つと思いますか?」

「私が先手なら引き分けだ」


そう答えた男こそ、伝説のチェスプレーヤー、ボビー・フィッシャー。
神と互角に戦えると豪語した男。

推測IQは187。
ほとんど独学でチェスの知識を身に付けると
14歳からチェスの全米選手権で8連覇。

1972年、チェス史上に残る世界選手権タイトルマッチにて
当時のロシア代表スパスキーを破り
(それまではずっとロシアがチェス世界チャンピオンだった)
偉大なる英雄と祭り上げられる。

奇行で有名で世界選手権では
「サケは魚の王様だ。私はチェスの王様だ」
といって、サケ料理ばっか食べたり
対戦の時には、スパスキーが
「椅子に毒が仕掛けられている」
と主張すると
フィッシャーは
「向こうは隠しマイクで助言を聞いている」
とやり返した。

圧倒的な強さを誇っていたが、1975年、世界選手権の運営方法を巡って
世界チェス連盟と対立。その後、姿をくらませた。
反米的な言動で有名で、公的な命令文書を突きつけられた時、
「これが答えだ」
と言って、命令書に唾を吐きかけた事でも有名である。

その後、フィッシャーが姿をあらわしたのは
1992年、国連経済制裁下のユーゴスラビア。
そこでスパスキーと再戦し勝ち賞金約300万ドルを獲得したが、
これが経済制裁に違反するとして米司法当局から逮捕状を出されてしまった。

2004年7月13日、
フィッシャーは成田空港で出国の際に
無効なパスポートをもって入国したとして、
入管法違反で上陸許可を取り消され拘束され、現在にいたる。

3/15日、アイスランドへの出国をもとめる申請が不許可となり
八方塞の状態になっている。

あー、なんとかならんものかー。
posted by pal at 10:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム このエントリーを含むはてなブックマーク | 編集

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